「世に倦む日日」さんより引用

November 29 [Sun], 2015, 17:45
UBSの危機とスイスの破綻 − 資本主義の歴史と象徴が崩れる
http://critic5.exblog.jp/9703761/

スイス政府が金融大手のUBS社に5300億円の公的資金を注入し、同時にスイス国立銀行がUBSの不良債権を6兆円買い取る報道があった。リーマン破綻の後、私はUBSにずっと注目していて、次はUBSではないかという疑いを持っていた。その理由は、日経新聞の記事の紙背からそういう微妙な含意が伝わってくるからで、9/18にも不安説が流れているという記事(9面)が小さく出ていたし、10/13の記事(7面)では、欧州の金融機関の中でUBSのサブプライム損失が飛び抜けて大きい事実がグラフで表示されていた。グラフでは明らかな「危機」を示しながら、記事の中ではそれに触れず、7-9月期は小幅黒字で経営は大丈夫という書き方をしている。つまり、日経の記者(ロンドンの吉田ありさ)はグラフの数字で読者に真実を示し、記事の表現は責任があるので「風説の流布」にならないよう配慮していたということだろう。裏読みすると、日経の社内では、記者の間でUBSが注目されて話題になっていたのだろうし、新聞読者にそれとなく真相を伝える試みをしていたのではないかと想像される。

スカートの中をチラチラ覗き見させられているような、何かそんな気分で日経のUBSの続報に注目していた。別の言い方をすると、アイスランドの次はスイスになるのではないかという予感を持っていたのである。結論を先に言うと、あくまで論理的な想定と仮説だが、UBSが破綻しなければ、中央銀行であるスイス国立銀行が破綻する。スイスがアイスランドと同じデフォルト国家になる。状況はアイスランドと全く同じで、スイスという小さな国の一民間銀行が、世界に跨る巨大な金融事業を展開して膨大な金融資産を抱え、その中に大量のサブプライム関連の不良債権が含まれているということである。UBSの金融ビジネスは、規模においてリーマンやメリルと肩を並べる水準で、彼らの有力なコンペチターであり、事業は欧州よりも米国を中心に展開され、アジアや新興国にも多くの顧客を持っている。業態は純然たる投資銀行で、米国の投資銀行が潰れるのであればUBSが潰れても何の不思議もなかった。今回、スイス政府と中央銀行がUBS救済に要した資金は、不良債権買取と公的資金注入で6兆5300億円に上る。

この金額は、米国や日本の金融のニュースに慣れたわれわれの耳には小さく聞こえる。だが、スイスの国家予算は6兆円であり、国家予算1年分がUBSの不良債権処理に用立てされたことを意味する。日本に置き換えれば、80兆円が一つの企業の救済のために投じられる勘定になる。スイスは人口746万人の小国で、実質GDPは3880億ドル、4兆3666億ドルの日本の9%の規模しかない。UBSの総資産は180兆円で、スイスのGDPの4.6倍の巨額になる。自国のGDPの4.6倍の資産を持つ企業を政府は救済しなければならない。無論、180兆円の金融資産のどれほどが不良債権化するかはこれからの話だ。スイス政府の立場はアイスランド政府と同じである。スイスはEUに加盟しておらず、ECBの枠組みにも入っていない。通貨はスイスフランであり、永世中立国のスイスは外交も経済も独自路線を貫徹している。したがって、今回の金融危機ではきわめて厄介な立場になり、ECBもドイツもフランスもスイスとUBSの救済には動けない。独も仏も英も自国の金融システムを守るのに精一杯で、とても自国の税金でスイスの面倒は見れない。

日経の報道では、これでUBSの不安は解消され、欧州の金融不安も一服ついたと書かれている(本日3面)。だが、国家予算と同額の紙幣を発行供給して、UBSから同額の不良債権を引き取ったスイス国立銀行のバランスシートはどうなるのだ。論理的には、スイス国立銀行が引き取って抱えた不良債権を償却するために、スイス政府は国家予算と同額の赤字国債を発行しなければならず、国債の償還はスイス国民の納税負担として重くのしかかる。746万人しかいないスイス人にとっては、6兆円の債務返済は相当に厳しい試練だろう。普通に考えれば、スイスフランは信用を失って暴落せざるを得ず、すなわち97年の韓国のような通貨危機に襲われ、スイス国民は資源や食糧の輸入難に遭い、国家は存亡の危機に立たされる。メリルやベアスタが破綻を免れたのは、吸収合併で拾ってくれる大銀行が米国にあったからだ。米国の金融産業のパイが大きかったからである。スイスにはバンカメやシティのような大銀行はなく、第2位のクレディ・スイスも資本不足で、カタールの政府系ファンドの資本支援を仰いで四苦八苦している状態にある。UBSの今後は楽観視できない。

スイス銀行という言葉がある。実際には、UBSとクレデイ・スイスの2社を指すが、この言葉は金融経済の領域を超えたもっと広くて抽象的な独特の意味があり、日常的な通念として生きていて、小説や映画やドラマの世界でわれわれに馴染みが深い。私の場合は、少年時代に愛読した劇画『ゴルゴ13』でこの存在を知り覚えた。スイス銀行の特徴は、何と言っても信用の固さであり、顧客情報の秘匿義務の絶対遵守であり、第二次大戦時にナチスがユダヤ人から没収した財産をも戦後返還に応じなかった経営姿勢が際立つ。スイス銀行の表象と観念は、バチカンを守衛するスイス傭兵の歴史とも分ちがたく結びついている。そして、社会科学的な関心から言えば、資本主義とスイスという問題意識があり、カルヴァンの禁欲倫理が頭に浮かび、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の問題領域へと考えが及ばざるを得ない。欧州近代と資本主義の思想史的な謎の中核にスイスの影がある。ヒトラーとユダヤ人の問題の逸話も含めて、スイスの資本主義はまさに市場原理主義的で、公的セクターによるコントロールを原理的に前提しない。排除している。今回、政府が初めて銀行に介入した。

資本主義の矛盾と逆説がスイスに襲いかかる。それは、資本主義という生き方を歴史的に背負ってきたスイスの存在意義が問われる本質的な問題とすら言っていいはずだ。スイスの観念と表象は、特に高度成長期に育ったわれわれにはきわめて積極的なものであり、ポジティブなシンボルであり、そこには直接民主制があり、中立平和主義があり、責任と自立と自助の何たるかを世界に教える普遍性と規範性を持っていた。資本主義でありながら、国民生活は質素で、食生活も粗食で、無駄な贅沢や享楽とは無縁であり、清貧的で禁欲的で倹約的であり、国民の市民社会の意識は高く、モデリッシュな市民像を世界に提供していた。スイス人と言うと、すぐに信用し尊敬の念を抱くのは、そういう一般通念と、それを支える宗教改革の歴史と、そしてウェーバーの社会科学によるものである。逆から言えば、ウェーバーのプロ倫の説得力は、スイスの現実によって担保されていたと言っても過言ではない。それが崩れる。地響きを立てて崩れる。まさに歴史が崩れようとしている。スイスの破綻は、象徴としてきわめて大きい。意味としては、世界史の意味としては、合衆国の崩壊と等しい重さを持つ。資本主義は本来的に市場原理主義である。

市場原理主義は予定調和せず、均衡を破壊し、市民社会を破壊する本能を持つ。どれほどスイス人が勤勉で清貧であっても、合理的で自律的な市民社会を作っても、理性と均衡を破壊する本質属性が経済活動に内包されていて、GDPの4倍の取引を一企業にやらせていることこそ、非合理的なイカサマ証券商売を自由に膨らませていたことこそ、まさに窮極の無責任に他ならないのである。自分たちの信じる美しい市民社会のために、その裏で他国の人々が収奪の犠牲になっているのだ。それと、不明にして私はスイスの大統領の名前を知らない。歴代の指導者の名前も一人も知らない。情報によるとスイスの大統領は7人の閣僚による輪番制で、一年に一度の任期で職を交代するのだと言う。さすがに直接民主制の国はシステムが違う。だが、この非常時に、そして問題が欧州と世界中に広がる懸念があるときに、指導者がマスコミの前面に出て説明をしないのはどういうことだろう。スイスは「顔なし」の国である。人間の顔が表に出ない。金融経済でこれだけ影響力の大きい国なのに、財務相や中央銀行総裁がテレビの前に出て来ない。スイスを代表して説明をしない。さして影響力も無いのに、何かあればマスコミに顔を出して目立ちたがるフランスの大統領と対照的である。

直接民主制で武装中立で、きわめて主体的で責任的な存在であるように見えて、国家の代表者が世界の前面に出て説明しない無責任がある。説明責任を果たさない。G7にも入っていない。このスイスの二面性こそ、まさに資本主義の責任性と無責任性の構造的矛盾の本来性の表出ではないかと私には思われる。簡単に言えば、都合が悪いときは責任を逃げて隠れるのであり、責任を曖昧にするシステムを裏側にバックアップさせているのだ。UBSの債務をスイス国民が弁済できるはずがなく、欧州もそれに責任を持てない。誰がUBSの巨額不良債権を処理するのだ。
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