来年度のシュールカメラート管の定期演奏会は「第35回」となり、数字の上ではひとつの節目でもあります。
定期演奏会で取り上げる曲は、団員により何度も選曲会議が開催され、そこで決定されます。当団ではとても民主的に選曲がなされます。
常任指揮者としては、候補に挙がったたくさんの曲のスコアを検討して、演奏の難易度、編成上の問題、モチベーションを保ち得るか、等々の意見を述べることになります。
メインの曲が早々に決定しました。
「ベートーベン 交響曲第7番 イ長調 作品92」
これは、私自身も候補に挙げていた曲でもあり、クラシックに親しみ始めた頃から大好きな曲でもあり、最近、とある人気ドラマのオープニング曲ともなって一躍有名になった曲です。
第5番「運命」と第6番「田園」を書き上げ、油も乗ってきて、そろそろ世間に名を上げ始めたベートーベンが、次に書いたのが、さらなる高みを目指しての交響曲・・・
というわけにはいかなかったようで、ベートーベン自身の補聴器やら、メトロノームの発明やらで、とてもお世話になった、音楽家でもあったメルツェル氏が自ら考案した「ハルモニア何たらかんたら」という珍妙なる楽器で演奏するための曲であったそうです。
で、しぶしぶ書いた曲が「戦争交響曲」で、現在ではほとんど演奏もされません。
何だか大味な曲で、大指揮者ヘルマン・シェルヘンのリハーサル風景(シェルヘンは好きだったのかなぁ・・)のレーザーディスクしか、私自身は聴いたことがありませんし、CDを買ってまで聴きたくなる曲でもありません。
ところが、この派手な曲の演奏会は、歴史的背景もあり、聴衆には大うけしました。
でも、そのことに一番納得できなかったのは、きっと当の作曲家本人であるベートーベン自身だったでしょう。
「俺の書く曲はこんなもんじゃないぜ!」
と、ばかりに書き始めた曲が、第7番でした。(同時に続く第8番も書いていたのですから、その創作意欲には驚くばかりです)
結局、この第7番の初演も大成功で、ベートーベン自身も大いに溜飲を下げたわけでありました。
第1楽章は長大な62小節もの序奏で始まり、主部に入ってからは執拗なまでのタッタラタッタラの応酬で埋め尽くされているし、第2楽章は旋律があるようなないような、不思議な雰囲気が漂っています
。
「何じゃこりゃ!?」
と、当時の聴衆は驚いたことでしょう。
ワグナーは「舞踏の聖化だ」と呼びました。
ウェーバーは「とうとうベートーベン先生も病院行きですな」と嘲笑しました。
グールドは「世界最初のディスコミュージックだ」と称しました。
ワインガルトナーは「この曲を演奏するのはメッチャ疲れる」とため息をつきました。
まさに過去も、現在も、賛否両論渦巻くセンセーショナルな曲であるわけです。
さて、晴れて次回定期演奏会のメインと決定したところで、表題も副題もなく、また「運命」のように後世、他人が勝手につけたタイトルもない、この純粋音楽「第7番」についてつらつらと思いつくままに何か書いてみたいと思います。
定期演奏会で取り上げる曲は、団員により何度も選曲会議が開催され、そこで決定されます。当団ではとても民主的に選曲がなされます。
常任指揮者としては、候補に挙がったたくさんの曲のスコアを検討して、演奏の難易度、編成上の問題、モチベーションを保ち得るか、等々の意見を述べることになります。
メインの曲が早々に決定しました。
「ベートーベン 交響曲第7番 イ長調 作品92」
これは、私自身も候補に挙げていた曲でもあり、クラシックに親しみ始めた頃から大好きな曲でもあり、最近、とある人気ドラマのオープニング曲ともなって一躍有名になった曲です。
第5番「運命」と第6番「田園」を書き上げ、油も乗ってきて、そろそろ世間に名を上げ始めたベートーベンが、次に書いたのが、さらなる高みを目指しての交響曲・・・
というわけにはいかなかったようで、ベートーベン自身の補聴器やら、メトロノームの発明やらで、とてもお世話になった、音楽家でもあったメルツェル氏が自ら考案した「ハルモニア何たらかんたら」という珍妙なる楽器で演奏するための曲であったそうです。
で、しぶしぶ書いた曲が「戦争交響曲」で、現在ではほとんど演奏もされません。
何だか大味な曲で、大指揮者ヘルマン・シェルヘンのリハーサル風景(シェルヘンは好きだったのかなぁ・・)のレーザーディスクしか、私自身は聴いたことがありませんし、CDを買ってまで聴きたくなる曲でもありません。
ところが、この派手な曲の演奏会は、歴史的背景もあり、聴衆には大うけしました。
でも、そのことに一番納得できなかったのは、きっと当の作曲家本人であるベートーベン自身だったでしょう。
「俺の書く曲はこんなもんじゃないぜ!」
と、ばかりに書き始めた曲が、第7番でした。(同時に続く第8番も書いていたのですから、その創作意欲には驚くばかりです)
結局、この第7番の初演も大成功で、ベートーベン自身も大いに溜飲を下げたわけでありました。
第1楽章は長大な62小節もの序奏で始まり、主部に入ってからは執拗なまでのタッタラタッタラの応酬で埋め尽くされているし、第2楽章は旋律があるようなないような、不思議な雰囲気が漂っています
。
「何じゃこりゃ!?」
と、当時の聴衆は驚いたことでしょう。
ワグナーは「舞踏の聖化だ」と呼びました。
ウェーバーは「とうとうベートーベン先生も病院行きですな」と嘲笑しました。
グールドは「世界最初のディスコミュージックだ」と称しました。
ワインガルトナーは「この曲を演奏するのはメッチャ疲れる」とため息をつきました。
まさに過去も、現在も、賛否両論渦巻くセンセーショナルな曲であるわけです。
さて、晴れて次回定期演奏会のメインと決定したところで、表題も副題もなく、また「運命」のように後世、他人が勝手につけたタイトルもない、この純粋音楽「第7番」についてつらつらと思いつくままに何か書いてみたいと思います。