1月4日。
友達の試着中、
母からのメールがはいる。
「おじいちゃんが亡くなった。
2〜3日行くから、バイト先に連絡しなさい」
一瞬頭が真っ白になった。
しかし意外にもすぐに冷静さを取り戻し、バイト先へ連絡を済ませた。
そこに母からの電話。
「メール見た?」
「うん、見た。今からすぐ?」
「ううん、明日の朝に行くから。」
「わかった。」
一緒にドレスを選んでいた友達には
ショックを悟られないようにした。
正直なところ、結婚式的な気分に戻れるはずもなかったが、
そのあと2時間くらいは友達に付き合った。
けど、
帰り道、原チャに乗りながら、
ひとりでめっちゃ泣いた。
涙がとまらなかった。
3日前に会ったおじいちゃんが
死んでしまった。
もう帰ってこない。
嘘みたいな幸せな話だけど、
20年間生きてきて、
身内の不幸というものの経験がなかった。
今回がはじめて「死」というものに直面する場面で。
家に帰ると
家族はいつもどおり会話をしながら食事をしていた。
正月で父も単身赴任先から帰って来ていた。
その輪の中に加わって、一緒に食事をした。
食事の最中、親戚から両親の携帯に何度も電話がかかってきていた。
父がお姉さんとの電話を切ったあとに
小刻みにまばたきをしている姿を見て、
私は泣き出してしまった。
父の泣きそうな姿なんて見たことなかったから。
私のなかで父は絶対的な存在で、
強くて優しい大きな存在だから、
そんな父が泣くのを我慢している姿に
父のおじいちゃんに対する思いとかを考えてたら
泣いてしまった。
1月5日。
朝10時頃、家を出て
高速道路を車で北上。
途中、
父に電話が入る。
「14時半から納棺の儀が行われることになった。」と。
いつもどおりならば、とうてい間に合う時間ではなかった。
しかし母の
「納棺には絶対立ちあわせてあげなければ」
という固い思いから、若干の飛ばし感は否めないけれども
奇跡的に時間にすこし遅れた程度で無事にたどり着いた。
納棺の儀式でおじいちゃんが棺に入れられる姿を見て、
かなり動揺した。
でも、その安らかな顔を見て、
おじいちゃんが人生を全うしたことに尊敬の念を抱いた。
その日のお通夜の席でも
翌日のお葬式の席でも、
たくさんの人がおじいちゃんとの最後の別れにきてくれた。
遺影のおじいちゃんは剣道の師範をしていたころのもので
だいぶ若かったけれど
あとからその写真はおじいちゃん本人が選んだものだったと知って、
おじいちゃんらしいなと思った。
おじいちゃん、
おじいちゃんの人生はどんなものでしたか?
まだまだ人間としてひよっこのあたしには
おじいちゃんが人生を通してみてきたもの全てを
想像することなんか到底出来ません。
でも、
孫としておじいちゃんの人生の一部になれたこと、
おじいちゃんがあたしの人生の一部になってくれたことが
幸せです。
ありがとう。
あたしはおじいちゃんのように
どんな人にも平等に接することのできる
器の大きなひとになりたいです。
ありがとう。