れぽとかけたよー 

November 13 [Thu], 2008, 8:01
 著者が経験した満州での凄絶な環境は、私にとって衝撃的であった。国が丸一個消滅し国家という文明を失って、秩序から放り出されるという状況など、庇護を受けて育ってきた私には想像もできない。そして、命の危険が常に付きまとっているという状態。現代の日本で命の危険を感じることなどめったにないからだ。
 だが何より驚きを覚えたのは、そのような危機的状況にあってもなお、著者は学ぶ姿勢を忘れずに人間としての理性、つまり文明を求める活動をしていたというところである。「荒廃のなかの教室」で「教育を回復したという充実感」を得たとあるが、こうした実体験を読んでみて、やはり人間は文明・文化を追求する動物として生きていくことに価値を見出すものなのだと考えた。
 一方、環境が大きく変化した今の日本と比較して考えてみたい。今日では教育は義務化され、中等教育までの学校教育が保障されている。さらに国際化していく社会では開放された情報を簡単に得ることができる。だが、このような恵まれた環境にあるにも関わらず、当時の中学生だった私はそこに甘んじて、教育はあって当然なもの・周囲にやらされるものとして何も考えずに漠然と授業を受けていた。冒頭の著者と同じ年頃であったというのに、自ら考えるということを放棄していた。
 しかし、そういった姿勢は高校に進学するにあたり大きく変化した。文明というものは学ばされるのではなく、能動的に学んでいくものなのだと気づくことができたのだ。私の通う総合科という学科は自身で必要だと思う科目を選択し、構成したカリキュラムにそって授業展開をするという特色を持つ。そうして主体的に日々の授業に取り組んでいくことで、他人に促されて勉強する中学生の時とは違い、はじめて知的好奇心が満たされる喜びを知ることができた。そして何より、学ぶということは誰のためではなく自分のために行うことなのだという確信を覚えた。このことは私にとっての教育とはなんなのか、学びの大切さというものを改めて考えなおすきっかけとなった。
 私の考える「学び」とは、人間らしく生きるうえでの楽しみであり、人間として充実した人生を歩むための手段である。学ぶということは、教養を身につけ視野を広げ、自分がどうありたいのかという理想像や自己実現の発見を促す。そうして生まれた目標は文化の習得につながり、結果的に価値のある人生を得るにあたっての大きな原動力となるだろう。
 以上、「学びへの喜び」という視点から私が考えた「学ぶ」ということである。




ちょう涙目になりながら書いたんだけど、もう読みなおすもんか…ww
さっさと清書して提出しちゃおー。
ちゃんと一個まえに書いたやつと内容がつながってるんだよ。
っていうかかなりはしょったからそっち読まないとつながらないはず。
P R
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