7月28日・元高校全共闘の集い

August 03 [Fri], 2012, 20:22
今回の東京行きの主目的は、1970年前後の高校生の政治闘争、高校全共闘についての著書小林哲夫『高校生紛争。
1969-1970「闘争」の記録と証言』中公新書の刊行を記念した集いに出席するためだった。
会場は飯田橋にある平沼騏一郎ゆかりの涵徳亭だったが、当日、集いの発起人である盟友の前田年昭氏と川嶋康裕氏と事前の打ち合わせをした。
簡単にいえば、この集いを、元高校全共闘の活動家たちの同窓会のようなものにするのではなく、現在も進行している継続する問題、つまり戦後批判の問いを再確認するような場にしようということだった。
会場へ行くと、予想以上に人が集まっていた。
私は20人くらいの集いだろうと勝手に思っていたが、70名以上が来ており、立食パーティ形式の会場には、外見は60歳頃の初老だが、意識は10代にタイムスリップしたような熱気が漂っていた。
集いに参加していた元高校生活動家は実に多彩で、今は市長や議員になっている者や大学教員、テレビその他でも馴染みのある放送大学の教員や大手新聞のジャーナリストから、活動の軍資金調達のためのM作戦としての銀行強盗の経験を持つ者、指名手配で十年以上も逃走していた経験のある者などが、席を同じくしていた。
かつての「本日の集会に結集されたすべての学生、労働者、市民に、連帯の挨拶を送ります」という様式で司会者が挨拶して会は始まった。
催しは、二部構成のような形となり、一部では、上掲書でも取り上げられた高校で闘った連中が、学校ごとに「連帯の挨拶」をする形で進行し、25校くらいはあっただろうか。
先に、この日の集いを同窓会にしないという確認を、発起人はしていたが、そのための挨拶というか話をするという大役を私がすることになった。
一部は案の定というべきか、ほぽ、昔を懐かしむ同窓会の延長のようなものとなり、そこで、約半数ほどが帰り、強者たちが残り、二部が始まった。
結局、私は、真打のような案配で、高校全共闘のイデオローグのような形で話をすることになったイデオローグという実態は無職で職業名がなかったこともあるだろう。
前田氏や川嶋氏とは、私の持ナもある先の戦争の最後における舞-HiME本土決戦派の意識の、戦後批判的な継承に触れることを約束していたが、それでは話が一講演会ほど長くなりかねないため、要唐プにした。
小林氏の著書は、高校生の闘争は1970年に終わったという視唐ノ立ち、教育社会学とでもいうべき観唐ゥらの整理だった。
その意味ではいってよければカウセリング的視唐フようなものがある。
それは著者の立場としてはそれでいいのだが、運動の体験者の側は、教育社会学的視唐ナ運動を総括出来るのかということだ。
教育社会学では、運動はやはり教育上の症例のようなものとなるが、体験者にとっては、それは症例ではなく無意識的な正常行為であり、だから、当時の運動体験者の意識や行為を追跡するだけではなく、当時、意識しえなかったことや、無意識的に行動してしまっていたことの構造への視唐ェ不可欠であり、そのためには教育社会学とは異なる歴史への視唐ェ必要だということだ。
この歴史への視唐ナ、戦後批判の歴史的根拠として戦争最後の本土決戦の志向の思想的継承に繋がる話になる予定だったが、それは割愛した。
集いの終わった後、涵徳亭の別室で二次会が開かれ、さらに別の場所で夜中近くまで三次会が持たれ、関西派と関東派の違いその他、話はとめどなく広がっていった。
それとは別に個人的には、ブント系の大阪府高連だった者をはじめ、旧知の人間や、当時はさほど接触がなかったり、名前だけしか知らなかった人間と会えたことが収穫だった。
また、1976年に私が『情況』に書いたシェーンベルク評価してくれ、2009年の池袋ジュンク堂書店でのトークイベントで再会したように親しく面談し、意気投合しながらも、最近は体調を壊し、療養中である、やはり高校生活動家として盛名のあったタイポグラファーの府川充男氏が、府川氏の盟友のドイツ思想史の高橋順一氏と一緒に出席し、久しぶりにその顔を見ることが出来たことが嬉しかった。
高橋氏は、講談社現代新書のベンヤミンネ来、ドイツ思想関連の文章は断続的に読んでいたが、迂闊にもアドルノのワーグナーG氏が訳出していることを忘れていた。
途中で高橋氏と秀実氏、市長職にあるふじなわ氏の4人で別に席を持ったが、高橋氏の意外な横顔に接することが出来た。
ベンヤミンやアドルノという世界とはおよそ遠いイメージでもある軍歌に高橋氏が詳しく、しかも日清戦争の「煙も見えず奄烽ネく」という黄海海戦の歌や日露戦争期の水師営の会見を知っており、思わず合唱してしまっていた。
三次会の場には、元共労党のイデオローグで今は推理作家の笠井潔氏がチラリと顔を出し、その後、別の場でしばし席を持った。
また、この日を私のオフ会と誤解したと思われるのだが、1980年代の法政黒ヘルの中川文人氏が私に会いに来たのだが、些細な誤解があり、ちょっとした一悶着があった。
これについては後で笠井氏から、私が、その場をおさめるべきだという叱責を受けたが、たとえ私にアルコールが入っていたとはいえ、その通りだと思う。
また集いには、その日、早朝に夜行バスで到着した私に付き合ってくれていた朧塚君と、前田氏が誘ったのだと思う、外山君の我々団党員の山本桜子さんが参加し、桜子さんは、運動の精垂継承する若い世代として連帯の挨拶までしたのだった。
2012年7月28日は、このようにして一日が終わった。
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