その120 イエスの羊

October 15 [Sat], 2016, 21:41
イエスの羊 

ヨハネ10:22-30

10:22 そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。
10:23 時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた。
10:24 それでユダヤ人たちは、イエスを取り囲んで言った。「あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。」
10:25 イエスは彼らに答えられた。「わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行うわざが、わたしについて証言しています。
10:26 しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。
10:27 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。
10:30 わたしと父とは一つです。」

 私たちはこの地に生まれた瞬間から必ず何かに所属するようにできています。まずどこかの国に所属するという国籍を受けます。どこの地方公共団体に属し、どの家族の一員になったか申請し戸籍というものに名前が登録されます。あるいはその町のコミュニティー、共同体の一員になるということもできるでしょう。このように人間は必ず何かに所属するようにできているのです。イエス様ははっきりとこの地上の人間をイエス様の羊に属する人と属していない人がいると教えています。

イエスの羊は…
1、安心を持つ。
 27節でイエス様の羊はイエス様の声を聞く、イエス様の声を聞き分けるのだと言われました。イエス様から声をかけられる存在、それがイエスの羊です。声を掛けられるということはすなわち愛されるということです。人は誰かに愛されずには人は生きていくことはできません。イエスの羊はイエス様から声を掛けられ、愛を受け取、その声を聞き分けることができるのです。
イエス様は「また私は彼らを知っています」と言われました。イエス様に知られている。それがイエス様の羊です。だから、私たちには安心があるのです。

2、導きを持つ
 27節に「彼らは私について来ます。」と書かれています。羊は「今日はどこで草食べて、どこで水を飲もうか」などとは考えません。ただ羊飼いの後をついてゆくだけです。今日を羊飼いに任せて、ついてゆくのです。イエス様の声に従ってついてゆけば、正しい目的地に行けるという確信を持つことができるのです。

3、約束を持つ。
28節でイエス様は「わたしは彼らに永遠の命を与えます」と言われました。こんなに素晴らしい約束をイエスの羊は持ちながら生きてゆくことができるのです。私たちの主は羊に永遠の命を与えることのできる方なのです。

4、安全を持つ。
28節でイエス様は「だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」と言われました。これらの言葉によると今私たちはどこにいるのでしょうか。イエス様はご自分の羊を一匹一匹手の中に抱きかかえるようにして、一匹たりとも失うことのないように、守っておられるのだと教えておられます。

5、永遠の命を持つ。
 イエス様は羊が羊であるその存在だけで、尊い価値があるのだと認められています。一体神様が価値がないと思われるものを手の中で守られるということがあるでしょうか。あなたが自分はイエス様の羊だと知っておられるのなら、自分には素晴らしい存在価値があると、神様は見ておられるのだということを覚えてください。誰一人無駄に存在している羊はありません。神様は一人一人をよく知っておられ、その羊を忘れることはないのです。

イエスの羊となるためには…。
@ 知恵によらない
A わざによらない
B 信仰による

今週の暗証聖句
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。                            ヨハネ10:11

その119 神様が一緒に

October 08 [Sat], 2016, 17:54
神様が一緒にいる 
創世記39:1-23

39:1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
39:2 【主】がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
39:3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
39:4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。
39:5 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、【主】はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで【主】の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
39:6 彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった。
39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ」と言った。
39:8 しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。
39:9 ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」
39:10 それでも彼女は毎日、ヨセフに言い寄ったが、彼は、聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、彼女といっしょにいることもしなかった。
39:11 ある日のこと、彼が仕事をしようとして家に入ると、家の中には、家の者どもがひとりもそこにいなかった。
39:12 それで彼女はヨセフの上着をつかんで、「私と寝ておくれ」と言った。しかしヨセフはその上着を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。
39:13 彼が上着を彼女の手に残して外へ逃げたのを見ると、
39:14 彼女は、その家の者どもを呼び寄せ、彼らにこう言った。「ご覧。主人は私たちをもてあそぶためにヘブル人を私たちのところに連れ込んだのです。あの男が私と寝ようとして入って来たので、私は大声をあげたのです。
39:15 私が声をあげて叫んだのを聞いて、あの男は私のそばに自分の上着を残し、逃げて外へ出て行きました。」
39:16 彼女は、主人が家に帰って来るまで、その上着を自分のそばに置いていた。
39:17 こうして彼女は主人に、このように告げて言った。「あなたが私たちのところに連れて来られたヘブル人の奴隷は、私にいたずらをしようとして私のところに入って来ました。
39:18 私が声をあげて叫んだので、私のそばに上着を残して外へ逃げました。」
39:19 主人は妻が、「あなたの奴隷は私にこのようなことをしたのです」と言って、告げたことばを聞いて、怒りに燃えた。
39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。
39:21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
39:22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。
39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。

奴隷としてエジプトに売られたヨセフは、ポティファルというエジプトの高官の家で働くようになります。しばらくしてこの人はヨセフに家のもの一切の管理を任せるようになりました。ところがそのポティファルの妻がヨセフを誘惑しようとしきりに誘うようになります。ヨセフは断固として拒否するのですが、それが憎しみを買い訴えられ、無実の罪で牢屋に入れられることになってしまいました。しかしそこでもヨセフは監獄の長の好意を得て、囚人たちの管理をまかされるようになりました。

1、神様が一緒にいた。
 ヨセフの生涯を見ていくうえでの重要なポイントは神様が彼と一緒におられた、ということです。この39章だけで何回主がヨセフとともにおられたと言う言葉が出てくるでしょうか。3節、21節、そして23節と3回も「主がヨセフとともにおられ」たと書かれています。

 ヨセフが苦難の中で生きてゆくことができたのは神様が彼と一緒におられたからでした。そして今神様は聖霊によってイエス・キリストを信じるすべての人と、世の終わりまで一緒にいるよ、と約束してくださっているのです。私たちもこのヨセフほどでないにしても大なり小なり生きて行くのには苦しみが伴います。時には「どうして自分がこんな目に会わなければいけないのだろう」と思うようなこともあるかもしれません。そんな時、あのヨセフとともにおられた主が、私とも一緒に居て下さるのだという約束を思い出しましょう。

2、周りの人の祝福となる。
 ポティファルはヨセフを認めて彼の家と全財産を管理させるようになりました。そうしたらどのようなことが起ったと書いてあるでしょうか。5節に神様はヨセフのゆえにポティファルの家を祝福されたと書いてあります。
私たちの願いは日本のすべてのクリスチャンがこのように、自分が神様の祝福を受けるだけでなく、その祝福が周りに流される管となることです。教会の中だけでなく、「クリスチャンのいる職場、教室、家庭、地域が何故かとても繁栄する。業績が上がり、人間関係が円満になり、一致が見られ、愛し合う。」そんな現象が見られるようになることを期待しましょう。私たちは神様の祝福を運ぶ大使として、大きな任務を持っていることを覚えようではありませんか。

3、神様に対して忠実に生きる。
 このヨセフのように、神様から祝福を受け、その祝福を周りに流してゆく人生となる鍵は何でしょうか?それは神様に対して、忠実に生きるということです。ヨセフはポテファルの妻からの誘惑に際し「どうして…私は神に罪を犯すことができましょうか(9節)」と言っています。目に見える人々や状況の先に神様を認め、神様の心に適う生き方を常に目指していたのです。

 私たちも、何か大きな、特別なことをするのでなくても、今自分が置かれているところで、神様を認め、神様に仕え、しっかりと自分の責任を果たしてゆくことが大切です。フルタイムのクリスチャンとして、忠実に生きていきましょう。

今週の暗証聖句
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。 コロサイ 3:23

その118 良い人生だった

October 01 [Sat], 2016, 21:14
「良い人生だった」

マタイの福音書25:14-30

25:14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。
25:15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。
25:16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
25:17 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。
25:18 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。
25:19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。
25:20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』
25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』
25:23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』
25:24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
25:25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
25:26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。
25:27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。
25:28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
25:29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。
25:30 役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

 ある人が旅に出る前に、自分のしもべたちに、それぞれ5タラント、2タラント、1タラントを預けます。旅を終えて帰ったきたときに、それぞれのしもべたちと清算をはじめます。5タラントと2タラントを預かったしもべたちは、主人の留守の間に倍にしたので、主人に誉められます。が、1タラントを持っていたしもべは、それを地に埋めてそのままにしていました。主人はその態度を責め、彼の持っていた1タラントを10タラント持っていたしもべに与えるよう命じます。

1、人生のすべては預かりもの。
 主人がしもべたちに自分の財産を預けたように、神様は私たちに人生のすべてを預けてくださっています。能力・才能だけではなく、私たちの持つ時間、環境、人間関係、お金など、すべてが神様から預かっているものと考えたらどうでしょうか。身体も心も、自分のものだからと言って粗末に扱うことはできません。神様のものであり、いつかはお返ししなければならないと思えば、大切にしなければという気持ちが生まれます。また、他の人に対する見方も変わるはずです。皆神様から命を預かり、生きています。その土台には、神様の私たちに対する愛と信頼があるのです。それに気づくことができれば、私たちのほうからも、神様に対する感謝と責任感が生まれてくるはずです。

2、清算のときがくる。
 これらのしもべたちのように、どんな人も、その人生を神様の前で清算しなければならないときがきます。一義的にはここでキリストは世の終わりに関して教えたものと考えられますが、同時に私たち一人一人の人生の終わりのときと考えることもできます。私たちはこの地上での命には終わりがあることを意識し、そのときに、「ああ良い人生だった」と心から言えるようになるために生きなければなりません。死は決して考えないように避けて通るものではなく、人生の充実させるために意識しなければならないものなのです。

3.セイカ(成果)よりセイカツ(生活。
 預かったタラントを2倍に増やした2人のしもべのように、神様に誉められるためにはどうしたら良いのでしょうか?神様は決して私たちが何かを「増やす」ことを期待されているわけではありません。鍵となる言葉は「良い忠実なしもべだ」という言葉と「主人の喜びをともに喜んでくれ」という言葉です。しもべに財産を託した主人の心には、愛と信頼が土台としてありました。しもべたちは、姿が見えなくなっても常に主人のことを考え、主人と一緒に喜ぶために何をするべきかを考えていました。この日頃の生活態度を忠実と呼び、その生きざまが実を結んでいたのです。一方怠惰なしもべは、預かりものを土に埋めてしまうことで、主人のことを忘れ、自分勝手な生活をしていました。そこには主人に対する感謝も責任感も、一緒に喜びたいという気持ちもありませんでした。この彼の生きざまを主人は怒られたのです。
 私たちは日頃の生活のなかで、神様を思い、神様に感謝し、神様からお預かりしたもの(自分の命を含めて)を神様のために使いたいと願いながら生きることを求められています。最後に「良い人生だった」と振り返る生き方を今日からしていきましょう。

今週の暗証聖句
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』   マタイ25:21