珍しい時代
September 03 [Thu], 2009, 23:27
今日はベルばらkidsぷらざの、mashironのコラム、『楽園の生活案内』の更新日です
第6回は、「恋愛のお作法」です。
楽園での恋愛のマナーについて、男女別に解説しています。
これについてはこちらのブログでもすでに少し触れたことがありますので、もし興味のある方は、カテゴリ『男と女、その歴史』をのぞいてみてくださいね。
うすっぺらな恋愛。
ブーシェの油絵による銅板画。
〜フックス『風俗の歴史』5より〜
さて、そのマナーを探っていくと、ひとつ見過ごすことのできない点があることに気がつきます。
うっかりするとさらっと見逃してしまいがちですが、よく考えてみると、「女性は、求愛してきた男性には拒絶すると同時に、それがちゃんと成功しますよというニュアンスを上手に加えることがマナーとされていた」ということに関連する事柄は、理屈として何かが曲がっているということがわかります。
その何かとは、このマナーによると、結局「女性は男性に対して本当の意味での拒絶をしてはいけない」と社会的に決められている、いうことになってしまうことです。
以前このブログでも書きましたが、この時代、女性は非常に元気で、社会に対する影響力も高く、一見するとフェミニズム的にはとても成功している時代のように思えます。
けれどもそれは見た目だけのこと。
実際はある意味、男性の支配が究極の地点にまで達したための気まぐれが起きた時代、というふうに考えることができるように思います。(詳しくは記事『女の時代はマゾヒズムの時代』を参照してください)
男性はそのように、自分の奴隷の奴隷になるという、世にも贅沢な遊びを見出したわけですが(これについても記事『女の時代はマゾヒズムの時代』を参照)、そのように扱われている限り、所詮女性は玩具でしかないのであり、真の意味で価値を認められたとはとてもじゃないけどいえません。
けれども面白いのは、この時代はまたこれとは違った角度から考えることができるということです。
この時代は、それでもある意味では女性に優しい時代だったともいえるかもしれないのです。
それは、通常であれば女性にはほぼ必ずまとわりついてくる「慎み」「貞節」「礼節」などの重荷が、この時代に限っては免除されていた、ということです。
その結果、女性に課された過度の妄想や期待は影をひそめ、女性はある意味で女性自身でいることを許された時代でもありました。
男性をなぐさめる「天使」のような存在であることも要求されなくなり、女性は本来のままの生々しい存在でいることを許されたりしたわけです。
実はこれは、歴史的にはとても珍しい時代です。
もしかしたら古代には似たような社会があったかもしれませんが、文明がある程度発達した場所では、なかなか目にすることのできない社会なのではないでしょうか。
何故それが、このような爛熟した文化の時代に可能だったのか。
何故この時代以外にはあまりそういうものがないのか。
そんなことを考えるのに、とても良い材料が揃っているように思えるのがこの楽園で、個人的にはそういったところにも魅力を感じてしまうのです。

第6回は、「恋愛のお作法」です。
楽園での恋愛のマナーについて、男女別に解説しています。
これについてはこちらのブログでもすでに少し触れたことがありますので、もし興味のある方は、カテゴリ『男と女、その歴史』をのぞいてみてくださいね。
うすっぺらな恋愛。ブーシェの油絵による銅板画。
〜フックス『風俗の歴史』5より〜
さて、そのマナーを探っていくと、ひとつ見過ごすことのできない点があることに気がつきます。
うっかりするとさらっと見逃してしまいがちですが、よく考えてみると、「女性は、求愛してきた男性には拒絶すると同時に、それがちゃんと成功しますよというニュアンスを上手に加えることがマナーとされていた」ということに関連する事柄は、理屈として何かが曲がっているということがわかります。
その何かとは、このマナーによると、結局「女性は男性に対して本当の意味での拒絶をしてはいけない」と社会的に決められている、いうことになってしまうことです。
以前このブログでも書きましたが、この時代、女性は非常に元気で、社会に対する影響力も高く、一見するとフェミニズム的にはとても成功している時代のように思えます。
けれどもそれは見た目だけのこと。
実際はある意味、男性の支配が究極の地点にまで達したための気まぐれが起きた時代、というふうに考えることができるように思います。(詳しくは記事『女の時代はマゾヒズムの時代』を参照してください)
男性はそのように、自分の奴隷の奴隷になるという、世にも贅沢な遊びを見出したわけですが(これについても記事『女の時代はマゾヒズムの時代』を参照)、そのように扱われている限り、所詮女性は玩具でしかないのであり、真の意味で価値を認められたとはとてもじゃないけどいえません。
けれども面白いのは、この時代はまたこれとは違った角度から考えることができるということです。
この時代は、それでもある意味では女性に優しい時代だったともいえるかもしれないのです。
それは、通常であれば女性にはほぼ必ずまとわりついてくる「慎み」「貞節」「礼節」などの重荷が、この時代に限っては免除されていた、ということです。
その結果、女性に課された過度の妄想や期待は影をひそめ、女性はある意味で女性自身でいることを許された時代でもありました。
男性をなぐさめる「天使」のような存在であることも要求されなくなり、女性は本来のままの生々しい存在でいることを許されたりしたわけです。
実はこれは、歴史的にはとても珍しい時代です。
もしかしたら古代には似たような社会があったかもしれませんが、文明がある程度発達した場所では、なかなか目にすることのできない社会なのではないでしょうか。
何故それが、このような爛熟した文化の時代に可能だったのか。
何故この時代以外にはあまりそういうものがないのか。
そんなことを考えるのに、とても良い材料が揃っているように思えるのがこの楽園で、個人的にはそういったところにも魅力を感じてしまうのです。
[ この記事を通報する ]
- URL:http://yaplog.jp/hanazono/archive/367





『宮廷マダムの作法』











