その109 無敵の人生

June 25 [Sat], 2016, 15:12
無敵の人生 

ローマ人への手紙12:2

12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

 神様は最初の人アダムを見て「人が一人でいるのはよくない」と言われ妻を与えられました。人は対人関係のなかで、幸福を感じるように造られたのです。しかしその後人間の世界に罪が入り込み、逆に人間関係によって悩みや問題を抱えるようになってしまいました。この問題に対して、聖書はどのように教えているでしょうか。

1、人を変えるより、自分が変わったほうが楽
 人間関係で悩まなくなる方法は結局のところ2つしかありません。1つは、自分の周りの人を自分にとって快適な存在になってもらうように変えることです。家族や友人、仕事の上司、同僚や部下を、自分が理想とする人に変わってもらうよう促し、説得し、動かしていくのです。しかし仮にそれがもし出来たとしても、自分の周りのすべての人に変わってもらうとなると、時間もかかり不可能としか言えません。
 もう1つの方法は自分が変わることです。こっちのほうが楽な気がします。なぜなら変えるべき人は自分一人ですし、自分ですから、自分がなりたい人になれば良いのです。
 聖書は「この世と調子を合わせず」、つまり周りの声や価値観に流されず、「神のみこころ」だけに焦点を合わせ、「心の一新によって自分を変え」るようにと教えています。「自分を変える」、いや「変えていただく」ことを求めてみましょう。

2、敵をなくすから無敵。
 無敵の人生とは、行く先々で敵を蹴散らし、戦いに勝利し、欲しいものをすべて手にいれる人生という意味ではありません。最初から敵を作らないことが、無敵の人生。敵がもともといないのだから敵のない、無敵の人生となるのですよということです。
ロマ12:18 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
周りに自分を敵視し、攻撃する人がいたとしても、こちらがその人を敵とは思わず、かえって味方にすることができたら敵を打ち負かすことと同じです。敵を味方に変える。少なくとも、その人に自分の心の主導権を渡さない。自分の心は自分で支配する。そのような信仰者となりましょう。

3、心をゆるませる。
もし心のなかで、誰かに対して憎しみを持っていたり、怒りを燃やしたりしている人がいるのなら、その人は心に敵を持っていることになります。実際に罵り合ったり、殴りあったりしていないとしても、常に心のなかは敵と戦っている緊張状態になっていることになります。そういう方にお勧めします。心を緩ませましょう。つまり赦すのです。日本語で「許す」の語源は「緩ます」だそうです。人を赦さないと心が緊張する。だから赦して自分の心を緩ませるのです。心の中に敵を作り上げ、憎しみや怒りを持ったまま生きるとは、常に自分を緊張させ、縛り付けることです。その敵を滅ぼさない限り、あなたは永久に自由になることはできません。自分を新しくすることはできません。どうやって滅ぼしたら良いのでしょうか。赦すのです。そうすれば心が緩みます。心を緩ませ、自由になりましょう。

今週の暗証聖句
愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
ローマ12:9

その108 神様はお父さん

June 18 [Sat], 2016, 23:02
神様はお父さん 

マタイ7:7-11
7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

 「母の日」に比べると少し印象の薄い「父の日」ですが、今日はイエス様が教える「お父さん」についてみていきましょう。

1、神様は私たちのお父さん。
 イエスは「天におられるあなたがたの父」と表現し、神様は私たちのお父さんのような存在なのだと教えています。人それぞれ、お父さんに対するイメージは異なるかもしれませんし、また時代や文化によっても「父親像」に多少の違いがあるかもしれません。しかしただ一つ言えることは、世界のすべての人がお父さんの存在なくしては、命を持って生まれてくることはなかったということです。たとえ生後間もなく別れるようなことがあったとしても、命は受け取っているのです。
 イエスは、神様というお方はそのような存在で、世界に生きるすべての人が、神様によって命を与えられ、生かされていると教えています。

2、神様は私たちに良いものをくださる。
 イエスはその父なる神が「どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」と宣言しています。つまり神様は私たちに良いものを与えたいと望んでおられる、良い神様だというのです。さきほどみた「父親像」だけでなく、私たち人間の持つ本来の「神像」も全く異なります。「神なんていない」というものから始まって、「神がいたとしても、どうせ自分には無関心で、関係ない」とか「神は厳しいかたで、自分を厳しく裁こうとしている」という神様のイメージをお持ちのかたもいるでしょう。それは当時イエスの話を直接聞いていた人々もそうだったのです。そんな人々に、イエスは「あなたたちに命を与え、生かしておられる神様は、良いお方で、良いものをくださるのです」と教えられました。聞いた人たちの多くはきっと驚いたと思うのですが、同じメッセージが今日を生きる私たちに語られています。「神様は私たちに良いものをくださる、良い神様です。」皆さんはこのメッセージをどう受け取るでしょうか。

3、神様は私たちの行動を待っている。
「そんな神がもし本当にいるなら教えて欲しい」という人に、イエスはこのように言っています。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」と。私たちが何かアクションを起こすなら、神様は必ずその答を与えて下さるのです。逆に言えば、何も求めようとしない者には、神様からの答が来ることはありません。一度しかない人生のなかで、「もし本当なら、知りたい。」そのような思いのある方は、是非この朝、求め、捜し、たたいてみましょう。あなたの人生に良いことをしてくださる、良い神様が、何かをしてくださることを期待しましょう。

今週の暗証聖句
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。 マタイ7:7

その107 失くしたものを取り戻す

June 04 [Sat], 2016, 16:58
失くしたものを取り戻す
 
創世記37:31-36; 46:28-30

37:31 彼らはヨセフの長服を取り、雄やぎをほふって、その血に、その長服を浸した。
37:32 そして、そのそでつきの長服を父のところに持って行き、彼らは、「これを私たちが見つけました。どうか、あなたの子の長服であるかどうか、お調べになってください」と言った。
37:33 父は、それを調べて、言った。「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。」
37:34 ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、幾日もの間、その子のために泣き悲しんだ。
37:35 彼の息子、娘たちがみな、来て、父を慰めたが、彼は慰められることを拒み、「私は、泣き悲しみながら、よみにいるわが子のところに下って行きたい」と言った。こうして父は、その子のために泣いた。
37:36 あのミデヤン人はエジプトで、パロの廷臣、その侍従長ポティファルにヨセフを売った。

46:28 さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わしてゴシェンへの道を示させた。それから彼らはゴシェンの地に行った。
46:29 ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた。
46:30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」


故郷に戻ったヤコブに最大の悲しみがやってきます。最も愛していた息子のヨセフがいなくなってしまったのです。彼は息子が死んでしまったと思い込んでしまいました。それから20年以上後になって、彼はヨセフが生きていることを知り、エジプトで再会することになったのです。

1、子を失う父の 悲しみ。
 愛する息子を失ったヤコブの悲しみは想像もつかないほど大きなものだったことでしょう。神はその彼の悲しみを後に喜びに変えてくださいました。神に信頼する者は、必ず神が答をくださり、困難を感謝で終わらせることができるのです。
実は創世記のなかでは、子どもを失うというモティーフが繰り返されています。それが最初に現れるのがアダムとエバの息子たちです。神との約束を破ったことによってエデンの園から追い出された夫婦に生まれたカインとアベルですが、カインがアベルを殺すことによって、この夫婦は二人の息子を同時に失うという経験をしてしまいます。罪によって始まった人間の苦しみの始まりです。
 しかしその裏で表されているのは、人間を失った神ご自身の悲しみです。永遠に一緒に過ごすために創造した人間との関係が罪によって壊されてしまった悲しみを、神ご自身が持っておられるのです。

2、子を取り戻す父の喜び。
 死んでいたと思っていたヨセフとの再会はヤコブにとって信じられないほどの大きな喜びだったことでしょう。彼は「もう今。私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。創46:30」と告白しています。
そしてこの喜びは神ご自身の喜びをも表しています。ルカの福音書に記されている「放蕩息子」のたとえで父は
「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』ルカ15:24
と言っています。神様は死んだ状態にある人間が生き返ること、すなわち、失われた人間が神のもとに帰り、その関係が回復され、永遠のいのちを取り戻すことを願い、ずっと待っていてくださっているのです。そしてその喜びがいかに大きなものであるかを、創世記全体を通して、教えておられます。

3、神は御子を与えた。
この失くした息子を取り戻すというテーマの最大の出来事は、アブラハムがモリヤの山で息子イサクを捧げる場面です。彼はたとえイサクが死んでも、神が必ずよみがえらせてくださるという信仰を持っていました。このことを通して、神がどのようにして失われた人間を取り戻すかという計画を明らかにされています。
神が失った人間を取り戻すためになさったことは、イエス・キリストという御子をこの地に送り、十字架の上で死なせ、葬らせ、よみがえらせることでした。「失われた神の息子が取り戻された、すなわちよみがえった」と信じるなら、失われている私たち自身が新しい命を与えられて、神のもとへ帰ることができるのです。この神の偉大な計画に感謝し、御子イエスを信じていきましょう。

今週の暗証聖句
彼(アブラハム)は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。        ヘブル11:19