はじめに(その2)〜生まれた時からすでに悪者であるっというつらさ〜

2005年08月21日(日) 15時40分
「冷房はあんまり使うな」とか「携帯やパソコンじゃなくて直接ひと…」なんて言われたら、もう最悪。だって、これはこういう意味だもの。「お前は間違った悪い世の中に生まれて来た忌わしい鬼ッ子なのだ。わかったか!わかったら、反省して俺の言う事をよく聞け!!」極端なようだけど、ようするに、こういう事。今の世の中、こういう事を言ってる人や団体はいっぱいあり過ぎて、逃げ回るのにも、疲れるぐらい。
 いつからか、日本人にとって、あるいは現代人にとって、自分をその存在する世界ごと全否定する事は、只の日常茶飯事になってしまいました。こんなんでびびってたら、それこそ生きて行けない。そこにはまって「反省とお詫び」の毎日になったら、これはもう、日常じゃなくて、宗教だか修行だか…ようするに「カルト」の世界。潔癖症、不潔恐怖、外の世界は全部敵で、自分達だけが、正しくて、自分達の正義の為なら手段は選ばない。
 「今の子」というのは、例えば、野生の熊が沢山いる地方の小学生が、ランドセルに熊よけの鈴をつけて通学するように、心にカルトよけの鈴をつけて歩いている。この鈴は「関係ない」と鳴るわけです。熊よけと違うのは、本能的な自己防衛で本人も無自覚でやってるモンだから、本人も周りの大人もそれを良い物だと認めていない。「関係ねぇよ」は実はこういう必死の祈りにも似たような、半分「命がけ」みたいな行為だったんですが、誰もそんな事言わないから、いつまでたっても、スッキリしない。いっそどっかにハマるか、あるいは無茶苦茶やったり、過激な事を言ってる有名人にでも共感して、憂さをはらそうかと、いつも揺れている。日常が愛せなくなれば、すぐにカルトの大穴が足下にポッカリ…。
 「歴史認識」なんて、こういう事をちゃんと押さえなきゃ、何の意味もない。学校の教科書や、靖国神社の話しをいくらしたって、何も前には進まない。なぜなら、只でさえ全否定が日常なのに、その上日本に生まれただけで「罪」であるという雰囲気があるから。
 (その3に続く)
 

はじめに(その1)〜生まれる前からすでに「悪者」というつらさ〜日本に生まれた若い世代を覆う不条理感と

2005年08月21日(日) 15時05分
人間にとって、他人に、自分が生まれる前の話しをされるのは、テンションの高い経験です。大抵はウザイ。場合によってはドキドキする。
 生まれた時からテレビのある世代にとって「昔はテレビなんてなかった…」なんて始まると、もうダメ。朝、「電車の定期がない」なんて、騒いでいる時に、たまたま夕べから泊まってたお婆ちゃんなんかが、「贅沢になってねぇ、私の頃は毎日これくらいは歩いてたよ」なんて、言われた日にゃぁ…。岡崎京子さんのマンガ『ジオラマボーイ・パノラマガール』の冒頭に、こんなような場面が出て来ます。
 若い世代は、こういう時の聞き流し方、無視の仕方はすっかり鍛えられています。表面的には、まったく関係ないという態度をとる。「関係ない」はサヴァイバルの知恵なんですね 
 しかし、内面では、ふる〜い傷口がジクジクと疼いている。
 電車も携帯もパソコンも冷房だって、別に自分のせいで、そこにある訳じゃない。でも、そこでお婆ちゃんにそう言うと「そうだよ。お前の親が悪い。甘やかすから…」とか「そもそも今の世の中が悪い」とか言う事になる。これは自分が悪く言われるよりも、何百倍もタチが悪い。だって自分の存在そのもが、自分が存在する世界もひっくるめて全否定されてるんだもの。
(〜その2に続く)
(岡崎京子『ジオラマボーイ・パノラマガール』については、カテゴリーの裏”80に続く)