それでも生きていこう 

November 21 [Tue], 2006, 17:31
しばしば「東ローマ帝国」「ビザンティン帝国」「ビザンツ帝国」のいずれが正しい呼び方なのか、という議論があるが、当の帝国政府や住民は、仲村みう. 自国を単に「ローマ帝国」(ギリシャ語:Βασιλεία των Ρωμαίων (Basileia tōn Rōmaiōn))と称していたのであり、彼らが「ビザンティン帝国」「ビザンツ帝国」といった呼び方をしたことはない。帝国の一般民衆は、自国を「ローマ人の土地」を意味する「ローマニア(Ρωμανία (Rōmania))」と呼んでいた。

「ビザンティン」や「ビザンツ」は、帝国の滅亡後、19世紀以降に使われるようになった通称である。これらの通称はあくまでも古代から1453年まで続いたローマ帝国の一時期を指す呼称で、以下に述べるようにいわゆる「古代ローマ帝国」とは文化や領土等の面で違いが顕著であるため便宜上用いられているだけである。グラビアアイドル

「ビザンティン」は英語の形容詞「Byzantine(英語により近い発音だと「ビザンティーン」)」に、「ビザンツ」はドイツ語の名詞「ジュニアアイドルByzanz(同・「ビュツァンツ」)」によるもので、いずれも首都コンスタンティノポリスの旧称ビュザンティオンに由来している。日本においては、おおむね歴史学では「ビザンツ」が、美術・建築などの分野では「ビザンティン」が使われることが多い。しかし、どれも正式名称ではない以上、どちらが正しいとも言い難い。

カール大帝の戴冠以降は、西欧でこの国を指す際には「ギリシア帝国(Empire of Greek)」「コンスタンティノープルアイドルサインの帝国(Empire of Constantinople)」と呼び、コンスタンティノポリスの皇帝を「ギリシアの皇帝」と呼んでいた。このように自身が古代ローマ帝国の後継者であるとするのは、あくまで東ローマ帝国側の主張なのであって、西欧ではその独自の立場から「東ローマ帝国」をさまざまに呼んできた。ただし、カール大帝以前は、西欧諸国も名目上はコンスタンティノポリスの皇帝の権威に服していた。

しかし、西欧におけるこれらの議論に関しては、彼らが東ローマ帝国と政治的・宗教的に対立してきた経緯を持っていたことや、議論がなされる中で東ローマ帝国の主張が彼らの価値観によって相対化されてきたことを勘案する必要があろう。彼らにとっては、カール大帝とその後継者たちや神聖ローマ帝国の皇帝こそが「ローマ皇帝」だったのである。アイドルトレーディングカード
このような考え方に基づく呼称は、日本における呼称として適切・中立的でないとする見解もある。この立場からは、一橋大学名誉教授の渡辺金一が東ローマ帝国の呼称として「中世ローマ帝国」を提案している。

初期の時代は、内部では古代ローマ帝国末期の政治体制や法律を継承し、キリスト教を国教として定めていた。また、対外的には東方地域に勢力を維持するのみならず、一時は旧西ローマ帝国地域にも宗主権を及ぼした。しかし、7世紀以降は疫病などにより地中海沿岸部の人口が激減、長大な国境線を維持できず、サーサーン朝ペルシアやイスラム帝国により国土を侵食された。8世紀末にはローマ教皇との対立などから西方地域での政治的影響力も低下した。

領土の縮小と文化的影響力の低下によって、東ローマ帝国の体質はいわゆる「古代ローマ帝国」のものから変容し、「ローマ帝国」と称しつつも、住民の多くがギリシア系となった。7世紀には公用語もラテン語からギリシア語に変わった。美少年ビデオこれらの特徴から、大阪市立大学文学部教授の井上浩一は、7世紀以降の東ローマ帝国を「キリスト教化されたギリシア人のローマ帝国」と評している。前述の「ビザンツ帝国」「ビザンティン帝国」も、この時代以降に対して用いられる場合が多い。

9世紀には、東ローマ帝国はバルカン半島やアナトリア半島西部を奪還するなど勢力を回復し、皇帝に権力を集中する政治体制を築いたが、それも一時的なもので、その後は徐々に衰退していった。
11世紀後半以降には国内の権力争いが激化し、さらに第4回十字軍の侵攻と重なったことから、一時首都コンスタンティノポリスを失い、各地に亡命政権が建つに至った。その後、亡命政権のひとつニカイア帝国によってコンスタンティノポリスを奪還したものの、内患外冦に悩まされ続けた。文化的には高い水準を誇ったが、領土は次々と縮小し、ホラーフィギュア。帝国の権威は完全に失われた。
そして1453年、西方に支援を求めるものの大きな援助はなく、オスマン帝国の侵攻により首都コンスタンティノポリスは陥落し、東ローマ帝国は滅亡した。パンスト(詳細はコンスタンティノープルの陥落を参照)

日本ではあまり知られていないが、古代ギリシア文化の伝統を引き継いで1000年余りにわたって培われた東ローマ帝国の文化は、東方正教圏各国のみならず西欧のルネサンスに多大な影響を与え、「ビザンティン文化」として高く評価されている。また、近年はギリシャだけでなく、イスラム圏であったトルコでもその文化が見直されており、建築物や美術品の修復作業が盛んに行わ女王様れている。
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