久しぶりぶりブロッコリー
2017.07.06 [Thu] 12:13

1年2ヶ月振りに海外に行ってきた。行き先はフランス。ブラジル在住の写真家である息子の写真がフランスの
美術館に認められ、20点ほどの写真を収めることになったので、この機会に同行の孫に会うために出かけた。
パリの凱旋門とノートルダム修道院、モンサンミッシェルの満潮時にアクセス道路が水没する修道院は観光客が多く流石に見応えがあった。しかし何と言ってもサンマロ城塞が一番よかった。文化遺産に溢れる国で、自分から申請しなくても皆んなが認める素晴らしいものがそこら中にある。日本のように、くだらないものまで
必死で文化遺産の申請にやっきになっているのとはえらい違いだ。いわゆるフランス料理など一度も食わなかったが、アフリカ料理とレバノン料理が最高に美味かった。IT 関係は日本より進んでいる。ただし、外来種で溢れかえっており、昔の植民地政策の贖罪のためとはいえ、治安が悪くなるのは当然だ。また、あれだけテロの標的にされているのに、入国時の荷物検査はしないし、新幹線に乗るのに改札もないし、検札にもこない
ので簡単に爆発物を持ち込める。能天気もいいとこだ。出国時はヴァカンスに重なったためか、空港はごったがえしており、整列をする文化がないのかやたらと時間がかかった。出発2時間半前に飛行場についたのに、も少しで乗り遅れるところだった。外来種のオバさんの列への割り込み、中国人団体の遅れてきた人間を割り込ませるなどの行為のため、3人が飛行機に乗り遅れ、置き去りになり荷物は機内から飛行場に戻すなど無茶苦茶だった。人員をうまく配置して仕切ればスムーズにいくのに、そんなことお構いなし。また出国者でごった返しているのにパスポートをチェックする係りはお互いに横をむいて喋り出すなど、おバカな
国民だ。買い物したときの店員の頭の悪さときたらひどいものだ。何しろ数の数え方が想像できない。
例えば91 を表現するのに 4x20+11 と言うのである。91-85 は (4x20+11)-(4x20+5) と表現するなんて考えられるか?イギリスも50年まえまでは10進法ではなかった。
 

あけましておめでとうございます
2017.01.07 [Sat] 13:37

年末29日から、9泊10日でナイジェリアから一時帰国の家族が泊まっていった。ムゼ坊もストレスが溜まったのか、それともボケたのか、家の中で小便を2回、大を1回してしまった。なので、昼間は車に閉じ込め、夜は2階で添い寝だ。せいぜい3泊が限界だな。おいらも、便秘ぎみになったし、風呂は朝風呂だ。
 

ムゼー坊の受難
2016.11.29 [Tue] 12:14

早いもので、ムゼー坊も13歳になった。一ヶ月ほど前から左卜全のように、口をフガフガしだした。歯槽膿漏がすすみ、歯茎が化膿したので病院に連れて行った。犬歯は勿論、他の歯もグラグラになっており、一泊入院して殆どの歯を抜いた。費用60,000円強。今は左卜全からクシャオの顔になってしまった。歯を抜かれると、気力も萎えてしまい、ソファーにも飛び乗れず、床の上でひたすらうずくまっている。終活が始まるのかもしれない。
 

閑話休題
2016.11.14 [Mon] 10:14

約5年振りに、荒井海岸へ潮干狩りに行ってきた。鉾田市民に案内してもらったが、鋤簾に錆びが回っており潮干狩りしている最中に根元から折れてしまった。鉾田市民はステンレスの鋤簾を持っており、道具で負けた。アマゾンで入手できないかと検索してみたら、ピンポン!鉾田市民が持っているステンレスの鋤簾が売っており、早速2個買ってしまった。柄が少し短いので、許可最大長まで柄を取り替えるつもりだ。これから寒くなるので、もっと早くからやっておけば良かったと後悔している。それからABC仲間に作って貰った物置が崩壊寸前で中に雨水潮風が入り込み早急に建て替える必要がある。

 

馬鹿なアメリカ白人中間層
2016.11.11 [Fri] 13:55

大方の予想を裏切って、品のないトランプが次期大統領になる道を選んだ馬鹿な白人中間層。鉄鋼、自動車産業を取り戻すとトランプは息巻いていたが、歴史は後戻りできないということが分かっていない。鉄鋼高炉は一旦火を消し稼働を止めると、再建するのに新しい高炉を作るのと同じくらい金がかかるのです。鉄鋼で中国に対抗できると思っているのか?馬鹿な白人め!自動車産業を含め他の工業でも、安い賃金で競争力をつけるのには、移民の労働力に頼らざるを得ない、さもなくば、馬関な、過去を懐かしむしか脳のない白人が地に這いつくばって働く覚悟があるのか。ヒラリーも、危機意識に欠け、トランプと低次元の論争に付き合うという馬鹿な道を選んだものだ。こんな恥さらしな次期大統領はいないぞ!格差を解消するという、トランプ自身が親の遺産で大きくなり、息子の遊ぶ場所にトランプタワーの階全体を充てていると言うではないか?こんな馬鹿なトランプに国政を任さなければならないアメリカ国民には同情はするが、自分たちが選んだトランプだ、自分たちで何とかしてもらうしかあんめい。
 

1808年
2016.11.10 [Thu] 12:58

地理的に見ればポルトガルはユーラシア大陸の最西端に位置してお
り、東と北は仇敵のスペインと国境を接しており、すべての海岸線が
大西洋に面している。従ってヨーロッパの他の先進国との接触は薄い。
陸路東に進出するには、スペインが立ちはだかり、地中海はイタリア
が支配していたので、海外進出は大西洋を通っての海路しか残され
ていなかった。肉食文化のヨーロッパ人にとっては、肉の保存のため、
香辛料が欠かせず、回教徒を通じ陸路での調達を余儀なくされていた
のだが、1492年のコロンブスによる新大陸への到着を機に、海路に
よる香辛料の供給地であるインドへの進出に拍車がかかり、ヴァスコ・
ダ・ガマにより実現された。ヴァスコ・ダ・ガマは国王、国民にも人気が
あり、彼の遺体は国家的英雄として埋葬されているが、世界一周を成
し遂げたマゼランは(帰路フィリピンでの土人との戦闘で戦死し遺体も
見つかっていないとしても)軽視されている。マゼランは当時の国王に
徹底的に嫌われ、世界一周の計画も認められず仕方なく隣国スペイ
ンの王を頼り、偉業をなしとげたのが、ポルトガルとして許せないとい
う意識があったものと思われる。彼の偉業も結果として何の富ももた
らさずその後、世界一周を志す者は暫く現れていない。
予断だが、コロンブスも実はポルトガル人であったという説がある。

海路での海外進出にはこの、ポルトガルの地理的条件が有利に働い
たわけだ。
スペインとポルトガルの海外覇権意欲が強く、当時の教皇が仲を取り
持ちヨーロッパ以外の国を両国の所属に決めるための条約を制定す
るという真に滅茶苦茶なことを行った。少しの経緯はあったものの、そ
の条約により、ポルトガル人、ペドロ・アルバレス・カブラルのブラジル
到着が決め手となりブラジルがポルトガル領となった。それでは、なぜ
その後、ポルトガルがイギリスやフランスに遅れをとったのか?
一番大きな理由は産業革命への乗り遅れと強大なカトリック教会の
存在だ。それと1755年のリスボン大地震。ポルトガルにとってのブラジ
ルは正しく神の恵みであり、自国の産業に頼らずとも、ブラジルの資源
(金・ダイヤモンド・タバコ・綿花・サトウキビ)に依存しており、自国の
産業に力を入れなくてもブラジルから吸い上げた富で国が栄え、国家は国民の
勤勉努力により国力を高めるという意識が欠如していた。
また、教会の力が強すぎ、人間の生き死には神が決めることとして、教会に
より疫病へのワクチン使用の禁止による人口減少。
異教徒のカトリックへの改宗を迫り、改宗しないユダヤ教徒、回教徒
さらに密告によりカトリックへの献身度の低い国民を宗教裁判にかけ、
火あぶりの刑も盛んに行われた

また、教皇による新植民地開拓から外された英国、フランス、オランダ
などによる、海賊行為。それに追い討ちをかけるナポレオンの台頭。
政治的には精神異常に罹った為政者(皇族)の存続を許したことが
挙げられる。実際、夜中に宮殿をパジャマ姿で徘徊したり、奇声を発っ
したりしたため、拘束衣を着せられていたとの記録も残っている。
フランス、イギリス、スペイン等列強による脅威から自国を守る手段
として皇族の娘たちを人質として差し出し姻戚関係を結ぶという、日本
の戦国時代と同じようなことをおこなっていたのは面白い。
1807年11月に実際に逃げ出すのだが、それまでに何回も国外逃亡が
計画されたまた、奴隷貿易も一時は大きな富をもたらしたが、結局は
随分後のことだがポルトガルの発展を妨げる結果となった。
ブラジルなしにはポルトガルの繁栄はあり得ず、富をもたらす奴隷制度
の廃止が、他国よりおくれ、植民地に至っては、ブラジルを除き近世に
至るまで、その独立を許さなかった。因みにアンゴラとモザンビークの
独立は1975年なって実現した。それも、本土ポルトガルが共産政権に
変わったことによる。
 

1808
2016.11.08 [Tue] 12:38

この話は結構面白いので、皇族が乗って逃げた船について調べてみた。当時のこと故、木造帆船であるが、歴とした軍艦で、軍艦4隻に小型船400隻からなる、船団が移動したのです。旗艦名は Principe Real (真の皇子)。総排水量3,500t, 全長66m, 大砲90砲、乗員950人とその当時で考えられる最大級の軍艦だ。それら軍艦に皇族が家具、食器、絵画、金銀ダイヤモンド、60,000冊の書籍、とポルトガルに流通していた貨幣の半分をかき集め、それら軍艦に積み込み1807年11月29日約15,000人もの人間がリスボンを出港した。一般国民には船の修理のためと称していたようだ。途中、嵐、凪、海賊との遭遇を恐れながらブラジルのバイアに到着したのが1808年1月22日のことである。その後、リオ・デ・ジャネイロに移り、遷都する。史実によればナポレオン軍がリスボンに侵攻したのは、皇族がリスボンを発った翌日であるが、この時ばかりは、ナポレオン軍も寄せ集めの兵隊ばかりで、リスボンについた時にはよれよれの兵隊の集まりであったそうで、迎え撃てばポルトガルに勝機は十分あったとしている。なぜこうも、無様に逃げて行ったのか?次の更新時に説明できると思う。

 

1808
2016.11.07 [Mon] 08:58

ブログを久しぶりに更新します。昨年、ポルトガルにそして今年の4月にブラジルへ行ってきたことはすでに述べた。今、ブラジルの息子から送ってもらった1808(年)という本を読んでいる。29章334ページからなる本で、辞書を引きながら、5章目に取り掛かった。ブラジル人の作家 Laurentino Gomesによって書かれた、ポルトガル史における、いや世界史における一番恥ずべきことを話題にしており、ブラジルではベストセラーとなっている。ではポルトガルでは?ポルトガルに行った際、数軒の書店で店員に聞いてみたが、その本は置いてないとのなんともぶっきらぼうな返事が返ってきた。それはさておき、本の内容だが、結論は出せないが、あくまでも個人ベースで意見を述べていくことにする。途中で加筆修正することが多々あると思うが、個人の備忘録として記して行きたい。
表題の1808年はナポレオンの全盛期で、ナポレオンが攻めてくるとの情報が入ると、ポルトガル皇族、閣僚、忠臣、大企業家らが、家財一切を詰め込み植民地であったブラジルにむけ、英国の戦艦に護衛され逃げていったのです。一戦も交えずに!!では、残された国民はどうなったのか?次の更新時には少し具体的に述べて行きたいと思う。
 

おかしな話だ
2016.09.04 [Sun] 07:58

女優、高畑某のバカ息子の犯した事件に関し女優高畑某が記者会見を行っていたが、最初から何か違和感を持った。世間の同情を買うか、所属団体または芝居の切を買った客に対するお詫びに終始しており、お涙頂戴のパーフォーマンスにしか見えなかった。「お母さんは、あなたとずっと一緒だからね」などとよくも言えたものだ。
 

何を生温い事を
2016.08.31 [Wed] 18:51

拳銃立てこもり事件だが、本当にだらしないというか、情けないと言うか。怪我人を出さずに時間を掛けて説得すると言うのは、一見穏やかな解決法と見えるかも知れないが、これでは海外から潜入してきたテロリストにしてみれば、天国のような国だ。警察隊はすぐに突入して、犯人を即刻殺してでも解決すべきだ。ナイフを持って立て籠もっているなど、警察官一人でも対応出来るはずだ。ダメならダーティーハリーに来て貰って早期解決を図るべきだ。テロリスト軍団が日本で事件を起こせば、一体日本の警察はどうするつもりだ!平和ボケもいい加減にしろ!