赤髪

May 19 [Wed], 2010, 23:21
赤髪

ずっと頭を下げ続けていた。
許されるはずが無いと知って、それでも謝り続けていた。
体で心で、魂に深い傷をつくって、それでも許しを請うのはこの人の弱さだと思った。
誰かを弔ったなら許されたいと思うことがもう罪だった。
       ○
彼の髪が赤いのを本当に意識するようになったのは、閨をともにするようになってからだ。
普段なら不快だと思うような距離に他人の肌があって、
ひびわれた指やそこに生える毛や青くすじたった血管が見える。
生きている事をわざわざ意識させる彼の熱は私も熱かったからこそ、
受けいれられたけどこれが冷静だったら滑稽で吹き出していただろう。

目をつむり、たゆとう波の中で揺れる。
体が一つになって、心も一つになったように思う麻酔だ。
打ち寄せる一瞬を求めてすべてを捧げるのに本当に愛しいのは打ち寄せるまでの努力だった。
一つになりたいと祈るのに一つになったとたんに冷めてしまう。
妙な話だ。繰りかえす日常のようだ。
完成を求めて、刹那にこわす、砂のしろの上にいる。それでも繰り返すのだから。

コトが終わると彼はさっさと寝てしまう。
私もそうだから、文句も言えないが、時々酷く不快だ。
そういう時は髪をひっぱってたたき起こす。
握った髪がやたら赤いのだ。
髪がひとつの髪ではなく、髪達として認識できる距離で他人の髪を彼以外、見たことがない。
かれの一部でありながら、彼でない、痛みも無い、血も流れていない、思いとおりにも動かない。
それは睦み事の絶頂のように、一瞬だけつながって終わる過去のようだ。
だらだらと伸びる髪はきってもまた伸びるけれど二度と戻ってはこない。
誰もがぶら下げているそれが彼は赤いのだ。この人は人とは違う。
私とも違う。
そこまで考えて私は不快になり、それを力いっぱい、
ひっぱた。
「いった!なにするでござる」
彼はびっくりして飛び起きた、目が涙目だ。
私はニヒルに笑い、彼を反転させて、愛撫を始める、ねぼけ眼の男は抵抗もしないで眺めている。
してもしなくてもどっちでもいいというような顔だ。私は無理やりもちあげたそれを私の中にとり込んで、一つにする。
一瞬の快楽の先に何も無くても求める私は、それを麻薬のようだと思う。

彼はふと、手を伸ばして私の顔にかかった髪を払う。
その黒さは私をますます不快にさせて、私は彼の髪をあらん限りの力でひっぱった。
ぶっちぃぃ、と嫌な音がした。




「で、その髪一体どうしたんだ」
朝の稽古を終えた弥彦は彼の一部、不自然に短くなった髪を指差す。
まさか、コトの最中に千切りましたともいえなくて、あいまいに笑ってごまかした。
幸いだったのは、彼の髪は碌に手入れされていなかったので、途中で切れて、根っこは無事だったこと。
さすがに抜けていたらいくら彼でも今日一日、口をきいてくれなかっただろう。
あのあと、彼は珍しく、それなりに怒ったのだ。
弥彦はため息をついてそれ以上追求しなかった。
どうせしょうもないことだとおもったんだろう。実際、しょうもなかったし。ていうか、私がびくっと肩をふるわせたので大体分かったのだろう。


「それさ、ちゃんと切りそろえたほうがいいと思うぜ」
不自然な髪をそのままアネサン被りにして昼餉を用意していた彼は、ハハハと乾いた笑いをした。
その日の昼餉はちょっと雑な味だった。
…と私は思った。

片付けを終えて、彼は私に、髪をそろえてくれないかと鋏をもってきた。
絶対にひっぱらぬようにと付け足して。

サラリと流れる猫毛は、夕日のように綺麗な赤だ。パサリパサリと縁側に落ちるそれを心底もったいないと思う。
「何を今更、散々ひっぱって、こんなにしたのは君だろう。
別段、伸ばしていたわけではないからかまわぬが、何故、こうも髪ばかりひっぱる?」
それなりに痛いのだと苦笑する。
「特に理由はないけど、別に…。ひっぱりたくなるのよ、赤いから、そう、赤いからだわ」
「おいおい、君は牛か何かか?」
今度こそ彼は本気で笑った。
随分と短くなった髪を彼は軽いと喜び、私は捨てられたそれを一つに束ねてタンスの奥にしまった。
それっきり、忘れてしまったけれど、忘れられて尚、その髪はタンスの奥で眠り続ける。
          ○
彼が初老の女に脇腹を刺されて病院に担ぎ込まれたのは、三日月の夜だった。
なぜかその日は月が赤くて、私は胸騒ぎがした。
細い光が私の焦燥を駆り立てる。かけつけた時、彼は麻酔で強い眠り底だった。
眉間に落ちた皺が深い。熱は高いけれど命に別状はないという。やっと、私は生きた心地がした。
警官がやってきて、私に
「薫さん、すいません。その女に会ってくれませんか。
何も話さないんですよ。その、私怨ということもありますし、
何より他の人間と繋がっていたら事です。身元だけでも確認したくて」

彼を刺した時、転んで足の骨を折ったという老女は同じ病院に収容されていた。
よくもまぁ、こんな近くに刺した人間と刺された人間を収容したものだ。
ほら、さっきまで青ざめていた感情が、沸々と赤く反転する。
私が一番よく知っている彼の体温は高かった。火傷するように高かったのだ。
ぐっと握り締めた拳を弥彦に叩かれる。
「薫、気持ちは分かるけど、落ち着けって。どういう理由か分からないんだから」

そこは冷やしたように寒い部屋だった。
警官に囲まれて座る女はそこだけえぐれた様にくぼんで暗い。驚く程、小さい女だ。
曲がった腰のせいで多分、私の半分ほどしかない。乱れた白髪。そして、針金のような手首。
この腕でこの女はあの鍛えぬかれた腹を刺したのだ。

私はゾッとする。これは予感だ。いけない、この女は彼を侵食する。
「心当たりはありませんか?」
「はい、ございません」
私は老女を凝視したまま答える。ふと女は顔をあげ、私を見上げた。目が、らんらんと、あかい。
「お前さん、そうあんたが薫さんだね。あの男は死んだかい?
いや、あの程度の傷では死んでないだろうね。
悔しいがもう一度刺せるほどの勇気も力もこの老婆には残っていないよ。」
女の手はワナワナと震えている。

「あんた、悪いことしたね。迷惑かけるね。で
も、あたしゃ、あの男を許さない。だからあんたもあたしを許さなくていい。人殺しなんだから当たり前だよ。」
そう言って女は醜い頬を歪ませて、しくしくと泣いた。
でも、目が変わらず赤かったからひたすらに悔し泣きだった。女はそのまま、警察につれられて収監された。
        ○
その頃は人が殺されるのは当たり前だった。それも不景気のせいでイライラしていた世相には、誰が殺されたとか、人斬りが残忍でとか、そんな話は娯楽の一種に過ぎなかった。
死んだ男になきすがる母親を見て我が子の頭を撫でる。同情と優越感がそのまま同居している女の狂気こそ、そのまま時代の狂気だった。
特に私が住んでいた町は少し京都の雑踏から離れていたから瓦版が怒鳴り散らす人斬りざたは完全な娯楽だった。
ぼんやりとした旦那に大した稼ぎはなく、子供は手伝いもしないで泣いている。家業の布屋は西欧の安い糸にやられて倒産寸前だった。何もいいことがない。
だが、その日は夫が珍しく、町に商いに出ていた。私は気分よく、いつもの茶屋で瓦屋を探す。最近、毎日にように世間を騒がしている人斬り抜刀斎。昨日は、なになに、京都所司代を切ったらしい。ざまぁみろ。私達の働いた金でマンマ食っておきながらこんなヒモジイ思いさせやがって。
「あんた、毎日毎日、こんなところで暇ばかりしていていいのかい。そう、お民ちゃんの着物の大きさが違ってつるんつるんじゃないかい。母親なんだからなおしておやりな」
気分よく、茶をすすっていたのに女将がそんな事を言ってくる。んなこと、知っているに決まっているじゃないか、私は母親なんだから。
ダンと凄い音をたててつき付けた金のせいで椅子がひっくり返る。女将のわざとらしいため息が聞こえたが、まあいい、今日はあの鈍い男がいないから、家で続きを読もうかしら。

そうして、そのまま、旦那は帰って来なかった。
旦那が頼まれた布の中に密書が入っていたとか、布そのものが暗号化された密書だとか、様々な噂が飛び交った。何でも夫が殺されたときの血で密書は駄目になってしまって……。
だが、私が確認した限り、旦那が運んでいた布は確かに届けられていたし、出血もそんなに酷くはなかった。何より、近くでお偉いさんが殺されていたから単純に巻き込まれただけだろう。旦那は、自分が死んだ事も気付いていないような、呆けた顔をして死んでいた。
その事実におひれはひれがついて瓦版の端に旦那の名前が小さく載った。犯人は人斬り抜刀斎だとされた。
もともと傾いていた店はそれで一気に駄目になった。娘を売った私は転落して、女郎になる。私の上でフガフガと喘ぐ男に足蹴にされるに日々。それも梅毒になってあっさり捨てられた。手も髪も白くなって、背中が曲がる。何もかもが暗転した。
        ○
剣心が目を覚ましたのは次の日だった。ふと目を覚まし、ガバリと起き上がり、ツウッと腹をおさえる。私はあわてて、医者を呼びに行った。ひととおりの診察を終えて、あと二日の入院を宣告される。彼はすぐに帰ると言い張ったが私がガンとして聞かなかった。
女はあの後、ポツリ、ポツリと話をはじめ、最後には怒鳴りだした。完全な単独犯で、しかも衝動犯らしい。誰に聞かせるでもなく、わめく姿はただ哀れだったと署長さんが言っていた。
医者が出て行ってすぐに彼はあの女の事を聞いてきた。ほらきた、苦虫を噛み潰したような私の表情で彼はすべてを悟る。私は聞いた話をかいつまんで語った。彼の爪がその手の平を破って血を流す。
「あの人に会わないと。会って謝らなければ」
「会ってどうするの。今度こそ殺されるかもしれないわ」
「せめて、牢屋からは出られるようにしないと。悪いのは俺だ」
俺という言葉に眉をひそめる。普段、拙者という彼が俺と言う時、追い詰められている。余裕がない。
「それ位なら、私でも出来るわ。あなた、まだ動けないでしょう」
「動ける。自分の事は一番、自分が分かっている」
「動けないわ、そういって何度、倒れたの」
「大丈夫だ、動ける」
「駄目よ、絶対に駄目」
「薫」
「絶対に許さないわ!」
ダンと寝台を叩いて、彼を睨みつける。最後は怒鳴っていた私に、彼は悲しいほど静かな瞳をかえす。駄目だ、彼は決めてしまった。こうなったら誰も止められない。

あの女は彼を侵食する。あの憎悪は際限なく、彼を喰らいつくす。
それで?それで、いったいどうなる。たとえ、彼が死んだとしても、あの女は彼を許さない。最初から許す気などないのだ。
あの目、あの赤い目。あれは狂気だ。例え、原因は彼にあっても、あの狂気を生んだのは彼女自身だ。
未来のために憎しみを清算したいんじゃなくて、二度と戻らない失った過去を嘆いているだけ。先がないなら、あの憎悪が彼女自身だ。あまりにも醜い。
「だったら、尚更、会わなければならないだろう。俺を憎む事があの人のすべてなら。」
泣き伏した私の髪を撫でた彼は穏やかだった。憎まれるために行くなら、頭を下げるのは何故だろう。

二日後のその光景は、凄惨だった。
警察所の隅の空き部屋に私達は案内され、女は彼の希望通り、手錠もされずに入ってきた。
女は彼をまっすぐに見て、少し首を傾げて、赤い目で嘲笑した。驚くほどの静けさと、緊迫。
だが、彼が静かに頭をさげた時、女は激昂したのだ。彼の髪を鷲づかみ、振り回す。口汚く、彼をののしるけれど、それはもう動物のようで言葉にさえ、なってなかった。そうして、彼の傷口にぐちゃりと指をかきいれた。肉が、肉が飛び散る。うめいた彼は、ガンと酷い音をたてて、壁に叩きつけられる。
それでも、彼は抵抗どころか、私が止めに入る事すら許さなかった。知っている。彼といきるとはそういうことだ。
私は泣く事すら出来ずに、ただただ、魚のように瞼を失った。あれは同じ色だ。女の目と彼の髪は。そんな事をぼんやりと思った。
 そして、女はゆらりと彼に馬乗りになり、その醜い指で首を締め上げる。ヒューと喉からかすれた音がもれたけど、そこまでだった。その細すぎる指では彼の息は止められなかった。足が折れていたのも災いした。何より多分、今更、人をころすという事をおそれたのだ。
ぐらりと倒れた女の目は少し、色が薄くなった。
二、三度、彼は咳き込んで、そのまま動かない。私はやっと解放されて、彼の名を呼んで泣き叫んだ。
飛び込んできた警官があまりの惨状に絶句する。

彼の治療が終えた頃には夜は完全にふけていた。私は警察の医務室で彼に付き添っている。窓から差し込む月の光が、静かに彼も白くしてくれた。

ガチャリとドアを開けて、署長さんが遠慮がちに入ってきた。
「薫さん、私はあの女を釈放するのは反対です。確かに訴えを取り下げられたのに起訴は出来ません。ですが、あれは異常です。いかに仇といえど、ここまで出来るのはまともな人間じゃありません。いいえ、確かに仇に凶暴になる人間はいます。ですが。一度抱いてしまった殺気はその次を探す。特に、彼女は悪い事をしたと思っていない。何より、女性は感情で走る。感情に理由はないんですよ。
分かってください、薫さん。緋村さんにいってもこれは理解して下さらない。だから、ご迷惑と承知で今、来たんです。例え、仇であったとしても人を殺そうとする人間はもう異常なんです」
私はサラリと彼の髪をなでながら、だから言ったのにと思った。
ねぇ、あなた。あなたがした事はお互いの傷を深くしただけよ。返すことも出来ないひとの謝罪なんて傲慢なだけだわ。
彼の髪が指に絡まって、血が流れたようなすじを作る。
「いえ、署長さん。お心使いはあり難いのですが、釈放してください。この人はあの女の居所が分かる限り、同じことを繰り返すでしょう。それこそ、彼女のためにもなりませんわ。
最後、彼女はこの人を殺さなかった。だから、大丈夫。誰も殺しませんわ」
私は署長さんを見ずに囁く。
「ああ、そうだ、釈放するときにこのお金を。それと必ず、このお金が私からであり、釈放を望んだのが彼であることを伝えて下さい。お願いしますね」
私はゆっくりと振り向き、静かに笑った。署長さんが息を呑んだ。
「薫さん、そうしているとあなたの瞳が赤く見えますよ。月明かりのせいですかね」
「ええ、多分、そうでしょう」
その後にはもう、静寂だけが、残った。

翌日、女は釈放され、そうして半月の夜に女の死体が川辺に打ち上げられる。その日、月はずっと白く静かだった。
        ○
俺があの女性が死んだ知らせをきいたのは病床の中だった。彼女が淡々としらせてきた。愕然とする。まだ、遺体が警察の霊安室にあるというから、俺はどうしてもそこに行きたくかった。彼女も今度は止めなかった。

警察の人間がギョッとする。また来たんですか、と言う。地下にある霊安室で俺はあの女性と再び、対面する。
いくつか並べられた死体の中にただ淡々と在るだけの死体。水死体にしては美しく、たった二度の出会いの中で強烈に印象つけられた憎悪はもうない。安らかだった。
それでもだ。それでも俺は彼女に生きていて欲しかった。あの狂気が俺のせいで作られたものなら、この安らかな表情を取り戻させるためなら、何でもしたのに。
泣く資格も俺にはない。おれは彼女の夫と遂にこの人も殺してしまった。光の届かない暗い部屋でおれはただひたすらに頭をさげる。それしか、出来なかった。この罪は重くなるばかりで、奪った命は増え続ける。

どれだけの間、そうしていただろう。薫はずっと傍にいてくれた。やっと振り向いたおれを何も言わずに抱きしめる。きつくきつく、抱きしめられたから、すこし体が痛かった。
         ○
夫が殺されて、実際のところ何に憤ったのか覚えていない。興味本位に騒ぎ立てる群衆とか、ありったけの同情をうかべながらお金の話になると逃げていく親戚とか。何より、旦那は本当は誰に殺されたのかのかさえ、分からなかった。奉行所もいい加減で、こんな見事な切り口は奴しかいないと言ってみたり、いや奴が無関係な人間を切るような仕損じをするか?と言ってみたりであやふやだった。父親っ子だった娘はそれこそ、葬式で信じられないくらいに泣いて、私はどうしようもなくなって思いっきり、頬を引っぱたいた。バシンと乾いた音がして、ますます泣き出す。

それからは、今まで他人事だった人斬り話がこの街でも少し不安になって、人々は「赤い髪に左頬の十字傷」と口々に噂した。この街にとって、人殺しは皆、奴の仕業だった。

それから、飲んだくれた私は時折、瓦版を探して人斬りの記事を探す。私と同じように不幸になった人間を想像して傷を舐めた。
「なぁ、あんた、旦那が死んでもう二年になるじゃないか。何時までそうしているんだい。この時代、誰もかれも皆、不幸さ。あんただけじゃないさ。あんたがそうなってしまったのはあんただけの責任じゃないよ。でもね、あんたが今こうやって呑んだくれているのは、やっぱり、あんたがどうにかするしかないんじゃないかい?あんたにはまだ、お民ちゃんがいるじゃないか」
私はだんと椅子をたたきつけて
「あんたに何が分かるのさ」
と怒鳴った。酒で足元がふらつく。

私がその言葉を理解したのはそれから間もなくだった。
借金取りが来て娘を連れていった。男の力にどうしようもなくて、守りきれなかった。せめて私を、と訴えたけれど、お前みたいな年増がどうして金になると嘲笑われた。足元にすがって泥だらけになっても、とうとう泣き叫ぶ娘は見えなくなった。
私は一人になって、とうとう一人になってしまって、はじめて娘の先行きを案じて泣いた。今までは旦那が死んでさえ、殺された旦那じゃなくて、旦那が死んで不幸な私を哀れんで泣いていた。
あの人斬りがいなければ、こんな事にはならなかった。あの日、夫を止めていれば、私がもっとちゃんと働いていれば。泣けども泣けども もう娘は戻らない。
ほどけた黒髪が散らばって落ちた。私はそれに気付かなかった。

それから15年はどうしていきてきたか、覚えていない。ついに娼婦もできなくなって、流れ着いた街で「赤い髪に左頬の十字傷」の噂をきいた。ふと、ああ、私がこんなになったのはそういえば、その男のせいだったと思い出す。そこからは衝動だった。
少し気になったのは人斬りに許婚がいる事。もしも私が殺したら、その女も私のようになるのかしら?私はニヒルに笑って、それでもいい、今更、それが何になる。私の全てを奪ったあの人斬りを殺して、殺して、殺して。
その日は刃の切っ先のような三日月だった。月は血のように赤く、私の中に入り込んでそのまま沈む事はなかった。
あの男の血が飛び散るのを見る。月が全てを赤くしてしまったから、その血が赤いのかどうかすら私にはもう分からない。
男は振り向き、刀を抜こうとしたが、突進してきた私をみて、固まる。人斬りの眼にも哀れにうつるほど私は醜かった。ズブリと肉を突き刺す感覚がする。かたい、肉だ。人斬りはやっと私の手をふりほどいて、それでも刀は抜かない。そのひょうしに私は転んで、足に激痛がはしる。刃を下にひいてやったから奴の傷は大きく広がったけどそこまでだった。
女の悲鳴が聞こえて、男たちが私と人斬りの間に入る。人斬りが私の視界から消える。そうして、そのままこの世界から消えてくれれば良かったのに。
        ○
警察署をでて、私達はそのまま道場に帰ってきた。本当はまだ、病院にいたほうがいいのだろうけど、人に気をつかいすぎる彼が落ち着かないのを知っていたからそのまま、つれて帰ってきた。
彼は沈痛な面持ちでなにも喋らない。包帯を替えなきゃと、私が作業をはじめても、生返事で遠くを見ている。
悲しいほど瞳を静かに青くして、青と赤のコントラストが紫の夕日に写る。
ねぇ、あなたはいったい、どうしたいの?

女は死んだ。原因を作ったのはあなたでも自分で死んだのだのはあの女だ。彼は彼女が自分で選んだ結末にさえ、その責任を負おうとする。
傲慢だわ。ただ、ひたすらに。
あの女と彼の人生はただ一度すれ違っただけで、例えその時にズタボロに引き裂いたとしても、それをなおさなかったのは、あの女だ。自分の不幸に酔って動かなかったのだから。あなたが背負うべき責任はただ、彼女の夫を殺したというだけで、ねぇ、ただ大切な人を失ったというだけなら人間はあそこまではならないのよ。
この命は私にしか背負えない。自分の人生を誰かのせいにした時点であの女は死んだ。あれは切った髪のようにただ過去だけの塊になって時間と空間を侵食する。私達を侵食する。あんなの人間じゃない。
ねぇ、帰ってきて、あなた。ここに戻ってきてよ。今、あなたが生きているのは過去でも、彼女が生きていたかもしれない未来でもない。どうしようもない今なんだから。
あなたは知らない。諦めるということをしない。どうしようもない事に執着して、あなたはあなたを何処までも連れて行ってしまう。私達は生きている時間すら同じではない。
螺旋のように分厚い包帯を巻きながら、私はふと彼を見上げる。この赤い髪にはもしかしたら、血がながれているのかもしれない。だから、かれは何時までも痛みを感じ続けるんだわ。
たちが悪い。瞳に宿った狂気でさえ、光の加減で抜け落ちるけれど、この鮮やかな髪は何をどうしても赤いままだ。そんなにも穏やかな目であなたは運命に狂気を飼っている。
私はしょうもないことを考えていると自嘲した。
その晩、私はずっと、かれに付き添っていた。かれはきっと私の存在にすら気付いていなかった。
         ○
二度と私の前にあらわれることはないと思っていた人斬りは、あろうことか、私に頭を下げに来た。私はもう私自身をどうしょうもないのに。私に許しを請う人斬りは、止まった時間を動かして未来を作ろうとする。いけない、この男は私を侵食する。
何をしても私に頭を下げるだけの男は私に娘を思い出させる。この男はあの子にほんの少しかすれただけで、私にあの子をまもるだけの力は残されていたんじゃないかしら。だって、私は生きているのだから。
私は人斬りを殺せなかった。この男を殺して私の恨みを殺したら、私には罪しか残らない。

私は翌日、釈放された。空は煩いほどに青くて、太陽はギラギラとそこらじゅうの木々の成長を強制的に促進する。何も止まらない。
釈放するときに大金があの女から渡される。こうして、私はもう死ぬしかなくなる。あの女は私を許した。そして、あの男を背負って自分の未来を自分の力で紡ぎ始める。私を恨むべき唯一の女が私を許して、私はありとあらゆる言い訳を拒まれる。この罪深い私を太陽は焼き捨てる。
ふらり、ふらりとさまよって、その日は昼なのに東の空に月が昇っていた。青の中の白い月はいつかより重くなって、半月だった。ただ日々、重くなり続ける月はそのままのしかかってきて、私を潰した。
        ○
薫は決してあの女を許したわけではなかった。それは恨みとも言えないほどの冷徹な排除だった。
薫はただ「私はあなたを恨んでいません」と突きつけるだけでよかったのだ。この傷は私が背負っている、だからあなたもあなたの責任だと。
あの醜い老婆にそれを受け止める力がないとわかって薫は殺したのだ。

彼を麻薬のようだと思う。たった一度、打ち寄せてすべての責任を奪っていく男。彼の罪に自分の人生を全て預けてしまう怠惰を彼は、全てに許してしまう。彼は彼が全てを背負えると信じている。
基督のように、酔狂だ。彼はただ彼一人でしかないことをかれは気付かない。それこそが彼の狂気だった。誰かを殺す人も自分を殺す人も輪廻する魂を知らない。

そうして、薫も人殺しの罰をうけた。あの女は死んで、かれの一部を、過去とありえない未来に永遠に連れて行ってしまった。
二度と薫のもとには戻ってこない。
沢山の人が彼を違う空間に連れて行ってしまうから、薫のもとには残るのはいつも、抜け殻だけだった。

だから、薫は彼にまたがり、一瞬、かれの身も心も手に入れたと錯覚する。一瞬の幸福の先に何も残らなくても、求めてしまうそれを、薫は、手放せない麻薬のようだと思う。
         ○
剣心は彼女の下で、彼女の存在だけを意識している。ぷるりぷるりと揺れる乳房を眺めながら、結局この一瞬のために自分は生きているのだとしょうもないことを考えた。

ただただ、彼が許しを請うのは彼女のためだけだった。
自分が過去におきざりにしてしまった人を今に連れ戻そうとして、失敗する。でもそうしないと、彼は彼が今を生きる彼女のもとにとどまる術を知らない。自分は過去の住人なのだ。それでも生きたいと願ったのは彼の腕に彼女が飛び込んできたから。

彼は彼女を奪われたら、全ての未来を放棄する。それが自分のせいでも誰かのせいでも、関係なく何かを恨む。
だから「彼女」を奪い続けた自分が許されるなんて思っていない。自分が許さないだろうから。だから、許しを求めることが
もう罪だと彼は気付いて自嘲した。
彼は彼女のために全てを捨てられるほど強くはなかったし、彼女にその過去を預けてしまう程弱くもなかった。

それでもだ、月が自分を潰せないのはこの過去も未来も結局、彼女の手にあるからだ。
切られた髪が血管のかよったまま、彼女のタンスの奥にしまわれている事を彼はちゃんと知っていた。
薫はずっと彼の傍にいた。決して、納得した風でもないのに、何も言わずに付き添った。彼の痛みをそのまま受けて、ずっとかれを支えていた。
そんな薫をかれは、離れられない麻薬のようだと思う。
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