夢で父に会えました 

December 23 [Sun], 2007, 8:01
久しぶりに夢に父が出てきました。

悲しい夢ではないのに号泣して目が覚めてしまい。

でも久しぶりに父に会えたから、ちょっと嬉しい。
でもよけい寂しくなったかも。

父の携帯をようやく解約し、試しに発信してみたら当然呼び出しもせず、クールなアナウンスが響きました。
もうすぐ半年も経つのに未だに父の死が飲み込めないのかもしれません。
唄の千の風〜のように父が過ごせていればいいけれど。

亡くなった父からメールがきました 

September 12 [Wed], 2007, 6:34
本当に久しぶりに更新します。

8月26日に四十九日の法要を済ませ、一昨日2か月の月命日を迎えました。
亡くなった直後は本当に何もできないほどでしたが、
8月1日に仕事を再開して、何とか元の日常が戻ってきました。

ただまた最近あんまり大丈夫じゃありません。
それはまた別のブログに愚痴としてアップしますね(苦笑)

ひとつ不思議な出来事が。

父の携帯は今私が持っているのですが。
なんと、父からメールが送られてきたのです。
しかも一か月目の月命日の8月10日に。

内容は
「やっとわかったよ。かわいいね」

父の携帯はくまなく見たはずなのに、保存メールだけは見ていませんでした。
以前私が送った添付ファイルの猫写真を見れなかった父ですが、
生前何かの拍子に見れたんでしょう。
で、文章を打って送信しようとしたら、なぜか保存されてしまい・・・
そのメールは送られることなく、父は亡くなってしまいました。

無造作に置かれた携帯の上を小太郎かハルが偶然何かのボタンを押してしまい、
偶然保存メールのフォルダが開かれ、そしてそのメールが開かれ、
偶然送信された、という感じです。

偶然偶然と重ねて書きましたが、実はそれほど偶然と思っていない私です(笑)

でもメールを見たときはあまりにびっくりして、もしかしたら本当は父は生きているのかと思ったほどです。
葬式や火葬すら何かのドッキリなのかと思ってしまいました。
絶対にありえない「父が生きている」可能性をちょっと探してしまいました。

そしてそのメールが送られてきた日に、小太郎と兄弟の小雪が姿を消したらしいです。
いなくなって一か月、やはり家に帰ってはこないらしく。
父が連れて行ってしまったのか、どこか他の家で幸せに暮らしているかはわかりませんが、
どうか後者であることを祈っています。

ああ。父に会いたい。

お父さんが撮っていた写真 

July 13 [Fri], 2007, 7:24
昨夜、無事に通夜が終わりました。
ごくごく身内だけの密葬でしたが、親族が遠方からもたくさん訪れてくれ、皆父の冥福を心から祈ってくださいました。

そうしてまた私は一晩、線香を絶やさないようにしながら、また父とお喋りをしていました。

父の携帯を見ていたら、画像のところに写真がありました。
旅館で薄暗い中で撮った私と弟がそれぞれ2枚。
練習用に撮った小雪の写真が数枚。

ふと見ると、もう一枚、私が。

新しい携帯を買った日で、私は携帯に夢中。
いつ撮られたのかわからなかったけれど、一番最初の画像のようです。
父も同じ日に買ったので、新しい携帯・初めての携帯カメラで撮ってくれたのが私でした。

ものすごく嬉しかったので、あんまり顔がはっきりわからないから記念にUPしちゃいます。

父にメールを送りました 

July 12 [Thu], 2007, 6:29
お父さん、本当に死んじゃったんだね。
今、私はお父さんの脇でこのメールを作ってるよ。

あんなに元気だったお父さんがもう目を開けないなんて、やっぱりまだ信じられなくて、ふと我に返っては号泣しちゃうよ。

今更こんなメールを送ったところで自分の手元にあるお父さんの携帯が虚しく鳴るだけなんだけど、
携帯の送信ランキングでお父さんの名前がだんだんと下に落ちていくことが寂しくて、ついメールをしてみたよ。

機械オンチのお父さんが何とか絵文字まで使えるようになったもんね。
頑張ったね!
メール教官として感無量ですo(^-^)o

はあ。。。
今日の夕方にはお通夜で、明日にはとうとう寝ている姿すら見れなくなるんだよ。
信じられる?
絶対信じられない!
本当に嫌だ。
火葬場で私、絶対取り乱すはずだから、天国から笑って見ててね(^_^;)
でも今まで生きてきた中で、一番辛い出来事だった。

でも本当に最後に家族全員で旅行に行けてよかったね。
楽しくて楽しくて、もっとずっとこんな時間を過ごしたかった。
本当に楽しかったね!

食事の時「お父さんは何にもしてないのに、こんないい娘と息子に育ってくれて本当にありがとう」って言ったでしょ。
あれ、かなり号泣しそうだったよ。
あれは反則だな!

あと旅館で買ってあげたストラップ。
あんなにつけるの嫌がっていたのに、7月10日亡くなる直前に太い不器用な指で一生懸命つけていたんだってね。
ありがとう。またも泣けてくる。

いつも私のことを考えてくれてたのに、私は全くお父さんが痩せていってた事を助言もしてあげられなかった。
本当はどんどん痩せていくこと気が付いていたのに。。
まさかお父さんが癌だったなんて夢にも思わなかった。
不死身な気がしてた。
本当にごめん。

33歳にもなって結婚もせずに、孫抱かせてあげるどころか花嫁姿すら見せてあげられなくてごめんね。
私はかなりのファザコンだからなかなかお父さんみたいな人が見つからなくて、この有り様だよ。
ある意味、お父さんのせいだね。
だから仕方ないか〜(^_-)

このメールが天国のお父さんに届くかなあ。
届かないかもしれないけど、またメールするね。
お父さんの携帯番号とアドレスはそのまま私が持って、あきらめがつくまで電話したりメールしたりしようかなって思ってるんだ。
あなたの娘は相当頭悪いよ(^_^;)
でも仕方ないよね。お父さんの血を継いちゃってるんだもん。

まだ現実受け止め切れてないから、さよならはしないよ!
おやすみ。またね〜!

遺影 

July 12 [Thu], 2007, 4:59
父が亡くなってからまだ1日。
現実を飲み込めないでいるのに、通夜とか葬儀の話は、極めて事務的に進んでいます。

そのひとつが遺影。
探しても探しても、最近のいい写真が見当たらない(>д<)
いつまでもかっこよくいたかった父は、だんだんと痩せていく自分が嫌だったみたいで、写真もほとんどが遠目のものばかり。

なので旅行中にとびきりの写真を撮るはずが、
宿が暗かったせいで大抵のものがスローシャッター⇒ちょっとでも動くとぶれる、という駄作ばかりでした。

唯一、父・弟・私の3人で撮ったものが、父だけがきちんと静止しピントもばっちり。ただ疲れ気味の表情で本人はあまり気に入らないようでした。

父がお気に入りの写真は母と二人で朗らかに微笑んでいるもの。ただしやはりスローシャッターのためブレブレ(T_T) 急いでいたのでそれを遺影として引き伸ばしてもらうのですが、明日出来上がりを見てがっかりする可能性も高く、念のため私のほうでも遺影を作っておきました。

目に光を入れ、急激に痩せたことによってできた頬骨の濃い影と顎の不自然な皺を薄めました。

自分的には結構いいデキですo(^-^)o
亡くなる5日前の姿には見えません。
口が半開きだと思いましたが、逆に今にも声が聞こえてきそうな感じに見えました。

「これならいいよ。あの写真がこんなふうになるなんてお前もたいしたもんだね」
何となく微笑んだ顔がそう言ってくれてるような気がしました。

父がそばにいます 

July 11 [Wed], 2007, 9:24
こんなことを書くと、ちょっとイタイ子に見えるかもしれませんが・・・

今父がすぐそばにいる気がしています。
というか、間違いなくそばにいます。
というかもしかしたら一体化??

実は帰る車の中で、私が全然好きじゃない父の好物の
あま〜いスポンジ系のお菓子がどうしても食べたくなり、
さらにはこんな朝なのにどうしてもビールが飲みたくなったのです。

ここのところ、私はビールをほとんど飲んでいませんでした。
むしろ苦くてあまり飲みたくないと思うようになっていたほどです。

それなのに
好きじゃないというかむしろ嫌いな甘い甘いスポンジ菓子と
早朝かつ最近飲みたいとも思わないビールがどうしても欲しくなったのは
きっと父が私の体を通じて味わいたいんだな、と。

そうだよね。
旅行行った時もビール飲みたかったのに全然喉を通らなかったんだもんね。
たくさん食べたいものあったのに、
全然種類も量も食べれなくてさみしかったんだもんね。

父が亡くなった朝にビールを飲むなんて不謹慎ですが、
これから父の写真とおしゃべりしながらビール飲みます。
おつまみに甘いお菓子なんて、結構自分的にはいやなんだけど・・・
お父さん、もうちょっと私の嗜好も考慮してよぅ(^_^;)

父が天国へと(後編) 

July 11 [Wed], 2007, 9:01
20時40分。
いとこの兄さんが到着。
父は苦しそうに呼吸をしています。
でも時折、握っていた手から握り返す力がありました。
きっと大丈夫。

21時。
言葉では言い表せないのですが・・・
なぜか急に心臓が止まったような錯覚に襲われ、モニターが見える位置のいとこに
「モニター見て!!!脈、打ってる??」と叫びました。
みんな驚いてモニターを見ると、普通に69です。
確かに「ピ・ピ・ピ」と鳴っていました。
自分が突然叫んだことに恥ずかしさを感じた瞬間、
急に脈の表示が32そして急落していきました。
あわててナースコールをしようと思った時、ナースステーションでモニタを見ていた看護師が飛び込んできました。

21時2分。
心臓が停止。
母といとこと三人で一生懸命父に呼びかけましたが、反応はなく。

私はとにかく泣き崩れてしまい、病院の方々に迷惑をかけてしまいました。
しばらく泣きやむことができずに、大声でわんわんないていました。

泣き疲れて呆然としながら、ふとモニタ見ると時折脳波・脈が振れます。
体をさすってみたり、声をかけると微妙ですがほんの少し、あのモニタに変化がでます。
もう呼吸もしていないのに。
だから懸命に話しかけたり、体をさすっていました。
時折心臓が数回動いてはまた止まります。

22時10分。
弟がようやくやってきました。
まだ時折心臓が動きます。父は一生懸命待っていたのだと思います。
心臓が時々でも動いている間は、死亡の判定はしないとのことです。
こんな状態でも、まだ体が生ぬるい体温を持っている時間がどれほど貴重に思えたか。

そして10時50分。
私は病室のドアが開いた音を聞き、顔をあげました。
とうとう先生が死亡の判断をしに来たんだ・・・
横にいた親戚のおばさんも私と同じタイミングでドアを向いて。。。
ところが誰もいません。
でもその時誰かがドアを開けたんです。
二人ともはっきりと聞こえました。

でもその瞬間私は
「もう心臓も脳波も何の反応も示さないだろう」と意味もなく確信しました。
父が肉体から出て、外に飛び出ていったように思えたのです。

それから数分、やはり体をさすったり話しかけてみましたが、脈はゼロを示したまま。
まっすぐな線だけがモニターに示されたまま10分間がすぎました。

23時2分。
医師が部屋にやってきて、死亡の確認をとり
23時5分。
父が他界しました。

とてもやすらかで微笑んでいるようなおだやかな顔をしていました。
でも少し涙がにじんでいました。
危篤の状態から約1時間。
私たちが父の死という恐怖と向き合う時間もなくあっという間でした。
こんな弱虫の私たちのことを心配してくれたのかもしれません。
けれど、最期苦しくないと意思表示してくれたのが私たちの救いです。


霊安室でもやはり私は泣き崩れてしまいました。
母と弟が、実家の部屋を整えるために一度帰宅。
私は父と二人霊安室で約1時間、お話していました。

当然もう動くことのない父ですが、
なんとなく白い布の下の体が呼吸をしているように見えました。
父の声が聞こえてきたりしました。
これは私の錯覚なのだと思います。
でもすごく優しい父の声でした。

そして父と実家に一緒に帰りました。
寝かせてあげると、父がそこで血を吐きました。
もう生きていないはずなのに・・・

どんどん冷たくなっていく父と朝6時まで、妄想おしゃべりをして過ごし、
先ほどなんとか無事に川越に帰ってきました。

本当にいい父でした。
父は私の誇りです。どうしようもないくらい大好きでした。
ふとした瞬間に何度も号泣しますが、不思議と父が生前よりもそばにいる気がします。

父のエピソードは、読む人が面倒になるほどこれからアップしようと思ってます。
結構うざいかもしれません。
でもいいんです。自己満足で。
ほそぼそと全世界に向けて父の自慢をしていくつもりです。

生まれ変わってもまた父の娘になりたい。
本当にありがとう。

くどくどと長い文を最後まで読んでくださってありがとうございました。

父が天国へと旅立ちました(前篇) 

July 11 [Wed], 2007, 8:51

とうとう父が天国へと旅立ってしまいました。
入院からちょうど1か月。
なんて正確な余命の診断だったのだろうと皮肉に思います。

昨日、父が機嫌が悪くどうにも手のつけられない状態だったので
どんな嘘をついてこれから治っていくかを説得するかドキドキしていました。
6時半くらいに父に会いに行くとメールを送り、
さらに電話で話すと、その前日とうってかわって不機嫌な様子はありません。
ちょっと具合が良くないらしく、元気がない感じでした。

父は初めて酸素マスクをして意識がもうろうとしていました。
痰の吸引が苦しくて「苦しい・嫌だ」と。
マスクも嫌で何度も自分ではずしてしまいます。

まばたきをあまりせず、私のことが見えているか不安でしたが、
とりあえず認識し、言葉をかけると反応していました。

19時40分。
看護師さんがとりあえず1時間くらい様子を見ると言って退出。
さっき電話に出るほどだったし、おそらくモルヒネ系の痛み止めで
意識がもうろうとしているだけだと思った程度でした。
朝から何も食べていなかったので、コンビニカップラーメンを買い
外のベンチで食べました。
父が食べ物のにおいで気持ち悪くなってしまうのではないかと思ったからです。

20時5分。
食事を済ませ、心を落ち着かせて病室に戻ると、
医師が先ほど来て
「今夜がヤマかもしれない」
と告げられたことを聞きました。
痛み止めによってもうろうとしているわけではなかったのです。

脈拍・脳波などが「ピ・ピ・ピ」と出る、あのモニタが取り付けられました。
この時点でようやく私はもう時間がないことを認識。
でも医師の「今夜がヤマ」という言葉とは相反して、
あと3日〜5日くらいという感覚でしかありませんでした。

父の体温はどんどん下がっていきます。
母と父の手を握ってさすって一生懸命温めていました。
父はもう話しかけてもあまり反応はありません。
ただ、
「苦しい?痛い?」
の問いかけに、しっかりと首を横に振ってNoの反応が返ってきました。
「面倒だから答えたくない?」
の問いかけには首を縦に振ってYesの反応。
苦しくないけど、答えるのが面倒くさいんだ。。。とちょっと安心。
父は具合が悪いといつも
「めんどくさいから、誰とも話したくない」的発言を繰り返していたからです。

(後編へ続く)

告知について 

July 10 [Tue], 2007, 1:18
父が入院し余命1か月と宣告されて、母・弟とも話し合い
「ガンも余命も告知しない」と決めました。

でも。。。
少しばかり心に引っ掛かっています。

今日父が病院で大騒ぎしていたのは、病気がなかなか治らないことに対するジレンマ。
だんだん良くなっていると先週あたり本人が実感していたのですが、
今週に入るとお腹に水はたまるは、気持ち悪いは・・・

入院当初から抗がん剤の治療をしたところで手遅れというのは、
お医者様から聞かされていた話なので、ガンに対する治療を一切行わないという選択をしました。
なので、現在痛み止めの薬とブドウ糖の点滴がメインです。

父はこんなに入院が長引いて、
さらに治療らしい治療をしていないと入院先の病院を非難。
もっと治療をしてくれる病院を探すと豪語しています。

うすうすそれほど時間がないことは察知しているようですが、自分の中では半年〜一年かそれ以上。
ようするに今この状態で、ゆっくりと安静にし治療をすれば穏やかに回復するものだと思っています。
だから治療してくれる病院に移りたいと。

母の意見は結局また検査検査の毎日。
ましてやこの時点で抗がん剤を始めたとして、余計な痛みや苦しみが増すばかりじゃないかと。

現実的に考えれば、そのとおりです。
このままもう少し強い痛み止めを使ってもらい、苦しみを軽減するのが一番かもしれません。

でも。
当然ですが、父はもう少し生きていたいんだと。
もう少し長く生きるために、何とか病気を治したくて選択肢を探しています。

でも、もう治ることはありません。
余命があとほんのわずかということは、どうすることもできない現実です。
私たち家族は本人に教えないと決めたのですが、この選択は間違っているのでしょうか?
本人に余計な精神的苦しみを与えたくないがためにそうしようと決めたのですが、
今私の中ではぐらぐらと考えが揺れています。

私だったらどうしたい??知りたい?知りたくない?
と考えてみたところで、全然ぴんと来ずにどうしたいかわかりませんでした。

ものの数分で完食 

July 10 [Tue], 2007, 0:02
さっきのブログをUPしてから食べ始めたのに、もう食べ終わってしまいました。

家で食べるカレーみたいで美味しかった。
最近セブンイレブンのこだわりカレーを食べたけど、3口目くらいから味に飽きちゃってしまって食べきれないことばかりだったのに。ここのはペロっと食べきりました。
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