ペローのリアルとグリムのリアル
October 20 [Tue], 2009, 19:07
ペローの童話は、二つの点において、リアルなものを感じさせる作品でした。
ひとつめは、17世紀の宮廷文化を、童話にしては不必要なほどに詳しく描写しているところ。
もうひとつには、「眠り姫が目覚めたのは現代だった」という、普通にしていたら私たちでは体験することのできなかった、ルイ14世の時代の人々ならではの感覚を体験させてくれたこと。
これらは非常に世俗的なレベルで、リアルさを感じさせてくれるものだということができそうです。
グリムの童話でも、ペローとは少し違ったリアルさを体験させてもらうことができます。
その手助けをしてくれるのが、こちらの本。
グリム童話の世界―ヨーロッパ文化の深層へ (岩波新書)

ペローの童話は、いたるところで「メルヘン失格」の烙印を押されていますが、一方グリムは、メルヘンとしてしっかり通用する作品のように思います。
以下は、上の本で提示されていた、メルヘンの定義です。
1.メルヘンとは集団記憶である。
2.メルヘンとは夢である。
3.現実には実現不可能な夢を叶えてくれるのは、魔法である。
4.メルヘンは神話的である。
5.メルヘンでは時も所も人物名も不明である。
6.メルヘンは、「単純形式」という文学ジャンルに属している。
7.メルヘンはハッピーエンドで終わる。
8.メルヘンがつねにハッピーエンドで終わる以上、無事帰還を果たした主人公は「いい者」である。
このうちの、特に「集団記憶である」「神話的である」「単純形式である」という性質を、メルヘンとして分類されるグリム童話が持っているがために、そのリアルさは生まれてくるのです。
グリム童話は民間伝承を集めたものですが、民間伝承というものは、それを伝承した人々の体験がにじみ出ているものです。
例えばそれがいつのどの災いだったのか、とかいうような細かい事実こそ語られませんが、色々な話の中で水が欲しいと訴える人や病気の人々があちらこちらで出て来ることは、戦争からの逃亡や疫病の流行が普通だったからなのではないかとか、ヘンゼルとグレーテルはおそらく飢饉の時代の記憶がぼんやりと固まったものなのではないか、流行していた子捨てが描かれているのではないかとか、そういったその時代の人々の世界観が、どこかしら民間伝承にはにじみ出ているわけです。
(もし現代日本人がお話を作ったとしたら、一番最初にそんな設定にしようなんて、まず思いつかないですからね)
神話とは昔の科学のようなものでもあり、当時の人々が一生懸命理不尽な災害に理由をつけたものだともとらえることができます。
だから天だとか地だとか水だとか火だとかいったようなものが、そのまま「天」「地」「水」「火」と語られるのではなく、本当の意味での科学がない時代に生きる人々や、無学の人々に対しても納得がいきやすいように、擬人化して語られるのです。
「単純形式」とは、過剰な文学的装飾は禁じられます。
つまり、一つ一つの言葉はシンプルであるがゆえに、多くのものを語るものとなり、きっと語り手もそういったものを表現するに最も相応しいものを探し出し、適正と感じられる言葉を厳選していくのでしょう。
こういった3つのことから、メルヘンの言葉や単語とは、何か「象徴的」なものにならざるを得ません。
けれども、その「象徴」とは、文化的な差もけっこうあります。
例えば、「人食い」と聞いたとき、私達はそれに対して、ひどく現実離れした、突飛なもののように見えます。
けれどもヨーロッパの人々は「人食い」と聞けば、彼らの信じるキリスト教の中では最大の「罪」にあたるものであり、歴史的には他民族や他宗教を罵倒するときの言葉に使ったものです。
これらの経緯を体験していない現代日本の私たちには、その「人食い」の重みはわからないし、イメージするものがどこか食い違ってしまったりするわけです。
こういったものは歴史の中で沢山積み重なっていった結果、それはもはや深層のレベルで違うものになってしまっているように思えます。
だから私たちがグリム童話を読むときも、きっと、ヨーロッパ人の深層心理に近づけば近づくほど、違ったものが見えてくるに違いないと、私は思うわけです。
そういったものの手助けをしてくれるきっかけになるものの一つが、この本です。
ペローは世俗的、グリムは神話的なレベルで、私たちにリアルな感覚を伝えてくれるように私は感じています。
ちなみに、この本にはちょうど『眠れる森の美女』のところでペローとの比較が語られていますので、読んでみると面白いかもしれません。
そしてもし深層の段階でのリアルさと、世俗的なリアルさの両方を体験できるようになったら、かなり貴重な感覚を手にすることができるのではないかと、個人的にはとてもドキドキしているのです・・・
※ちなみにここで言う「深層」とは、心理学的なものとは全く違います。
(心理学的なものとは、私がここで述べたような、歴史的な経緯によるものとはまた別次元の、人間の普遍にかかわるものにタッチしているものな気がします)
グリム童話は「象徴」が多いがゆえに心理学的な方向からよく分析されるのだと思いますが、私がこのブログでお話していることは、そういった方面のこととはまた別のこと、あくまでテキストに書いてある単語を(心理学のように深読みするのでなく)とりあえずは表面的に信じて探ったものです。
ひとつめは、17世紀の宮廷文化を、童話にしては不必要なほどに詳しく描写しているところ。
もうひとつには、「眠り姫が目覚めたのは現代だった」という、普通にしていたら私たちでは体験することのできなかった、ルイ14世の時代の人々ならではの感覚を体験させてくれたこと。
これらは非常に世俗的なレベルで、リアルさを感じさせてくれるものだということができそうです。
グリムの童話でも、ペローとは少し違ったリアルさを体験させてもらうことができます。
その手助けをしてくれるのが、こちらの本。
グリム童話の世界―ヨーロッパ文化の深層へ (岩波新書)

ペローの童話は、いたるところで「メルヘン失格」の烙印を押されていますが、一方グリムは、メルヘンとしてしっかり通用する作品のように思います。
以下は、上の本で提示されていた、メルヘンの定義です。
1.メルヘンとは集団記憶である。
2.メルヘンとは夢である。
3.現実には実現不可能な夢を叶えてくれるのは、魔法である。
4.メルヘンは神話的である。
5.メルヘンでは時も所も人物名も不明である。
6.メルヘンは、「単純形式」という文学ジャンルに属している。
7.メルヘンはハッピーエンドで終わる。
8.メルヘンがつねにハッピーエンドで終わる以上、無事帰還を果たした主人公は「いい者」である。
このうちの、特に「集団記憶である」「神話的である」「単純形式である」という性質を、メルヘンとして分類されるグリム童話が持っているがために、そのリアルさは生まれてくるのです。
グリム童話は民間伝承を集めたものですが、民間伝承というものは、それを伝承した人々の体験がにじみ出ているものです。
例えばそれがいつのどの災いだったのか、とかいうような細かい事実こそ語られませんが、色々な話の中で水が欲しいと訴える人や病気の人々があちらこちらで出て来ることは、戦争からの逃亡や疫病の流行が普通だったからなのではないかとか、ヘンゼルとグレーテルはおそらく飢饉の時代の記憶がぼんやりと固まったものなのではないか、流行していた子捨てが描かれているのではないかとか、そういったその時代の人々の世界観が、どこかしら民間伝承にはにじみ出ているわけです。
(もし現代日本人がお話を作ったとしたら、一番最初にそんな設定にしようなんて、まず思いつかないですからね)
神話とは昔の科学のようなものでもあり、当時の人々が一生懸命理不尽な災害に理由をつけたものだともとらえることができます。
だから天だとか地だとか水だとか火だとかいったようなものが、そのまま「天」「地」「水」「火」と語られるのではなく、本当の意味での科学がない時代に生きる人々や、無学の人々に対しても納得がいきやすいように、擬人化して語られるのです。
「単純形式」とは、過剰な文学的装飾は禁じられます。
つまり、一つ一つの言葉はシンプルであるがゆえに、多くのものを語るものとなり、きっと語り手もそういったものを表現するに最も相応しいものを探し出し、適正と感じられる言葉を厳選していくのでしょう。
こういった3つのことから、メルヘンの言葉や単語とは、何か「象徴的」なものにならざるを得ません。
けれども、その「象徴」とは、文化的な差もけっこうあります。
例えば、「人食い」と聞いたとき、私達はそれに対して、ひどく現実離れした、突飛なもののように見えます。
けれどもヨーロッパの人々は「人食い」と聞けば、彼らの信じるキリスト教の中では最大の「罪」にあたるものであり、歴史的には他民族や他宗教を罵倒するときの言葉に使ったものです。
これらの経緯を体験していない現代日本の私たちには、その「人食い」の重みはわからないし、イメージするものがどこか食い違ってしまったりするわけです。
こういったものは歴史の中で沢山積み重なっていった結果、それはもはや深層のレベルで違うものになってしまっているように思えます。
だから私たちがグリム童話を読むときも、きっと、ヨーロッパ人の深層心理に近づけば近づくほど、違ったものが見えてくるに違いないと、私は思うわけです。
そういったものの手助けをしてくれるきっかけになるものの一つが、この本です。
ペローは世俗的、グリムは神話的なレベルで、私たちにリアルな感覚を伝えてくれるように私は感じています。
ちなみに、この本にはちょうど『眠れる森の美女』のところでペローとの比較が語られていますので、読んでみると面白いかもしれません。
そしてもし深層の段階でのリアルさと、世俗的なリアルさの両方を体験できるようになったら、かなり貴重な感覚を手にすることができるのではないかと、個人的にはとてもドキドキしているのです・・・

※ちなみにここで言う「深層」とは、心理学的なものとは全く違います。
(心理学的なものとは、私がここで述べたような、歴史的な経緯によるものとはまた別次元の、人間の普遍にかかわるものにタッチしているものな気がします)
グリム童話は「象徴」が多いがゆえに心理学的な方向からよく分析されるのだと思いますが、私がこのブログでお話していることは、そういった方面のこととはまた別のこと、あくまでテキストに書いてある単語を(心理学のように深読みするのでなく)とりあえずは表面的に信じて探ったものです。
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『宮廷マダムの作法』










