答えは今も見つからないまま・・ 

2004年11月21日(日) 20時01分
こんばんわ。
検査も終わってだいぶ落ち着いています。
真夜中ではないのですが、内容が内容なのでこっちに書き込み。
先生にワガママ言ってPC借りて、病室よりUPしています。

いきなりの入院に驚かれた、お友達も多かったようですね。
すいません。ご心配おかけしました。。
そもそも、本当のことを言えば12月に検査入院の予定は
ずっと前から入っていたんです。
もともと私が小さい頃から何度もした手術。
何度かの中で1番大きい手術が3歳の時に受けたものでした。
それから、20年後が1つの区切りになると言われていたんですね。
だから、その時は検査も必要だと。
今年その20年目に当たります。

今年の私の行動を見てここで気が付いた人もいるのではないでしょうか。
私が今年、ゆずライブにいっぱい参加した理由。
日記に書いた理由もあるけれど、それと同時に
自分もどうなるか分からないという区切りの年でもあったからです。
だから、今年例年の倍以上のライブに参戦していたのです。

病室で、相変わらず「ゆず」を聴いていました。
特に厚治バラードセレクションを中心に。
なんかね、23年振り返ってしまいました。
病院って不思議な空間。
精神的にどんどん追い込まれる。
何年も過ごしたことのある空間だし、先生だって
数年間は親より一緒に居た人たちだから安心感もあるんだけど
何度来ても慣れません。

検査に行く前、担当の女医さんと、もう1人の担当のN先生。
元々の担当だった院長先生はお空の上にいるので私の担当はこの2人しかいません。
小さい時、検査や手術の前は必ず頭をポンポンっとなでて
笑顔で「がんばれよ。」と言ってくれていた院長先生。
N先生ってば、それ覚えていてくれていて、検査の前に昔の院長先生のようにしてくれた。
不安でいっぱいだったけど
院長先生も見守ってくれているよね。

検査結果が出たのは今日。
数日なのに長い時間。

23年間かかえていた不安に結果が出る。

全てはここから。 

2004年11月16日(火) 0時05分
1から何か始めたり
全てをリセットして、0に戻すのも
全ては自分次第。

確かに第三者も関係するだろうけれど、
最終的に決めるのは自分。
自分が出した答えだから納得も生まれる。

歩き始めることはもちろん勇気がいる。
でも、それ以上にリセットすることの方が難しい。
簡単に出来ないからこそ、悩んだりするんだけど。

別に悩むって悪いことじゃないし
私は別に嫌いじゃない。
考えたくないことだってあるよ。
でも、それ以上に
その考えた中からまた、いろんな答えが見つかるし。
こうすれば良かったんだ〜とかも思える。
それって、次の備えになる訳だから
苦労も無駄じゃないってことだと思うんだよね。

いいんじゃない?悩んで。

様は考えようだと思う。

それをきっかけに
どう成長できるか。

くよくよ悩んで落ち込んだって
最後に笑えれば
そればそれでいいんじゃないかなって思う。

何もなくて平坦な道をずっと歩くより。
ちょっと登り道で疲れたり、
下り坂で勢いつけて走ってみたり。
登って疲れても、そこから見える景色は
平坦な道からは見えないものだもの。

私はその風景見るのが好き。

がんばりすぎると今度は前が見えなくなるから
ちょっと休憩しながら、
少しずつ変わる風景見るのもいいんじゃない?
1歩1歩よく見てみたら
きっと違うと思うけどな。

下向いて景色見ないなんて勿体ないよ。

境界線。 

2004年11月05日(金) 23時34分
沖縄で西のお友達とホテルの部屋で性格の話になった時、
こんな感じじゃない?と、素敵なぐらいに当たっていたことがある。
基本的に、最初から人に対して好き嫌いとかないし
嫌なことされても、広い範囲で許せる。
ま〜、そんな性格の人もいるさ。ってね。

基本は広く許せるけど、自分の中に境界線があって
その範囲を越えたことをされたり、言われたりすると
もう駄目。

私が相手をちょっと・・・って思うように
相手だって私をそう思っているかも知れない。

言いたいことを素直に言える人がいるように
言いたくてもいえない人だっている。

全てが同じ訳じゃない。

同じ人ばっかだったらつまらないし
むしろ自分と同じ人ばっかだったら嫌だし。
みんな違うから面白いんじゃんって思うけど
そこに気が付いてないと私の境界線を越える確率がぐんと高くなる。

人間誰だって自分勝手な生き物。
でもそれを、見せていることに気が付いているか
人のことは見てるのに自分のことは気が付いていないか
そこで大きな違いが出てくる。

世に言う「自分のことは棚にあげて・・」ってことなんだけど。


祈り。 

2004年10月30日(土) 3時15分
先日、新潟で起きた奇跡。
世間って狭いなって思ったけれど、
あのご家族の亡くなられたお母さん。
私の友達の知り合いが、
学生の時に家庭科を教えてくれていた先生だった。
とっても明るくてやさしい人だったって。
偶然が重なり合って生まれた奇跡。
映像を見た瞬間、ぼろぼろ泪がこぼれた。
どんなにさみしかったことだろう。。
きっと、お母さんが守っていてくれたんだよね。


そしてその反対に悪いニュースも耳に入ってきた。
イラクで人質になっていた男性と見られる遺体が発見されたと。
なんでだろうね。
こんなことしても何も変わらないのに。
戦争や争いを繰り返して、何ももたらさなかったから
今の現状があることに
一体いつになったら気がつくのだろうか。

まだ発表は可能性があるということ。

間違いであって欲しい。

だって、自衛隊がもし撤去していたら・・・って思うと
それさえすれば助かっていたかも知れない。

どれが正しくて、どれが正しくない。

そんなのどうでもいい。

命をもっと大事にして欲しい。


どうか、無事でありますように。。

ありがとう。 

2004年10月28日(木) 0時16分
意外なことで私自信驚いているのですが、
「境界線」よりもカウンターが回っていることに驚いています。

普段の日記の明るさとの反動があまりにもありすぎて
驚かれているのでしょうか?
本当にひとりごととして書いているので
この反応に驚きでいっぱいです。

つづき。 

2004年10月28日(木) 0時05分
当時、私の手術も当時の医療では難しいとされていたもので
とある大学病院の院長先生が見てくれて
あまり例がないのも手伝い未だに検査は
モルモット状態。

そんな私の生活を毎日みていた先生は
私が感受性が強く、周囲の表情を読み取る能力を
誰よりも先に気がついてくれていたんだと思う。

いままで出会った人たちは私との出会いの中で
必ずといっていいほど言うセリフがある。
「やさしいね。」「いつも笑顔で楽しそうだね。」

それは、「今私に出来ること」だから。
今できることをしているだけ。
できなくて、死にたくないのに旅立ってしまったお友達をみているから。
出来ることをする。

ただそれだけのこと。



私には今生きているという幸せがある。

音が聞こえる幸せがある。

音楽を楽しむ幸せがある。


みんなは幸せを噛み締めていますか?

音。 

2004年10月27日(水) 23時27分
前に日記にも書いたことがあるけれど
小さい頃に長期に渡って入院をした経験がある。
一番過敏な時期の入院というのは、本当にさみしさと怖さでいっぱいで
病院の独特の匂いと空気も手伝って
真夜中は怖くて仕方が無かった。
その性か、人より物音に対してとても敏感で
ちょっとした物音や声、
地震の揺れが震度1でも目が覚める。
高校生の時、担当の女医さんに見てもらった時に
昔からそうだったのよね。と言われ
きっとその頃のものが取れていないだろうねって話になった。
高校を卒業して、心理学を学ぶ道を選んだ話をした時
誰よりも、納得していた先生。
私が進むことを分かっていたのだろう。

小さい頃の衝撃的な出来事って、自分の中では忘れていた記憶でも
どこかでふと思いだす瞬間がある。

私が入院して初めてできたお友達。
小児病棟でもナースセンターの近くの小部屋。
彼女は私が退院した後にお空に旅立ちました。
白血病だった、お友達。
喧嘩して、お互いに最後まで誤れなかったお友達。
1年後、病院に行って看護婦さんに○○ちゃんは?って聞いた時の
看護婦さんたちの表情って忘れられない。
私が退院してから、ずっと「ごめんなさいって言えなかった。。」って
看護婦さんとお母さんに言い続けていたお友達。
それを聞いた時、泪がとまらなかった。
つまらない意地で何で謝らなかったのかなって。。
ごめんね。たった4文字の言葉なのにね。

私と友達の約束。
元気に暮らすこと。
病院に入院しないこと。

大丈夫。
ちゃんと守っているよ。

続き。 

2004年10月25日(月) 0時19分
そして、映像の中には
自分のことでいっぱいのはずなのに
自分が出来ることはしたいと、韓国人のお母さんが
無料で炊き出しをし待ちの人に提供していた。
国を越えての、やさしさ。
涙目で、「でも、みんなも大変だから。助け合わなきゃ。」
そう言っていたお母さん。

新幹線の中でも、携帯を持っていない人が
家の人と連絡が取れず、不安でいっぱいになっていた。
その人を取材していて、
そばでみていた、お母さん方のグループが
私の携帯繋がるから、かけなさい!と声をかけていた。
取材も大事だと思う。
でも困っている人が目の前にいるのだから
携帯電話を貸すことは出来るのではないのだろうか。

住民はテレビを見ることができなくて苛立ちがでてきているのなら
マスコミ全体でタッグを組んで
情報を流すということは出来ないのだろうか。
何かできることはあると思うんだよ・・。

やっぱり、何かあったとき、
助け合いが大事なんだなって実感するのが自然災害の時だと思う。
この後
何も起きませんように。

未だ連絡が取れない叔母さんが無事でありますように。。
私の運なんてどうでもいい。
無事でいてくれるなら、私の運が叔母さんに届きますように。


生きていれば、何でもできるんだから。。


今回の地震でたくさんの方の命が奪われました・・
心よりご冥福をお祈り致します。


これ以上、被害が拡大しませんように。。

位置。 

2004年10月24日(日) 23時42分
昨日からの地震。
仙台も未だに余震が続いている。
昨日からテレビも特別報道番組に切り替わり
ニュースでも地震の映像が流れている。
スペシャのTBSチャンネルでは、24時間ニュースを流していて
叔母が地震に巻き込まれていることもあるし
ずっと見ていた。

1夜明け、明るい中で流れた映像は
予想より多くの被害。
そんな中で見ていた民放のとあるニュース。
被災者に
「今どんな気分ですか?」
と何度も聞く司会者。

そんなの聞かなくても分かるじゃないか。
どんな気分かなんて、怖さと不安でいっぱいの人に聞くべき言葉じゃない。
見れば分かること。
それをわざわざ聞く姿を見てため息が出た。

同じ県でもあまり被害が出なかった地域の人がカメラに映った時
「おれ、映ってる?」
と言いながら携帯片手にカメラを見る人。
大変だねーと言いながら家で暖かいご飯を食べる人。

今居る自分の位置が同じ状態になった時、
それでも同じことができる?

人間、自分の置かれた状態で
感じるものは違うのは当たり前。
経験が全く違うものだから。

でも、経験していなくても
その立場の人を思いやれるような人に私はなりたい。

実際、私の周りでも話をしていると
宮城で起きたあの地震の時、それはどうなの?と散々言っていた人たちが
今、新潟の人に向けて
あの時言われて嫌だと
そう言っていたことを言っている。

嫌な経験をしているのにね。
なんで、そうなるんだろうか。

真夜中のひとりごと。 

2004年10月24日(日) 2時18分
日記も書いているけれど、
前々から、このコンテンツは作りたいと思っていて
ようやくコンテンツに加えました。

HPの1番上にあるコンテンツがここに移ったと思っていただければいいかなと。


もともと、本当に私のひとりごとだけを描こうと思っていたので
従来のブログであれば、トラックバックや返信ができるのだけど
ここは出来ないようにセットしてあります。
本当にひとりごとだから
軽く流してください。

引きずるようなら、読まない方がいいかも知れない。

真夜中に書くぐらいだから
中身も他のコンテンツに比べて明るいとは限りません。
だって、ひとりごとだから。

2004年11月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:hanayumejp
読者になる
Yapme!一覧
読者になる