その140 祈りと勝利

May 28 [Sun], 2017, 0:00
祈りと勝利 

使徒の働き1:12-14

1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
1:13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。

私たちが聖霊に満たされると勝利者となる。

鍵は聖霊。

祈って聖霊に満たされると・・・

1、自分を変えることができる。
聖霊は私たちを変えます。弟子たちは10日間の祈りの後劇的な体験をし、完全に変えられました。臆病で、弱虫だった彼らは、聖霊に満たされた後には、エルサレム中に、いや世界中に「このイエスこそ、キリストです。この方による以外に救いはないのです」と叫ぶ勇士に変えられました。
聖霊は弟子たちの周りの世界を変えたのではなく、彼ら自身を変え、そして彼らを通して、世界を変えたのです。これが神様のやり方です。神様は私たちの周りの世界、職場や家庭や、学校を直接変えてはくださいません。神様の願いは、私たちを変えて、私たちを通して、私たちの周りの世界を変えることなのです。すべては聖霊から始まります。聖霊によって変えられることを求めていき、本当の勝利をいただきましょう。

2、生きる意味をつかむことができる。
聖書が教える勝利とは、なにも金持ちになるとか、社会的成功を収めるとか、自分の野望を達成するということではありません。人生の意味、自分だけに託された神様からの使命、自分が今生きているのではなく、生かされているのだということをしっかりと知るということです。この弟子たちは、ペンテコステの日まで、まだ自分が何をするべきなのか分かっていませんでした。自分が何のために生き、どのようにして神様の栄光を表すのか、分かっていなかったのです。彼らにできたのはただひたすら祈ることでした。そして聖霊のバプテスマを受けて、彼らははっきりと人生の意味を掴み取りました。神を崇め、賛美し、神の家族と生活し、イエス・キリストを一人でも多くの人に宣べ伝えなければならないという偉大な使命を自覚して生きるようになったのです。私たちも、この苦痛と悩みに満ちた世界にあって、本当に自分を生かしているもの、自分が生きている本当の意味と使命を、聖霊によって受け取ることを求めていきましょう。

3、愛する力を持つことができる。
弟子たちは聖霊を受けたとき、「今こそ先生を十字架につけたやつらをやっつけてやる時だ」とは全く思いませんでした。むしろ彼らは、自分の愛する師を十字架につけた人たちを愛して、天国に行けるようにと福音を伝えたのです。どんなに迫害を受けて、殺されるようなめに遭っても、愛の力で、イエス・キリストを語り、証し、救いのメッセージがここにあることを示そうとしたのです。人間の力でそれをすることはできませんが、聖霊に満たされるならば、それができると約束されたのです。私たちもその愛の力を求めましょう。
聖霊に満たされるために私たちはどうするべきか、もう申し上げるまでもありませんが、祈る以外にありません。聖書は、彼らは心を合わせて、祈りに専念していたと証言しています。私たちも聖霊を求め、聖霊に満たされる信仰者となりましょう。

今週の暗証聖句
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。              1ヨハネ4:10

その139 神の国を求める祈り

May 21 [Sun], 2017, 0:01
神の国を求める祈り マタイ6:33

神の国とその義とをまず第一に求めなさい。マタイ 6:33

神の国とは?   神の支配があるところ。
私たちがひざを屈めて祈るとき、もうそこに神の国が訪れている。

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。マタイ6:6

祈りとは。。。
1、神様との関係を深める方法である。
祈りは儀式ではなく、神様への語りかけです。祈りによって、私たちは神様を知り、神様がどれほど親しい方であるのかを体験することができるのです。
大切なことは、イエス様がここで自分の部屋で祈れと言われたことです。フルタイムのクリスチャンになるために、自分の家で祈りの祭壇を築くようにしていきましょう。

2、自分を変える方法である。
変化は外から始まるのではなく、内側から起こります。神様はまず私たちの心の中に変化を生み出されます。自分が変わることによって、そこに神の国が生まれ、拡大していくのです。
祈り続けることによって、私たちは神様を自分に合わせるのではなく、自分が神様に合わせるようになります。
自己中心  ⇒ 神中心

3、自分の状況を変える方法である。
「あなたに報いてくださいます」
私たちはどんなことも期待して良いのです。大胆に求めていきましょう。そうすれば神様によって具体的な体験ができるようになります。
そして祈れば祈るほど、自分が小さくなり、神様が大きくなっていきます。
自己実現 ⇒ 神実現
「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」

4、複数のクリスチャンの祈りは力強い。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。マタイ18:19-20
祈りの時間、場所を確保していきましょう。

今週の暗証聖句
『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」         ルカ17:21

その138 うるさくてしかたがないから

May 14 [Sun], 2017, 15:19
「うるさくてしかたがないから」

ルカの福音書18:1-8
18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
18:3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
18:4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
18:5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」
18:6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

 イエスは「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために」このたとえを使われました。あるやもめが裁判官に相手を裁いて自分を守ってくれるよう訴えます。この裁判官は決して正しい人ではなく、神を信じず、人を人とも思わぬ悪い人でしたが、この女性がひっきりなしにやってきて訴えるので、「うるさくてしかたがないから」裁判をしてあげることにしました。イエスはこの裁判官の言っていることを聞きなさいと言うのです。

1、神様は聞いてくださる。
 18:7 まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
このたとえを通して、イエスは神様というお方は「不正な裁判官のように人を人とも思わない方」と教えたかったのでしょうか?勿論そうではありません。このような悪い人格の裁判官でさえ、しつこく訴えれば聴こうと思うのだから、ましてや天の父なる神様が、あなたがたの祈りを聞かないわけがないでしょう。だから神様を信頼して祈りなさいと教えられたのです。私たちは、つい神様以外のものを信じ、頼ってしまいます。しかし本当に私たちを護ってくださる方は神様だけなのです。私たちの信じる神様は良いお方で、良いことをしてくださる神さまです。この神様を信頼して祈りましょう。

2、とにかく祈ろう。
 18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
 このたとえは明らかに、私たちに単に「祈る」ことだけではなく、「祈り続ける」ことを教えています。目に見える状況がどうであったとしても、あきらめないで祈り続ける態度を、神様は望んでおられるのです。「もしよろしければ聞いてください」という遠慮がちな態度ではなく、この困ったやもめのように「何としてでも聞いて欲しい。叶えて欲しい」という必死な態度を継続することが大切だということでしょう。「どうせ無理だろう」とあきらめたり、ためらって何もしない信仰ではなく、勇気を出して信仰を行使する生き方を目指しましょう。そこに私たちの人生が動き出す鍵があります。

3.主はそれを信仰と呼ばれる。
 18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
 この最後にイエスがポツリと言われた言葉に注目しましょう。主は世の終わりの時代に、このやもめのように、熱心に祈り、訴え続けようとする信仰者が地上にどれだけいるだろうかと心配されています。今は不安の時代。心配の時代です。私たちの祈りを止め、失望し、落ち込ませるような出来事が絶えない時代です。しかし私たちは勇気を持ちましょう。失望しないで、祈り続けましょう。私たちのために正しい裁きをしてくださる方は、神様しかおられません。この神様に私たちの信仰を表しましょう。

今週の暗証聖句
万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整
え身を慎みなさい。        1ペテロ4:7

その137 やりがい、生きがい、良い人生

May 07 [Sun], 2017, 18:11
「やりがい、生きがい、良い人生」

 創世記45:1-15
45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
45:2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。
45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
45:6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
45:7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
45:9 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。
45:10 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。
45:11 ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう』と。
45:12 さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。
45:13 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」
45:14 それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
45:15 彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。
最愛の弟ベニヤミンを含めて、兄弟たちとの2回目の再会となったヨセフは、とうとう自分の正体を兄弟たちに明かします。そして「私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません」と言いました。

1、自分の人生を神の計画に合わせる。
 ヨセフは自分の人生を神様の計画に重ね合わせて見ることができました。「俺はお前たちのせいで偉い目に遭ったぞ。これからお前らを苦しめてやる。覚悟しろ。」とは言わず「私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」と言いました。「遣わされた」という言葉には、ただ単に来させられたという意味以上に、何か使命を持って来ることになったという意味が込められています。そうです。ヨセフは兄弟たちに売られ、エジプトに来させられたのではない、何か大きな計画の中で、自分が生かせられていた使命があったのだと自覚していたのです。
聖書はクリスチャンの幸いとは、何の苦しみも痛みもないことなのではなく、自分の人生が神様の計画に基づいていることを知ることだと教えています。それがたとえ一時的な痛みや苦しみであったとしても、神様はそれを計画されて、何か目的を持って、導こうとされているのだと悟ることが、クリスチャンの本当の幸いだと教えているのです。

2、神を愛する。
 聖書には、神様を愛する人の上には人生で起るすべてのことが益に変えられると約束されています。神様を愛さない人は、神様のご計画に召されていないし、その苦しみには何の意味もないわけです。しかし神の計画に従って生きる人は良い人生を送れます。こう考えてみると、ヨセフという人は神様を愛していた人だったことが分かります。彼は困難の中で、少しづつ学んで、一国のトップに立つほどになりました。私たちももし、苦しみをただの苦しみとして通り過ぎるだけなら、それ自体に意味はありませんが、これはきっと何か意味があるはずだと、信じることができるのです。鍵は私たちがどれだけ神様を愛しているかにかかっています。愚痴や不平不満を言うのではなく、主を愛して、目に見えない幸いを待ち望む、そんなクリスチャンになっていこうではありませんか。

3、聖霊に満たされる。
 エジプトの王はヨセフについて「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか(創41:38)」と言いました。ヨセフは常に神とともに生き、神の霊に満たされていたのです。私たちも、聖霊の恵みと導きに与ることができます。一度しかない人生を、やりがい、生きがい、良い人生にすることができます。日々御言葉に親しみ、祈り、聖霊に満たされ、聖霊に導かれる歩みをしていきましょう。

今週の暗証聖句
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ8:28