そもそもの始め〜父母のことをチラリ

2005年08月21日(日) 1時00分
貧乏な朝鮮人が、大抵そうであるように、我が家は、朝鮮総連のお世話になっておりました。それで今だに「金日成将軍を讃える歌」が歌えます。しかし只のカタカナで覚えたので、歌詞の意味は分りません。正式なタイトルも知りません。父は本気で共産党をやってました。つまり、本気で革命をやるつもりだったわけです。しかし、共産党は革命闘争をやっていた癖に「平和人権反帝国主義」とお題目を唱えているうちに、自己矛盾を起こし、政治団体というより、むしろ宗教団体のようになってしまいました。今じゃ戦うどころか小学校の運動会まで「競争させちゃ可哀想だ」なんて言い出す始末。革命をせずスローライフにはまる「共産党」なんてカフェインのないコーヒーみたいなモノで、そもそもなんのために存在しているのか、わかりません。おかげで自民党からは相手にもされず、公明党だけに(宗教だから?)目の敵にされてます。父は私よりも典型的なADHDで、衝動的だけど、頭が柔らかいので、こういう矛盾にすぐ気がついてしまいました。機動隊の催涙ガス弾を素手で投げ返していた父は「カクメイ」の「ヘイタイ」だったわけで、戦わない共産党には、用なし。挫折です。
 母は学校の先生で当然のように日教組でした。つまり共産党カップルで2人は夫婦別姓でして、戸籍上は、内縁関係。私は母の戸籍に入って日本籍。父は、祖父母の出身地とは、全く関係なく北朝鮮籍。貧乏人の面倒をみてくれるのは、朝鮮総連だけでしたから。
 2人はオートバイの2人乗りでデートして、こけて怪我しても、スカートで隠して、知らん振りして帰り、結婚したら2人でインドへ行こうと、相談していたという、お茶目な、バカップルです。インドと言えば、’60後半はヒッピーの時代です。しかし、いっときますけど、2人共、ビートルズ世代では、ありません。それよりずちょっと上で戦時中の生まれです。ビートルズどころか、父は戦後の流行歌の「りんごの歌」さえ、さびの所で「♪り〜んご〜の っきもぉちぃはぁ♪」と「気持ち」が「っきもぉちぃ」になるのが、人をばかにしてるようで、どうしても、許せない!と言ってた人なんです。なんでインド?
 
 
 

あの頃〜風の匂いのようなモノ

2005年08月20日(土) 2時03分
私がうまれた1967年頃、もうすぐ大阪で万博もやろうかというこの時代、我が家にはテレビも電話もありませんでしたが、ラジオと豚さんと手作りのポットントイレは、ちゃんとあったわけです。男性用は玄関の隣。西部劇の酒場にあるような、お腹しか隠れない木戸の向こうに、円筒形の深い穴が、セメントで固められて、バックリと空いていたわけです。男性用といっても、ようするに小用でして、お婆さんもここでしゃがんでました。このでかい丸い穴には大抵奥深い色と香りをした液体が満々とたたえられていたわけです。玄関の前の只の隙間のような庭で遊べば、ありとあらゆる物が、この液体に飲み込まれてゆくわけです。
 やたら鮮明な私の記憶では、私がまだ喋る前、家のすぐ前の鉄道にはSLが走っていました。その後白黒テレビが我が家に来て、そして私が小学校に上がる頃、町中がアスファルトで舗装され、お隣さんの呼び出しだった電話も自前のエボナイト製黒電話になり、町の電気屋さんがカラーテレビを晩御飯時に持って来て、その後も何度も修理にやって来ました。テレビではカップヌードルのCMがやたらまぶしく、すでに終わっていた万博の様子がくり返し映し出され、ウルトラマンも仮面ライダーも中村梅之助の遠山の金さんも、すでに夕方の再放送でした。

私が生まれたタイミング

2005年08月20日(土) 1時58分
さて、挫折した父は、喧嘩はするわ、酒は飲むわ、そのうち交通事故起こして腰まで痛めてしまいました。そもそもこの人は、挫折する前からすでに、職が長続きしない人でした。私が生まれる頃には、家庭もなにも無茶苦茶になりまして、仕方なしに、自分の生まれ育った小屋のような家に舞い戻って来ました。この時はまだ家には豚小屋もあって、私の兄達は悪い事すると、しばらく豚さんと親睦を深める事になっていました。
 さて、そうやって職が見つからず、お決まりのダンプや土木工事も腰を痛めて無理がくる。そこで母の給料で、ありとあらゆる免許を取りまくり、前向きなんだか無駄が多いのかよくわからない、という状態の時に私が生まれました。
 すると、なんだか私が3才まで喋らないし、家中がスポーツ好きなのに、1人だけ信じられない位ドン臭いし、おかしい位車に酔うし、その他やる事なす事なんかおかしいし、こりゃいけないと奮発して海水浴という大贅沢をやらかしたら、なにをとち狂ったか私がいきなり3語文を喋り出しちゃいまして、こりゃ毎年海水浴だけは連れて行かなきゃということで、(多分)父はやっとタクシーの運転手に落ち着いたわけです。