1985年のセリーグ優勝と日本一が、一番思い出深い

July 06 [Mon], 2015, 7:34
阪神タイガースの1980年代の歴史を調べました。

利用したのは、ウィキペディアです。

そのウィキペディアから引用しました。

1980年、新人の岡田彰布の起用法を巡る対立などでブレイザーがシーズン途中で監督を辞任。後任には中西太が就任したが、5位に終わる。

1981年は優勝した巨人と8ゲーム差の3位。

1982年、安藤統男が監督に就任。優勝した中日と4.5ゲーム差、2位の巨人と3ゲーム差で2年連続の3位、1983年と1984年は2年続けての4位。

1984年オフ、安藤は監督を辞任、吉田義男が二度目の監督就任。

1985年、1番・真弓、3番・ランディ・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線(第2次ダイナマイト打線)が活躍し、4月17日の対巨人戦(甲子園球場)ではバース、掛布、岡田が巨人の先発の槙原寛巳からバックスクリーン3連発を放って開幕ダッシュに弾みをつけた。

この年は最終的に本塁打セリーグ記録を更新する219本塁打を記録し、夏場まで首位を快走していた。

しかし、8月12日に発生した日本航空123便墜落事故で球団社長の中埜肇が犠牲となり、阪神タイガースのナイン
たちもこの事故機(JA8119)に直前のフライト(福岡発羽田行日本航空366便)で搭乗していたため、選手たちは大きな衝撃を受けて一時は大型連敗を喫して首位陥落した。

しかし、強力打線に加えて中西清起、福間納、山本和行らのリリーフ投手陣も一年を通して大車輪の活躍をみせ、10月16日の対ヤクルトスワローズ戦(神宮)に引き分けて、21年ぶりのリーグ優勝が決定。

バ−スが球団初の三冠王を獲得。西武との日本シリーズは4勝2敗で勝利、球団史上初の日本一達成となる。

1986年、バースがシーズン打率.389、シーズン長打率.777、7試合連続本塁打、13試合連続打点の日本新記録をマーク、2年連続三冠王を獲得するが、掛布と池田親興の負傷による長期戦線離脱、更に岡田などの主力選手の不振が影響し、夏のロードで広島と巨人との優勝争いから脱落して3位に終わった。この年、川藤幸三が引退。

1987年、投手陣崩壊に加え、掛布・岡田の不振で最下位となり、吉田は監督を辞任、村山実が監督就任。勝率.331は球団史上最低勝率である。

1988年、少年隊トリオと呼ばれた和田豊、大野久、中野佐資を登用するなど世代交代を進めたが、バースが長男の病気問題で退団、代わって入団したルパート・ジョーンズの故障、掛布の引退が重なって2年連続最下位。

1989年、セシル・フィルダーが本塁打王争いをするが、シーズン途中に三振してバットを叩きつけた際に骨折して帰国。5位に終わり、村山が監督を辞任、中村勝広が監督に就任。

とありました。

1980年代は、やはり1985年のセリーグ優勝と日本一が、一番思い出深いですね。もう30年前のことなんですね。

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