その86 心を良いもので満たす

November 28 [Sat], 2015, 11:10
心を良いもので満たす
コロサイ人への手紙3:1-4

3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
3:2 あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
3:3 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
3:4 私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。

 一見私たちの心の状態というものは周りの状況次第のように思えます。自分にとって良い人が回りにいると、心も穏やかだけど、自分の嫌いな人がそばにいると、心が騒ぐとか、誉められるとハッピーだけど、けなされるとアンハッピーとか、自分の心は周りの人の態度や言葉次第というふうに思う人が多いと思います。しかしそのような、周囲に依存した思考を、変えていこうと思うのです。

1、人間は思考に左右される。
 パウロは人間というものの心が、救われてはいても、地上にしばりつけられる傾向にあることをよく知っていました。コロサイのクリスチャンの中には未だに、ユダヤ教の律法を守ることや、異端的な教えや、また肉体に様々な難行苦行を与えることに縛られていた人がいたのです。そこでパウロは、「あなた方の思考を変換しなさい。2節にあるように「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」と薦めました。「天にあるものを思う」とは日常生活の様々なことに心を奪われず、またこの世の価値観に引きずられないように、心を本当に必要なもの、良いもので満たすことです。神の子である自分に、どれほど大きな祝福が注がれるか信じて、「できない」から「できる」に、「駄目だ」から「あきらめない」に、「どうせ負ける」から「いや勝てる」に、積極的に困難に立ち向かっていく思考を、自分の心に植えつけることが、大切なのです。

2、人間の思考を縛るものがある。
 私たちが天にある偉大なものを思い、自分の思考を変えるためには、私たちの思考を縛る地上のものから解放される必要があります。

@ 過去
 私たちの人生は過去の延長線上にあります。過去に起こった出来事を否定することも、取り消すこともできません。しかし過去に起こったつらい出来事にいつまでも心を縛られて、前を向くことができなくなる場合があります。私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって、すべてが新しくされています。「どうしてあんなことが起こったのか」と問い続けることをやめて、代わりに神様が与えてくださる良いものをありがたく受け取って、これからの人生を最大限に生かすことを考えましょう。

A 苦い根
心の奥底で、誰かに対する怒りや恨みを抱えたままでいると、自分でも気がつかないうちに心に負担がかかります。ある人にとっては失望、ある人にとっては自己嫌悪の場合もあるでしょう。苦い根を処理して、元のきれいな心を回復させましょう。そうでないと、私たちの思考を変えることはできないのです。聖書は繰り返し、私たちは人を赦さなければならないと教えています。そうでないと、苦い根に人生を汚染されてしまうのです。

3、神の報いを信じよう。
 神様はすべてご存知です。私たちの涙も、苦悩も、弱さも、問題も、すべて知っておられます。すべてご存知のうえで、私たちに手を差し伸べて、「わが子よ。私に委ねなさい。私があなたに恵みを注ぐのだ」と言っておられるのです。これ以上大きな励ましがあるでしょうか。私たちの心を良いもので満たすためには、すべてをご存知の主が、必ず報いてくださるという信仰の上に、私たちの考えを建て上げていかなければなりません。
 今からでも遅くはありません。人生の流れを、良い方向に変えていこうではありませんか。

今週の暗証聖句
あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。     
ヨハネ16:33

その85 何故悪があるのか?

November 21 [Sat], 2015, 15:08
「何故悪があるのか?」
創世記6章5節
6:5 【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

 人間の苦しみの原因は創造主である神から離れている「罪」のためということを見てきました。ではもともと人間が神から離れるように誘惑した悪魔、そして悪はどこから来たのでしょうか?そしてこの問題に解決はあるのでしょうか?

1、神は自由意思を与えた。
 一部の天使たちは、自分たちの意志によって神に反逆するものとなりました。神は天使や人間をロボットのようにはお創りにならなかったのです。あえて神ご自身の意思に逆らうことさえできる自由意思をお与えになったのです。何故なら自分の創られたものを愛し、心と心の絆を持つ関係を持ちたいと願われたからです。自由意思に基づかない愛であったのなら、その関係は意味のないものだったでしょう。神を愛するか、それとも拒絶するかの選択の余地があるからこそ、一たび神を愛することを決意したものとの関係は深い信頼を伴うものとなるのです。
 
2、悪の存在する期限は限られている。
 しかし神と悪魔の関係は対等ではありません。悪魔も被造物にすぎないのです。確かにこの世界は悪魔が働き、私たちは「神がいるなら何故このような悪が起こることをお許しになるのか」と思うような苦しみに出会います。悪が強大で、善が弱々しく見えることがあります。しかし神は永遠にこのことを許されているわけではありません。必ず悪を完全に滅ぼされるときが来るのです。

黙示録 20:10 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。

 この世界の歴史は終わりに向かって進んでおり、今はさまに終わりに近づいているときであることを知らなければなりません。

3、神は勝利されている。
 神は神と人とを隔てていた罪の問題を、御子イエス・キリストの十字架と復活によって、勝利を与えられました。このお方を信じるならば、もはや罪はわたしたちを縛り付けることはできません。悪魔は決定的な敗北を喫し、自分たちの時間が残り少ないことも知っています。

4、神は待っている。
神の願いは、ひとりでも多くの人がこの神の勝利と解決に気付いて、キリストを信じ、ご自身との関係を回復することです。神は人間を愛するがゆえに、ぎりぎりまで待とうとしておられるのです。

Uペテロ 3:9 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし確実に終わりの時は迫っています。今というときを逃さないで、神の救いを受け取りましょう。そしてこの救いのメッセージを一人でも多くの人に伝える者とさせていただきましょう。

今週の暗証聖句
わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。──神である主の御告げ──彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。
エゼキエル 18:23

その84 天からのはしご

November 07 [Sat], 2015, 11:05
天からのはしご 

創世記28:10-22

28:10 ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。
28:11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
28:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
28:13 そして、見よ。【主】が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、【主】である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」
28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。
28:17 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」
28:18 翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。
28:19 そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。
28:20 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと着る着物を賜り、
28:21 無事に父の家に帰らせてくださり、こうして【主】が私の神となられるなら、
28:22 石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」


 兄の怒りを買ったヤコブは家にとどまることができず、故郷を離れ、親戚のラバンを頼って旅に出かけます。途中野宿をしなければならなくなりますが、夢に神が表れ彼を励ましてくださいました。翌朝目覚めたヤコブは、そこに祭壇を築き、その場所をベテルと名付けました。

1、神はそばにおられる。
 このときのヤコブの心境を想像するに、とても孤独で不安であっただろうと思われます。兄や父を騙してでも、自分の欲しいものを手に入れたいと思う野心家であり、自分の知恵に自信も持っていたでしょうが、今ではみじめに石を枕に野宿をしなければならず、すっかり自信を失くし、自分のしたことに対する後悔の思いもあったかもしれません。行く先で受け入れられるかどうか、そして再び故郷に帰って来られるかどうか、将来が何も見えない状態だったでしょう。しかしそのようなところに、神は訪れてくださったのです。いやもともと居てくださったことに彼は気づいたのです。

28:16 ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った。

 私たちの人生にもこのような状況が起こることがあります。一人ぼっちのような気がして、誰にも助けてもらえず、将来になんの希望も持てないような不安に陥ることがあるかもしれません。しかし自分が気が付かないだけで神はずっと一緒にいてくださるのです。

2、神は一方的に恵みをくださる。
 ヤコブは神から天からのはしごの夢を見せられ、彼の子孫が増えること、それを通してすべての民族が祝福されること、彼がどこに行っても神が一緒におられること、護ってくださること、再び帰ってこられることなどを約束していただきました。このことはヤコブ自身の人柄や行いや努力などとは一切関係ありませんでした。一方的な神の選びであり、一方的な神からの恵みであったのです。
 私たちにとっても神の基準は同じです。私たちに選ばれる理由などないのです。一方的な神の選びによって導かれ、一方的に祝福を約束してくださっています。この途方もない大きな恵みを感謝しましょう。

3、神のために生きる。
ヤコブは「この場所はおそれおおいところだ」、と石を積んで祭壇としました。そしてそこをベテル、神の家と名づけ、そして最後に、「神様が守ってくださるなら、私は神様がくださる10分の1を必ず神様に捧げます」、と誓願を立てました。ここに、私たちに救いの手を差し伸べ、またいつも共にいてくださる神様に対して、私たちがとるべき態度というものが描かれています。救われるためではなく、救われた喜びのゆえに、また神の恐れ多い偉大さのゆえに、私たちは神を礼拝し、捧げものをします。それは「神のために生きる」という生きざまの決意と表明です。
神と私たちの関係は一方通行ではありません。神は私たちと相互に応答し合うような関係を望んでおられます。すぐに大きなことをするというのではなく、一歩一歩、神の恵みに応えてゆく生活を送っていきましょう。

今週の暗証聖句
わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。   1サムエル2:30