こちらに移動しました 

January 21 [Sun], 2007, 14:26
こちらに移動しました。
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です。これからもよろしくお願いします。

手洗い、のこと。 

April 18 [Mon], 2005, 12:00
 昨日、手を洗っていてふと思い出した事が。小学校の時、多分小学校5年生の時の話。
 「子供は風の子」とは、因果なものだ。小学生は寒さに対しての免疫が大人より強いと随分昔から勝手に定義付けられている。体積に対しての外気に触れる面積の割合は、体の大きい大人の方が子供より小さい訳だから、寒さには大人の方が強いんじゃないか、と思うのに。実際、ホッキョクグマの図体が他の地方の熊と比較してあんなに大きいのは、同様に、体が大きい方が表皮を外気にさらす割合が少ないからだし、ちなみに外気に触れる表皮という風に考えれば寒帯の兎の耳が短いのもそういう理由。まぁ、そうかと云って先人達の格言を蔑ろにするのも良くない事とは思うし、他に医学的、何より精神的なものが一枚噛んでいるんでしょうから、それは甘受します。
 冬の体育やその他教室外での活動に於いて、如何に寒さを攻略するか、と云うのは全くもって由々しき問題であった。体育に於いてのファッションチェック等はそうした問題提起としてはまさに好例である。体育の時間、生得的に課せられた「小学生は元気」と云うスローガンにのっとって、上下、すなはち、ジャンパーかズボンのどちらかしかジャージの着用は認められなかった。ジャージを着用していない上半身か下半身どちらか一方は真冬の激烈な寒風に晒さなければなければならないので、どちらを保護するかは一朝一夕で解決し難い重要な問題。面積的にはズボンを着用した方が多く身体をカバーできるが、心臓その他、重要な器官のある上半身を温めた方が良い気もする。議論は尽くされたが解決は見ず結果確か半々位で落ち着いた様に記憶している。ちなみに、先生もノーブレス・オブリージを遂行して、しっかり上は半袖で出るもんだから文句が言え無かった。
 そして、寒さ対策と云えばこんな妙策も。冬場の小学校で辛いのは何より手洗い。冷たい流水に手が触れただけで指が千切れそうになるほど辛い。何とかならないかと皆が頭を悩ませていた時、おかしな話がクラスを席巻した。それは、体育が始まる前に、ストーブで手先を限界まで暖め、まだぬくもっている内に急いで石鹸で手を洗い、泡を落とさずに体育に行く奴がいる、と云うもの。冬場で湿度が低く、泡はすぐ乾燥し思いの他手はサラサラになる。そのまま普通に体育に参加し、終了後手を洗う。この時、すでに手には石鹸の成分が有るのでほんのわずかの水で泡立て、そして流す事が出来る。どうも、朝練をしている特設陸上クラブのやつが仕掛け人らしい。卓抜な着想を持っている人がいるものだ、と思ったのか我勝ちに同じ事を皆やり始めたが、ブームは長く続かなかった。この方法は、手が完全に乾くまで身動きが取れないこと(実際体育の直前にスタンバイしようと思っても泡の手では外履きに履き替えられない)、ドッジボールやバスケット等手を使う競技では実用性が無いこと(もっとも、サッカーや陸上等手を使わない競技では汚れないのでそもそも手を洗う必要性が希薄である)、しっかり手袋を持ってくれば問題が無いこと(手袋はどういうわけか体育のドレスコードには引っかからない)など多くの欠陥を持っていたし、面白かったのは最初だけ。何より、春休みが来て、明けるとそんな事を覚えている人はいなかったように思う。
 編集をしている今、試みに、その手でタイプしている。

ランニング、のこと。 

April 12 [Tue], 2005, 12:00
 妹が健康増進、及び減量のためにランニングをするという。夜半過ぎに女一人で走るわけにもいかないので帯同しろと母親に云われたらしい。前日昼過ぎまで寝ていて眠気はほとんど感じなかったが、夕方から夜まで派手に運動していて綿のように困憊していたので一緒に走るのは止めて自転車でマネージャーを務める事に。
 準備が出来たと云うのでさぁ出発。身を裂くような冷たさを覚悟していたのだが、存外暖かい。拍子抜けした。走路は団地を取り巻く循環型バスの路線をなぞる形でコース取りされている。1周3キロ位。交差する道路も2、3本で事故の心配も少なく、辺鄙な所を通らないので治安的にも安心できる。他にも多くのランナーとすれ違う人気のコース。はじめは妹を気遣ってアドバイスをしたり自転車を漕ぐスピードに細心の注意を払っていたりしたが、そのうち妹が真面目になってきて話しかけるのも憚られてきたし、いい加減に漕いでいても妹の走力をあからさまに凌駕するようなスピードは出ないことは分かったので、やる事がなく飽きて来てしまった。キョロキョロしたり手放しで操縦したり、目をつぶったり、顔を真上に向け頭上に広がる桜を観賞しながら自転車を漕いだり…。気づいた。桜が満開。こんな所に桜がこんなに植わっていたとは。視点を正面に戻しても数十メートル先までブワーッて桜が。そんな桜のドームの中にいると久遠に散ることは無いんじゃないかという錯覚にさえ陥る。
 ところで、桜は損な花だ。満開でないとそれが桜である事が認識してもらえない上に、開花している時間が短い。雨でも降ろうもんなら雨滴が呼び水になって桜の命の水まで流出してしまう。まだ寒い時期に少しだけ咲いている桜には雪意さえ想起させ翻って冬の寒さがまだ続くことを教え込まされるし、散った後の桜の物悲しさっつったら無いし、第一貧相だが、それだけに満開の時の桜は春の訪れを予感させ、その短い時間、ボーナスみたいに咲き誇る桜は気分の高揚を促がす。信号の前に咲いていた桜は赤信号のレッドライトに照射されてそれはそれは幻想的。信号が青に変わるまでしばし法悦にひたっていた。頭上に広がる灰赤い夜桜はあたかも先取りして数時間後に広がる曙色を呈しているよう。朝に回復する日輪は一日のサイクルを暗示するが、やがてまた春に回復する桜は季節のサイクルを暗示して余りあるョ。満開の花はそれが無窮でないからこそ、そこに自然の、死期の誕生の美しさが凝縮されている、と。
 満開と云えば。割と恵まれたところに住んでいるのかもしれない。決して田舎では無いのに家から駅までの間には3つも花の満開ポイントがある。四月には菜の花が川を渡る道の斜面、要は土手を所狭しと埋め尽くし、五月には真っ赤なポピーでそれまで殺風景だった警察署の空き地が敷き詰められるのです。これらは大変元気良く、気持ちも明るくなるのだが、3つ目の梅だけは少し勝手が違って。駅までの自転車ロードにはパークと名付けたでっかい公園を見下ろす崖のようなポイントがある。パークの近くには大変しなびたホテルの駐車場。鬱蒼としたその駐車場と人の少ないまだ寒く荒寥としたパークの間に眼下から突き上げる様に二月下旬頃満開する梅は、地獄の業火をも髣髴とさせ奇奇怪怪。鬱屈する。

 満開の桜も連日の雨で散ってしまったろうなぁ。等と思いながら、電車に乗っていると窓外には川を越えた対岸の土手に奇しくも桜。散った大量の桜の花弁が緑水を擁する都会の川に流れ込み、紅に近いピンクと濁ったグリーンのコラボレーション。川の流れに合わせて集合した花弁が渦巻き、何か赤潮、さらには血糊すら連想させ、それはそれは気持ち悪かった。

昨日の、こと。(1/3) 

February 22 [Tue], 2005, 12:00
 昨日は、午前中にパートへ辞表を提出しに行く予定だった。が、前日、日付の上では当日だが、白んでくるまで友人が家に居て、彼を家まで送って戻って来るともう家族がノコノコ起き出して来るような時間だったので、そこから寝て当然うまい事午前中に起床出来るはずも無く、結局、夕方まで布団の中に居た。起きたのは午後五時頃だったので、適当な時間を、と考えて、午後八時に三行半を叩き付けに行く旨を社員の方に電話で伝えた。パート中の事故で左足甲に程度の酷い熱傷を負っていて、容易に入浴出来る状況では無かったが、「辞める時位、清潔なスタンスで行こう」と思い、シャワーを浴びた。その時、二、三日前に聞いた「不潔を甘受する事も、また、必要」と云う言葉が頭をよぎり、一度は入浴を躊躇したが、純粋に頭髪が気持ち悪かったので、ヘコたれた。風呂から出て、髪を乾かして、ココアを飲んで、猫とふざけていたら良い時間になってしまった。いつもだったら潜在的に時間が足りない事を認識しつつも、放っておいて結局定刻を過ぎて目的地に到着することもよく有るけど、でも、最終日位、流石に、立つ鳥跡を濁さず、って云うんで、「遅刻は不味い。八時ってこっちが決めたんだから、八時には行きましょう」と急いで着替えた。時間も無かったので、二日前に着て、そのまま洗濯に出さずに揃っていた服を一式身に付けた。洗濯に出してない服をまた着ちゃったら、当初の「辞める時位、清潔なスタンスで行こう」と云うスローガンは全然実践されて無いことになるけど、まぁ、汚れていなかったし良いでしょう。服を着て、部屋に戻ったら、床にサングラスが。ちょうど良いからこれも身に付けて行きましょうと思って、装着してみた。何でも、今のおしゃれな人達はサングラスの事をカッコ良く「アイウェア」と呼んで愛でるらしく、知っている物を知らない呼び方で呼ぶ場合はそれがカッコいい物とされている事が多いから、「これは掛けて行った方が良いに決まっている」、と。ついでに一緒に落ちてたキャップも拾って、「行ってきます」の一撃を喰らわせに、居間へ。すると母親が苦笑い。何でも、花柄のシャツに黒いジャケット、サングラス、もといアイウェアの出で立ちはとても堅気に見えないらしい。「お母さん、今の人たちはサングラスの事をアイウェアと呼んで良い物と目している訳だし、花柄だって綺麗なもんじゃないか。帽子も被って無邪気さもアピール出来ている訳だし。ねぇ、お母さん」と、反論したけどプンプン怒って家を出る時、チラリと鏡を見たら、「なるほど」でも、まぁ、辞める訳だし、三下に見られたら不味い訳で、先方は知り合いだけど、愛くるしい恰好をして行くよりかは、キュッとした恰好が良いでしょうと思って、と云うかそんな四の五の考えるよりか、もう出る時間じゃないのよ。で、出発。
 多かれ少なかれ、昨日の今日、はおろか今日の今日、で辞表を提出しに行く訳だからすっきり引導を渡す事は出来ないに決まっている。で、パートを辞めた直後もパートでの不愉快な事をあれこれ考えるのは、こんな非生産的な事は無い、と思って。辞表を提出した直後に誰か友人と会って無かった事にしてしまいましょう、って。要は布石として、パート先に向かう電車の中、辞表提出後に友人と会う約束をした。直後に会わないとあんまり意味が無いのに、車で来るらしく、こちらに着くのは夜11時位になるとの事。まぁ、じゃあ、事が終わってからそれまでは、マンガ喫茶でも行こう、と。ところで、今は、マンガ喫茶と本質は同じでもそれをハイカラにカッコ良く「ネットカフェ」と呼ぶ文化が巷間をブイブイ云わせてるらしくて、じゃあ、『アイウェア』を付けてんのに『ネットカフェ』に行かなかったら嘘でしょう。
 で、ウジウジやってたら目的地のパート先に7時50分頃着いた。ナイス。その時、取り合って下さる社員の方が偶々席を外していらして、丁度その場に居たパートの方にその社員の方を呼んできて頂いたのだが、その時、彼に酷く不躾な態度で頼んでしまった事と、同時にそこにいらした方が熱傷の心配をして下さったのに、彼女を無視してしまった事を大変申し訳無く思っており、この場を借りて謝ります。メンゴ。で、社員の方がいらして、手短に仔細を話して、御自慢の辞表を叩き付けて、終わり。急で勝手な話なのに嫌味の一つもおっしゃらず、激励すら交えて快諾してくれた訳で、お世話になってもいたから恩を仇で返す形。You, so gentle! で、その「ネットカフェ」へ、ゴーですよ。
 八時半にネット喫茶に着いた。「二時間半以上居るなら三時間パックの方が御得ですよ」との事らしいので、ハイハイ云って従順にそれにした。時間が随分有ったので柘榴ジュースを鱈腹飲んだり御饂飩を注文したり、また、そこのマンガカフェは随分居心地が良かったので居眠りをしたりした。約束の十一時を過ぎ、十二時になっても友人から連絡が無い。そこのネットマンガの場所は知っているはずなのに、遅いなぁと思い、電話してみると、丁度今そこのマンガマンガに着いた、との事。

昨日、のこと。(2/3) 

February 22 [Tue], 2005, 12:00
 取り敢えず、行き先も無かったので、その日の顛末を話しつつ共通の友人の家に向かう事に。そいつの家に着いて、チャカチャカやって、出て、朝四時。さぁ、次はどこ行こうっつったら、「もう帰らなきゃいけない」。そんなのってあるかよ。なんでも朝の六時から御父兄が車を使われるらしくて、それまでに家に車が無いと不味いとの事。で、早く帰らなければならない彼に無理を云って、若干家に近くなる、吉祥寺駅まで送ってもらう事に。迷ったり、ガソリンスタンド、米ではgas station 英ではpetrol station、に行ったりしたから予想より二十分遅れて、四時五十分過ぎに吉祥寺駅に到着。バイバイした。
 駅に着いて切符を買うために小銭を出そうと、ポケットの中に手を入れたら、財布と一緒に入っていた定期入れに触れ、SUICAのチャージが多少残って居た事を思い出したので翻って改札に向かった。ピッ、てやってホームに繋がるエスカレーターの下の電光掲示板を見たら、東京行きが四時五十五分に来る。その時、切符を買っていたら乗り逸れていたかも知れないな、と思ったので、多分五十三分頃、エスカレーターで上がってホームに着いた。ホームはそんな時間なので人影も、無くは無いが、ちらほら。ただ、改札からの階段、及び、それに付随するエスカレーターを上がった所に大学生らしき男女混同の十人程が談笑しているのが目立った。吉祥寺まで車で送ってくれた友人にゴミを捨ててくれ、と頼まれていたので、ホームでゴミ箱を探した。一見して所謂、ビン!カン!その他のゴミ!、って云う三つ並んだヤツは無さそうなので、皆も良くやるように、先頭側へホームをちょっと歩いた所のキヨスク、そんな時間には、まだグランドオープンしてなかったが、の横の自販機の隣の、直方体の下方から五分の三位のとこに缶以外は捨てちゃいけませんよ、って缶かビンのシルエットの穴が開いているゴミ箱にビニール袋ごとゴミをねじ込んだ。すると、ドサッて大きな音。「そんなでっかいもん捨ててないでしょうよ。そもそもねじ込んだわけだから、ドサッ、なんてゴミ然とした音が鳴る訳無いじゃんか」とか、思ったのも束の間、と云うか、正直そんな事思ってないけど、後ろを振り返ったら東京行きの線路の上に、人が。
 そっからは無我夢中で助けた、って普通の人はなるのかもしれないけど。後どれ位で電車が来るのかなぁ、絶対直ぐに来んだけど、まだお知らせがないしなぁ、駅員はホームには居なさそうだからきっと呼びに行ってたら遅いだろうなぁ、停止スイッチも見当たらないしなぁ、とか思ってたら、例の大学生の十人グループが声を上げながら助けようとしている。電車が直ぐ来る事を知っていたから、直ぐ来る次の電車をやり過ごして、その後満を持して、ホームに復帰すれば良いのに、と思ったけど、落ちた四十歳位のくせに黒いジーパンとダサい靴、オレンジのパーカーを来た中肉中背は酩酊状態で、もうホームに上がる事しか眼中になく淵に手を掛けたまま我を忘れてもがいている。大学生連中も大学生連中で必死になってて、次の電車をやり過ごすように指示を出せばいいのに、引き上げる事しか頭に無くて落ちた人の両脇を持って愚行のサポートをするばっか。「死んだ」と思ったけど、電車が来るにはもう少しだけ有りそうだった。参戦。

昨日、のこと。(3/3) 

February 22 [Tue], 2005, 12:00
 大学生は二、三人で引き上げようとしててそこに加わったわけだから、男四人。案外簡単に、直ぐ引き上げられた。そんなバカは引き上げてもまたぞろ落ちて今度こそogrish.comとかrotten.comとかでしばしば拝見するぐちゃぐちゃのオブジェクトになり兼ねないから、気を効かせてホームの淵から真ん中の方にまでずるずる引きずって行って差し上げた。それから十五秒位かな、多少なりとも興奮していたから、正確に時間はカウント出来ていないと思うけど、それを差し引いて考えてそれ位、だと思う、したら、東京行きの電車が来て、折しも逆方向の電車も来た。一応、一緒に人の命を救った者としての共同体意識の萌芽を少なからず感じていたので連中の方にチラッと目をやったら、何と云うヘアスタイルかは知らないけれど、たまに見るボワッとした頭の一見したナイスガイがニッコリ笑って、ホッとした表情で「後は御願いします」と云う意味だろうね、掌で落ちた人を指す様な身振りをして来た。落ちた人も東京行きに乗るらしい。ナイスガイを含め、大学生連中の殆ど全員が反対方向の電車に乗って行った。同じ方向なのは男の人一人だけ。彼も、既に、一応仲間、と云う事になっているので二人で落ちた人を見張って帰る事に。
 落ちた人は、扉が開くと同時に椅子に座り、そのまま泥のように眠ってしまった。「御礼の一言も無く失礼な奴だ、そう云えば、さらに悪い事にあいつ、気を効かせてホームの真ん中に引きずって行ってやってる時に心無しか迷惑そうな顔してたぞ」とか、思ってたら、同胞が「いや〜、凄い体験しましたねぇ」と話し掛けてきた。笑顔の眩しい、この人も、多分あのナイスガイと同じ位良い人。まぁ、人助けした直後だし、いくら悪人でもこの場合は善人に映るんだろうけど、そんなの抜きで。その後、彼が降りる荻窪まで取り留めの無い話をした。内容は非常につまらなかったけれど、そんな事の後だし、話自体は大いに弾んだ。祖父母が荻窪に住んでいるため、彼も荻窪に住んでいるのは奇遇に感じる事、彼の実家が茨城である事、等。しかしちょっと残念だった事が。ずっとあの一団は大学生だと思っていたが、彼は大学生では無く、社会人で職場の同僚の送別会に参加して来た帰りだという。服屋に勤めていると云うから、吉祥寺=ナウいというイメージから連想して色めき立って、何か聞こうと思って「古着屋ですか」とか尋ねたら「いえ、新品を扱っていますです」とのこと。なるほど、おしゃれな人達が良く行くらしい、世に云うセレクトショップか、と推測。確かに黒と茶色を基調としたこざっぱりした服を着ている。今度、吉祥寺に来た時はちょっと立ち寄ってみようと思い、お店の詳しい位置を聞く。その店はチェーン店で彼は実は現在立川店に居て、異動になる前に居た吉祥寺店の人の送別会にその日は呼ばれたらしい。お店の名前も聞いてみると、よく中学生や高校生の子達が行く24時間営業なんかもやってるよく知ったお店だった。ガーン。何年も前ならまだしも、今、そんなとこ行かないよ。そんな話も丁度区切れた時、多少、名残惜しそうに、彼は荻窪で降りた。
 乗換えをする御茶ノ水までの道程は割と長いのに、彼との話に夢中になって、座るのを忘れていたら、荻窪の時点で座席は埋まっていた。チラッと後ろ方向を見るとさっきホームに落ちた奴がふてぶてしく寝息を立てて眠っている。無性に腹が立った。御茶ノ水でもまだ眠っていたから、神田か東京まで行くのか、それとも既に目的地を乗り過ごしているのかは分からない。いずれにしろ、あの後またホームに落ちたりして死んじゃってても、もぅ、知らない。
 しかしながら、今思うのは、あの時、落ちた人を助けた訳だけど正直、今これを書いている時点で感慨は殆ど無い、と云う事。人命を救っても、別にニュースや新聞に取り上られた訳じゃないし、いざ人に話してみても別に面白い話でもなかった。生命や死生観について何か変わったかと聞かれても全く、無し。それよりか、生命や死生観についての考えがプラス方向に変化するのは、何がプラスで、何がマイナスかはわからないから一般に云われてる雰囲気で、線路に落ちたあの人を助けないで、もっと云えば助けようとして助けられなかったのが一番いいのだろうけど、目の前でぐちゃぐちゃになって轢死してか、轢死してぐちゃぐちゃになってか、どっちかは分からないけど、ヒトからモノになる瞬間を目の当たりにすんのが、そうなんだと思うの。ホームで沢山鮮血を浴びて戦慄してトラウマになって、トラウマになるかどうかわかんないけど、まぁそういう経験をする方が何か転回になったと思うし命の価値とか、普段到底考えもしないような事を熟考する良い機会にになったはず。「救われる」は考えようによっては現に生きているこの時間全部救われている訳であって、線路に落ちた人を救ったのは分かりやすい形で現れたに過ぎない。「救われる」状況にいるよりも「救われない」状況に立ち会うほうがレアなのは当然だし、自分の番になった時、なりそうな時の参考になるかも。それにつけても、死ぬのはあんな人だろうなぁ、と思ったしあんな人から順に死んでいくなら案外地球はうまい事回ってるなぁ、と思う。有難う、の一言は、大切。
 いやー、でも荻窪まで一緒に帰ったイイ人も、事件直後だから善人として見てくれたかも知れないけど、自分の家帰って思い出したら、「あいつはきっとチンピラだった」って思うんだろうなぁ。やっぱ朝着替えてくりゃよかった。

 今日の話、ホントだよ。嘘だと思うなら、イイ人が、立川店に。

京成線、のこと。 

February 13 [Sun], 2005, 12:00
 四時半頃町屋で三人で居た内一人の友人と別れてもう一人の友人と二人になった。別れ際も友人は、先日からの調子で顔を紅潮させ、連綿と咳いていた。彼は時々やる、喉に支えた痰を吐き捨てる動作が下手で随分骨を折ってやるもんだからその度に彼がさながら嘔吐するんじゃないかと思って我々はヒヤヒヤした。正直風邪、彼は風邪とは云っていなかったから、あるいはもっと絶望的な奇病かも知れないが、をうつされるんじゃないか、と危惧していたので、彼が五時から控えるパートの為、早く散会したのは幸運だったなぁ、と思う。野暮用が有って上野に行かなければならなかったのだが、残存している方の友人、彼も偶々仔細があって日暮里を訪れるらしく、諸共上野まで向かう電車の出る京成線の駅へ向かった。
 小銭の持ち合わせが無かったので一緒に西進する友人に切符代150円を借りた。偶々珍しいコインを持っていたので御礼にそれを献上しようと思ったら、鮸膠も無く断られた。「気兼ねしなくても良い。君からそんな大事なコインを貰うのは気が引ける。そんな端金返さなくて良い」そういうことらしい。それにしても、今日当初の三人で4、5軒定食屋や喫茶店等の店に行ったのだが、その先その先で会計の際、互いに「払っといて」だの「取り合えず500円」だの各々良い加減に会計を済ませるもんだから、収支がバラバラな気がしてならない。もっと云えば、何か三人が三人とも損しているような気がする。
 ホームで電車を待っていても随分な時間やって来ない。そういう不器用さが京成線の醍醐味と云えばそれまでだが、その間、「上野から船橋までをコネクトしようとする京成線のセンス」を吟味したり「京成線で武蔵小金井まで行って…」などと、不毛な会話をしたりして待った。やっと来たと思ったら通過列車で、友人は醜悪な顔をしたり、寄り目で踊ったりして反抗したが、また少し待ったら目当ての電車が来たので乗り込んだ。
 乗車して4,5分経つと車外にはすぐに日暮里の風景が広がった。でも、以前の見慣れた日暮里とは違う。左方、東口を出て左手、のビルが軒並み崩壊していた。無機的なビルが植物のようにドロッと朽ち、生物的な死滅さえ想起させる。日暮里で降りたその友人に後から聞いた話には、傍まで行くと、朽ちたビルの他にも、建っていたビルが数棟綺麗さっぱり無くなっていたらしい。恐らく政府で、「日暮里は交通の要衝である上野に近い割りに駅前があまり発展していなくて、勿体無い。それは昔ながらの余計なビルが有るからだぁ!」とか何とか云って、要はド〜ンと再開発しようみたいな話になったんでしょう。何とも云えない物悲しい気持ちに苛まれた。
 実を云うとそのビルに思い入れは全然無い。牛丼のフランチャイズチェーンが有ったけど、そんな物は殆ど口にしないし、携帯ショップもそんなとこで契約してないから関係無し。後は、大人が行くようないやらしいサービスを提供する第三次産業しか無かったから、本当に関係が無かった。でも、そういう建物が無くなるのが一番寂しい。思い出に残っているような建物や店は皆で懐古して面白がってその度毎に供養すれば良い。「魔神が」「鮨福神が」っつって。でも、あまり興趣を保持して無かったような建造物が無くなっても、誰も思い出さないし、思い出したとしても敢えてそんなことに言及しないのサ。それは、逆に思い出深い建物が無くなる事より寂しい。建物自体無くなって、剰え皆の記憶からも直ぐ、消える訳で。

 朝、原動機付自転車で妹連中が通った中学校に接する小道に進入したら、30メートル位前方に4、5人の淑女達が道の脇で群れているのが見えた。通過する際チラッと見てみると案の定黒い太った毛足の長い上品な猫を痛ましく葬ろうとしている所。案の定、と云うのは前日の帰途、そこを逆方向に通る時、猫状の物を路肩に認めたから。夜半過ぎで真っ暗、黒いその物体は暗闇と同化していまいち本当に猫かどうか分からなかったから、素通りしてしまった。その時瀕死なり重態なりで少しでも息が有ったら詮ずる所見殺しにした訳だから、何て云うか、その場合は、謝る。で、一見しただけだが、その猫は一代前に飼っていた猫、それも同様に黒くて、大きな、ただ、下品な猫ではあったけれど、に随分似ていた。昔、その猫の事は書いたからわざわざ今、沢山は書かないけれど、結構その猫を気に入ってて、リビングから台所に移動するのも「行くぞ」なんて云ってそいつを具したり常に一緒にいるような間柄だった。
 家族が飼っていた猫の内、三匹が、幽明境を異にした。最初の猫は初号機だし、容姿端麗だったから、思い出すことは間々ある。就中、三匹目の猫はフィーリングが合ったわけで、先述の通り。しかしながら、二匹目の猫は、抱かれ嫌いだった事以外殊更記憶が無い。可愛がらなかった訳では無かったと思うけど、畢竟そんなものなのかな。何が悪いのか、自分が悪いのかどうかも、良く分からないけど、二代目の猫に思い出が無い事に罪悪感すらも少なからず覚える。比べると、弐号機より初号機と参号機が鬼籍に入った時の方がやはり、辛かったが、今思えば、連中の事はしばしば思い出して、その愚行、蛮行を目を細めて回顧したりするわけだから、死んだ甲斐が有るってものだ。一方、弐号機は、存命中はその辺でフニフニしてるから気付いた時に相手してもらえるにしても、一度死んだらもぅあんまり登場しない。そう考えると、事後的には、初号機や参号機より、弐号機がドボンした事の方が、寂しいと云うか、悲惨と云うか。物悲しい気持ちに苛まれる。

 後、そんなことより、午前中に起きると身体に変調を来すのはどうにかならないものか。腹痛は日常茶飯事だから、まぁ、泣いてやるとして、今日は、喫茶店で、鼻血を出した。

強風の日、のこと。(前) 

February 03 [Thu], 2005, 12:00
 朝起きて窓外に目をやったら、疾風が吹き狂っていた。寂寞とした冬の原野でも風力を暗示するような草木は幾つか認められて、それと音、無責任に単調な風の怒号。で、「こんな体たらくじゃあ当然教習は中止だな」とか思って。最初の説明会で、強風の場合は性質上危険が余りに高すぎるので教習は中止、と断ってあったし、確かパンフレットにもそう記載が。
 気球を操縦するのに必要な免許を取りに新潟まで合宿に来ていたの。
 他にも合宿生達が沢山居た。しかし、そこの合宿所は気球の他に戦車の免許も取れるようになってて、僅か二、三人の気球コースを除いて他の四十人から五十人の連中は皆、戦車の免許を取りに来た奴等。だからその辺の奴に、気球コースの方の教習の有無を尋ねても知る由も無く、「あー、ちょっと分かんないです」とかうっとおしそうに返事をして自身の出発の準備に感けるばっかり。しかしながら、一人、同じように気球の教習で戸塚から来てる随分フランクな奴が居て、やたらと前日の講習会でどうでもいいような話をいっぱいして来たから、一応そいつとは顔見知りになっていた。あまり好まない言辞を弄していたし、話もつまらなかったし、運動神経も悪そうだったし、何も引き出せる気もしなかったし「気球には夢が有るよ。世界中を気球で旅したいよね」とか童謡みたいな、小学生みたいな事を云ってて、とても友達にはなれないな、とか思ってたんだけど、かと云ってそういう合宿所みたいな孤立がデフォルトの環境では相互に情報を交換するための人間は不可欠だから、割と話はするようになってて、そいつを見つけたから、「どうなのかな、今日」戸塚在住「これ、多分無いよね」「あー、だろうね。これが強風じゃ無かったら何を以ってして強風の定義とするんだろうね」等と談義して、無し、と云う苦渋じゃない決断。
 合宿所から教習所まではやたらに遠く、高速を使って関東の方まで行くんだけど、そんな所に立地しているのが無駄に思えてならないが、要はバスが出ているの。朝九時のバスが出るともうその後にはバスが無い。実を云うと戸塚在住と詮議していた時間でもすでに九時を回っていて、そこだけ見ても二人ともその日の教習に行く気は既に無かった。あの時間に双方がもう一方を発見出来たから、出し抜かれて勝手に教習に行かれなかった事が分かった訳で戸塚の方も多分ホッとしていただろう、と忖度。
 で、結局その日一日オフになってしまった。ところで、合宿所の裏には、寝泊りするような場所でも教習生たちが気軽に触れられるようにって、朱色と黄色のストライプの安っぽい気球が常時係留してあった。ちなみに戦車も有るのだが、それは構造だけを勉強するための模型で、起動させる事が出来なくてつまんないから興味は、無し。勿論その気球も教習で使うようなちゃんとしたやつじゃなかったし、放って置かれて幾星霜、随分汚かったが、じゃあどれ一つそれで遊んでみよう、って話になった。その気球はちっこかったので三人いれば何とかうまいこと動かせる感じ。でも、今のままだと一人足りないからって云うんで、ロビーを探して、暇そうにしてる戦車コースの奴を見つけて引っ張ってきた。そいつは九時出発っつってもどうせバスは九時丁度には出ないだろうとか鷹を括ってて、定刻を少し過ぎても部屋でフニフニしてたらバスに置いてけぼりを喰らったらしい。「案外時間にきっちりしてしてんだよなぁ」とかぶぅ垂れてた。やっぱりやることが無くて暇になっちゃったらしいから二つ返事で直ぐ付いて来て。

強風の日、のこと。(後) 

February 03 [Thu], 2005, 12:00
 三人で裏に出てみるとやっぱり風の勢いは凄まじく、戸塚のスカートが引っ切り無しにめくれ上がりそうになってて、戸塚は顔ばっかり無駄に可愛かったから、何て云うか、動揺した。それより何より、そもそもとても寒かったからジャージを着て来た方が良いって話になって、皆一旦戻ってジャージになったからその問題は解決。結果的に、裏の気球は想像以上に汚くて、触っただけで色々黒いやつとか深緑のやつが付いたからそれで正解だったと思う。ロープで繋がれてる気球は強風に煽られて猛犬のように、ガウガウ、って右へ左へ大きくシェイク。ちょっと畏怖したけど隗より始めよ、って事で、勇気を振り絞って乗り込んでしっかと縁につかまって。で、合図で、三つ係留されてるロープのうちの短い二つを鉄のフックから取り外させた。その瞬間折からの突風で一気に繋がれてた気球がブワワッと上昇した。「死んだ」と思って、不意に目をつぶってしまったから実際どれくらい上昇したのか分からなかったけど、数秒、少なくともそう感じた、浮かんで、その後気球のふわっとした性質でうまい事優しくやっぱり汚い芝生の上に着地。これはやばいって事になって慌てて再係留。どれくらい上昇したかを戸塚と戦車コースの奴に聞くと「あれは30メートル位上がってたよ」とか白熱した口吻で鼻息荒く語ってたけど、そもそも最後まで繋がれてた一番長いロープが15メートル程だからどう考えてもせいぜい、5メートル、高くとも10メートル前後だと思う。
 で、「ひー、死ぬとこだったねー。口直しに帰って皆でダイヤモンドゲームでもやるか」っつって這々の体で合宿所に戻って、そこの管理人然とした人にダイヤモンドゲームを借りようとしたら、窓口の横のA3サイズのホワイトボードに「気球コース/通常通り 戦車コース/通常通り」とのお知らせが。念のために管理人然とした管理人に聞いても「ある」との事。「そんなのってあるかよ」とか云いながらも、きっちり予定通りに教習を受けないと延泊させられるから何としてでも教習所に赴きたい。もっとも、この時点で昼の分はすっぽかしたことになるから最低一日の延長は決まってんだけど、もっとウカウカしてたらさらに二日、三日と。教習所まで行く唯一の手段と目されるバスが既に出てしまった訳で、足は確保されて無かったけど、一応準備はしないと埒が明かない、って慌てて支度をしてロビーに戻って来た。すると、僥倖とでも云うのかな。合宿って云っても遠隔地じゃなくて合宿所の直ぐ近くに実家がある奴等が結構居て彼奴等はバスに乗り遅れてもお父さんお母さんが教習所まで送ってくれたりするのであって、まさに人間シャトルバス。しかもその日はたまたま日曜だったから普段より、もうちょっと多くそういう人が居そうな感じ。きょろきょろする間も無くちょうどそんな被人間シャトルバスの一角の、親父に送ってってもらおうと玄関の所に居る子が目に付いた。厚かましくもそいつに打診。びっくり。小学校の時の同級生。でもそいつは気付いて無いっぽかった。虐めたりしなかった訳じゃなかったから黙ってたほうが得だと思って、得意の慇懃無礼な態度で「御一緒させては頂けませんか」って。そいつは別に何も、バスに乗り遅れた訳じゃ無くて、もともと教習が午後からだからこの時間に合宿所を出るのであって、チャカチャカ遊んでた我々一向に冷たい侮蔑の眼差し。でも腰を低くして哀願してたらそいつの五十恰好のしがない親父が「いいよ、乗ってきなよ」って。どうせ戸塚が可愛かったから、と邪推。でも、その親父は実際気前が良くて、我々一向三人と、強風で戦車コースまで無くなると思ってロビーで騒いでた本当のバカ二人まで乗せてやって十一時半に出発進行。
 教習所まで高速使って三時間弱掛かる。最初は戦車コースのバカ二人がうるさくしてたけど、途中から皆寝てしまった。と、いうのもどういう訳か、親父は萎れた様相を呈してたくせに、車はハリウッドスターが乗るようなすごい長い車、要はリムジンで、乗り心地は自動車とは思えない程良かった訳で。御曹司の方は助手席に乗ってたから、奴の見えない後ろの座席、座席といっても小上がりみたいになってんだけど、そこで靴下を脱いだり、さっき気球の流れで汚して黒ずんだジャージに着替えてリラックスしたり、傍若無人の振る舞いも出来たし、皆家みたいな気分になってグッスリやってしまった。
 教習所がどこにあったかは思い出せないがインターチェンジから直ぐだと云うのでその辺で適当に降ろしてもらった。
 礼を云うと、親父は「疲れたから少し休んでから帰る」とか何とか云ってビュンビュン車が走ってる高速道路の脇に車を止めて背もたれを倒してスヤスヤやりだした。何て云うか、それは、不味いだろ。

 気付いてると思うけど、昨日、見た、夢の話。

水仙、のこと。 

December 06 [Mon], 2004, 12:00
 今日朝起きて、携帯電話を見てみたら母親から「起きて暇があったら庭のバケツに、切った水仙の花を放置してきてしまったので家の花瓶にいけて下さい」と云うメールが届いていた。もとい、そのメールで起床した。朝起きて、もっとも既に午後になっていたが、一日のスタートのミッションが「水仙を活ける」なんてのはとっても趣に溢れている喜ばしい指令だと思ったし、昨晩友人とチャカチャカやり過ぎてて狙った時間に帰宅できず、母親にビデオを録画してもらったという借りがあるので。活けることに。御茶ノ水に行く時間までにはまだ随分余裕があったし。
 早速庭に出ようと、ヨチヨチ庭へのドアがあるリビングへ行った。いきなり障壁が。寝ていた一人の猫が気配を感じて、急に起き出し、こっちに来てギャァギャァ鳴き喚いて。どうやら例によって餌が欲しいらしい。「貴様には朝一番に水仙を活ける、この風流心がわからないのか」と云う、諦念と侮蔑をたっぷり含んだ一瞥を喰らわせ、そんな野暮どもは放っといて、さぁ、庭へ。
 母親の庭はそう広くは無いが所狭しと植物が配置してあるので、案外水仙を探すのに手間取った。水仙達の臨時待避所とも云うべき、バケツの中には9から12人位の水仙達がうごめきながらこちらを凝視していた。今まで、水仙をはっきりと意識したことは無かったが、改めて見てみると、外縁部の真っ白と中央部の真っ黄色がなんとも玉子焼き見たいだなぁ、と思って、手に取って見ると甘美なる芳香。玉子焼きなどと低俗に比喩した事を反省しつつ、庭先で暫くそのよく見れば素敵な外見と爽やかな甘い香りに陶酔していた。
 「あちゃぁ、そういや、活けるんだった」と、我に返りそのままリビングに戻り水仙達に相応しい花瓶を探索していると、さっきの猫が、またギャァァギャァァ食い下がってきた。「水仙を活ける風雅に食欲が勝るとは。君のような輩を、花より団子、と云うんだよ」と一蹴。ちょこっと探すと食卓の上に花瓶があった。ナイス!。中の溜まったヘドロみたいな水を乱雑にシンクに空けてスタンバイ完了。
 活けたらこれぞ美麗の一言。全体から醸成される気品と優しさに身を任せ、結構な時間ボーっと観賞していた。BGMにはやはり猫のギヤアギヤア云う声。で、水仙の事がもっと知りたくなって、母親が使っている花の事典を引っ張り出して、検索。
 事典、その他に依ると、水仙は、自尊心、自己愛、神秘等の花言葉を持ち、花冠の白を銀の台に、副花冠の黄を金色の盃に見立てて「金盞銀台」、雪中に毅然として咲く「雪中花」の名でも呼ばれるらしい。「雪中花」、とは、正直シビれた。風情の塊。さらにワクワクして読み進めて。英語では”narcissus”。なんでも、神話のナルキスって人、要はナルシストだったんだけど、が水面に映った自分の事を大好きになって、もう好きで好きで居ても立ってもいらんなくなって、自分が。それじゃしょうがないからっつってダメになって入水自殺して、水仙はその化身なんだって。
 なんか…、嫌いになっちゃった。
P R
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