美しきヴェルサイユ宮殿
December 03 [Thu], 2009, 21:11
今日はベルばらkidsぷらざの、mashironのコラム、『楽園の生活案内』の更新日です
第10回は『ヴェルサイユ宮殿に住みたい!』です。
観光として訪れる以外に方法を持たない私達には想像もできないような、ヴェルサイユ宮殿の以外な住み心地について、「色々な人の証言などをもとに想像力を働かせてみよう!」といったようなことをためしています。
それについてはそちらを参照していただくことにして、こちらでは、そんな賛否両論ある住み心地についてわきまえたうえでもなお、賞賛され続けるヴェルサイユ宮殿の姿について触れておきたいと思います。
ヴェルサイユの全景
ヴェルサイユ宮殿には海外からも沢山のお客さま方が訪れました。
彼らはまるでその訪れた証を誇らしげに見せつけるかのように、ヴェルサイユ宮殿を賞賛する手紙や文献、そして作品を残したのです。
例えばこれはセヴィニェ夫人のギトー伯爵への書簡から。
「ヴェルサイユから戻りました。
見事な住居を見て、魅了されました。
もし小説のなかで読んだことなら、本当のことだとは信じないでしょう。
ところが、私はこの目で見て、手で触れたのです。
魔法です。
本当の自由です。
考えていたようなものとは、まったく違いました。
すべてのものが大きく、すべてのものが見事でした。
音楽とダンスも、申しぶんのないものでした。(・・・・・)
ありがたいことに、めずらしいものの数々をすべて見せていただき、ありとあらゆるところに連れて行ってもらいました。
この小旅行で思い残すことなど、何ひとつありません。」
なんともまあ、大満足のご様子です。
さてお次は、情熱的な詩をひとつ。
アダム、あのひどい男が、かの有名な楽園(・・・)を失って以来、
この地上で、木の植わわっている場所で、
あのヴェルサイユの退屈な庭園よりも、賞賛され、見物され、描写され、
読まれ、歌われた場所はないと思う。
ああ、神々よ!ああ、羊飼いたちよ!
ああ、ロカイユよ!
老いたサテュロス、不平顔をしたテルミヌス、
タマネギの列のような古い小さなイチイの木々、
ああ、泉水、5の目型の植込み、クマシデの並木道よ!
(・・・)気持ちの良い茂みの回転扉、刈り込まれた木立!
ああ、マロニエよ!
心配することはない。
私が詩人だと知っても、あなたの動かない葉は平静なままだ。
そう、私は誓う。
アポロにかけて、ミューズの谷にかけて、
(・・・)絵のなかでしか人が住まないおごさかな宮殿そのものにかけて、
三叉の矛を持つネプトゥヌスにかけて、
そう、私はあなたたちのことを、まったく語ることはない。
あなたたちを悲しませるものを、私は知りすぎている。
(・・・)あなたたちの顔を
それほど悲しげにしたのは、詩。
たくさんの14行詩、抒情短詩、
たくさんのバラード、ロンドーで、
人々はあなたたちのすばらしさをたたえ、
あなたたちの耳をつんざいた。
(・・・)でも、朋世、あなたは覚えているだろうか。
宮殿を出て左側の、
「オレンジ園」のそばの池に向かうところにあるバラ色大理石のあの階段を。
たしかにあのあたりだった。
比類なき国王が、夕方、日の沈むころやってきたのは。
太陽が静かに森のなかに逃げこみ、姿を隠すのを見るために。
(・・・)この3階段は、なんて美しいのだろう!
この大理石は、なんて高貴でなめらかなのだろう!
これらを汚した足は、点に呪われよと、われわれはいった。
そうではないか。思いだしてほしい。
ほとんどこわれたこの敷石は、
どれほどの魅力で色づいていることか!
軽やかでこまかく光沢のある青い静脈が、
薄いバラ色の下、純粋な大理石の白さのなかを流れるのが、見えるだろうか。
(・・・)3階段は、見事で優雅な白い壺のそばにある。
現代のものか、古代のものか、
私以外の人なら知っている。
しかしたしかにゴシック式ではないので、
そこにあるのを見るのは好きだ。
それは良い壺、良い隣人だ。
バラ色の私の会談のいとこのようにも思われる。
その壺は誇り高く階段を守っている。
ああ!これほど小さなもののなかに、
なんという魅力と美しさがあることか!
〜アルフレッド・ド・ミュッセ『新しい詩』より〜
訳=遠藤ゆかり
ここにあげたのは数ある賞賛のなかのたった二つにすぎませんが、ヴェルサイユ宮殿はこのように、人々に多くを語らせたい気分にさせる何かがあったということなのでしょう。
何事においても、(たとえそれが批判的な意見ばかりが相次ぐものであったとしても)、多くの人々に多くのことを語りたい気分にさせてくれるものというのは、ある意味ではとても偉大なものなのではないかと私は思います。
そしてそれこそが、強固な世界観がそこに存在しているということの証明にもなるのではないでしょうか。

第10回は『ヴェルサイユ宮殿に住みたい!』です。
観光として訪れる以外に方法を持たない私達には想像もできないような、ヴェルサイユ宮殿の以外な住み心地について、「色々な人の証言などをもとに想像力を働かせてみよう!」といったようなことをためしています。
それについてはそちらを参照していただくことにして、こちらでは、そんな賛否両論ある住み心地についてわきまえたうえでもなお、賞賛され続けるヴェルサイユ宮殿の姿について触れておきたいと思います。
ヴェルサイユの全景ヴェルサイユ宮殿には海外からも沢山のお客さま方が訪れました。
彼らはまるでその訪れた証を誇らしげに見せつけるかのように、ヴェルサイユ宮殿を賞賛する手紙や文献、そして作品を残したのです。
例えばこれはセヴィニェ夫人のギトー伯爵への書簡から。
「ヴェルサイユから戻りました。
見事な住居を見て、魅了されました。
もし小説のなかで読んだことなら、本当のことだとは信じないでしょう。
ところが、私はこの目で見て、手で触れたのです。
魔法です。
本当の自由です。
考えていたようなものとは、まったく違いました。
すべてのものが大きく、すべてのものが見事でした。
音楽とダンスも、申しぶんのないものでした。(・・・・・)
ありがたいことに、めずらしいものの数々をすべて見せていただき、ありとあらゆるところに連れて行ってもらいました。
この小旅行で思い残すことなど、何ひとつありません。」
なんともまあ、大満足のご様子です。
さてお次は、情熱的な詩をひとつ。
アダム、あのひどい男が、かの有名な楽園(・・・)を失って以来、
この地上で、木の植わわっている場所で、
あのヴェルサイユの退屈な庭園よりも、賞賛され、見物され、描写され、
読まれ、歌われた場所はないと思う。
ああ、神々よ!ああ、羊飼いたちよ!
ああ、ロカイユよ!
老いたサテュロス、不平顔をしたテルミヌス、
タマネギの列のような古い小さなイチイの木々、
ああ、泉水、5の目型の植込み、クマシデの並木道よ!
(・・・)気持ちの良い茂みの回転扉、刈り込まれた木立!
ああ、マロニエよ!
心配することはない。
私が詩人だと知っても、あなたの動かない葉は平静なままだ。
そう、私は誓う。
アポロにかけて、ミューズの谷にかけて、
(・・・)絵のなかでしか人が住まないおごさかな宮殿そのものにかけて、
三叉の矛を持つネプトゥヌスにかけて、
そう、私はあなたたちのことを、まったく語ることはない。
あなたたちを悲しませるものを、私は知りすぎている。
(・・・)あなたたちの顔を
それほど悲しげにしたのは、詩。
たくさんの14行詩、抒情短詩、
たくさんのバラード、ロンドーで、
人々はあなたたちのすばらしさをたたえ、
あなたたちの耳をつんざいた。
(・・・)でも、朋世、あなたは覚えているだろうか。
宮殿を出て左側の、
「オレンジ園」のそばの池に向かうところにあるバラ色大理石のあの階段を。
たしかにあのあたりだった。
比類なき国王が、夕方、日の沈むころやってきたのは。
太陽が静かに森のなかに逃げこみ、姿を隠すのを見るために。
(・・・)この3階段は、なんて美しいのだろう!
この大理石は、なんて高貴でなめらかなのだろう!
これらを汚した足は、点に呪われよと、われわれはいった。
そうではないか。思いだしてほしい。
ほとんどこわれたこの敷石は、
どれほどの魅力で色づいていることか!
軽やかでこまかく光沢のある青い静脈が、
薄いバラ色の下、純粋な大理石の白さのなかを流れるのが、見えるだろうか。
(・・・)3階段は、見事で優雅な白い壺のそばにある。
現代のものか、古代のものか、
私以外の人なら知っている。
しかしたしかにゴシック式ではないので、
そこにあるのを見るのは好きだ。
それは良い壺、良い隣人だ。
バラ色の私の会談のいとこのようにも思われる。
その壺は誇り高く階段を守っている。
ああ!これほど小さなもののなかに、
なんという魅力と美しさがあることか!
〜アルフレッド・ド・ミュッセ『新しい詩』より〜
訳=遠藤ゆかり
ここにあげたのは数ある賞賛のなかのたった二つにすぎませんが、ヴェルサイユ宮殿はこのように、人々に多くを語らせたい気分にさせる何かがあったということなのでしょう。
何事においても、(たとえそれが批判的な意見ばかりが相次ぐものであったとしても)、多くの人々に多くのことを語りたい気分にさせてくれるものというのは、ある意味ではとても偉大なものなのではないかと私は思います。
そしてそれこそが、強固な世界観がそこに存在しているということの証明にもなるのではないでしょうか。
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『宮廷マダムの作法』











