第16回俳句甲子園 地方大会兼題例句

May 05 [Sun], 2013, 11:34
【例句】 初夏

初夏のタクシーは朝拭かれをる(佐藤文香『海藻標本』)

髪さはりながら話して初夏の人(小澤實『砧』)

てのひらにのせるうみたてたまご初夏(川上弘美『機嫌のいい犬』)

はつなつの手紙をひらく楓樹下(田中裕明『花間一壺』)

何か叫ぶ初夏硬山(ぼたやま)のてつぺんに(西東三鬼『今日』)

スリッパに初夏の情感素足なる(飯田蛇笏『家郷の霧』)

初夏の塩のこぼれし畳かな(長谷川櫂)

初夏に開く郵便切手ほどの窓(有馬朗人)

はつ夏の空からお嫁さんのピアノ(池田澄子)

はつなつの櫂と思ひし腕かな(田中亜美)

初夏の波を好めり高波を(藤後左右)

初夏を大きくバッタがとんだ(住宅顕信)

【例句】 目高

ブリキ鑵の目高を車よけて通る(高野素十『初鴉』)

目高とて魚島なせるひとところ(辻桃子『龍宮』)

いつまでも人になつかぬ目高の子(岸本尚毅『感謝』)

緋目高のつゞいてゐるよ蓮の茎(原石鼎『花影』)

たそがれの細水のぼる目高かな(原石鼎『花影』)

緋目高の目のひとつある左側(佐藤文香『海藻標本』)

男帶ほどの水にも冬の目高(中村草田男『銀河依然』)

吾もありと金魚の中の目高かな(一転)

めだかおたまじやくしといる(橋本夢道)

群に入る目高素早く幸福に(金子兜太)

赤めだか針のごとき子生れたり(細見綾子)

【例句】 網戸

雲を押す風見えてゐる網戸かな(生駒大祐「明るき方」角川俳句5月号)

誰となく網戸を開けて雨を見る(岸本尚毅『健啖』)

ところどころ鰊御殿も網戸かな(岸本尚毅『感謝』)

青々と弾けば響く網戸かな(岸本尚毅『感謝』)

老人よどこも網戸にしてひとり(波多野爽波『一筆』)

天牛も蠅も網戸の内側に(辻桃子『ゑのころ』)

網戸してどんどん増ゆる遠くの灯(辻桃子『津軽』)

蝗きて夜の網戸の網つかむ(辻桃子『饑童子』)

網戸嵌め只強くこそ住みなせり(高濱虚子『六百句』)

たらたらと星流れたる網戸かな(高野素十)

深海の明るさに青網戸かな(上田五千石)

【俳誌拝読】 『秋草』第36号(2012年12月号)を読む

December 08 [Sat], 2012, 18:21
発行人・山口昭男

波多野爽波・田中裕明の系譜に連なる俳誌。
いつもご恵贈、ありがとうございます。

印象的だった句を挙げさせていただきます。

掛稲の窮屈さうな両端よ  山口昭男

手仕事ならではのディテールが、景の臨場感を成立させている。

凍鶴のこゑ太くなる街の端  三輪小春

街の端であるという意識が、余計に凍鶴の声を太く野生的なものに感じさせるのかもしれない。

肘つきてちとつまみたる貝割菜  橘こごみ

ああ貝割菜とはそういうものだよなぁ、と再認識させられる。

鳥渡る墓前に花の窮屈に  門園須美子


下五の屈折が、人の世の様々な関係や思いを想像させ、それと渡り鳥の渡世とが対比される。

掛稲の中に稗あり稗青し  橋本石火

下五で粘り強く景の核心を掴んでいる。

草引きに來てくれし人靜かかな  木田満喜子

自然で控え目な書き手の感謝の念が通っている点も良いし、助っ人の佇まいが実感をもって想像できるのが嬉しい。

蜩の鳴き終りたる力かな  金中かりん

鳴き終えること自体にも力が要るし、鳴き終えるや否や、次の声を上げようと体に力を満たしている。そんな蜩の姿を思う。

教会の祭壇高し秋の潮  久下 範

直接は見えずとも、潮騒は絶え間なく聞こえ、心の中に秋の潮が意識されている。

源流のたちまち泥の薄かな  椹木雅代

景のダイナミズムを言葉で再現する、爽波の写生を思わせます。

「特集 今年の秋草」として、三人の評者が今年の秋草の成果を振り返っています。
秋草作品の鑑賞欄「秋草逍遥」は相子智恵さん。
歯切れの良い簡潔な評でたくさんの句を採り上げています。

満たされている器 ―大野朱香句集『一雫』を読む―

November 07 [Wed], 2012, 19:46
 貴方の『一雫』は、どこに置いてあるだろうか。私の『一雫』は、本棚にはない。ほとんど常に句会用の鞄に入れてある。他でもない、句会へ行く途上で読むためだ。『一雫』を読むと、肩の力が抜け、気持ちが自然と弾んでくるのだ。目に触れるもの全てが、活き活きとしてくるような気さえする。
 『一雫』の魅力は、何と言っても、句に描かれた対象が活き活きとしていることだろう。

   とほり雨おたまじやくしの頭打つ
   初浅間驢馬より湯気のたちのぼり
   風花や小屋のうさぎの立ちあがり
   みつばちの降りたきれんげ揺れやまず


お玉杓子も驢馬も、小屋の兎も蜜蜂も、実に活き活きとしている。描かれているのはほんの一瞬の動きや出来事であるのに、それらの対象が一所懸命に生きていることが分かってしまう。「分かってしまう」とは変な言い方かもしれないが、これほどまでに一所懸命さが伝わってくる不思議さを、読み手として感じている私にとっては、「分かってしまう」という言い方が自然なのである。
 「風花や小屋のうさぎの立ちあがり」について見れば、文字通り、そこには風花と、立ち上がった小屋の兎とが存在するばかり。しかし、読み手は「立ちあがり」という単純な動作を手がかりに、兎の心の中を読み取ることができる。風花に気づいた兎の反射的な動き、その兎の心中は「風花だ!」という一事によって満たされている。五七五という器もまた、「風花だ!」の一事によって満たされているのである。読んでも読んでも読み飽きることのない、豊かな句だ。
 活き活きとしているのは動物達ばかりではない。

   大夏野沼のにほひのさまよへる
   バス停のすつくと立てる氷湖かな

大いなる夏野をさまよう「沼のにほひ」。この句には、「さまよへる」でしか言い表せない「沼のにほひ」の在り様があり、その在り様によって裏打ちされる夏野の広大さがある(例えば仮に「さまよへる」を「ただよへる」に置き換えてみると、「沼のにほひ」や夏野の存在感は、数段頼りないものに感じられてしまう)。「バス停」も、草木枯れ、鳥達も見当たらぬ静寂の氷湖のほとりであればこそ、その凛とした佇まいが引き立つ。これらの無生物も、先ほどの動物達に負けず劣らず、非常に表情豊かで、確かな存在感を持っている。
 存在感と言えば、『一雫』の句の中には、書き手自身の存在が強く現れているような句はほとんどない。

   摘む影の近づいてきし土筆かな

主客逆転したかのようなこの句が、最も書き手その人の存在が句に現れている句と言えようか(この「摘む影」とて、書き手その人であるという保証はないのだが…)。このような句はこの句集においては珍しく、あくまでも書き手は句の奥に控え目に存在しているのが常である。
 先ほど触れた「大夏野沼のにほひのさまよへる」でも、自分を主人公とし、「沼のにほひ」のする大いなる夏野をさまよう自分、という趣旨の句も在り得るはずだが、大野朱香という書き手は、そういう在り方を選んではいない。あくまでも目の前の景・出来事を見据え、その中心を捉えて句を成している。

   一粒の砂をかかげて蟻歩む
   実梅じやま小石がじやまと蟻歩む
   冬空へ長くのびしが亀の首


 幾つか思いつくままに私の好きな句を挙げてみたが、いずれも書き手の「目」の行き届いた句だ。一句目、蟻が砂粒を運んでいる景であるが、「かかげて」に注意して読めば、いかに大事そうに運んでいるか、蟻の必死さが伝わってくる。二句目の「じやま」の繰り返しからは蟻のいらいらとしたせっかちな歩き様が、三句目の「長くのびしが」という表現は、そのゆったりした響きから、亀の首の長さ、ひいては冬空の下の亀の動きの鈍さまでもが見えてくる。いずれも巧みな表現だ。しかし、その巧みさも決して強調されることはなく、あくまで自然に一句にまとめられている。そこからも、巧みな表現や言い回しの上手さなどより、自らの「目」に映ったものを尊重する書き手の姿勢が確かに伝わってくる。
 『一雫』においては、書き手の「目」に映ったものがそのまま、五七五という器をすんなりと、穏やかに満たしているかのように感じられる。そのような充足した一句一句が集まって、句集という、より大きな器を満たしている。であればこそ、私は大野朱香という書き手を信頼し、『一雫』という句集をこれからも読み続けていくのだろう。きっと来月も、句会へと向かう、列車に揺られながら。
(「童子」2009年6月号 大野朱香『一雫』特集より転載)

【俳誌拝読】 『秋草』第32号(2012年8月号)を読む

August 05 [Sun], 2012, 19:36
発行人・山口昭男

波多野爽波・田中裕明の系譜に連なる俳誌。
いつもご恵贈、ありがとうございます。

印象的だった句を挙げさせていただきます。

鱚食うて大きな鼻のあからさま  山口昭男
鱚と対比されることで、人というもののグロテスクさが浮彫りになっていますが、同時にユーモラスでもあり、どぎつくないところに好感を持ちます。

日食の話とうすみ飛び交うて  山口昭男
テレビなどでは日蝕の話で盛り上がってましたが、生き物たちにはほとんどどうでも良いことだったでしょうね。そ知らぬ顔で飛び交うとうすみが涼しげ。

鮎食べてあをきにほひの畳かな  山口昭男

鰡飛んで朝顔少し汚れあり  橋本石火
朝顔はよく家の周りに植えられる花。生活感のある家の佇まいが朝顔の少しの汚れから窺われる。鰡が飛ぶのが見える、港に程近い家だろうか。

天鵞絨のやうに暮れけり袋角  三輪小春
びろうどのような袋角という比喩自体もなかなか秀逸ですが、それに気づくのが暮れ方、日の落ちた頃というのが味わい深いところです。

月が日を隠しきれずよ新茶汲む  三輪小春
これもまた日蝕の句ですが、上五中七の叙述は描写としても雰囲気を伝える語り口としても秀逸。新茶でも汲みながら日蝕を楽しむ、良いじゃないですか。

外灯の少し暗くて網戸かな  橘こごみ
外の灯と内の灯の明暗を感じさせる網戸、確かな描写。

竹皮を脱ぎて子猫の臆病な  橋本石火
臆病な子猫の、精神の在りようからふわふわした毛並の在りようまで、皮を脱いだばかりの竹と響き合うような。瑞々しさのある句。

傾むいて人現はるる今年竹  下津由喜恵
書かれてはいないがこの人、きっと青々と伸び傾く今年竹を半ばくぐるようにして、傾いて現れたのであろう。よく見える句。

十薬や裁縫箱の蓋浮いて  みなみ里奈
放っておくと増えてしまう十薬と、糸やらボタンやらがいつの間にか増えてしっかり閉じなくなる裁縫箱の蓋、実感のある暮らしの描写だ。

〈俳句を鑑賞するときに、その一句から風景がありありと立ち上がってくるような作品のことを「景が見える句」と言います。それとは別に、ひきのばされた時間や、ねじれた景色が見えてくる作品もまた、面白くて大好きです。〉
佐藤文香による「秋草逍遥」(秋草俳句鑑賞)は、語り過ぎない、曖昧さがそのまま膨らみになっているような句を、上手く着地させてくれるような鑑賞が今回も好印象でした。

【読書録】『童子』2012年7月号から

July 21 [Sat], 2012, 15:30
花満ちて杖におくれて足すすみ  辻桃子
丁寧に動きを描きながら、自然と花へと向かう心情が窺われる。

笹起きて家紋は鎌と鎖なる  安部元気
多作の作者ならではの瞬発力を感じさせる取り合わせ。

猪垣を張りめぐらすや余花少し  如月真菜
誇張やメリハリを無理に持ち込まない詠みぶりが、落ち着いた実感のある景を現出させている。

したたかにレモン搾れば杜鵑  佐藤明彦
杜鵑は、その彩りや斑から、どこか激しいものを内に秘めた花という印象。それがレモンとよく響き合う。

石棺に頭のくぼみある暮春かな  石井みや
珠玉にも採られた句。ここに描かれているのは、死そのものではなく、死への生者の意識や想い。それを暮春という大きな時間が包み込んでいる。

春霖やくづれ土塀に貝の殻  山口珊瑚
濡れた崩れ土塀に、砂浜の印象が重なり、驚かされる。

海見えし船が見えしと青き踏む  田代草猫
踏青で海が見えたというだけなら珍しい句ではないが、中七の踏み込み、畳み込みが句に力を与えている。〈交番に届くチャーハン春の雪〉も良かった。

薄日さしつつの春雨傘なりき  梶川みのり
何でもないようなところだが、「つつの」の辺りの息遣い、言葉の運びが生きている。

信心の杉の高きに烏の巣  北村あゆか
助詞、特に上五の「の」の、意味の膨らみのあるつながり方が良い。

残雪の指の入らぬ硬さなる  井ヶ田杞夏
やはりこれは、目の前の雪に驚き、触ってみた人でないと出てこない言葉だろう。こういう句は強い。

裏返る細身の靴も花見茣蓙  小林タロー
細身の、女性物の靴に焦点を当てながら、「も」でそれ以外のたくさんの靴も見せている。

もと彼も今の彼氏も卒業す  小田 笑
返して詠める一句〈別れれば氏なんぞ付けず鉄線花 春休〉

三島ひさの句集『長女』特集、やはりこうした特集は、作品論・作家論的な面白さもさることながら、句会を共にする仲間による、作者の人柄の窺われるエピソードなどに心惹かれる。
「俳書を読む」、音羽紅子による『蕪村句集講義1』蕪村をめぐる子規と鳴雪のやりとりなどを採り上げ、短いながらなかなか読み応えあり、次号に続くらしいので楽しみ。

【句集拝読】 金子敦『乗船券』を読む

July 10 [Tue], 2012, 19:09
『乗船券』は金子敦の第四句集。
第三句集の『冬夕焼』が2008年、4年前なので
なかなかのハイペースでの刊行です。
印象に残った句を次に挙げていきます。

囀りやくるりくるりと試し書き
母音のいによる「り・り・り・し・き」というリズムが楽しい。鳥の囀りとペン先の動きとがとても自然に重なり合う。

桃咲いて人形劇の丸木橋

空深きよりぶらんこの戻り来る
ぶらんこの軌道を、とても大きく感じる。まず空の深さを見せ、それからぶらんこが現れる、この言葉の並びが的確で、句がしっかりしている。

他愛なき嘘聞いてゐるさくらんぼ

鶏頭へ砥石の水の流れゆく
個人的には、こういう句こそ、写生の手本にすべきと思う。鶏頭の鮮やかな色彩と、砥石から流れくる水。砥石の水はその先に刃をも想像させ、独特の深みを生み出している。

しぐるるやタイトル長き幻想画

早梅や水飴湛へ一斗缶

地球儀へ鶯餅の粉が飛ぶ
一見奇抜な取り合わせのようでありながら、地球儀のある書斎の机(もしくは勉強机)でのちょっとした休憩の景が生き生きと浮かび上がる、見事な写生句と思う。

スポイトにしがみつきたる子猫かな

囀りやフランスパンの林立し

綿菓子を持たされてゐる螢の夜

ドレッシングの瓶振つてゐる星月夜

夏に入るがつんと堅き花林糖
他に〈木の匙に少し手強き氷菓かな〉もあったが、ささやかなことからも生きることの手ごたえを感じ、その喜びをすんなりと句にされている。どちらも充実感のある句。

一列に餃子ひつつく大暑かな

栗少しずらしてケーキ食べはじむ

蜂蜜の白濁したる神の留守

漢文にレ点のあまた秋の声

とほき日のさらに遠くに冬夕焼

ミルキーのとろんと甘く合歓の花

対岸にスナフキン来る螢の夜

色鳥やはち切れさうなペンケース

のりたまをざくざく振つて豊の秋

聖菓切るナイフふはりとめりこんで


第三句集『冬夕焼』も良い句集でしたが、『乗船券』はさらに充実した句集と感じました。佳句が多いというだけではなく、一冊を通して読んで、安心して俳句を楽しむことができる。
御恵贈、ありがとうございました。

【俳誌拝読】 『秋草』第31号(2012年7月号)を読む

June 30 [Sat], 2012, 21:59
発行人・山口昭男

波多野爽波・田中裕明の系譜に連なる俳誌。
いつもご恵贈、ありがとうございます。

印象的だった句を挙げさせていただきます。

水音の枝垂桜によりかかり  山口昭男
上五の「の」のかかり方が良いですね。枝垂桜が水音で満たされているような。

虫干や少し長生きしすぎたる  橋本石火
重いことを軽く言い成したところに惹かれました。

花どきの電車ゆらゆらして停まる  市川薹子
何だろう、忘れていたような記憶がふと思い出されるような句です。爽波の〈葉桜の頃の電車は突つ走る〉に応えた句とも読めます。

夏蕨明るき雨の重さかな  三輪小春
雨の重さを感じるのは、夏蕨を打つ雨粒の強さによってでしょうか。それとも我が身を打つ雨粒か。繊細な感覚。

海底の油田のはなし粽食ふ  門園須美子
海底の油田には、現実的だが夢がある。粽をしっかり食べて大きくなれよ、という気にさせられる。

寿司桶やゆさゆさと花揺れ交し  中西愛
思い切りの良い上五が良いですね。

新緑や鉢ぶらさげて城ぬける  宗方やよい
良い風を感じる句です。葱を買って帰った蕪村や、大金を持って茅の輪をくぐった爽波も思い起こされます。

落花浮く小さな水を掬ひけり  橘こごみ
幾重にも包まれて存在する落花が尊い。

秋草逍遥(作品鑑賞欄)の佐藤文香さんの文章の誠実さ、しかと伝わってきます。一句一句をしっかりと読みたい心情と、なるべくたくさんの句を鑑賞したい心情とのせめぎ合いなんですよね、作品鑑賞欄って(私も「澤」の鑑賞一年間させてもらったときそうでした…)。
鑑賞文の中では、この一節に特に魅かれました。
〈…言い過ぎてしまうと失われてしまうような遠く光り合うような関係〉
丁寧に句の魅力を引き出していると思います。
島田刀根夫句集『朱夏』特集も読み応えがありました。

【読書録】『童子』2012年6月号から

June 18 [Mon], 2012, 22:12
まだ古りし芝に雛の日の雨よ  辻桃子

雛しまふ箱に大中小と長  安部元気

陵に見えゐて行けず彼岸道  如月真菜

でぶでぶと春満月ののぼり来し  佐藤明彦

飯蛸の飯ぎつしりと佳き返事  石井みや

淡路島めざして日永とんびかな  田代早苗

錠剤をたくさん持つて遠足に  松本てふこ

春の夜の釘抜きの持つ殺気かな  藤森かずを

包む間に煮干食はせて和布売り  篠原喜々

寒戻る砂糖ちよと入れ紹興酒  長谷川ちとせ

雛飾り従兄弟どうしの夫婦にて  田代草猫

おととしに流行りし歌を落第子  小早川忠義

谷戸よりの流れの端に離れ蜷  小林タロー


今月号は何と言っても主宰による加藤郁乎氏への追悼文。やはり、憧れの先人でしたからね…。胸を打たれます。そういえば私は今月号から「童子」でも「波多野爽波鑑賞」の連載を始めさせていただいたのですが、見事なまでに誰からも反応ありません。〈擲つ闇の深さかな〉、ですね…。「童子新聞」でちょっとだけ板藤くぢらさんが私の書いたものにリアクションしてくれてたのが嬉しかったです。

【俳誌拝読】 『秋草』第30号(2012年6月号)を読む

June 03 [Sun], 2012, 20:01
発行人・山口昭男

波多野爽波・田中裕明の系譜に連なる俳誌。
ご恵贈、ありがとうございます。

印象的だった句を挙げさせていただきます。

空のうへよりゆつくりと春の雨   山口昭男

一句全体が豊かな無内容と言えば良いのでしょうか…。定型を贅沢に使われてますね。

見えぬものおほきこの世の木瓜の花   〃
くっきりとした木瓜の花の色彩・輪郭が、これまで以上に可憐に思えてくる。

倒木の朽ち行く匂ひ蟻地獄   宗方やよい
生々しさにはっとする。

蝶の肢革鞄よりとびたちぬ   三輪小春
非常に繊細な把握。まだまだ見残しはあるものですね。

目薬のこぼれてゆきし春の空   みなみ里奈
下五で句柄が大きく。

きのふより水面の高し鳥の恋   市川薹子

きっぱりとした描写により景のクリアさが、句を生き生きとしたものにしています。

6月号から秋草逍遥(秋草俳句鑑賞)は佐藤文香さんが担当。少し手紙っぽい文体の、誠実な鑑賞文でした。特集・秋草の作家を読む は西野文代さん。これまた良い文章です。感謝感謝です。

【句集拝読】 岩淵喜代子『白雁』を読む

May 20 [Sun], 2012, 22:30
『白雁』は岩淵喜代子の第5句集、308句収録です。
帯は、清水哲男による文と自選12句。
印象に残った句を次に挙げていきます。

紫陽花に嗚呼と赤子の立ち上がる

紫陽花の明るさ、背の高さがありありと目に浮かぶ。音の響きも良い。

赤鱏を尾から眺めて大きかり

大らかでなおかつ存在感がある。これも響きの良い句。

藁屋根の藁の切口夏燕

言葉に無理をさせずに物の存在感を出し、景も鮮明に描き出している。見習わねば…。

空蟬を鈴のごとくに振つてみる

うつくしくて、そして無意味で良いですね。

七夕やときをり踏みし海の端
夜空の広がりと、海の広がりと、海辺を歩む人の小さな姿と…。

寄り合へば座席の増える野外劇

視点がとても知的でクリア、生き生きとした一場面が浮かびます。

鷺消えて紙の折目の戻らざる

繊細ですが、芯の強さをうかがわせる句です。

螢から螢こぼるるときもあり

この蛍の求愛、想いを遂げられたのか、想い半ばで離れてしまったのか…。

箱庭と空を同じくしてゐたり
箱庭と現実世界を地続きに、しかもそれを自然に描き出す手際。

神棚は板一枚や法師蟬
「俳」ですね。

瓢箪の端に並べば楽天家

確かに。莞爾莞爾。

月夜茸母が目覚めてくれぬなり

下五の詠嘆の、幼さにも通じる純粋さが沁みます。

花ミモザ地上の船は錆こぼす

これはもしかすると津波後の春の景かもしれないですね…。

花どきの片耳塞ぐ枕かな

抑制の効いた表現ながら、奥行きを感じさせる句。

あとがきにはこのような一文が見えます。
「書くことは『生きざま』を書き残すことだと錯覚してしまいそうですが、等身大の自分を後追いしても仕方がありません。」
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