気田森林鉄道 第4次探索C【最終回】

March 14 [Wed], 2012, 1:16


ひとまず行ける場所まで行かねばなるまい。
股ぐらがスースーする感覚を味わいながら山側の崖に張り付いた。


まにゃは抱っこしなくて大丈夫だよね!?



     ういしょ・・・

              ういしょ・・・






カニ歩きの難所は5メートルにて終了。
先には再び平穏な路盤が残っていてくれた。

もとより難所の向こうにある程度平穏な路盤が見えなければ、最初っから挑む事はしなかった・・・と思う。



それでも願わくば、こんな場所は二度と通りたくない。
そもそも徒渉地点に靴をを含めて荷物を置いてこなかったのは、帰途は別の徒渉地点考えていた為。

危険をはらんだ場所は片道で満腹。
この先に河原へと下れそうな斜面があるならば、迷わずそこを下ろうと考えていた。






ここに再び出現。
黒焦げた木片。






そしてこちらも再発見。

紛れも無く枕木



こちらの枕木が回収されなかった理由は、固定を外す際に折れてしまったからかも知れない。
以前見つけた橋側の枕木が全身残っていたのと比べて、こちらは全体の3分の2が失われていた。



(心の声)
この大きさなら持って帰れるかもな。

そのままにしてあります、ハイ






ここは対岸を走る県道からも隔離された、逃げ場所の無い崖の中腹。


結局私が第4次探索で辿れた軌道跡の全長は、200メートルにも満たない短い区間であった。






嫌〜な予感がするワン








そりゃあここまで崩れちゃ、戦意は喪失すんよ。


一目見て 無 理 
命を懸ける場所では無い



私は認めざるを得なかった。

「気田林鉄、その懐に飛び込めば、
この先にも必ず崩落地に遭遇する事となるだろう。」

と。




・・・帰ろう

我々は不完全燃焼な気持ちを抱えたまま、結局は最初登ってきた場所まで戻って行った。




最後に、



再び対岸から。
今度は撤退した崩落地を臨む。


軌道跡で決断したように、この崩落地は厳しい、無理。
そんな思いを新たにする。



それにしても幅20メートル。
全ての路盤が跡形も無く、水中に没したのだろうか。

崩落の左、コンクリートの遺構は橋台を思い起こさせる。
ここも桟橋を通っていたかも。
一瞬浮かんだそんな仮説は、可能性として相当低いと考えられる。

それは落ちた橋桁、右側の橋台が見当たらない事、そして左の橋台と考えられたコンクリート遺構の構造にある。






拡大。

私が崩落地を見下ろしたまさに撤退の場所の真下。
まさか穴までを完備してようとは。。。


こう言った簡単に入れなさそうな穴はぜひ攻略したいと言う個人的な感想は置いておいて、穴の正体は暗渠と考えられる。

橋台に暗渠が貫通している姿はやはり想像できない気がする。


但し、暗渠の奥の斜面には沢、もしくは雨が降れば湿らすような水無沢があったはずだが、現在確認できない。
それ程までに地形が変わっているのだけど、もし穴に入ることが出来るならばこの疑問は解決できるだろう。


いずれにしても路盤があったなら、補強していた石垣の姿が見当たらないのも謎である。
この辺りは再訪時、もしくは泳ぐと言う選択肢を採用した際には解明したいものだ。









              ・・・・・完・・・・・

気田森林鉄道 第4次探索B

February 25 [Sat], 2012, 20:14


まもなく軌道跡はへと進路を採用。

この時点では現在我々が歩く場所が橋の上だと分かっていても、まさかこんな美橋が気田林鉄に残っていようとは思ってもみなかった。


今話では、基本橋の先へと進まないのでヨロシク(笑)






まにゃの頭が千切れてる


この橋、気田川の本流や支流を渡るものでは無く、言うなれば桟橋。
後々別角度よりこの橋を考察したいと思うけれど、左手、山側は岩盤となっている。
とても陸地に道を求める事が厳しい地形。


軌道に積もる岩石は、上部の斜面から降り積もったもの。
それ程までに陸地と橋との距離は近い。
部分部分では橋の上から手を伸ばせば岩盤に届いてしまいそうだ。


もしも巨大な岩が落ちてきたら、橋は呆気無く崩落してしまうだろう。
橋の前後も含めて、路盤に堆積した落石がそんなに大きくない事が見事幸いしている。


橋の上は散らばった岩石も含めて、まるで箱庭の様。
極めて低い植物の密度が、他の場所とは違う独特の景色を構成す。

それでも細いながらも木が成長する姿に、林鉄廃止後の50年余年の歳月の経過を感じた。







橋の上から気田川を覗き込む。


見るからに淀んでいる。
この辺り、気田川の流れは左にカーブし、右岸の崖の縁に深い水溜りを作って緩く流れる。


夏ならば恰好のジャンプ台として飛び込みたい衝動に駆られるだろうが、水面の下には大量の岩石が堆積していること必至。

ここはどうやら自殺の名所にはなりえても、遊び場には適さないようだ。
ちなみに対岸には2軒民家(別荘?)があって、言葉が不謹慎だったかも知れない。

・・・すまんm(。≧Д≦。)m






こちらは崖側。
思わず落ちる場面を想像してしまうような裂け目こそ、軌道跡が岩盤との争いを避けた距離である。



気田林鉄を辿り始めた頃に浮かんだ疑問、

「どうして県道は軌道跡を再利用しないで敢えて対岸に造られたのだろう。」

軌道跡に何度も通った今となっては、どちらの岸に道を伸ばしても、管理に相当の手間が掛かる事だけは骨身に沁みて分かる。






この橋、アーチだけで構成されている訳では無く、上流側に小さなコンクリートの桁橋が連なっている。
アーチ橋とコンクリート桁橋は斜めに接続しているのだけど、これも2スパンと言えるのだろうか。


アーチ橋は、桁橋と比較し、長い距離を橋脚無しで結ぶことに長けている。
その特徴を示すように、アーチ橋の長さは25〜30メートル、桁橋の方は8メートル前後と言った所か。


そして両橋とも親柱、銘板等の意匠は見られず。
現地からは橋梁に関する情報は得る事が出来なかった。



尚、如何せん橋上は面積が狭く、苦心しながらの撮影になっていることをお詫びしたい。
ここでは身体的、精神的な自由が利かない。






橋はここで1スパン終了。


どうやら岩盤の突き出た場所をコンクリートで補強しながら橋脚として利用しているようだ。




進路が右に曲がった事で、ここで振り返って初めて、我々がどんな橋を渡って来たのかが分かった。









あぁぁぁぁ

来て良かった。




それは気田林鉄の代表的な遺構、仙郷橋にも劣らぬ甘美な廃である。


軌道が描くカーブ、その下のアーチ。
色、汚れ、周りの風景とのマッチング。

自分のささやかな探索人生の中で、また忘れる事が無いだろう景色に出会ってしまった。
そんな絶える事無く湧き出す想いに、私は長い時間このアングルから視線を外せずにいた。



ちなみに仙郷橋は県の土木遺産に認定されている。
下の写真ならばもっと分かり易いと思うが、型としては仙郷橋と殆ど同じである。

個人的にはこの橋梁群も、仙郷橋と同等の価値があると考える。
そんな橋を予めの情報無く、足跡を残せた事は大変喜ばしい。


ちなみに以前載せた動画もこの場所から撮影したものだが、あちらは帰途に撮影を行った。




さて順番は入れ替わるけれど、ものはついで、別視点からこの橋梁を観察しよう。





対岸からの写真を2つ。



上から眺めても美しいものは、やっぱり横から見ても美しい


実は県道からも、注視すればこのアーチの勇姿を覗く事ができるようだ。
今まで何度も県道を通ったのに気付かなかった私が言うのもなんだけれど、対岸に目をやれば遺構は結構眠っている。


夏にでも許されるならば、泳いでアーチを下から観察したい。
密かに私の今夏の楽しみである。





ではでは軌道跡に戻って、橋の先へ・・・って



いよいよ来ちゃったよ・・・

カニ歩きゾーン


路盤は一気に狭まり、いよいよ気田の神々は革靴を回収できなかった我々への怒りを示し始めた。



次 回 私 は 確 信 に 至 る 。

気田林鉄の軌道跡は無数の崩落を繰り返してるのだと。




気田森林鉄道 第4次探索C【最終回】へ続く

気田森林鉄道 第4次探索A

February 23 [Thu], 2012, 21:05
上路式のコンクリートガーター橋を綱渡りの要領で渡り終えた我々に、気田林鉄はささやかなご褒美を用意してくれた。





初 枕 木  G E T !!


残念ながらレールこそ残っていなかったが、橋の袂に一本枕木だけが横たわっていた。
この1本だけが回収されなかった理由は定かでは無いけれど、川側の固定箇所(犬釘の一種?)がコンクリートに直接接着されていたので、取り外し出来なかったのかも知れない。


そのお陰で、路肩を補強する石垣はずれ落ちていても、枕木に接着した周辺部だけが残っていて、その部分はまるで宙に浮いているようにすら感じられるアンバランスさだ。






実は河原から、軌道跡に向かって草履を投げていた。

草履発見。
写真中では小さくて分かりづらいけど、石垣のブロックと保った路盤の間の裂け目に落ちている。


せこせこと回収






肝心の先の状態だけど、やっぱり アト 

路盤が全て崩落してる。


しんどいとは言え、一度徒渉を経験した身。
冬の徒渉の大体の辛さは分かったし、下流側の探索は再び何処かに徒渉ポイントを見つけた方が良さそうだ。

我々は雑木の中足掻きもそこそこに、橋を渡り直して今度は上流側に進路を採った。








ここからは上流側を目指す。

川側の路盤が多少削られてるとして、それでも只歩くには十分な幅が保たれている。
下流側のような決定的な崩落がすぐさま起きていないことを願いながら、半分ビクビクしながら進む。


写真の右
空が眩しく輝くのは、直下に広がる気田川の流れが深くエメラルドグリーンに淀んだものが反射している為。

川面までの高さは5〜10メートル。
この先はずっと川と山に挟まれた崖道が続いていく。







この区間のイメージはまさしく写真の通り。

崖道。

個人的には大好物な景色。


但し、眼前に立ちはだかるのは、まにゃの数倍サイズの岩。
あんなもんが直撃したら一溜まりも無い。


そして、

苔生して緑がかったのり面に一箇所塗られた赤ペンキ。
その下には、久し振りに出会った赤く塗られたコンクリート杭が佇んでいた。

一瞬ニヤリと顔を緩めて通り過ぎる。






しばし後、崩落が私の足を止めた。
それでもこれ位の崩落地ならばいつも通り、、、

越えられ・・・ない!!



あれ、何故、どうして!?
いつもと違う足の感覚。


理由は、革靴が積もった土砂上では踏ん張りが一切利かない点にあった。
つまりは抵抗無く斜面を滑り落ちてしまう








しまった。

どうしよう。


良く見てみればこの革靴、履き続けて、裏は凹凸無くツルッツル〜
確かにこれじゃあ、滑って下さいと言ってるようなもの。


咄嗟に手に持った草履に履き替えて、この崩落を乗り越える事となった。

その際、まにゃを抱く代わりに革靴を崩落の向こうに投げたのだけど、その片方の革靴のバウンドが不本意だった。





ひぃ〜(汗)






とにかく崩落を越えた。

さて靴はいずこ






あった・・・


            





・・・届かない。


自然を汚してごめんなさい。
色々試したんだけど、革靴、回収不可能でした






こんもりと路盤上に出来た落土の丘を越えて我々は踏み出す。

岩盤の屏風に弧を描く崇高なアーチ上へと。





気田森林鉄道 第4次探索Bへ続く

気田森林鉄道 第4次探索@

February 21 [Tue], 2012, 0:09
ギブスも小さくなったので、これにて復活

復帰レポートは、皆様大好きな気田林鉄、第4次探索から。
以前、動画を載せたあの廃アーチ橋が出現する。


少し期間が開いたので、探索の流れを振り返ってみよう。


第3次探索。

森山トンネルの下流側から数十メートルの距離にて撤退
そこは軌道がどこを走っていたかも分からないような崩落ぶりであった。

先へ進む為には、純粋に軌道跡を辿っても無理。
気田川を渡渉する必要がどうしても生まれてしまった。

で、あの悶絶徒渉の動画へ。
ここまでが既にブログに公開した内容である。




徒渉した事実は、既に公開済。

よって、
「じゃあ、どこを渡ったの?」

そんな説明に移るのだけど、私の中では徒渉ポイントとして幾つか条件を考えていた。

@水深の浅い場所・・・出来るだけ衣服を濡らしたくない。
A流れの穏やかな場所・・・足を掬われたくない。
B向こう岸、軌道跡まで登る事が出来る場所・・・当然。

そして最後の条件
Cなるべく撤退したポイントに近い場所

@〜Bまでは敢えて説明する必要も無いだろう。
Cは目的地である気田川と石切川の合流地点付近を徒渉すれば、目的達成は担保される。

それでも本来の作戦だった軌道跡をひたすら辿って目的地を獲る。
その本来の作戦が絶たれた現在、なるべくでも軌道跡を辿って踏破しながらと言うのが、私のささやかな願いであった。



とにかく徒渉に選んだ場所がコチラ。

                    








写真はまだ悶絶前w
対岸から軌道跡を撮影したもの。



写真では川幅が狭く見える気田川も、こんな場所は渡れない。
川面が白く泡立つのは、流れの荒い証拠。
水深も腰くらいまでありそうだし。






なんやかんやで、 対 岸 到 達 


この廃橋を目印に徒渉した。
橋の袂ならば、軌道跡まで登れるんじゃないかと。

もちろんここからが探索の本番なんだけど、ここで3分程悶絶。
まにゃが不思議そうにそんな私を眺めていた。

冬の徒渉は寿命縮めます、ホントに。



当時履いていた草履を脱ぎ捨て、革靴に履き替えた。

・・・革靴!?

いやはや、こんな馬鹿をしているから怪我するんだとお叱りを受けそうだが、この日は故あって草履と革靴しか持ち合わせていなかった。
後に、この事がプチトラブルを起こしていく。






革靴のまま橋を潜って、沢を少し遡って来た。


えっ!?

軌道跡復帰しないのって??



うっしっし。

橋の下から見えちゃったんだよね〜








滝が


カメラマンの腕の問題で、 御免。

滝自体は文句無しに、素晴らしい!!


写真では上段が見え辛いけれど、2段になって圧倒的な高さから落ちてくる。
その落差30メートルほど。


滝壺らしい滝壺は無い。
まるでドームの底のような私がいる場所を目指して、水流は岩壁に羽衣を垂らすような格好でシャーシャーと音を発てて滑り落ちていた。



この滝、林鉄の車窓からも見えたはずだし、多分名前はあるのだろう。
私はその名を知る事は出来なかったが・・・






さぁ、河原に放置したままだったまにゃを担ぎ上げて、軌道跡に復帰しよう。


かつて誰かが我々と同じようにここから軌道跡へ行き来したのか、薄いながら沢からスロープ状の踏み跡が伸びていた。








お久し振り、軌道跡ちゃん。


こちらは上流側。
見える限りにおいては、大丈夫、辿れそうだ。

この先を500メートルくらいかな、進んで行けば、かつて我々を追い返した森山トンネル傍の崩落箇所がある。





そして振り向けば、、、



こっちは当然ながら下流側。


あぁぁぁぁ、

橋が「渡って〜」って語りかけて来る・・・


長さ5メートル。
大地の裂け目に架けられた2本のコンクリート桁橋。
かつてここを通った大量の木材を積んだディーゼル機関車の重さにも耐え続けたその誇り。
(ちなみに気田林鉄の動力。
開通当初はガソリンエンジンを使用していたが、途中よりディーゼルエンジンに変わったらしい。)


本当ならば、先に上流側を崩落箇所まで戻ってから下流側に挑むのが筋だろうけど、もう我慢できない

先に目的地目指して橋を渡ってしまおう。



橋とは直接関係無いのだけど、写真の左端、剥がれるようにずれ落ちた石垣の表面がベリーシュール。






先に下流側を選んだ理由。
もう一つに橋の向こうの景色があった。


対岸、道、無くない

下流側へ進めないならば、おのずと進路は上流側へと移行する。
状況を確認したい衝動が、私を支配した。



まにゃ、抱っこする?

自分で渡る??






もちろん、まにゃは抱っこ。


底の磨り減った革靴で橋を渡る私。
コンクリートとの接合面が滑るのが嫌らしい。
ずり足のへっぴり腰、カニ歩きのスタイル。


沢を埋める頭大の岩石を、絶妙な恐怖感を含む高さで見下ろしながら、15秒ほどで渡り終える。



いざ行かん。

廃ものねだり、第2章へ。




気田森林鉄道 第4次探索Aへ続く

気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間G【最終回】

January 19 [Thu], 2012, 3:39








ヨシさんがワンコに!?


んな訳なくて、

ここからは予告通り、まにゃ復帰の第3次探索の模様をお伝え。



雨の中で撤退を決断した前話。
あれから一週間。

思えば仕事中も、風呂に浸かっていても、布団に入って睡魔に意識を飛ばされるまでの時間ですら、私は軌道跡の未だ見ぬ先の風景に想像を膨らませていた。



トンネル、橋はあるだろうか。
線路なんて残っていたら激アツだな。
せめて枕木でも残っていれば・・・

ある意味、空想に耽る少女のように、私は一週間を過ごした。



そして次の土曜日来たる。

今までも第3次探索の写真をメインに掲載していたので、ここまで特に新しく追記する説明は無い。
それでも探索当日は、先週雨だった分をも取り戻すような絶好の探索日和。

まにゃを抱えながら、急峻な斜面を下ることに苦労はあったものの、晴れやかな気分のままで再び森山トンネル南側の坑口を訪れた。
そう言えば、猟犬とのエピソードもあったっけ。


以下に真っ暗な地の底の動画を貼り付け。
大したこと無い動画です(汗)





すぐ先には、一週間前、ヨシさんと私が己の身を翻した撤退地点がある。
今話のレポートは、そこからスタート。




ただ一つ。

第2・3次の探索をお届けしたレポートは、タイトルにあるように、
今回を以って最終回

新展開が始まったばかりなのに、最終回とはこれ如何に。
と、疑念を持たれてしまいそうだが、お察しの通りである。



終着点は案外近かった






早速だが、路盤は跡形も無くなってしまう。


軌道跡は土砂に埋没したか、それとも川にさらわれたか。
予想するまでも無く、多分後者が正解だろう。


まさに、ちょうどこの斜面は、大きく蛇行する気田川の水が山にぶつかり、土砂をえぐる場所である。
今この瞬間にだって、雄大な自然同士のしのぎ合いが続いているはずだ。

更に廃線より50余年と言う膨大な時間の流れは、微塵の地形を保つことすら許さなかった。
気田林鉄の他区間で良く見かける赤くペイントされたコンクリート柱を、森山トンネルの先、私が撤退するまでの区間に見つけることは出来なかった事実も、
私はコンクリート柱ごと地面が削られ気田川に落ちたと認識している。



前話で遠望した200メートル先、石垣の上の平穏な軌道。

たった200メートル。
されどその200メートルが、ここでは無慈悲なほどに遠く感じられた。








切り取られた路盤を避けるように、進路はおのずと高度を上げて行く。


驚くべきなのは、ここにもか細いながら踏み跡があって、崩落を迂回している。
我々は踏み跡に導かれ、かつて軌道の上部に広がっていただろう森に居場所を求めていた。



見る見るうちに高低差を増していく川面を見てると、冗談抜きでクラックラッする。
結論ありきで探索内容を綴る訳ではないが、身体が限界に近いことを示していたのだろう。



左手側はバッサリ切れ落ち、一歩でも踏み外せば色んな意味でゲームオーバー。
なるべく右手側に寄って進路を見つけたいが、自然は私の都合に関せず、動作の自由が利く斜面の範囲は進むにつれて狭み続けた。


我々は、ギリギリのラインを慎重に歩く。
バランスの支えになる物は、枝、岩、地面、何でもこの手に掴む。

斜面の途中で足掻く私の姿は、まるでジェスチャーゲームかピエロが綱渡りをしている様でもあっただろう。
まことに以って、無様。



し、力。


略して、憎重






世界は斜め。


ここなら行ける。

と言うか、行けた。






ここも行ける。

但し、まにゃは既に自力歩行させられない。


担ぐ。










ハイ、降参します!!


悪化する一方の環境に、いよいよ私の心が折れてしまった。

人生はあきらめが肝心。
特に探索においては、余裕のあるうちに撤退が正解でしょ、と自己弁護。



とにかく当時は、膝ガクガク、足パンパン。
実はこの写真を撮ってる時には、手元にまにゃはいない。

崖の中腹に置いて来てしまった

・・・戻ると震えていたよね、ゴメン。



やはり軌道跡を2キロ永遠と辿るなんて、土台無理な話だった。
それが容易いことならば、とっくに誰かが攻略して、どっかに情報でも載ってるはず。


私の気田林鉄に対する認識が、まだまだ甘かった。
それを結論に、私はこの場所を背にする。




もうね。
気田林鉄から、来るなって言われてる気すらしたよ。

(´・ω・`) ショボーン


でもね、でもね。


私は腹を決めた。



気田川を渡る。

何とかして渡る。



それしか、私が気田林鉄に見せられる誠意は無いだろうし。




これにて第3次探索は終了。
これより、後日、もしくは帰途に寄った、森山トンネルの対岸からの視界と簡単な考察を掲載する。

ブログのスペース余っちゃったからね




                    




まず後日編。

崩落の向こう側、つまりは崩落の反対側(南側)の路盤を辿ることが出来た。

いずれその様子もレポートに公開しようと思うが、
その探索は第○次の○に、の数字が入る、まだまだ先の話である。


ただ、今回は反対側から眺めた崩落の惨状を公開してしまおうと思う。








あははは〜

もう笑うしかないっしょ。



だって、一目見て「お手上げ。」
我々は猿じゃ無いっす。

第3次探索で逆側より辿った際に、無理強いして進まずに良かった。
むしろ、もっと早くあきらめていても罪は無いよな。


こう言った開き直りは、皆様にとって見苦しいかも知れないけれど、
結局、この崩落地にどう挑んでも勝ち目が無かった事実は、多少気持ちを楽にしてくれた。




それにしても、本当にここには路盤があったのだろうか。

南側も、ここに至るまで路盤が続いている。
つまりは、写真の目線で軌道が通っていたはずなのである。

当然、長い桟橋の存在を疑いたくなるような地形だ。



それでも、ここには路盤があったことは確実だったと言える。
もちろんそれは、上記で触れた水流が川岸にぶつかる地形であること以外に、
この先の下流側の探索を通して、ここ以上の地形の変化が複数見受けられたことに因る。



恐るべし、気田林鉄。

究極の放置プレーが生んだ悲劇は、森山トンネルだけでは無かったようだ。






これはサービスショット。

第3次探索の帰途に写したもの。
私のお気にズボンのお尻は修正不可能に破れていた。



探索中、屈んだ拍子にビリッっと

この展開はホントへこむ。
傍から見れば、遭難者のような外見になってしまった。

私は敗北者ではあるけれど、遭難はしていないぞ。



普段、Tシャツ以外の着替えを絶対と言うほど用意しない私だが、
この日はたまたまクリーニングから戻ったスーツを持っていたので助かった。



気田林鉄よ。
必ず、いつかこの恨みを晴らしてやるからな〜
首を洗って待っていろ〜





最後に。



日付は前後するが、

第3次の帰途編。


森山トンネル南側坑口を、県道下の河原より撮影した写真があったので載せておく。


この日も乳白色に猛る気田川の向こう、滑り台のように川に落ち込む岩盤が連なっている。


岩盤の下部だけならば、傾斜も緩やかで登ることは可能に見える。
ただその上部は鼠返しとは言わないが、上に行くほど傾斜は垂直に近くなる。

ロッククライミングの技術や装備が無ければ、太刀打ち出来ないだろう。
まるで人をあざ笑っているかのような斜面だ。


それでは、軌道がどこを走っていたかを確認しよう





軌道跡に赤線を引いてみた。


ねっ 高いでしょ


路盤を失えば、足がすくむ。
その言い訳の為に、敢えて検証しまちた(汗)






強固な城を攻め込むつもりで眺める岩壁。

以前にも触れたが、ここより森山トンネルを攻める策は見つからず。
慣れない無理をしても、対岸の白い岩盤に赤い染みを作るのがオチであろう。


そして、
想像以上に対岸の軌道跡の様子は、木々に隠され、把握しづらい。


最初はなかなか森山トンネルの姿を捉えられなかったが、
根気強く軌道跡を目で追うことで、その行き着く先が見て取れた。






木陰の暗がり。

裸眼では確かに、コンクリートのポータル上部を僅かに捉えることが出来た。




この後、軌道跡を辿れなかった悔しさを紛らわすように、県道側の河原より対岸を覗めることに終始。



崩落で路盤の有無が怪しまれる箇所はあっても、

私の探索欲が萎むことは無かった。



行ってみたい。

これが当時の私の心理全て。
眺めれば眺めるほどに想いが募る



気田川の徒渉は夏に行った方が良い。
最低でも春まで待つべきだ。

釣りに使う腰までゴムに覆われた耐水用のズボンを購入すれば、
明日にでも徒渉できるんじゃないだろうか。


頭には、そんな作戦(妄想)が浮かんでは消え。
これよりしばらくの日々は、まるで学生時代、遠足のお菓子を選ぶような楽しさがあった。




結 局 、 私 が 選 ん だ 方 法 は 、 、 、 

                     





気田川に捨て身で飛び込む(笑)




そこは誰も知らない遠州 新・世・界 


新発見連発・連打の探索、

近々公開予定





            ・・・・・完・・・・・

気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間F

January 17 [Tue], 2012, 3:14


ザッ ザッ ザッ

洞床の砂利を踏む音だけが洞内に響く。

あれだけ外では耳を離さなかった忌々しい雨垂れの音は、入洞して暫く後に、自然とその気配を消していた。


それでもヨシさんと私、全身が救い様の無いほどにびしょ濡れだったからだろうか、
行き止まりのトンネルの奥と言えども、湿った空気が充満しているのを肌に感じていた。



私より早く崩落地点に到着していたヨシさん。
言葉を交わして確認せずとも、この先の惨状は手に持つライトによって浮かび上がる。

写真のヨシさんも、懐中電灯を側壁部に当てて森山トンネルの現在を把握しようと努めていたが、本当の恐怖は側壁では無くアーチ部に潜んでいた。






懐中電灯の明かりで照らしたその穴は、余りにも不気味で、
その存在に気付いた時は心臓が止まりそうになった。


私「ヨシさん、、、アレ」

私が懐中電灯をヨシさんの真上に当てる。


ヨシさん「うぉぉぉぉ」



ヨシさんが驚くのも無理は無い。


皆様も想像して欲しい。
穴の奥底、トンネルを殺した崩落点に対面する自らの真上に、






こう言った穴や・・・






こう言った穴が、散漫していたなら。
そりゃ、心臓が止まりそうになるよ。

現地、もっと暗いもん




大袈裟と罵られそうだが、仄かな明かりで見たこれらの穴は、闇が奥でうごめくようで、直視するのに少しだけ時間が要った。



コンクリートがどうなれば、このような穴が開くのかは分からないし、私が初めて体験する状況だ。



その奥にある空洞を埋めていた土はどこへ行ったのだろう。

穴から落ちたのだろうか。
それとも、空洞は大崩落部と繋がっていて、そこに土は移動したのだろうか。


ともかく素人の私が分かることは、森山トンネルの閉塞点周辺は不安定で、さもすれば新たな崩落が巻き起こらんと言うことである。
ここに来て、森山トンネルの強度への不信感は決定的なものになった。




今から穴の真下に行って、閉塞点撮影しなきゃ。

私が黒ひげを危機一髪を飛ばす(この瞬間に崩落する)確立は、限り無く低いだろうけど、
この瞬間から、私の神経は眼前ではなく頭上へと敏感になった。






でも、行きますよ

せっかくここまで来たんだし。



もちろん崩落は大規模なもので、この先の空間を例外無しに埋めていた。
僅かな可能性を欲して、土砂とコンクリートの境目に貫通の光を探ったり、風の有無を確認したけれど、

めぼしい結果は得られず



ともかく微かな希望も断ち切る、逆に気持ち良いほどの土砂量、圧倒的な埋没感であった。






入口方向を振り返る。



この長さが現存する森山トンネルの全てである。
50〜60メートルと言ったところだろうか。



私が閉塞点で色々しているうちに、どうやらヨシさんは既にトンネルを出てしまったようだ。

・・・早いぞ、ヨシさん。
(私が遅過ぎる説が有力だが)






再び、ザーザーと滴下する雨の中へ


トンネル内部に劣らないくらい外も暗かったと、この写真を見ると思い知らされる。






一週間後の訪問において、同じ場所から撮影した写真がこちら。


天気のせいでもあるのだけど、心なしか紅葉がこの一週間で大幅に散ってしまった印象を受ける。




ちなみに森山トンネルの崩落は、かつて気田林鉄で運転手をされていた方も存じていなかった。
更に、私が伺った気田林鉄の情報を持ってらっしゃる方は、森山トンネルの存在自体を忘れているようであった。

廃線より50年余り。
彼らはもう高齢になっていてある意味仕方ないことだが、
気田林鉄の廃トンネルと言う最高の肩書きを持っていながらも、我々オブローダーにとって余り情報すら持てなかった森山トンネル。

その浮かばれない不運に、言葉が詰まりそうになる。






そして予告していた通りに、デジカメはこの直後、、、壊れた



当時は、この時点でレポート化断念か、再訪問を行うしかないと決定。

「これ以上軌道跡を進んでも、写真は撮れず。」
その事実は非常に痛い



ただ再訪問を選ぶなら二度手間なると分かっていても、先に進みたい、諦めきれない心情も、理解して貰えるだろうか。
ここで過ごす時間がどれだけ特別なものなのかを、あの日の私は分かっていた。。。


尚、この後の写真は、全て第3次の再訪問時のものであることを告げておく。
合同調査と謳ったレポートも、ヨシさんの姿を捉えた写真がトンネル内だけだったのは正直心残りだ。






この先、気田川は左へと大きく蛇行。
樹木の薄い場所から、先の様子が見て取れる。






で、上の写真の一部を拡大


200メートルほど先。
川面より高く積まれた石垣を拝む。


多分、あそこまで行ければ、ある程度の平穏を手にすることが出来るのではないだろうか。
そんな希望が、我々の重い足をかろうじて持ち上げる。






そう言った希望を持つのも、この辺りの路盤が危・う・いから
以前少し触れたように、路盤の半分は切れ落ち、前進にまごつく斜面だ。


雨によって融通の利かない斜面に、トンネルからほんの少しだけ進んだ場所、ヨシさんと私は音を上げた。


即決だった。


「帰りますか?」

「そうしましょう。」



トンネルを攻略した幸福感を胸に秘め、我々は来た道を戻る。

帰途も、ヨシさんに距離を開けられた崖登りだったことは書いておこう(笑)



さぁ、次話より、まにゃ再登場




気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間G【最終回】へ続く

気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間E

January 12 [Thu], 2012, 1:52





斜面のうち、一番岩の含有が多いポイントに坑口は開けられている。
そのせいもあってか、ガレた場所が多い中、坑口前は思ったよりも荒れていない印象。

場所的には、東西に長く伸びる鞍部の最西地点、その真下。
これより気田川の流れが西から南へと方向を変えるので、軌道は出来得る限りカーブを伴わず気田川の蛇行に沿って行こうと考えたのだろう。



坑門は、前話で触れたように至ってシンプル。
崩壊していた北側の坑門と同じようなデザインと考えられる。

強いて言えば、胸壁から斜めに突き出した小さな掘割りの役目を果たすコンクリート壁が、特徴と言えば特徴か。


ともかく私が初めて拝見した、林鉄トンネル。
到着までの苦労を加えても、この眺めに飽きることは無い。



それにしても、門番役のような枯れ木は何だろう?
自立しているのか、地面に突き刺さっているのか。

坑口前のスペースも限られていたし、撮影をすれば、どの写真も同じようなアングルで坑口前に立ち塞ぐ枯れ木のスタイルになってしまった






前話の最後で、雨宿りって綴っちゃったけど、内部の侵入は少し待ってね



実は意外にこの場所、対岸の県道に設置されたガードレールが鮮明に見渡せる。

つまりは、県道からも見える位置にあるはずなのだ。



後日、対岸の県道よりトンネルが見えるものなのかを確認したが、
河原に下りて目を凝らせば、トンネルの上半分くらいを覗くことが出来る程度であった。

県道上からも探せば見えるものかも知れない。
が、坑門は上手く山に同化し、見つけづらいとは思う。



これを聞いて、気田川を渡れば楽にトンネルまで辿り着けるのではないかとお思いの読者様もいるだろう。
私もその作戦を実行して再訪問をしようとした質だが、

現実は甘くない



トンネル直下は10メートルほどの切り立った崖になっていて、人間が取り付く隙は無かった。


だからこそ言える。

「森山トンネルは孤高だ!!」

と。






暗い写真で申し訳ない(。-人-。)


もちろんこの先も軌道の路盤は続く。
もとえ、正確には続くように思われると言う表現が正しい。


数話後には、同じ場所を写した明るい写真をお見せするが、ここから眺める範囲で路盤は半分切り取られ、所謂死に体となっている。


一応ヨシさんにも、「この先も行ってみたいな〜」とほのめかしたおいたので、
トンネル内部を観察した後には、可能な限り行ってみる予定なつもり



・・・それにしても、去年(2011)の紅葉、遅かったな。
(第2時探索は12月3日)






「masakiさん、これ。」

ヨシさんが、また何かを見つけたようだ。



坑口の目の前、写真の通り、廃道名物割れ欠けの皿
しかも今回は大皿だ。

裏には、六角形のダビデの星マーク(正三角形を上下に2つ組み合わせた形)に似た刻印がされてあるが、一体いつの時代のものだろうか。

そして気になるお値段は?



こっ、これは、

「捨てられた場所柄、
誰かが廃トンネルをつまみに大宴会でも行ったとしか思えない



そんなコナンの明智小五郎ばりの推理が浮かんだが、ヨシさんに言えば、鼻で笑われるに違いない。
こっそり内に秘めとこう(笑)


お皿はもちろん、元あった場所へとそっと返しておいた






お待ちかね。

そろそろ内部へ


この写真、何と言ってもヨシさん、初登場

ヨシさんも興奮を隠せないようで、携帯のカメラでトンネル内を何度も撮影。
互いのペースで、廃トンネルを満喫す。


それにしても、全般を通してヨシさんにおんぶに抱っこだった、この探索。
写真のように、ヨシさんの雨に順応した装備に対して、私はジーパンに安物ガウン(笑)
雨に濡れて重いっす。
更に、片手はコンビニ袋。

おまけに懐中電灯まで忘れて、ヨシさんの予備のものを借りる羽目に。


 ※注意
貴方が見てるブログの主は、こんなカスです。
皆様は人様の迷惑を掛ける大人にはなるのはやめましょう






コンクリートで巻き立てられた坑内。


林鉄のトンネルで良く見掛ける様な、両坑口周辺のみが補強されている訳でもなく、結果的にも内部は全てコンクリートによって覆われていた。


閉塞は確定しているので、もちろん出口の光は見えず。
崩落は1箇所とは限らない。
閉塞点は10メートル先か、100メートル先か。

ただそれを確かめる作業。

一歩を刻む度、写真撮影を繰り返す私に対して、ここでもヨシさんが先行する。










入洞してから、然程距離を歩いていない場所。
左側の壁に小さな穴が開いている

高さ的には、人間の腰辺り。
穴の形状からして、何かを差し込んでいたとも考えられたが、どうやら普通にコンクリートが崩れて開いた穴のようだ。
指数本が入るサイズだが、懐中電灯を当てた先、どうやら壁の向こうにも空洞がある模様。

余り見たことが無い崩落の仕方故に、少々気持ち悪さが残った。








果てなく臨む馬蹄型の空洞。

馬蹄型は、鉄道トンネルではオーソドックスなタイプである。



見る限り、閉塞点まで、まだ暫しの猶予がありそう。。。




それにしても写真から分かるように、アーチ部のコンクリートが側壁と比較して、石灰でもぶちまけた様に白い

白化と言う現象だろうか。


こちらも家に帰っての調べた結果だが、白化(はっか)と読みは同じでも、こちらは白華と呼ばれる現象のようだ。

不均質なコンクリートを使用した場合、セメントから硫化塩や炭酸塩が溶け出して生成されるもののようだが、俗に言うコンクリート鍾乳石なんかも同じ反応に寄るものらしい。



白華はトンネル強度にも直接的な影響は無く、人体に悪害も無いらしいが、当時の私にとってそんな情報は知る由も無い。
トンネル内にて経験した不気味な出来事の1つとして、トンネル強度に対する不安への重大な伏線となった。




そう言えば敏感なまにゃは、
結局トンネルに入りたがらず、留守番だったな。。。








トンネル内は、一定の勾配で奥に向かって登っている。

どこからか侵入した雨水が、洞床を伝って、川のように私の前から後部へと流れ去る。



この1週間後に行われた第3次の探索では、見掛けなかった水流。
全く以って雨の日に来たからこその副産物。

ヨシさんと後に意見が同調したのは、もし勾配が逆だったり、崩落箇所が逆側の坑口であったなら、深度は分からなくとも水没の憂き目にあっていただろうとと言うこと。


ささやかながら、そう言った点では運が良かった






そして、遺構の乏しい内部にあって、唯一と言える遺構らしき物体。

黒く焼け焦げた材木の一端が転がっていた


枕木だろうか、未だにハッキリしない。
ただ枕木だったとしても、この1本だけが残っている意図が読み取れない。
焼け焦げた理由も不明。


実はこの先、何回か気田林鉄軌道跡への訪問を繰り返すうちに、黒くなった材木を処々において見かけることとなった。
それらの共通として、単独であること、辺りに焚き木の跡が見受けられないこともあるが、
一般的に考えられることとして、線路・枕木の回収時に一部の枕木を燃やして暖をとったのかも知れない。

トンネル内ならば照明機能を期待したとか!?


他に思い浮かぶ原因として、

材木を放置しておくと自然と黒くなってしまう・・・かも!?!?



いずれにしても、文系の私には分からない(汗)







コウモリが一羽どこかへ飛び去っていったが、
洞内、総じて同じような景色が続く。



そして50メートルほど入って来た時、眼前でヨシさんが止まっているのが見える。


これは、、、

いよいよ来たか




閉塞点に向けて、私は皆様に一つ問い掛けたい。

このトンネル危険だよね!?
コンクリートの上に空洞広がってるって危険だよね!?





気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間Fへ続く

気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間D

January 05 [Thu], 2012, 2:09


切り通しの出現は予期せぬものだったが、考えてみれば何てことは無い。
林鉄開通以前から気田川沿いに伸びていた古道の一種だろう。


林鉄がトンネルで越えていたこの尾根を、古道は等高線を忠実に登って下っている。
ただそれだけのこと。




降下地点を探して尾根上を彷徨っていたヨシさんと私も、特に言葉を交わすことなく即決している。

「トンネルを狙うならばここからだ

と。






先の状況が断然気になる。
特に尾根の逆側斜面の状況は、探索の行く末を左右するキーポイントである。

それでも古道が斜面に伸びている事実は、我々を緊張から一転安堵させた。

この場所に小さな石碑を見つけたのは、そんな流れの中の出来事である




切り通しに向かって左側

尾根上、切り通しを見下ろす格好で生える、1本の老木。
その老木から蛸足のように伸びる根に護られる形で、それは存在した。








ヨシさんがおもむろに顔を近づけて、石碑に刻まれた文字を声に出して読んでみる。



金 比 羅 山 ・・・

もしかすれば、まだ下部に文字は続いていて、土に埋もれているかも知れない。




金比羅山って、四国のあの金比羅山だよね。

当時も意外な言葉にヨシさんと顔を見合わせたが、家に帰って調べてみると、ある程度確証のある事実を得ることが出来た。


どうやら金比羅山は、船運に関する神様でもあるらしい。

かつては気田川にも河川交通が発達していたと考えられる。
気田川の大きな蛇行を臨むこの地にこの石碑が祀られたのは、ある意味自然なことかも知れない。



探索の無事を、石碑に向かい願った。






あの日、一向に収まらない雨脚の中、不安と興趣を抱えながら切り通しの向こう側を見下ろした我々。



正直、私は自信が無かった
自信が無いと言うのは、ヨシさんに撤退を提案できる勇気を持つ自信がなかった。


それはもちろん、ここまで来て撤退はしたくないと言う強い思いでもあったし、
ヨシさんに私が臆病と思われたくない体面もあった。


だから、行けないのなら絶対に降りれないと我々に思わせる、とことん無謀な斜面であって欲しいし、
行けるのなら、出来うる限り平穏な斜面であって欲しい。

そんなわがままな願いを内に秘めていたと認めよう。



オブの神様がいるとすれば、私の理不尽な要求を許すはずも無いだろうけど・・・



そして、、、



行ける!!

直感でそう思った。





この趣味、「行ける」と言う直感は大切だ。

何故なら、行けると思って行けなかった経験は数あれど、行けないと思って行けた試しは無い。




ただ少し時間が経つにつれて、

行けるのか!?

そんな疑念も湧いて来る。



何故なら、その日は雨の影響で、山全体に霧のようなもやが掛かっていた。
つまり視界は良好じゃない。
傾斜の関係もあって、ここから見下ろせる範囲だって広くない。


木々の奥に広がる気田川の河原が、只むやみに明るく感じられた。
もしも転落と言う憂き目にあえば、行き着く先はあの眩しい箇所かも想像すれば悪寒が走る。




ヨシさんが先陣を切って歩み出す。

私も意を決して、降下に取り掛かった。









いやぁぁぁぁぁ


大丈夫か、コレ



古道らしき道筋は5メートルで消失。
その後は、各々下れそうな箇所を見つけて進む。


この斜面、嫌らしいことにガレている。
私の弾いた石がヨシさんに当たるのが怖く、私はヨシさんが見えなくなる場所まで距離を置いた。













森の雨。

それは幽玄たる美しさを含む。




ただその美しさはどこか儚げで、

見惚れてしまえば、

生への執着を忘れさせる怖気があった。





気付けばヨシさんの気配は消え、私はまだ斜面の上部を徘徊している状態にある。


上の4枚は第2次探索で撮影したもの

写真の多くは雨の影響で白くぼやけ、極力濡れることを防ぎながらシャッターを押した為、悉くブレてしまった。
これじゃ、なかなかブログに利用できないことを理解して欲しい。



斜面に露出した岩は足を掬い、堆積した落ち葉もまた同じ。
ガレた斜面は、ささやかな一歩で砂時計の砂のように抵抗無く崩れ落ちる。
私は何度か身体のバランスを持って行かれそうになった。



ありきたりな表現だが、とてつもなく長い時間が流れた気がする。

疲れたと言うより、気が滅入ると言った時間が。



木に捕まりながらバランスを保ち、止まない雨に恨み顔で空を見つめる。

そんな時、雨音を掻き消す様に、ヨシさんの声が響いた。



あった

トンネルありましたよ









ヨシさんの言葉を聴いても、私に焦りは生まれなかった。
周囲の環境から、焦ってもどうにもならない場所だと悟っていた為だろう。


ヨシさんの姿が見えないが故に、測りかねる距離や方向。
地の底から聞こえるようなヨシさんの道案内の声が、足りない情報を補ってくれた。


右からではなく、一度左に下った方が良いとか何とか。

私はヨシさんのアドバイスを頼りに、一度川に落ち込む急斜面の縁まで下り、その際、いよいよ写真のような軌道の路盤をこの目に捉えたのである








接近中


かつてこの接近ラインが、閉塞したトンネルの逆側坑口を目指す為の正式コースだったと思われる。
もしかすれば古道もここを通っていたのかも知れない。

一部、尾根側に結ばれた手がかりの為の針金が、頼りなくぶら下がっていた。



写真は第3次のもの。
第2次の訪問では、ここから緑色のパーカーを着たヨシさんの姿が見受けられた。

彼は雨の中、トンネルに入らず、わざわざ外で私の到着を待っていてくれたのだった。



もうほんの数メートル先にあるはずの坑口。
ただ斜面の出っ張りのせいで、未だ見えず。



待ちきれず、「トンネル入れそうですか〜」と私が尋ねる。

「行けそうですよ」とヨシさんの答え。



その言葉に勇気を貰うように、私は最後の難所を横断。
いい加減パンパンに張った足で、潰れた北側坑門以来となる軌道跡に復帰した。


久しく靴底に感じなかった安定した地盤。

但し、私がそんな充実感に酔う時間はもう持ち合わせてはいない。



な  な  、   ろ  、








更に大きな喜びが待ち構えてくれたから。



森山トンネル

南側坑口


それは私が初めて目にする、気田林鉄、現役当時のままのトンネル。
濡れた手を乾かす術も無く、デジカメをポケットからそのまま出して撮影した為に、写真からは既に故障の兆候を感じ取れる。



意匠を凝らさない、シンプルな坑口。

今、写真を見て思い返すならば、そう言った印象を受ける。
当時はこの瞬間に、全ての苦難は跡形も無く消え去っていた。




残っていてくれた。

それだけで十分有り難い。



私は雨すら忘れ、この飾り気の無い坑門を熟視。
しばしの間、光景をただ脳裏に焼き付けるだけの贅沢な時間を感受させて貰った。




おっと、これじゃ、風邪ひいちゃうね

ヨシさん、お待たせ。

雨宿りに行きますか(笑)





気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間Eに続く

気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間C

January 01 [Sun], 2012, 1:50




そこには押し潰された坑門があった。

坑門の左上部を構成していただろうコンクリート片だけが、ここにトンネルが口を開けていたことを示している。
他のパーツは崩落の土砂に埋まっているのだろう。



 「 無 残 。 」

その印象は近寄ってみても変わらない。
むしろ北に開けた掘割の薄暗さの中に、1つ鈍く浮き出るような白いコンクリートが妙に不気味である。



可能性は薄。
それでもコンクリート片の下、僅かなスペースが残っていないか、近付いて確かめよう。






こりゃ、ダメだ。

微塵の隙間も無し。


ちょこっと穴を掘れば、内部の空洞に繋がる可能性はあるとも考えたのだけど、
もちろんこれは新たな崩落を誘発するかも知れないし、結果的にも良い作戦では無かった。


理由は後述するが、
この崩落、結構長くトンネルを埋めていると考えられた








私はヨシさんを誘う際、この写真を見せて誘惑した(笑)


これは在りし日の森山トンネル北側坑口。
           〜産業遺産展示会より


どちらの坑口を写したものか、この時点では明確に判断ができなかったが、
後に北側坑口を撮影したものだと確定する。



トンネル内、闇だけが塗りたくられ南側の坑口の光は見えない。

それなりに、『長・い』 と言うことだろうか。
地図から判断するに、長くても100メートルほどと考えられるのだが。。。






地図上から察するに、尾根上までの標高差は約30メートル


この斜面と比較し、尾根の逆側の斜面は等高線が数倍狭い。
本当に下れるのだろうか。


何度も繰り返してくどい様だが、第2次探索の前半では、常にその不安が私の頭に過っていた。

なんせ、場合によっては ‘‘THE END’’ を認めざるを得ないのだ。


車内でヨシさんとロープの話題も出たのだけど、
その日、二人ともロープを持ち合わせていなかった。


敢えて会話には出なかったのだけど、結構本降りだった雨の中、ロープを使わなければ進めない難所が現れた時点で、白旗(降参)は当然の選択だった。



斜面を登る前に、もう少し崩落を見ていこう。
私は第2次探索ではその旨をヨシさんに伝えて、坑門が立っていただろう斜面を駆け上がる






うしょうしょ


第2次の雨の中も登って、第3次でも同じ箇所を登る。


・・・ブログを綴るって大変だな。







坑門を破壊した崩落が、ご覧の窪みである。



支流の谷に入って以降、他の場所に斜面をばらした崩落は見当たらない。
斜面の勾配も緩く、谷全体が安定しているように受け止めていた。


しかし現に、崩落がトンネルを押し潰しているのは事実。
その姿は、まるで狙ったかのようにも見受けられる。


原因として、トンネルの強度が相当ヤバかった
そんな気がしてならないが。。。






そして嫌な事実を発見。


陥没の一段上に、

もう1つ陥没があった





縦横2メートル。
深さ50センチほどの陥没。


下の陥没と同時に起こったものなのかは分からない。
が、状況を素直に受け止めれば、トンネル内最低でも2箇所の崩落が連続していると考えられる。

おいおい(汗)、
トンネル内、大丈夫か!?



上部の陥没が完全にトンネルを埋没させているかは不明。
逆坑口の存在自体を疑うような、拗ねた事実しかここには無い。



さぁ、北側の坑口付近の様子はこの辺りにして、本番。

尾根を登ろう






その前に、、、

トンネル脇より眺められる森山の集落

知らない方は、
「何故こんな場所に集落が?」
と思いだろう。


車道は、幸橋より別の場所を通り集落を目指す。
つまり、この眺めは集落の裏側を収めたもの。

地図を見れば分かり易いかも知れない。

                    





但し、車道がまだ通じず、林鉄や山道だけが気田川沿いに伸びていた時代は、この景色が集落のだったのだろう。

写真左側の山裾に、今では踏み跡薄い道が草に埋もれている。




                    




以前、私は集落の方に出会わず、聞き込みができないとぼやいたが、
結局全軒を訪問と言う形で、住民の方とお話させて貰った。


全軒と言っても民家は3軒しかない。
そのうち1軒は留守だったので、2軒の方からお話を伺えた。


意外だったのは、両家の方とも、森山トンネルが崩落した正確な年月を覚えていないことだった。
両家ともおば様が対応してくれたので、もしかすれば山をより知っているだろう旦那さんでもいれば、もっと詳しい話は聞けたと思う。


それでも森山トンネルが崩落したのは、大体20年前と言う情報は頂けた。
昭和〜平成に移り行く時代の中で、森山トンネルが力尽きたと言うのである。


林鉄廃止後、トンネルを通って、家族でワラビや山菜採りに行った話も仰っていた。
その息子さん達も今では集落を出て40(歳)だと話していたので、確かに20年前くらいに潰れてしまったのなら辻褄は合うと思われ。

ちなみに崩落は、地震や大雨の影響でも無かったらしい






地図上から、尾根上に電力会社の鉄塔があることが分かっていたので、斜面に管理道が存在することは予想していた。


ご覧の通り、山道は存在。
写真の立て札は、林業関係の山道整備を綴った標識である。

どうやら道は、林業関係者の踵も刻まれているようだ。





ヨシさんの歩みは速い。
(十中八九私が遅いせいもあるのだが・・・)
既に、この辺りでは前方にヨシさんの姿を見失っていた(笑)






分岐。

分かりづらいが、に折れる明瞭な山道がある。


最初、ヨシさんと来た時には真っ直ぐ登ったのだけど、どちらも鞍部には達する。
逆に言えば、それほどまでに鞍部が長いと言うことだが、トンネルに下る為には右に曲がる方が近い。

結局、ヨシさんとも鞍部上を移動しながら、降下地点を決めている。

ヨシさん、あの時は説明足らずで、無駄な場所を独り下らせてごめんなさいm(*- -*)m






もちろん今回(第3次)は、無駄足はしない。

右へ折れて束の間、尾根の鞍部に到着。


ここまでは何てこと無い、明確な山道が拓かれ、ルートファインディングに労せず導かれる。


問題は、尾根の逆斜面


鉄塔は尾根上に存在し、電力会社の管理もここまでだろう。
林業関係者はどうだろうか。
あの傾斜は、植林に適した勾配なのだろうか


道はあるのか。

無くても下れそうなのか。

トンネルの南口への接近戦。
難易度を決める最大の条件の答えが、すぐ先で解き明かされようとしていた。






が、今話はここまで


勾配の判明の前に・・・峠。

そこには明らかに人工的な地形、切り通しが存在した。
背丈が隠れるほどの大きさだが、この場所が単なる地形としての鞍部だけでは無く、交通としての峠と言う役割を担っていたことが驚きだった。

その証拠に、ここには怪しげなものが存在する。
次話はそこから見ていこう。





気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間Dへ続く

気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間B

December 31 [Sat], 2011, 6:07




ワンコ登場!!


気高きまにゃのお尻を狙う茶色の影は、カーブの先からやって来た。


最初は捨て犬かと、咄嗟にまにゃを守る様に抱き上げたのだけど、首輪を見て合点。
猟犬である。


実は猟をしている伏線はあった。
幸橋に到着する前、猟銃を携帯した複数の人物が県道上を歩いていたのである。


こんな時には、誰もが誤射される可能性を恐れるもの。
当時の私も入山するのを躊躇ったのだけど、ここまで来て僅かな可能性を恐れて引き返す臆病を、好奇心が断然上回っていた。


幸橋の袂には、
「民家有、猟銃を近くで発砲するな。」
の立て札もあって、
せめて道の上を歩いていれば、撃たれることはあるまいとの判断があった。



ワンコは大人しく、特に興奮している様子も無し。
結局、遠くから聞こえる猟師の笛の合図を聞くと、森山トンネル方向へと駆けて行った。

タイムロスは1〜2分程度で済みはしたけれど、廃道上、崖の上や不安定な斜面上で遭遇しなくて良かった。
この時、本気で今日は退散しようと考えた。


それでも引き返せないんだよね。
次、出会ったら、まにゃへのご褒美の為に買っておいたチキン置いて、その間に逃げちゃお。






ついさっき、ワンコが小走りで駆け寄ってきたカーブ。


「この先で待ってる
とかは無いよね(汗)

案内してくれるならちょっと嬉しいが。。。






よっしゃ、いない

相変わらず猟師は、笛や大声で絶え間なく合図を送っているが、
音は谷間に反響して、どこにいるかさっぱり分からない



軌道跡の様子も、路盤に関しては原型を保っているようだ。
この先しばらく時間が経ったとしても、歩行者が進路に窮する事態にはならない気がする。



日差しをまともに受けて、白く輝く気田川の河原を見下ろしながら前進す。






  ふ と 、

その河原で何かが動くのが見えた。




拡大すると、、、



さっきのワンコが、幸橋方向に全速力で疾走していた。
特に何かを追いかけているようには見えなかったので、猟師から合流合図が出たのかも知れない。


「このまま撤収してくれれば安心なのに・・・」

そんな想いが彼らに届いたのか、この後、犬の姿も猟師の声も気がつけば消えていた。




まぁ、
急に現れたワンコが良い奴って分かった途端、抱っこしていたまにゃを下ろして、

「おいしいなぁ」
って思いながら、一番上の写真を撮影した私もダメな子なのだけどさ。






道の平穏は続く

この場所では、久し振りに余裕を持って石垣を観察できた。



頭大の石を5段に積み上げた石垣。
同じような大きさの石を集めることに苦労したとは思うが、気田川の河原を探せば、あるいは容易く見つかるものかも知れない。


石垣があるから路盤が保たれているのか。
崩落が無い場所の石垣がたまたま残っているのか。

整然と現存する石垣は、立派で頼もしい存在に見えた。






そして程無く。
左下に見えて来るのは、気田川と支流との合流地点

私は今以って支流の名を存じていない。


既出の通り、軌道跡は一旦気田川とバイバイし、支流に沿って谷を詰める。
両者の再会は、森山トンネルがキューピットとなり縁を結ぶ流れである。


水量は微塵だが、谷の広さは、かの神沢以上。
そして写真のように合流点では、尋常じゃない数の倒木が溜まっている。

その光景は、どこか不気味な印象を受けた






木製の桟道橋を乗り越えて進む

苔生した木材は、角が取れ落ちて半分丸み掛かっているが、
私の体重を支えるまでの強度は十分だった。



えっ、第2次探索の写真、そろそろ載せろって!?

フフフ・・・

トンネル着くまで撮影してないんだよね
雨の中、デジカメのケースから出すのが億劫だったんだよぉ。。。








ほとんど水流の無い支流の谷は、晴天の軌道跡にとっては、珍しいほど閑静で落ち着いた区間である。

雨の探索においても、頭上に茂った杉の葉は我々を雨の滴の直撃から守ってくれた。


安っぽい表現になってしまうが、軽井沢辺りの森の木陰を散策しているようである。





そして、谷底一面に平場が広がるこの辺り。
どうやら林鉄時代は交換所が存在した模様。


模様と言う確定では無い表現を使った理由は、幸橋〜森山トンネル間に交換所が1つあったらしいが、この付近が一番適していると感じたから。
但し、一切の遺構は見当たらない。






軌道跡は、ここで不自然にへ折れる。


視界の範囲で、すぐそこには斜面が迫っているのが見て取れた。



カーブは、トンネルへと突き当たるフラグであって、
いよいよ我々の眼前に、それ、否、それの残骸が姿を現すこことなる。






前に述べた。

「森山トンネルは死んでいた」

と。






私はまるでこの場所を、殺人現場を眺めるような目で眺めてしまった。


悪 寒 

普段、余り感じないものが背中を走った。



ここに流れる空気は、おどろおどろしく怨念めいたと比喩すれば大袈裟だろうか。

あれだけ万全で強固たるものと思っていたコンクリートが、
あたかも玩具のように、
レゴブロックで工作途中に投げ出した作品のように、
ここでは脆く無残だった。




森山トンネル。
いつ、何が起こったのかを次話にて検証。



                    


最後に、私からのお年玉。
気田林鉄、コンクリートアーチ橋の動画を先行公開。

レポート内容としては、まだ先であるが、この荒廃美に溺れてくれ

                    


 ※画質悪くてすまん。




気田森林鉄道 第2・3次探索 森山トンネル区間Cへ続く
プロフィール
  • ニックネーム:masaki
  • 性別:男性
  • 血液型:O型
  • 現住所:静岡県
  • 職業:専門職
読者になる
2012年03月
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新コメント
masaki
» 西尾只吉と4連隧道B (2012年05月12日)
業泣鬼
» 西尾只吉と4連隧道B (2012年05月11日)
masaki
» 西尾只吉と4連隧道@【序章】 (2012年05月10日)
NOBU
» 西尾只吉と4連隧道@【序章】 (2012年05月09日)
masaki
» 西尾只吉と4連隧道@【序章】 (2012年05月09日)
masaki
» 掛川市 西之谷隧道【後編】 (2012年05月09日)
NOBU
» 西尾只吉と4連隧道@【序章】 (2012年05月08日)
masaki
» 掛川市 西之谷隧道【後編】 (2012年04月30日)
業泣鬼
» 掛川市 西之谷隧道【後編】 (2012年04月28日)
業泣鬼
» 天竜区 船明越えH【最終回】 (2012年04月27日)
QRコード
Yapme!一覧
読者になる