我が麗しき恋物語  6(小説) 

June 25 [Wed], 2008, 0:25
私の誕生日の十日後が彼の誕生日だった。

丁度、秋の彼岸の終わり頃の日和だった。

体調を持ち直した彼は、私を彼の実母の眠る墓参りへと誘った。

谷中の昔からある大きな墓地の一郭に彼の家の墓はあった。

墓のすぐそばの花屋で線香と花を買い、そこで水桶を借りて墓場へと行く。

彼は、私に花を持たせ、自分は水桶を持つ。

間もなく「佐藤家之墓」と書かれた立派な御影石の白い風格のある墓場が目に入った。

ここまで来る道すがら、広い通りの両脇には年輪の深そうな太い大きなさくらの木々が雄々と湿気の抜けた風に、その緑の広い葉を預けて揺れていた。

春先にはきっと薄紅の蜃気楼が視野を限りに埋め尽くすのであろう。

いつもの様に手を取り合いながら歩む道、私たちは言葉少なに過ごしていた。

わたしはただ考えていた。彼が私をここへ連れて来た意味を。
ただ、毎年の行事に私を誘っただけのことなのか。それとも…。


わたしは母に教わって作ったお萩をいくつかタッパーに入れて持参していた。

秋彼岸にはお萩と果物、それに団子と花を供養するのが私の家の習わしだったが、圭一は何を備えればいいのか知らないと言う。

私たちは、とりあえず、持ち合わせの生花とお萩とを墓に供えることにした。

圭一が慣れた手つきで墓のてっぺんから水をやる。墓の両脇に備えられた花瓶に花を生け、隣りの小さな墓にも花をわける。

持って来たロウソクに火をつけると、そこから線香の束に火を移し、束を二分し2人、それぞれに持った。

彼が墓の中央に佇んだかと思うと、おもむろにその場にしゃがんで線香を供え、それから両手を合わせた。背中越しの白いワイシャツの華奢な肩が何度かふるえた様に感じたのは私の目の錯覚だったのか。
胸を裂かれるやるせない想いが、彼を後ろから抱きしめたい衝動へと私を追いやったが、理性と気恥ずかしさとがあいまって、想いを実行するには至らなかった。

その日は秋の長雨をやり過ごした一日で、青に埋め尽くされた空を背景に私の好きな秋の調べのコスモスが 小菊とともに揺れていた。

「私の花だわ」 心の中で呟く。
わたしの思いをお母様に捧げます。気持ちのいい空ですねえ。お母様、私があなたの大切な方とあることをどうかお許し下さいね。きっと。お守り下さいね。

彼の背中を見ながらただ、立ち尽くし、自分勝手な想いにふけっていると、彼が手招きをし、私も彼の傍らにしゃがんで、それから線香を墓に手向けた。

2人分の線香は 結構な量だったので、私は隣りの小さな墓にも線香を分けて置いた。

それから暫く、墓の前で彼の昔話を聞いた。

彼の母はそれは優しくて、また、夫に対しても貞淑であったこと。
料理や洗濯は得意だったが、掃除が少しだけ苦手だったこと。

病弱な母はいつも白い顔をしていて、痩せていて、よく臥せっていて、それでも毎朝早くに起きて、きっと朝食と弁当を絶やさず作っていたこと。

言葉を荒げるような喧嘩を見たことが無い等々

そうして付け加える様に言った。

「だからね、母が生きているうちからきっと、今の継母と父は出会っていたことを思うと…。
俺は、だから、母のような女を好きではないんだ。
自分の意見を持ってしっかり生きる人、自分のために生きる人を好きになりたかったんだ。」

気の強い私は、確かに一面、自分の意見をしっかり持ったひとの様に見えるかもしれないが、その実、優柔不断で、大切な決断は決して1人では出来ないことを、かれはきっと知らない。

あなたの思うような女じゃないのよ、私…言おうと思ったが、やめておいた。

そのうち、彼と添ううちにきっと、彼の理想の女になろう、そう思ったからだった。それはきっと女から見たって格好の良い女だろうから。

何となく照れた私は、圭一にお萩を勧めた。
仏さまの下げ物は頂く物だと祖母から教わっていたから。

「美沙菜は、見かけに寄らず、世事に詳しいねえ」 圭一が感心して言いながら、お萩を一口頬張る。
「美味い!!」 圭一は、お萩を握った右手を少し高く挙げて美沙菜を振り返ると大げさに言った。

よかった。お萩は私の得意な料理の1つだったが 圭一の口に合ったとわかるとほっとした。
明日の日曜日、圭一の誕生日は、手作りの料理で美沙奈の家で祝おうと思っていたからだった。

手際よく料理を作り進めるためには圭一の家の小さなコンロではなく、慣れた自分の家のキッチンがいい。
たまたま家人が一日家を留守にすると言うので都合がいい。
家の者たちには友達が遊びに来るからみんなで料理を作るのだと、既にいい訳をしておいた。

私たちはお萩を食べ終えると、のどを潤し、もう一度墓に手を合わせ、長い時間、思い思いに祈った。どうか、幸せな人生が歩めます様に。
明日もまた、いい日であります様に。


「お邪魔しました」
友達の家から帰る時のような挨拶を残して、私たちは墓を後にした。
すぐさま彼の腕をとろうかと思ったが、いささか墓の真ん前からでは躊躇され、花屋に桶を返すまでは、しばし彼との間に空間を置いた。


私は家に帰ると、圭一のための誕生日のお祝いの料理の下ごしらえを始めた。

明日父と2人で出かけることになっている母も心なしか浮かれていて、私の料理の下準備の手伝いをしてくれた。


翌朝早く、父と母は連れ立って出かけて行った。帰りは夜遅くなるらしい。
弟も、今日は友達と出かける予定だ。

いつも日曜日にする歌のレッスンも明日、学校の帰りに寄る様に算段しておいた。

誰もいなくなった家で、私は、圭一の誕生日の食卓を飾るための作業を始めた。
彼は、正午に到着予定だから、まだ、あと4時間もある。準備には充分な時間がある。

ケーキを焼いて、唐揚げを揚げて、混ぜご飯を作ってお澄ましで出来上がり。
口取りの漬け物も即席で用意した。

食卓を綺麗に飾り、圭一の到着を待つ間、私は料理で付いた臭いを消すためにシャワーを浴びた。
髪を洗ってきれいに乾かすとよくまとまるし、一石二鳥だと思ったからだ。

否、何があってもいい様にと半分以上考えていたのは、本当のところだった。

12時にあと5分というとき、玄関のベルが鳴った。彼だ。

玄関を飛び出し外を眺めると、案の定、彼がそこに立っていた。
門扉を自分で開ける様に目で合図し、私は玄関のドアーを大きく開けて待っていた。

玄関をあがってすぐ、玄関ホールの左手を開けると私の部屋だが、とりあえずそこに彼の荷物だけを置かせると、キッチンへと招いた。

キッチンのテーブルに料理を準備しておいたからだ。

椅子に座る様に彼を促すと、彼は、ちょっとためらってから、一歩私の方へ近付き、わたしの唇に小鳥のさえずりのような軽い挨拶をした。

始めに、彼の歳の数、22本のロウソクを立てたケーキに火をつけた。

枝の長い着火用のライターなので非常に火がつけ易い。

プレートの圭一、のチョコレートの文字がやや歪んでいたが、そこは愛嬌ということで気にしないことにした。

圭一も、見事に一吹きでローソクの火を全て消すことに成功した。

それから、私たちは食卓を共にした。
彼は、私の準備した料理を全てたいらげてしまった。ただ、おいしいおいしいと、そういいながら、三人分はあろうかという量を、全てたいらげてしまったのだった。

野球の好きなひとで、大学も野球部に入っていたくらいだからきっと食欲は旺盛でも仕方のないことかもしれないが、それにしてもかなりの量だった筈なのに…

食事が済むと暫く、学校の話や受験の話、彼の就職先の試験の話等をして、楽しく過ごしていた。

柱時計が二時を打った。

突然黙り込んだ私たちの心ははっきり決まっていた。

どちらからともなく立ち上がると、私の部屋へ2人で入って行った。

部屋は私が勉強に便利な様にしてあったから、作り付けの本棚の下に勉強机、向かい側にやや大きめのクローゼット、その隣りにステレオが置いてあり、壁のならびにベッドが置いてある。ベッドの終いのところから直角に折れて大きなガラス窓がある。

窓際の勉強机の隣りにピアノがありここにもやや大きめの窓がはめ込んである。そうしてベッドの向かい側には小さなテーブルとソファがあった。

食後のコーヒーをこの小さなテーブルに用意して、小さなソファに彼が、絨毯の上に私が座って飲んだ。手作りのケーキは初めてだったので緊張したが、まあまあ食べられる味だった。
手作りだから、生クリームの甘みがしつこくなくってかえって良い味の様に思えた。

私たちはひとしきり話すと、レースのカーテンを引いて、それからどちらからともなく立ち上がり暫く抱き合っていた。

今回はもう、私も覚悟を決めていたので怯まなかった。
「圭くんの誕生日だから」それでも、それだけ言うのがやっとだった。

彼は優しかった。
いくらか強く私を抱きしめると それからキスをした。

そうして静かに膝をつき、ゆっくりとベッドへ促す。
それから…

心の準備をして、私がゆっくりと目を閉じようとした時、頭上に誰かの影を感じた。玄関を入って庭へ向かう途中にある私の部屋を窓越しに父が覗いていたのだ。

父の顔は般若の様にそれは恐ろしい形相で私たちを睨みつけていた。

窓ガラスを叩いて、それから私の部屋のドアへ回り、ドアがちぎれる勢いで開けると大股で真直ぐわたしの方へ近付き、手の届く場所まで来るのももどかしげに、力を込めた手のひらを小さなテーブルに叩き付けた。
それから圭一の胸ぐらを掴むと大きく彼を揺すって投げ飛ばした。

「なんだ貴様は〜」
父のその言葉を最後にあとは私の中の時間や、経過を考える場所が飛んでしまったようだった。

ただ、圭一が平身低頭、謝りながら、私を好きだと、真剣なんだと何度も父に訴えていた事しか未だ覚えていないのだ。

後でわかった事だが、私の両親は出先で用を早く済ますと、私の友達の手みやげにとぶどうを買い、友達の帰る時間に間に合う様にと急いで家へと帰って来たのだと言う。

これから暫く、私たちは会う事を禁止され、声を聞くこともままならなくなったが、禁止されればされる程燃えるというのは、私に限っては肯しいことだった。

我が麗しき恋物語  5(小説) 

June 25 [Wed], 2008, 0:08
高円寺の駅の真上のマンションに 歌の先生の部屋がある。

独り住まいで、こぎれいにしたリビングは 二部屋を通して作られており ここに大きなグランドピアノが置いてある。
そろそろ入試の課題曲が発表される時期だ。

今日は、先生に課題曲についての相談をするつもりでレッスンにやって来た。

もともと私は歌が好きだったがクラシックの歌のようなかしこまった物でなく、歌い上げるようなポピュラーな曲が好きで、そんな歌を歌ってゆきたいと思っていた。
そんな夢を両親に相談したところ、父の激昂に触れ、夢に対して今一歩の強い思いを持ち続けることの出来なかった私は 父母との折り合いの地点であるクラシックを選んだ。

クラシックを始めたのは高2の春だったので、付け焼き刃な私の歌は、とても上手とは言えなかった。

そんな苦手意識を持った歌だったから夢中になることが出来ず、勉強もついついおろそかになる。

先週出された曲を暗譜していなかった私を、先生は一括した。
「美沙菜ちゃん、何も歌だけが人生じゃないのよ。お勉強するのがイヤなら
あなた、お嫁に行けばいいのよ。無理することはないわ。」

怒りを押し殺した先生の言葉は、深く私の心に突き刺さった。

そんななかで先生は容赦なく言葉を続ける。

「あなたは歌い易い歌にしなさい。一番簡単な曲がいいわね。きれいな曲だし、あらが見えないで済む。」

そう言って先生は、一番歌い易そうなアリアを一曲と短い日本歌曲を提示した。

簡単そうだが平坦で、曲として作り上げるには大変そうな日本歌曲、もう少し流れるようなメロディーの曲の方が聞き手をごまかし易いんじゃないかしら?
こんな曲ではあらがはっきり見えるだろうに。

そうは思うものの先生の言うことに逆らえる筈もなく、仕方がないので「びいでびいで」を歌うことにした。

曲を決め終わってさっさと先生の家を後にすると、彼の家へと急いだ。

大抵、レッスンは日曜日だったから、私のレッスンが終わる頃、圭一が、マンション地下の喫茶店で私を待っているのが常だった。
ここで2人顔を合わせ、それからどこかへ出かけるのだが、この頃はこの喫茶店で入試のために彼に私の苦手な英語をみてもらうのが習慣になっていた。

今日は、しかし、圭一は具合が悪く、アパートにいたので、私がそちらへ半年ぶりに足を運ぶわけだ。

具合の悪い圭一に雑炊でも作って食べさせようと、途中の商店街で買い物をしてから圭一のアパートへ出かけた。

アパートへ着くと、わたしは久しく使っていなかった彼の部屋の合鍵で扉を開けた。
部屋の中央に布団が敷かれており、そこに圭一が仰向けに休んでいた。
起こさない様に細心の注意を払い、小さな玄関横のコンロが1つしかないお勝手で雑炊を作った。
まな板もボールも、みんな小振りで扱いづらい。

小さな片手鍋で作ったのに、出来上がってみると結構な量である。

カタッと、鍋をコンロから降ろした音で圭一の目が覚めたようだった。

上半身半分起き上がると、私を手招きする。

すぐに応じるのがイヤで、下を向く私に彼が言う。
「何もしない、誓うよ。ごめんな、そんなに傷つけちゃって。違うんだ、こっちへ来てご覧」

彼の枕元に細長い包みが置かれて在る。
「開けて」
彼に従い箱を開けると、前から欲しかったロケットペンダントが入っている。
ずうっと幼い頃、好きなひとが出来たらペンダントにその人の写真を入れて肌身離さず持っていよう、そんな夢を持っていたという話を以前圭一にしたことがあった。

「明日は、美沙菜の誕生日だよ」
そうだった。レッスンや、苦手な英語の勉強等に翻弄されすっかり自分の誕生日を忘れていた。
「冷蔵庫を開けてご覧」
膝ぐらいまでの小さな1つドアーの冷蔵庫に小さなホールケーキが入っていた。
私たちは、ちいさな折りたたみ式のテーブルを出し、ケーキと雑炊だけの豪華な誕生会をした。
十八本のロウソクは、ちいさなホールケーキにぎちぎちに差し込まれた。
彼はライターで上手にロウソク全てに火をつけて言った。

「願い事をしながらロウソクの火を消すんだ。いっぺんに火を消すことが出来たら願いが叶うんだってさ。やってご覧。」

私は、来年に迫った受験の成功と、彼の就職が決まることを祈ってローソクの火を吹き消した。
願いが叶う様にと、一辺で火が消える様にと、思いっきり息を吐き出した。

一瞬意識が遠のいて次の瞬間、ケーキを見ると1つ残らずきれいにロウソクの火は消えていた。

やった!!



具合が悪いというのに、こんな風に私の誕生日を気遣ってくれる圭一に私は何かお返しをしたかった。
でも、自分からするのはとっても恥ずかしくって出来ない。
だけれども、彼の心にもきっと、私についたと同じ傷がある筈で、それは私がつけた物だと思うと、こんなにも優しい圭一に私は此処で懺悔する必要があると思った。

思い詰めた私は、暫くただうつむいて、勇気が私を押し出すのをじっと待っていた。

すると、柔らかく私を包む圭一の腕を感じた。

「いいんだよ、わかってる。待とう、ねっ」

あまりにも優しい一言は、私の理不尽な行いを根こそぎ取り払い、私をどうしようもない程の能動的な衝動に駆り立てる布石となった。

ふるえる様に彼の腕にしがみつき、恥ずかしさから溢れ出る涙をこらえて、私は圭一の唇を吸った。

途端、圭一の腕に力が込められ、私の呼吸が止まりそうな程に強く抱きしめられて間もなく、すうっと彼の腕から力が抜けて、それから彼の指が私の涙を拭った。
彼は私のまぶたに優しく口づけをすると、両の手のひらで私の顔を挟み、彼の口で私の口を塞いだ。

恐くて逃げ出したい衝動をじっとこらえ、ただ、されるがままに身を任せようとすればする程体に力が入る。

途端、すっと彼が体をかわし言った。
「さあ、ケーキ食べようか」

…食べられるの?ケーキ?
具合悪いんじゃなかったの?


ふざけて言う私は、彼を愛し始めていた。いとおしいと思い始めていた。
私の恐れる不安な気持ちを充分に察し、自分の欲求を追いやって私を守ろうとする真摯な心を持った彼を愛していると、そうした思いの芽生えた一瞬であった。

我が麗しき恋物語  4(小説) 

June 25 [Wed], 2008, 0:02
圭一が新居に引っ越して暫く、私は彼と会うことを躊躇っていた。

わたしは依然として真面目な高校生のつもりだったから、私の中の常識は、彼との行く道をはばんでいたのだ。

正直、彼が恐くなったのかもしれない。

彼は、私の家に滅多に電話を掛けて来ない。

一度、電話を掛けて来たことがあったが、生憎電話に出たのは父で、父は、私へ男友達からの電話だと知ると、有無を言わせず電話を切ってしまった。

私は、それから素行調査の様に散々彼のことを聞かれ絞られた。どこの誰で、何をしている奴で、背景はどうで、親の仕事はなど云々…。

散々聞き出した挙げ句 「お前はまだ高校生なんだ。男となんか付き合うんじゃない。」と、怒鳴って部屋を出て行ってしまった。

反発の思いはあったものの、こんな堅い家で幼い頃から育った物だから、逆らうのも面倒だし、いや、それより男という物を把握出来ていない自分は、本当のところ、男そのものが恐かったのかもしれない。

先日のような圭一を見るにつけ、果たしてその欲望を満たすことに私が協力出来るとも思えず、圭一と付き合うことを一度清算しようかと考えていた。
そんな心を察してか、圭一はそれきり私に強く求めることはしなくなった。

彼が引っ越したために、登校の路線が変わってしまった物の、ターミナル駅から私の学校へ行くまでの朝の道行きでは顔を合わせることが出来ていたし、たったのそれだけの付き合いは、かえって私には気軽で快適な気がしていた。

私の心が熟すまで、彼の部屋へは行かないと心に決めていた。
圭一にそのことはとりたてて話さなかった物の、彼はよく理解している様で、彼の家に来る様にと、私に催促したりはしなかった。

いよいよ受験の準備に真面目に取り組むことになり、音大の歌科を受験することになっていた私は、下校後ピアノと歌の個人レッスン、ソルフェージュや学科の塾へと行くことになり、彼と過ごす時間はかなり減らさねばならなかった。
彼も、アパートの経費を捻出するためにアルバイト等を始めた。

それでも私が帰りが遅くなる時等は、彼の家から片道1時間はあろうという私の家まで、決まって送って行ってくれた。

相変わらず手をつなぐだけの 他愛もない愛情表現に私はすっかり満足していた。

夏も過ぎ、風がさわやかに頬を撫でる頃だった。
圭一から珍しく電話が入った。
家の電話が主流の昔だから、家人に知られずに連絡をとりあうというのは指南の業っだった。

私たちは、父親の目をかすめるために、もし何かがあったら二回コールしてから一度電話を切り、もう一度電話をする、という暗号を作っていた。

夕餉の時刻、2度コールを繰り返した電話が一旦切れ、再び鳴った。
『彼だ』思った私はあわてて電話を取ろうとしたが、タッチの差で、母に取られてしまった。

『…』彼が電話して来たのに間違いなかった。諦めた私が、おもむろに自分の席へ戻ろうとした時 「美沙菜さん、お電話よ」母が 私に受話器を渡した。目配せとともに彼女は言った。「お友達」。

受話器を受け取って出ると、受話器の向こうは案の定圭一だった。
母は、私に頷いてみせた。
少し恥ずかしい思いはある物の、感謝の気持ちを瞳に込めて母を見つめた。

受話器の向こうの圭一と話す。「どうしたの?」

「うん、悪いとは思ったんだけど、ゴメン、熱が出た。明日、寄ってくれないか」

明日はちょうど、日曜日だったし、歌のレッスンさえ済ましてしまえば後は自習の時間だからいくらでも彼の家に行くことは出来る。
ここのところ私が彼に臆病になっていることを、彼は察知しているにも関わらず電話してくるというのは余程体の具合が悪いのだろう。

きっと大丈夫、私の心配しているようなことは起こらない。

それに、彼を好きなら多少の覚悟は必要なのかもしれないなどとも思いながら彼の申し出を受け入れた。

電話を切った私にすかさず母が話しかける。
「明日、歌のレッスンの後に、お友達と英語の勉強でもするの?遅くならないのよ」

母には判っていたのだろう。彼からの電話も、もしかしたら、今まで私と彼の間に何があったのかもきっと…。

父に聞こえる様に言う母は、この一言で父親の押さえつけから私を守ったのだった。

私は母に感謝して、半分浮かれて食卓を整えた。

明日、彼の部屋へ行こう。半年ぶりに彼の部屋へ行こう。

何かが吹っ切れたような、ただ真っ黒な空にまんまるな月がきれいな夜だった。

我が麗しき恋物語  3(小説) 

June 24 [Tue], 2008, 23:56
私が高3、彼が大学3年の春だった。
彼が実家から、出ることになった。

どうしても、彼は継母と折り合いをつけて生活をすることが出来なかった。

まだまだ幼い少年の心を持った彼には、父親のドライな愛欲がどうしても理解し難く、また、それに従った継母をも、さげすんでいたからだった。

小さな弟は、頓着がなかったので、継母にもそこそこかわいがられていたようだった。

圭一は聞いたのだ。父と継母の間に新しい命が生まれることを。

その事実を知った途端、圭一は、父親と継母の絡み合うシーンを想像し吐き気を催したのだった。男としての父と女としての継母がどうしても上手く彼の中に受け入れられないのだ。

彼にとって母は、とうに死んだ母しか在らなかったし、継母に蛇のような目をしているといわれたことを思い出すたびに 彼女に対しての憎悪が生まれてくるのであった。

彼は家を出る決心をした。

アパートは四畳半一間のちいさな、それでもこぎれいな部屋であった。

共同の玄関を入ると右側に銘銘の下駄箱がある。そこから急な階段をのぼると踊り場に出る。右の突き当りが共同のトイレ、そして、左の突き当たりが圭一の部屋だった。

圭一の引越しは簡単だった。
たったのボストンバッグ二つの着替えだけだった。

あたらしい彼の砦は、それでも私たちの格好のままごとの、ごっこ遊びの部屋だった。

わたしは張り切っていた。
彼が、小さな家具を買いたいといったからだ。
一緒に選ぼうといってくれたからだ。

まるで、新婚の新居を飾るように、わくわくしながら安いセールを探し、家具を見て回った。

彼の部屋にふさわしい、小さなローボードと白い食器棚、それに小さなソフトケースの洋服ダンスとを選んだ。
中古の、破格のそれらを部屋に届けてもらい、それから食器やコップなども、少しずつそろえようと思っていた。

私は、大学への進学を志望していたから、それはそれ、いよいよ勉強にも時間を割かなければならない。

折角 こんなステキな隠れ家が出来たのに、これからはなかなか共に過ごす時間も取れなくなるのかなあ、などと消沈している私を察してか、圭一は後ろから私を抱きすくめた。

私は、それは驚き、やにわに彼を振り払い、それから外へ飛び出してしまった。

アパートは幹線道路から道ひとつ奥の路地に在って、裸電球の街頭が、玄関前を時空間を越えたような懐かしさで照らしていた。

飛び出した私の腕を圭一はつかみ、ただ誤った。
「ちがう、そうじゃない。ただ、…」

分かっていた。しかし、私には十分な時間が必要だった。
頭で理解していても、怖い。

なぜか涙が後から後からあふれる私は、実は、彼に答えたくてもこんな風に怖がりで、臆病で、まだまだ幼すぎる自分にいささか呆れ、憤っていたのだ。

圭一は私のほほを伝う涙を吸った。

「泣かないの。ごめんね。」

それきり、圭一はいつものように私の手を取って最寄の喧騒の駅まで送ってくれた。

駅前にたった一本 桜木の花が、闇に雪洞のように美しくその生きる力を躍動させるように誇示していた。

我が麗しき恋物語  2(小説) 

June 24 [Tue], 2008, 23:51
彼の名前は 佐藤圭一と言った。

人並みの上背と、若い青年特有の華奢なつくりはいくらか神経質そうな印象を与える。

少し甘い少女のような優しい瞳は時々憂いて伏し目がちになる。

彼の母親は、彼が小学校の4年生の頃に病気で亡くなり、彼は、彼と、彼の弟、父親、それに継母と暮らしていた。

彼は外面に相応しくとても繊細な青年で、彼の父親が母親の死後、1年を待たずして継母と再婚したことを快く思っていなかった。

彼は、母親に託す思いがどのような物かわからなかったし、父親は継母に夢中で、自分たち兄弟に目をくれるという感もなく、この世でじぶんというものの存在の意味がわからなくなりかけていた。

彼は継母を通して女性に対しての不信感を拭いきれず、かと言って年頃の彼は女性に興味がないと言うのでは決してなかった。

中途半端な性を行ったり来たりの私は、彼にとって、取っ付き易い異性として写ったのだろうか。

圭一は、ただ、私をかわいいと思ったのだそうだ。
女性としてでなく、その、性の扱いに慣れないというか、ぎこちない振る舞いに、あやふやな自分の存在を投影していたのだとも言っていた。

女性としてありながら、まだ、その有り様を知らず、扱いに翻弄される私を想像し、ただ眺めるうちに、こんな少年っぽい私を魅力的だと思ったのだそうだ。

お年寄りを介抱する私を見、優しい、心から溢れる母性を感じたという。
それで、これは必ず自分の者だと知ったというのだった。

短絡的だとは思うものの、若い人たちは往々にして、こんな風に恐れもなく恋愛を始めるものだ。

私は、圭一と手をつないで歩くのが好きだった。

私は、母と手をつないだ覚えが殆どない。

母は決まって弟の手を握り、時折頭に手をやって撫でたりしていた。

弟はあなたより小さいのだからと、母はきまって私に言い訳しながら、弟の頭を撫でてやっていた。

だから、最初に圭一が私に向かって手を差し出したとき、わたしは一瞬息をのんだ。私のために準備された手のひらに初めて出逢ったからだ。

躊躇しながら差し出す私の手を、彼の顔からは想像出来ないごつごつした男らしい大きな手が包んだとき、温かな彼の体温が私の中に初めて流れ、頭のてっぺんがしびれたのは、今でも昨日のことの様に思い出せるから不思議だ。

あたたかかった。

私だけのために準備された温もりは、この上のない贅沢なものだった。



高校生だった私を気遣って、彼は決して無理なデートを申し込んだりしなかった。

休日に友達と遊びに行くとウソをついて彼と鎌倉などへ遠出はしていたが、大抵は、私の学校の終わる時刻に合わせて2つ離れた駅の構内で会っては、山手線に乗って一周分話す、そんな他愛もないデートが常だった。

雨の中を1つの傘で、互いの肩を濡らしながら互いをいたわりながら、止めどなく話す時は、たとえ氷雨でさえ暖かく感じたのは、そんな時ばっかりは腕を組むことを躊躇しなかった私の純情ゆえだったかもしれない。

秋も過ぎ、冬を迎えようとする暮れのイルミネーションの中で、高いビルにクリスマスツリーの模様が掲げられたのを見上げる私の唇に、素早くほんの一瞬圧し当てられた柔らかな風のような残像はきっと わたしのファーストラブのはじまりだった。  (つづく)

我が麗しき恋物語  1(小説) 

June 24 [Tue], 2008, 23:44
北鎌倉へ降りた。

6月の中旬の土曜日、狭い田舎の駅のホームは近くの寺の紫陽花目当ての人々でごった返していた。

駅員が、両手を口の横にそばだてて叫ぶ。「後続の電車が参ります、黄色い線の内側へお入り下さーい。」

こんな喧騒が丁度いい。

いにしえの忘れ得ぬ思いを、ただ思い出へと書き変えるために訪れた心には、静かな時は、きっと悲しすぎるだろうから。


この前、北鎌倉へ降り立ったのはどれだけ前のことだったのだろう。学生の私は、暇に空けて、よく、手近な古都、鎌倉を訪れたものだった。

当時、漫画喫茶でもあればきっと、都下の片隅に住んでいた私はこんな遠くまで足を運ばなかっただろう。

私たちには、場所がなかったから。
ただ 2人で確かめる語らいの場所を求めて、電車に乗ってこんなにも遠くの、静寂の古都へ足しげく通ったのだったから。

だから、私たちの鎌倉は喧騒からはほど遠い場所や時を選んで訪れていた物だった。

私たちはいつも電車を北鎌倉で降りた。それから道なりにただ、鎌倉へと歩くのが常だった。

時折気が向けば小道へ折れて、人の気配のない寺等の縁側に座っては、ただ話し込む、そんな時間を過ごしたのだった。

今日は、だから、あえて喧騒の鎌倉へと踏み込もうと思った。

私たちの訪れなかった鎌倉へ、傷の痛みの感じなくて済みそうな鎌倉へ、まず降り立とうと思ったのだ。
そうして、それからゆっくりと過去へと己を誘えばよい、そう思ったのだ。

北鎌倉駅を背に小さな道を鎌倉へ向けて暫く、左手に折れると紫陽花寺で有名な明月院がある。今日の日和は、紫陽花の鑑賞には最適の土曜日だけに、小道を左手に折れるとすぐに、明月院最後尾、というプラカードを持った寺の係の者が目に入った。

何度も何度も鎌倉へ降りているのに、こうした観光名所へ行ったことが一度もない。
わたしは、明月院へ導く列の最後尾に着いた。
長く並んだ人波の後ろには、いつからかその姿を変えぬ竹林があり、竹の葉に清められた涼風を足もとへと送って来る。

護岸工事の成されていないせせらぎに石橋が架けられており、とおく来た時を緑の苔が覆う石に感じることが出来る。

風は、竹林を抜けて初夏に香る風は、きっとあの頃と変わらぬものだった。




初めて私たちが出会ったのは、わたしが17で彼は19歳だったと思う。
私は電車で学校へ通っていたが、彼も同じ電車で学校へと通っていたらしい。
わたしが、具合の悪くなったお年寄りを介抱する姿に彼は出会い、交際を申し入れたのだった。

何しろ、男っけのない女子校育ちの私だから、そんな風に交際を申し込まれたって胸くそが悪くなるだけで、開口一番「学校へ遅れますので失礼します」と、一瞥に伏してさっさとその場を立ち去ってしまった。

大体高校生が男女交際等とけしからんことだと私は思っていたし、そんなの不良のすることだと思っていたから、真面目な私に取りつく島のないのも当然だ。

そんなことより私は友達と日々過ごす方が数倍楽しかった。クラブ活動の帰り、学校で禁じられている食べ物屋への立寄を楽しんだり、友達の住む駅までわざわざ送って行ったり、試験と言えば寄って勉強したり。

彼は、往生際の悪いタイプだったらしい。

再三私の乗る電車を待ち構え、乗る電車の時間を違えても必ず居り、そうこうするうちになんだか、彼のいない日は、私の方が不安になり、そうして、いつの間にかいっしょに通学する様になってしまったのだった。

運命、そうかもしれない。

ただ、これはわたしの運命の人が彼だったと言っているのではない。
私と彼とが出会った、それが運命だったと、そういっているだけだ。

                (つづく) 

冬に至る 

December 22 [Sat], 2007, 21:21
今日は冬至、一年で一番昼の短い日。
夜長な一日。
先人は言いました。

 あし引きの 山鳥の尾の しだり尾の
           ながながし夜を ひとりかも寝む


私は、こんな寒い冬至の今日は…


『冬に至る』


空 雲
あなたが 透き と 言った 届かぬ空

山 雪
あなたへの 想い 風舞う 白花

ゆらゆら ゆれる
あたしの こころ

さらさら 誘う
あたしの こえに

宵 闇 黒 夜
長尾の明日

月明かり 消して
ただよう 香 ゆず 

ほほ 肩 足
雫 落ち 湯に輪が一重

無口なあなたへ
あたしの 今日 惑い 想い重なり

震える この身は
そう きっと ただ寒い冬だから

消して  

届かぬ思いのせいじゃない

はじめまして 

December 06 [Thu], 2007, 23:24
ブログをはじめました
よろしくお願いします(*・ω・*)
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