その95 人生の舞台裏

February 27 [Sat], 2016, 22:33
人生の舞台裏 創世記29:19-27

29:19 するとラバンは、「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい」と言った。
29:20 ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。
29:21 ヤコブはラバンに申し出た。「私の妻を下さい。期間も満了したのですから。私は彼女のところに入りたいのです。」
29:22 そこでラバンは、その所の人々をみな集めて祝宴を催した。
29:23 夕方になって、ラバンはその娘レアをとり、彼女をヤコブのところに行かせたので、ヤコブは彼女のところに入った。
29:24 ラバンはまた、娘のレアに自分の女奴隷ジルパを彼女の女奴隷として与えた。
29:25 朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。」
29:26 ラバンは答えた。「われわれのところでは、長女より先に下の娘をとつがせるようなことはしないのです。
29:27 それで、この婚礼の週を過ごしなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげましょう。その代わり、あなたはもう七年間、私に仕えなければなりません。」

「天からのはしご」の夢を通して、神の約束を受けたヤコブはさらに旅を続け、ついに親戚のラバンの元にたどり着き、そこに身を寄せて働くことになりました。しかしそれからの年月は彼にとって過酷なものとなるのです。

1、神の訓練を受け入れよう。
 ヤコブはラバンの2番目の娘ラケルを愛し、彼女と結婚するために7年間働きました。しかし彼は騙され、姉のレアと結婚する羽目になってしまいました。そして彼はさらに叔父の元で働き続けなければならなくなりました。その後も彼は「何度も報酬を変えられる」など、叔父に苦しめられ続けることになったのです。
 前章で素晴らしい神様の約束を受けながら、彼の人生は一見すると苦しみの連続に見えます。しかしその背後で実に神様は働いておられ、様々なところで彼を助け、祝福してくださっていたのです。
 人生に苦しみや困難は避けては通れません。信仰を持ってはいても、同じように苦しみはやってきます。しかし神様に選ばれた者の特権はその人生の舞台裏では、神様が静かに働いておられ、至るところに祝福の実を結ばせてくださるということです。神様は色々なことを通して、私たちを訓練し、最も大切なことを学ぶようにと望んでおられます。苦労や困難を神様からの訓練と受け止め、神様を信頼することを学んでいきましょう。

2、神の約束を信じぬこう。
 ヤコブは長い労働の結果得たものをすべて神様の祝福と認識していました。
ヤコブは彼に言った。 「私がどのようにあなたに仕え、 また私がどのようにあなたの家畜を飼ったかは、 あなたがよくご存じです。私が来る前には、 わずかだったのが、 ふえて多くなりました。 それは、 私の行く先で【主】があなたを祝福されたからです。創世記30:29-30
彼はラバンに向かって、主が「私を祝福された」とは言わず「主があなたを祝福された」と言いました。それは彼がベテルで受けた「地上のすべての民族は、 あなたとあなたの子孫によって祝福される」という約束を信じていたからです。信仰は自分のためだけではなく、周りの人に、神の愛と祝福が押し流されるためにあります。
 苦しい時にこそ、神様の約束を信じ抜きましょう。

3、神のときを待とう。
ヤコブはついに神様の言葉を受けます。
「さあ、 立って、 この土地を出て、 あなたの生まれた国に帰りなさい。 」」創世記31:13
ここに至るまで20年。長い沈黙に見えますが、ヤコブの人生の舞台裏で働いておられる神は、最も良い時に、「今だ」という声をかけてくださったのです。
信仰生活は短距離走ではなく、マラソンです。辛いことがないわけではありません。しかし背後におられる神様が、良いことをしてくださり、その結末を良いものにしてくださいます。苦しい人生の旅路の中で、神様を信頼し抜くこと。しっかりと自分の仕事をすること。人に対して柔和に接し、悪いことをされても、神に委ねること、などヤコブの生き様から教えられることはたくさんあります。良き信仰の歩みをしてまいりましょう。

今週の暗証聖句
神を愛する人々、 すなわち、 神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、 私たちは知っています。ローマ8:28

その94 神に聴かれる3つの鍵

February 06 [Sat], 2016, 22:32
「神に聴かれる3つの鍵」
ルカの福音書11:5−8
11:5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。
11:6 友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。
11:7 すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』
11:8 あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。

 ある人が夜中に突然家のドアを叩きます。「すみません。急な客が来たので、パンを3つほど貸してください」。家の主人は応えます。「勘弁してくださいよ。こんな時間に…。もう家族は皆寝てるんです。起きて、今あなたに貸してあげるものはありません。」でもその人は叩き続けます。「君。頼む。どうかパンを貸してください。」家の主人はこれ以上ほうっておくわけにもいかなくなり、結局のところ起きて、彼に必要なものを全部出してあげるのです。それはそのお隣さんが大事な友達だからではなく、しつこく頼むからだというのです。
 イエスはここで、神に対する祈りが聞かれるための幾つかの鍵を教えています。

1、求め続けることが鍵。
神に対する祈りが聞かれるためには、求め続けることが鍵となります。このたとえ話の後でイエスは有名な
9節 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
という言葉を教えます。祈りとは受け身ではなく、ときには能動的で、継続的で、積極的な姿勢が求められます。私たちに必要なものをすべてご存知の神が、それでも私たちに「求めろ。捜せ。たたけ」と言っておられるのです。このようなある面執拗な祈りによって、私たちは神との深い交わりを持ち、関係を結ぶことができるようになります。

2、子どもであることが鍵。
 このイエスのたとえは前後の祈りについての教え(すなわち11章冒頭の「主の祈り」の教えと、後の「求めろ。捜せ。たたけ」の教え)を結ぶものとなっています。2つの教えに共通している点は神様を「父」と呼ぶことです。神は私たちを子どもとして見て下さり、その関係のなかで、私たちの願いを聴き、応えたいと望んでおられるのです。祈りは父と子の関係において成立します。
今、あなたと神様との関係はどうでしょうか?神様を躊躇なく「お父さん」と呼ぶことができるでしょうか?もし、神様との関係が「疎遠になっている」と感じる方がおられるなら、この朝その関係を回復しましょう。

3、聖霊が鍵。
 最後の鍵は聖霊です。この1節から13節までの祈りについての教えの結論の言葉はこれです。
13節 とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。
イエス様は求める者には必ず神の霊である聖霊を与えてくださると約束しておられます。聖霊の働きこそが、私たちを神の子とし、祈りの生活を豊かにし、神の御心を探り求める助けをするのです。まだ自分を神の子と呼ぶことのできない方は、イエス様がそのために何をしてくださったのかを信じ、祈り告白し、神の霊を迎え入れましょう。クリスチャンでありながら、神様から「疎遠になってしまっていた」という方は、聖霊を求め、神様を「天のお父さん」と呼べる関係を回復しましょう。

今週の暗証聖句
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。                 ローマ 8:39