ブログ移転のお知らせ 

2012年09月28日(金) 22時51分
今までひっそり見ていただき、ありがとうございました。

今後、こちらのブログは以下のURLのブログに移転することとなりました。


いつか会える日のために〜photo is〜 http://photousagi.exblog.jp/

写真つき日記となります。よろしくお願いいたします。

不安でも 

2011年11月30日(水) 17時55分
今日、突然管理職に呼ばれて近況の報告と来年の話をされた。

相変わらず不意打ちが好きな管理職である。


はっきり言って、不安要素が募るばかりの面談になった。

休暇をとりすぎたせいもあって、結局それが一番の不安に陥る原因になった。

休んでしまったぶんは
埋め合わせすることはできない。

それがどう評価され、それがどう来年に繋がっていくのか
わからない。

わからないから不安になるのだが、
決めるのか管理職。
自分の来年以降の行く末を決めるのも管理職。

なるようにしかならないのだから、
考えても仕方ない。

そう自分に言い聞かせるしかない。

不安でいっぱいになって”今”がちゃんと生きられないなんて
本末転倒。今をやるだけやったれ!!

やらなかったら0(ゼロ) 

2011年11月11日(金) 21時49分
今日、職場で「悩み相談会」的な会合が開かれた。
参加は強制ではなかったし、勤務時間も過ぎていて
自分は明日の休日出勤の準備で忙しかったが、
「新任の自分は行っておくべきだ!」と思いたって、自然と足が向いた。

一時間ほどの会合だったが
結果から言えば、ものすごく有意義で意味のあるものになった。



正直、いまの職場に完全になじめず、
帰属意識がもてていなかった自分が、
この会合によってぐっと今の職場へのやる気が
みなぎることのできる時間になった。

主任と自分交えて、4人ほどの寂しい会合だった。

ずっと主任の語りかける話口調に耳を傾けていた。
内容はもとより、主任という人物そのものを改めて見ていた。

自分の帰属意識の欠如は、
この主任もとより、他の職員への信頼が自分にはなかった。

彼らは信頼の置けない人物では決してなかった。
だが、身を任せ「ついていきたい」と思えるほどではなかった。

どこかしら、遠い昔の職場の憧れだった上司と比較し、
「その当時に比べればなんて閑散とした職場なのだろう」と、
あほな悩みに駆られていた。人懐っこいくせに
適応能力が恐ろしいほど自分にはなかった。


会合では、自分の抱えている悩みを打ち明け、
それに対して他の職員が考えてくれる・・・そんな一連の流れが、
自分の未熟さを痛感させられると同時に、
職場の仲間意識が結束されていった。

そう、今の自分に足りなかった帰属意識の一番の原因は、
仲間意識がそもそも欠如していたのだと思う。





主任の言葉は重い。
最近になって、ここまで人の口調が自分の心に響くことはあまりなかった。

その一部始終はこうだ。

ある職員は、自分の問題定義を最低10個以上、記録していく習慣をつけているそうだ。

それに対し主任は、「10個のうち、何個解決に向かう?」

と問いただし、「1個あればいいですかね〜」と応えた。

「1個でもあればいいよね。やらなかったら、ゼロだもんな


やって無駄なことはない。ダメかもしれない、意味が無いかもしれない、
とマイナスになったときのことを考えるから
皆やりたくなくなる。恐ろしく単純な話だ。

くわえて、それを習慣化している仲間が身近にいたということが
分かっただけでも嬉しい。なおのこと仲間意識が強まった。


自分は、いつダメになるかわからない、
いつまで走り続けられるかわからないけれど
今日得たものだけで、当面は不満は出そうに無い。

久しぶりの更新 

2011年11月11日(金) 20時58分
久しぶりの更新になります。
昇格人事を告げられてから半年以上、
右も左も分からず、それでも死に物狂いでやってきました。

仕事量は、たぶん3倍以上に濃くなりました。
その”3”って数字がなんだかわかりません。
テキトーに言ってみました。


一人暮らしも、思いのほかスムーズです。


とにかくこの7ヶ月間、
いろいろありすぎて書ききれることはないです。

なぜ書かなかったのか、わかりませんが、
たぶんに自分のメンタルの部分と向き合うことに躊躇していたのだと思います。

メンタルな病気を抱えていたころとは
強くなったのかわかりません。成長できたのかわかりません。

ただ、以前と違うことは、
「守るべきもの」への思いが強くなったからなのだと思います。
プライベートでも仕事でも、
たぶんそのあたりに自分のバイタリティの源があるのかな〜くらいに思ってます。


今までのことを見つめなおしたくないくらいにひたむきでした。

それでも誰からも
「オマエは変わったな」
「よく頑張ってるな」と言われません。

そんなものは、改めて言われるものではないですね。求めるものでもないですね。
以前からの自分と比べたら、やっと「人並み」ってところでしょうけれど、
それでも自然と、「あぁ、以前と比べて、自分への接し方はずいぶんかわったな」
とはふしふし感じ始めたので、ある程度は認められるくらいまでにはなったのかな・・・
程度に思っています。

そういう意味でも、”自立”って言葉が
ここへ来て自分にも縁があるものだと感じ始めました。

そんな感じです。



最後になりますが、
ツイッターしてます。

@husagi

それと、趣味のphtoブログしてます。

http://photousagi.exblog.jp/

こっちもよろしくです。



ではまたいつか、お会いしましょう。


こいうた

お引越し 

2011年03月23日(水) 17時15分
先日20日に、職場の近くに引越しをしました。
6年ぶりの一人暮らしです。

名目上、自立の為。。。。
・・・も大きいですが、実家にいたときの厄介なさまざまな問題からの避難の意味も結構あります。

家にいたころの問題を何も考えずに済むってのは結構心地いいです。

それを当面忘れなければ、一人暮らしのたいがいの困難も乗り越えられると思っています。

むしろ確信しています。


「家に帰りたい」と思っても、

「帰ったら帰ったで待ち受けている問題がある」

って思えばね、たぶんに何てことないはずですよ。



メンタルな病気 

2011年02月25日(金) 0時43分
「自分は、○○障害です。お薬は○○を飲んでます。
一生治らないと告げられました」



大げさに、専門機関に訴えれば、
誰でも何かしらの病名はもらえると思いますよ。

病気は病気として、かまいませんよ。

ただね、二言目には「自分は病気」という言葉に、やや抵抗を感じました。

自分がそうだったからよくわかります。死ぬほどよく分かります。

だから言えますがね、
正確な診断を受ければ、ヤバい病気だと思う人でも
病院も行かずに泥沼駆けずり回って
ちゃんとした生活送ってる人はたくさんいますよ。

そういう人もやはり自覚症状はあります。
ただ、通院して病名を貰ったり投薬するのに抵抗を感じたりするものありますが、
一番多いのは、「自分の苦しみなど人並みだ」と
思っていることのほうが案外多いのです。

誰でも何かにすがりたいです。

それがクリニックにいって病名を貰うことなのか、
たとえば酒を飲んで晴らすのか、

たぶん、その程度の違いなんです。

誰でも何かにすがりたいです。

どんな強い人でも。

喜び悲しみの日々 

2011年02月25日(金) 0時20分
昇格人事を告げられました。

これを機に、家を出ることにしました。

そのせいもあってか、以前より仕事にも俄然はりきるようになりました。

先を見通すと、不安で押し殺されそうになるときもいっぱいあります。

けれど、それでもやれと言われたらやるしかないのです。

今更、今の仕事に自分の向き不向きなど考えたくありません。


だから、やるしかないのです。

ある程度のことは、
ほかのいろんな人にできて、自分が特別できないことはない

と、経験上、思います。

頑張ろう。

将来の不安 

2011年01月29日(土) 11時34分
この時期になると、
いまの教師の仕事に対して大きな不安を抱える。


いまは臨時講師という身である。
一般企業でいえば、契約社員のような立場。

将来を考えれば、当然現状のままではいけない。安定した立場に就きたい。

今の仕事は続けたい。というか、さんざん転職を繰り返し経験した結論として
自分には今の仕事しかできないと思っている。


自分ひとり好き勝手に生きられるなら、どうしてでも食いつないで
その日暮らしを延々繰り返せるだろう。

けれど、一緒になりたい人も居る。
その相手を責任を持って幸せにするなら、
自分のことばかりではいけない。

人事は3月に動く。

この2年間、評価されたい一身で
やるだけのことはやったつもりでいる。

けれど、3年目も同じような立場では、
管理職からのボクの評価は所詮そんなものなのかと
突きつけられているような感覚に陥る。

果報は寝て待て状態。

久しぶりの更新 

2011年01月25日(火) 17時00分
実に4ヶ月ぶりとなる更新。

自分の深層心理を追従しようという考えにはなかなか至っておらず
更新が滞っていた。

この4ヶ月間は実に慌しかった。

昨年10月には新しい恋人もできた。
久しぶりにいい恋愛となっている。


そして相変わらずのカメラLIFE。
カメラを始めて一年以上経つが、熱は冷めることが無い。


仕事も順調ではある。
特に嫌な思いをすることはない。


あったかもしれないが
そんな思いも、時とともに昇華していった。

それはちょっと昔の自分ではできなかったこと。
何がそうさせてくれたのかはわからないが、
ひとつの要因は、カメラという趣味があったからだろう。


これがプライベートと仕事を完全に分離させてくれる。
ボクのような独身男性の立場で、きちんとした趣味があることは、
なんといういい潤滑油なのだろうと時に思う。


仕事に対する考え方も変わったのかもしれない。

嫌なことがあると、あたかもこれが延々と繰り返される
錯覚に陥るが、意外とそうでもない。
長く居座るつもりならば、時に長い目で見て、

「まぁこんな日もあるのかな」

と、ある程度楽観視することができてきたのかもしれない。


またこれからブログは更新していくつもりです。

たまに覗きにきてやってください。


ではっ!!

自分が他人に与える影響 

2010年09月16日(木) 23時55分
行きつけのカフェのオーナーと話していた。

「人は人で一番傷つく」と言っていた。

僕は頷いた。
そして続いて僕はこういった。
「そして、人は人で癒されるんですよね」


オーナーは同調しなかった。


「他人は、自分の傷を治しきることはできない。
楽しいひと時を与えてくれ、お茶を濁してくれるだけ。
傷の根本は自分ひとりで修復しなければならない」


僕の受けてきた傷は、いつも人だった。
それ以外ではたいていのことには動じることはなかった。




僕は、「自分が人に与える影響」というものを忘れていた。
忘れたかった。

自己評価ができず、他人からの評価でしか
自分の価値を知ることができなかったから。

そんなことを考え出したら、自分を卑下する方向にしか
向かわないことが痛いほどわかっていたから。

そして、「”人からどう思われているのか”など
そんなの当の本人にしかわからないのだから
考えても仕方ない」と、思考をストップしていた。

だから僕は、
自分の中で判断して、
自分が正しいと思ったことをやってきた。

それは、極論をいえば自己中心的なのだろう。


そんな中、自分にできることは
他人の行動を見て妄想を膨らますのはやめようということ。


人の顔色を伺って思い悩むのは、
自分の中だけの「思い込み」の悩みでしかない。



悩みこんでいいのはただひとつ。
真実を突きつけられたときだけだ。