これは映画ではない

October 26 [Fri], 2012, 15:36
イランのジャファールパナヒ監督の映画。
なぜこんなタイトルなのか。
ジャファールパナヒ監督は、反体制的な活動アフマディネジャドが再選された大統領選挙の、やり直しを求める運動に関わったとかにより20年間の映画制作の禁止、出国禁止、自宅軟禁を申し渡されていて、映画を撮ることができない。
だったら、家に友達の監督を呼んで、今から作られなかった映画の脚本を読み上げて再現してみるから、それを撮るんだったら大丈夫だよな、というところからこの映画は始まる。
なのでタイトルもこれは映画ではない。
すべてのクレタ人は嘘つきだと言うクレタ人、みたいなパラドックス。
ラースフォントリアーのドックヴィルばりに、部屋の床にアンケートサイトテープをはって、主人公の部屋はこうなっていて、その境遇は云々、と語り始めるパナヒ監督。
この辺りは、監督の熱意にも関わらず、観てる側としてはそれを聴いてるだけなので、そんなに面白くはない。
やがて、自分の撮った映画を再生して、映画を映画たらしめるものは何かを語り始めて、こんなテープをひいて喋ってるだけでどんな映画ができるっていうんだと自棄になり始める。
脚本の再現を投げ出して、テレビを見てると、ニュースで東日本大震災を伝える映像がながれる。
マンションの外からは火祭の花火の音が鳴り始め、iphoneでそれを撮影してみるパナヒ監督。
友達の監督は家に帰ると言い出し、せっかくなのでとカメラを置いていく。
やがて、火祭を見に行きたいから犬を預かってくれと、同じマンションの住人がやってくるが、犬が泣き喚くので1分もしないうちに返却する。
そうしてると、青年がゴミの回収にやってくる。
青年は、妹夫妻が管理人で、帰郷しているあいだ代わりに管理人の仕事を手伝っているという。
パナヒ監督は、カメラを持ってエレベータに乗り込み、そのゴミ回収に付き合う。
青年は芸術大学で学んでいて、パナヒ監督が逮捕された時にもこのマンションにいたらしい。
さっき犬を預かってもらえなかった住人が、ゴミ回収にきた青年に預かってと頼み、さっきパナヒさんにはすぐにに返されたのよと喋っている。
そうしているうちにエレベータは地下につく。
ゴミを捨てに外に行くが、カメラが見つかるといけないので外にでないで、と青年。
柵の外では、火祭の火が煌々と、大音量で鳴り響いている。
という映画。
後半からの展開は、ものすごく面白い。
どこまでが演出なのか、たまたまなのかは分からないけれども、脚本朗読による映画の再現を諦めて、カメラが撮すがままにした途端、映画として動き始めるのが素晴らしい。
それがまた、マンションの外への、脱出にもなっているという妙。
最初は、映画を撮影できない映画監督のドキュメンタリーのように始まるという唐ナは、韓国のキムギドク監督のアリランにも似ている。
キムギドクは個人的な体験から映画が撮れなくなり、そこから抜け出すために自分にカメラを向け、やがてそれがドキュメンタリーとは違う映画に変容していっていた。
ジャファールパナヒ監督が映画が撮れないのは、体制による抑圧なのだが、それに抗ってどうにか映画を撮ろうとすることそれ自体を捉えて、やがてそれが映画として変容していく。
どちらも、映画による表現者が、その表現媒体によって、自らの桎梏から抜け出ていく様を映し出している。
自由になるとは、どういうことか、と。
なにがどうあれば映画なのかはよく分からないのだけれども、間違いなくこれは映画だというものに変容していくその様が素晴らしい、そんなこれは映画ではないという映画。
日本よ、これは映画ではないこそ映画だ
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