さて話はわたしのことに戻り・・
亀裂骨折が判明した翌日、私は母と一緒に登校し
何故か職員室へ・・その後校長室へ・・(笑)
私は何人かの先生と校長に包帯でグルグルに
固定されてる上半身を見せてから教室へ行きました。
はい皆さんのお察しの通り母の猛抗議があったようです。
ケガした時の処置が体育の教師にあるまじきものであると。
保健室にも行かせずそのまま帰宅させたので処置が遅れた事
長い間固定もしなかったからその間痛みがあった事等等。
身体が弱かったですが運動神経は良かったので
運動会で選手だったしお昼にはこの小学校の
目玉商品
1大イベントでもある鼓笛隊の演奏があるのでそれも母は
楽しみにしてたようです。
私は鼓笛隊のベルリラ(女の子6人チーム)でバトンの
次の花形でしたから。
PTAの役員や行事の時に寄付をした家庭には
テント席に招待席が用意されます。
母はその招待席の前で校長や先生たちと娘の晴れ姿を
見たかったのです。
ケガしたのは娘のせいだけど初期処置が悪く治療が
長引いたらどうしてくれる?位、言ったのかな?
多分、新任女性体育教師謝罪させられたのでしょうね。
その後廊下で会っても下を向いて私と目が合わないように
していました。
先生〜ごめんなさいね^^
でも私わざと転んだんでも骨折したのでもないのよ〜
超優等生な姉をもった私は自分の生きる路線は
お勉強がそこそこ出来ておしゃれな小学生だと思った。
(と言うかそこそこしか出きない妹が周囲から認めてもらうには・・)
小学校に行くのに一番気を使ったのは
お洋服だった(笑)髪はロングにしてカーラーで巻いた。
そんな私の事を髪はショートで1日ジャージの
新任女性体育教師は給食も食べないしとんでもない
我がまま娘と思ったのでしょうね。
彼女の誤算は私がそこそこお勉強が出来て
放課後も残って先生のお手伝いをするし図書室通いして
学年でも1番2番を競う本の虫で先生とも仲良しだったと
言う事と子供のためなら突き進んじゃう母親がいた事でしょうね。
給食事件は母には言わなかったけれど
言ってたら先生もっとひどい目に遭ってたと思いますよ。
秋の運動会には出れましたよ〜〜
ちゃんと徒競争、クラス対抗リレー、選抜メンバーの
紅白対抗リレー、その他、全部こなしました
あぁ犬ブログなのに自分の過去を・・・失礼しました。
でもこのコンセプトはその後も生かされ(笑)
中学でも、えっちゃんと組んでセーラー服の上着を
短く詰めてたとえ風邪を引こうとも中には何も着ないで
アカぬけて見えるようにし先生に怒られても怒られても
ソックスを伸ばしてソックタッチで止めてスカートは
やや長めの細身でプリーツは毎日キチンとして
おしゃれな中学生目指しました。
その代わりちゃんとお勉強もして委員さんもやりました。
部活も水泳部と華道部に入って3年間続けました。
華道部は部長さんでした。卒業後もその華道の先生の所に
通い準師範までとりました。
やる事やっておけば先生とも仲良しでいられます。
牛乳は最初から免除で中学の時は3年間飲まなくても良く
朝礼も貧血ですぐ倒れるので出なくても良くなりました。
一番の仲良しは保健室の先生です(笑)
年中保健室で寝てましたから・・
あっサボリではないですよ。
本当に身体弱かったから・・今と違って(笑)