小学校時代 2 

December 18 [Tue], 2007, 17:52

  まず食事面から虐待は始まった。
  子供だから好き嫌いはあったのだが、父親がいない時の食事は
  私が食べた事もないような変な味のものばかりだった。

  まるで味のないもの、なんていうのはましな方で、
  しょうゆ漬けになったご飯や、真っ黒こげの魚。
  パンの耳を揚げた後に砂糖をまぶしてあるならわかるが、
  その砂糖が全部、塩。
  しまいには、ゴキブリまで入ってる始末。

  父親とは一緒に食事を取る事がまるでないため
  食事とはとても言えないようなものを食べさせられた。
  でも食べないでいると、何日も同じものがそのまま
  食事として出される。
  もちろん、暖めたりしなおす事などない。
 
  また小学校時代から、朝ごはんを与えられた事がなく
  学校で私がお腹が空きすぎて倒れる事が何度かあり
  保健室の先生がおかしいと思って、家に連絡をとると
  くるのは あの悪魔。

  そして、先生に「うちの子は幾ら食事を出しても食べないんですよ」と
  平気で言っていた。

  衣服の面にしてもだんだんと荒んでいき、洗濯をしてくれている時は
  まだましで、子供の洋服は洗濯も殆どしてくれていなかった。
  もちろんしてくれる時でも自分達の分とはわけて、雑巾などと一緒にしか
  洗濯をしなかった。
 
  またしつけと称して、給食の時にひくランチョンマットを絶対に自分で洗えと
  言われていた。もちろん1枚か2枚しかない状態で、帰宅後すぐに洗っても
  乾かなければ学校に持っていく事も出来ず、子供の手でしかも固形石鹸しか
  使わせてもらえず、他の子供はきれいなものを持っているのに、いつも
  惨めで仕方がなかった。

  また悪魔が家にきてから、私は自由にテレビを観る事が出来なくなった。
  これは自分のテレビだとか言い出し、私達は家の中のもの冷蔵庫などにも
  触ると、拷問を受ける事になった。
  
  悪魔は今でも私よりもずっと図体がデカイ。
  それが子供の頃なんてもっと差があったからあの体で本気で殴られたりすると
  ひとたまりもなかった。
  部屋の隅から隅まで簡単にふっとぶような殴り方をされた。

  私が悪い事をして虐待されるというよりは、毎日ご機嫌が悪いと殴られるという
  始末だった。
  その虐待のひとつの方法が、押入れの桟に手をつかまらせて何十分もそのままで
  いろというものがあった。
  
  押入れには途中に仕切りがあるため、子供の身長で落ちるとあごを打って、
  酷い事になるのだった。私は元々うんていすら出来ない子供だったので
  自分の体重を支えることが出来ずに、肺の骨で支えてしまい未だに
  肺の骨が湾曲している。

小学校時代 1 

December 18 [Tue], 2007, 15:04
忘れもしない、あの悪魔が家にきたのは

私の小学1年の誕生日の時だった。

その当時はりかちゃん人形が流行っていて、父親は母親がいなくなった後
私を玩具売り場に連れて行ってくれてもりかちゃん人形の一番安いのは
1度だけ買ってくれた事があるが、りかちゃんハウスなどは買ってくれた事はなかった。

ところがその日知らない女が夕方父親と家に入ってきて
大きな荷物を私と弟に渡した。

私にはりかちゃんハウス。弟には大きな戦隊もののプラスティックで出来た人形だったと思う。

でも、私は普段なら嬉しい玩具もあまりの不穏な空気に嬉しいどころか恐怖さえ
感じていた。
子供にはわかるのだ、目の前にいる女が悪魔だと言う事が。

実際にすぐにボロは出始めた。
夕食を食べたあと、私はいつも楽しみにしているテレビをみようとしたら
テレビのチャンネル権をこの悪魔に譲れと父親が言い出した。
自分がみたいテレビがあると父親に甘えたのだ。
私には悪魔のような恐ろしい視線を送りながら。

私は色々な危険を感じたがでもテレビをみたいと言い張った。
すると父親は怒りだし、どうしてもあの悪魔にテレビのチャンネルを譲れ、
そうしないと悪魔が帰ってしまうと言った。

もちろん私は見抜いていた、そんな甘い悪魔じゃないことを。

私はそれでもチャンネルを譲ろうとしなかった。

すると悪魔はすねて私には威嚇した歩き方をしながら
しかし父親の前では気味の悪い甘え方をして父親に擦り寄った。
すると父親は私に突然「もう寝ろ、そして今日からこのお姉さんをお母さんと言え」と
恐ろしい事を言った。

私が嫌だと言ったらぶたれた。私が泣きながら寝る部屋(と言っても狭い家なので部屋同士は
くっついている)に言った。
しばらくすると聞いたこともない声が聞こえてきた。

これから私が味わう地獄の序章の始まりだった。

幼少期のころ 3 

December 18 [Tue], 2007, 14:57
今思えば、母は父親よりも随分年齢が上だった。
一番下は乳飲み子だったし、子供を3人も連れて家を出て行くなんて
無理だったんだろうと思う。

子供を連れて行けという父親と無理だという母親の声を聞きながら
心がどんどん傷ついていくのがわかった。

そしてある日乳飲み子の弟だけを連れて母は出て行ったのだが
その後生活する場所を整えてから母親が私達を連れていくと
言ったら父親は母親に私達を渡さなかった。

あの当時は離婚なんて今ほど言えるような環境ではなく、
離婚なんてする人間はろくでもない人間だ、位の
世の中だったから、私と弟はその後学校などでも
先生にまで「あんな奴と口をきくんじゃない、親がろくでなしなんだから
子供もろくでなしに決まってる」と嫌がらせをされたものだ。

私が幼稚園の頃はそれでもまだ生活がめちゃくちゃでも
精神的に追い込まれる事はなかった。

その後恐ろしい目にあう小学校時代がくるなんて
あの頃は思ってもいなかった。

幼少期のころ 2 

December 18 [Tue], 2007, 13:47
ある日、とうとう親戚が集まり親族会議になりました。
私の祖母も遠くから家に来て父親を説得していた記憶があります。

ところが父親は話の途中で逆切れし、話し合いの最中に逃げ
そのまま浮気相手とどこかで落ち合い、関西方面ににげました。

半年は逃げていたのですが、公務員であることを履歴書に書いていたらしく
何処にいるのかばれて誰かが迎えに行ったのだと(上司だったか
父親の兄だったか)後から聞きました。


半年も職を投げうっていたにも関わらず、私達子供がいるからと
公務員の職に戻る事が出来たと聞いています。
それ以降一旦は家に戻ってきた父親ですが今度は何をしたかと
言うと、母親を追い出す為に壮絶な暴力が始まりました。

鉄パイプで出来た椅子などで殴ったり、蹴ったり。
毎晩母が泣き叫ぶ声に目が覚めた記憶があります。
父親が理不尽に子供を全員連れて出て行けと言っているのを
何度も聞きました。

そして結局父親はまんまと母親を追い出す事に成功しました。

私の食事は途端に貧しいものとなり、精神的に不安定になって
いったのを覚えています。
幼稚園に父親の作った貧しいお弁当を持って幼稚園に一人で
行っていました。お迎えは隣の家の人に頼んでいたようで、
隣のおばさんが毎日自分の子供と一緒に迎えに来てくれた
事を覚えています。

しかしそういう恩があるにも関わらず父親はその後
そのおばさんの事を悪口ばかり言っていました。

幼少期のころ 1 

December 18 [Tue], 2007, 13:35


私の記憶があるのは幼稚園に一人で毎朝通っていたことです。

普通、親が送っていくものですが、母親が出て行った後私は毎日

幼稚園に一人で通っていました。

そうなる原因となったのは父親の浮気でした。

父親はとある地方公務員で、最初にすんでいた場所は公害がひどく、

弟は体が弱かったため引っ越すこととなり、同じ市内の緑の多いところへ

引っ越しました。



そこに引っ越してまもなくすると母は近所の人に

「これ、言っていいのかどうか迷ったんだけど・・・、、

あなたのだんなさん、今日若い女の人連れて○○産婦人科に

いたわよ・・・」

後から母に聞いた話なのですが、父はわざと家の近所の

産婦人科に浮気相手を連れて行ったのだそうです。

ここから私の地獄ははじまりました。





浮気がばれて、家の中は毎日喧嘩で、父親が母親を殴るけるの

暴行を加え、子供の立場ではとても見ていられないほどの光景でした。




前書き 

December 18 [Tue], 2007, 13:29

子供は虐待されても親を訴えることは出来ないに等しいものです。

昔のことを今さらになって言うのかといわれ、私にとってトラウマで

悩まされている今、昔のこととは思えないのです。

そこで記録として残しておこうと思いました。



同じような経験を持っている方、フラッシュバックがあるかもしれません。

P R
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