本当に理解が進んだのか? 

2007年04月24日(火) 0時32分
先週の土曜日、4月21日の中日新聞にこんな記事があった


最高裁が裁判員制度について、運用方法などを詳しく説明した上で実施した新たな調査で
参加に前向きな意見と消極的意見がそれぞれ半数近くとなり、
「障害となる事情はない」との回答も46%に上ったことが二十日わかった。
内閣府が二月に発表した世論調査では消極派が78%で制度の内容を具体的に伝えれば理解が得られる可能性を示した形だ。
(2007年4月21日(土)中日新聞記事より引用)


見出しの一つは「裁判員参加理解進んだ?」とある。

中日新聞の記者が「?」と思ったのだろうか。

私も「?」だった。

二月から、2ヶ月で、ここまで変わるものだろうか。

まぁ、調査したところが違うのだけれど。

こういった調査の信憑性というのを疑いたくなるのは私だけだろうか。


明日の教養の授業で世論調査についてやるので、
ちょっと勉強してこようと思います。

結果だけが書いてあって、意見らしきことが書いてないので、

今度自分なりの意見をまとめたいと思います。

裁判員制度って、あまり日本で浸透しなさそうだとは思っています。

最近買った本について 

2006年09月22日(金) 2時30分
最近「いわゆるA級戦犯」という本を買いました。

もちろん自腹。

読んだ感想は…

会社は誰のもの??? 

2006年07月31日(月) 20時51分
会社はいったいだれのものなのでしょうか???

(1) 会社は筆頭株主のもの
(2) 会社は株主全員のもの
(3) 会社は経営者(取締役会あるいはCEO)のもの
(4) 会社はそこで働く従業員(社員)のもの
(5) 会社は社会全体(あるいは市民)のもの

これは、全て正しく感じてしまう。

すべてそろって社会で、会社だと思う。

筆頭株主や株主がいなければ
会社の資金は誰がだすのか

経営者がいなければ
だれが会社の経営をし、運営して会社を守るのか

従業員がいなければ
だれが会社を動かすのか

社会がなければ
なにが会社の存在を認識するのだろうか


ただどこをなくしたら会社が存在しなくなるかという

極論をいうならば

5の社会なのかもしれない。

会社が成り立つには
その会社を利用する人がいなければならない。

けっこう会社が自分本位で社会や市民をないがしろにしているけれど

貴方たちの会社を利用してくれるお客様ですよ?

つけは社会が暴き、社会が裁く。

利益を失う今よりも

信用を失う未来を恐れて欲しい。

少し脱線してしまいました;

報道番組 

2006年07月31日(月) 5時15分
かなり遅いですが…

私は2つの番組を見ての批評をおこないます。

同じような時間帯に放送された2番組(以後ニュースウォッチ9はNHK、報道ステーションは民放とします。)ですが、やはり各番組の特性が出ていたように思います。民放とNHKの差なのではないでしょうか。

民放では話題性の高いものを多く取り上げています
ですが
NHKでは普段取り上げられない上に忘れ去られがちなものも取り上げています。また生活に密着した話題を提供していました。

共通点としては、「キャスターの役割が決まっている」ということが挙げられます。

NHKでは女性キャスターがニュースを読み上げ、質問をし、男性キャスターが答えたり意見を述べたりする、と言う形式です。

そして民放では、ニュースの冒頭をメインが伝え、ニュースの読み上げを女性キャスターが行い、一段落ついた後コメンテーターとメインが喋るという形式でした。
それぞれのキャスターの役割が決まっているのは性別的に、認知度的に決まっているのではないかと思います。


相違点としては、報道の仕方が挙げられます。

NHKでは結論や意見はできる限り押さえ、リポーターやナレーターも事件の時は淡々と喋ります。音声
や画像効果も抑え、できるかぎり事実のみを伝えようとしています。また、できる限り名前や顔が出ないようにしていると感じました。

民放では、コメンテーターやメインの意見が長く、問題提起をしたり、主張もおこないます。音声や画像効果を多く使い、リポーターやナレーターは走ったり心情をこめて読み上げていたように思います。また、住民のコメントも顔を出しながらのものが多かったように思います。


スポーツにも差が出ていました。

NHKでは、その時活躍した選手を映しながら放送していましたが、

民放では、監督の画像や新庄選手、途中代打のみで出場した清原選手などを中心にしていました。話題性を追求していると感じました。

視聴率の取れる報道をする民放と
事実を伝えようとするNHK
どちらが正しいかはわかりませんが、両方あるからこそ選択の余地があっていいのではないでしょうか。


≪番組データ≫

政党の存在意義とは? 

2006年07月30日(日) 13時38分

ごくたまに、報道番組などを見てると思うこと、

それは政党の存在意義。

中学や高校の社会や歴史で習ったけれども

いまいち納得できません。

力のない人たちが自分の意見を通すために団結してるんだな

とか、

力のある人が自分の意見を通すために人を集めてる

とか、

結局党内でもめるのなら、むしろ
ディベートのように議題ごとに
グループに分かれられないのかとか

しか感じられない




与党と野党がお互いを蹴落としあったり

与党が野党の意見を無視して強引に案を通したり

野党が与党の文句ばかりいってるように

報道されているのを見ると

自分たちの思想をぶつけ合えばいいのにな


と感じてしまう。

政党の存在意義ってなんなんだろう?????

思ったこと 

2006年07月27日(木) 4時44分

安倍官房長官が考えている
「失敗してもやり直しができる社会作り」

う〜ん。具体的ではあるんだけどもなぁ。

どうも、甘いような気もする。

そりゃぁ、「失敗した後やり直しがきく」っていうのは
夢のようだし、いいことだし、できるならなってくれたほうが
楽なのかもしれない。

けど、それだと、社会主義みたいなことになるんではないだろうか。

(※いや、日本はとりあえず資本主義を名乗ってるから社会主義にはなりえないけれども)

つまり、失敗しても大丈夫。という安心感って堕落につながらないか?
ということ。

失敗しても何とかなるんでしょ?みたいなことにならないかと。

「後がない」と思うから人間は馬力、というか力を出せるんであって、それがなくなったらどうなるのかなと。

まぁ、あくまでサポートできる体制を整えるということなのだろうと思うけれど。

もしなったらどうなるんだろうなと考えたら
ちょっと怖いな、と思ったのです。

考えすぎかな?

国民にそこまで政治に関する理解は期待しないほうがいいのかしら?

理解した人間のみ得をする。

ということになるんだろうか?

ん?これって情報格差?

続けてたらきりないのでここまでで…;

メディア関連のNPO 

2006年07月12日(水) 3時16分
メディア関連で活躍しているNPOの活動紹介をしようと思います。

NPO法人Voluntary Neighbors の中にある、

VNS市民放送局を取り上げようと思います。


このNPOは、街づくりの映像や、市民が作った映像などを集め、整理して公開する団体です。最初は愛知万博から始まったこの活動を継続させ、映像発信などのメディアを使った活動をサポートしていくことが目的です。

以下は、VNS市民放送局のサイト内での説明を抜粋したものです。

■「VNS市民放送局は、「市民活動やまちづくりを映像で表現する」「市民が制作する」「市民 が 発信する」をコンセプトとして2001年から取り組み、なごや・まちコミ映像祭(受託事業)などを実施し、2005年3月、愛知万博を機に自前のインターネット放送局として発足しました。
■まちづくりや市民活動の特徴である現場性は、映像でこそ人々の心によく伝わります。VNS市民放送局はまちづくりや市民活動が人々の共感をよび、まちづくりや市民活動の発展に寄与するための事業です。
■愛・地球博市民放送局では、「ドキュメンタリーX」と「市民メディアネットワーク」を実施しました。市民参加万博のアーカイブとして、また市民メディアのインフラとなることを願って、万博後、これを継承することにしました。
 


今も、全国の市民活動を映像で募集しています。 この団体は、パブリックアクセスのサポートをしているように感じました。

あと、もう一つ活動内容を続きにのせました

ガバナンスとは 

2006年07月12日(水) 3時08分
授業も終わったあとで、期限も切れましたが;

ガバナンスとは何か。

定義がないと言ってしまえば、全くそうであるとしか言いようがないですね・

ただ、ひとつのことを皆で考える。目線や席を平等にして、意見を交換し合うことではないかなと思います。それを念頭において話し合って解決を図ろうとする一つの問題解決方法なのだと考えます。

これは、実際には(特に日本人には)難しいかもしれない。なぜならどうしても、「相手の立場」というよりは「自分の立場」を考えてしまうからです。
これを言ったら自分はどう思われるのかなどということを考えてしまうので。
話し合いの場が、そのまま普段とつながっててはいけないという決まりごとを最初に宣誓するくらいしなければ、いやそれをやっても難しいか。

わかったこと
これは、もうすごく少ないのですが。
『ガバナンスって結局なんだろう?』っていうのが正しい気もしますが。
皆が意見を持って、一つのことを決めるためにとことん話し合うことが重要なのだと思います。
とことん話し合うことは、上からの問題をただ鵜呑みにし、従うよりはとても有意義だと思います。

わからないこと
これはもうたくさんあるのですが。
一番気になっているのは、参加人員の多様性と、参加人数の多さは違うのだろうと思うが
そもそもどこまでメンバーを揃えれば参加人員が多様であるといえるのだろうか??
そして、その人員を毎回揃えることができるのか?
ということ。つまり、構成員の内容です。
どうしてもその話が、合意形成の途中でネックになっていたように感じます。

パブリックアクセス 

2006年06月27日(火) 14時11分
日本でパブリックアクセスの考え方が浸透し、根付いてこなかったのはなぜだろう?

??パブリックアクセスとは??

◇一般市民が一定のルールによって自主的に企画制作したコンテンツを新聞社・放送局を通して提供できる権利
◇自由・公平にパブリック・フォーラムに参加できる権利(アクセス権)の回復
◇メディアリテラシーはPAを含む
 ・パブリック・フォーラムー論の公共権

要は市民が自分たちの作った番組で情報提供する側となり、時には意見を言うという感じ。

さて、なぜ日本でこのパブリックアクセスの考え方が浸透し、根付いてこなかったのか。
その理由は、日本の国民性が一つであると考えます。あまりでしゃばらない。意見は言えば叩かれるかもしれない。近所の目が、世間の目が怖いなど、未確定の不安要素におびえてしまったりしているのではないだろうか。また、のんびりしていて、だれかがやってくれると思っているからではないだろうか。

もう一つはメディア側の責任であると考えます。
提供できるような場を作らず、市民にすすめようともせず、自分たちの利益を優先させているように思えます。(訴えようにも存在を知らなければ訴えることもできない)←でも知っていてもやるかどうかは別として。

パブリックジャーナリズム 

2006年06月13日(火) 13時05分
今日は、課題の一環として、
パブリックジャーナリズムと既存のジャーナリズムを比べ、その感想を述べていこうと思います


今回これらの記事を比べて私が感じた違いは、一つの記事へこめられる情報量の違いです。

パブリックジャーナリズムの方の記事では、一つの記事でことの顛末全てや経緯、インタビューの内容、記事によっては画像など…
記者がいれたいと感じただけ、調べただけのありったけの情報が入っています。

反対に、
既存のジャーナリズムの記事では字数制限(スペース制限?)があるので一つの記事にこめられる情報量には限りがあります。
(記事の近くで知識として情報が補足される場合もありますが)

ドミニカ訴訟という問題は、今たくさんの報道番組や情報番組で紹介されている問題ですが、やはり、当事者でないせいか
なんとなく調べているなという感じであると思いました。
しかし先に述べたように一つの記事の中で訴訟にいたるまでの情報が入っていることがあるので、さらっと一つの記事ですぐ知りたい人には
向いているような気がします。

JANJANを利用してまず思ったことは、「なぜ検索機能がないのだろう」ということです。
私の利用法が悪いのかもしれませんが、一つの記事を探そうとしても一つ一つ探さなければ見つけることができませんでした。

次に、全体的に真面目な文章を避けていたり、調べた内容のみのせていたりする記事が多かったように思います。中には会話のみをのせるものもあり、記事とは呼べないのでは?というものもあるように感じました。
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