その77 永遠を過ごす場所

August 28 [Fri], 2015, 1:08
これで納得!!!救いの一本道E 「永遠を過ごす場所」 

ルカの福音書16章19−31節

19   ある金持ちがいた。 いつも紫の衣や細布を着て、 毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 20 ところが、 その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、 21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。 犬もやって来ては、 彼のおできをなめていた。 22 さて、 この貧しい人は死んで、 御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。 金持ちも死んで葬られた。 23 その金持ちは、 ハデスで苦しみながら目を上げると、 アブラハムが、 はるかかなたに見えた。 しかも、 そのふところにラザロが見えた。 24 彼は叫んで言った。 『父アブラハムさま。 私をあわれんでください。 ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、 ラザロをよこしてください。 私はこの炎の中で、 苦しくてたまりません。 』 25 アブラハムは言った。 『子よ。 思い出してみなさい。 おまえは生きている間、 良い物を受け、 ラザロは生きている間、 悪い物を受けていました。 しかし、 今ここで彼は慰められ、 おまえは苦しみもだえているのです。 26 そればかりでなく、 私たちとおまえたちの間には、 大きな淵があります。 ここからそちらへ渡ろうとしても、 渡れないし、 そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。 』 27 彼は言った。 『父よ。 ではお願いです。 ラザロを私の父の家に送ってください。 28 私には兄弟が五人ありますが、 彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、 よく言い聞かせてください。 』 29 しかしアブラハムは言った。 『彼らには、 モーセと預言者があります。 その言うことを聞くべきです。 』 30 彼は言った。 『いいえ、 父アブラハム。 もし、 だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、 彼らは悔い改めるに違いありません。 』 31 アブラハムは彼に言った。 『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、 たといだれかが死人の中から生き返っても、 彼らは聞き入れはしない。 』」

過去2回に渡ってキリスト教の教える罪について見てきました。罪の大元は神から離れている状態(これを原罪という)であること、そしてこの罪が人間の心には「欠乏感」を、そして肉体には「老・病・死」をもたらすということをみたわけです。そして最後に、罪を持ったままの人間が死を迎えるとどうなるかを知らなければなりません。

1、 死後の世界は存在する。
このイエスの話でも明らかなように、聖書は明確にたとい私たちの肉体が滅びても、霊魂ははっきりと意識を持ち、いくべきところがあると教えています。

神はまた、 人の心に永遠を与えられた。 伝道者の書3:11

地球上のあらゆる生物のうちで、死後の世界を想像することができるのは人間だけです。世界のあらゆる宗教が死後の世界を教えているのは、逆に言えば人は本来そのことを直感し、永遠を求める存在だからと言えるでしょう。人はその創造の際に神の霊によって生きるものとされたからです。

2、 人間はどちらかに行かなければならない。
さらにこのイエスの教えから明らかなのは、人間には死後に行くべき場所は二つあるのだということ。そして一度行ってしまうと、もう後戻りも、もう一つの場所に行くこともできないということです。一つはラザロが行った安らぎと慰めの場所であり、もう一つは金持ちが行った熱さに苦しみ、希望のないところです。神のいない場所、神と永遠に離れてしまう場所には苦しみしかありません。

3、神は人を見捨てない。
しかし神は人を見捨てないのです。神から離れて罪を背負っているために、「生きてても大変」な私たち、そして死んだ後は永遠に神から離れ、苦しみ続けなければならない「死んでも大変」な私たち人間のために、神は御子イエス・キリストをプレゼントしてくださいました。この方を信じるだけで、神との関係が回復され、神の子としてくださり、「生きても大丈夫、死んでも大丈夫」にしてくださいました。人を地獄に送ることが神の望みではありません。何としてでも愛する人間に戻ってきて欲しいというのが神の愛です。

@神は聖書を与えてくださった。
せめてラザロを送って自分の兄弟たちがこんな苦しいところに来ないようにしてくださいと頼む金持ちに対してアブラハムは言います。「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら…」これは聖書のことです。聖書の言葉を聞こうとしない、信じようとしないのなら救われないということです。

A神はキリストを与えてくださった。
その後アブラハムはこう言います。「たといだれかが死人の中から生き返っても、 彼らは聞き入れはしない」と。そして神は御子キリストをよみがえらせてくださいました。そして弟子たちの証言を通して、悔い改めて神を信じ、神との関係を回復するようにと今も呼びかけておられます。
このキリストの十字架と復活を信じますと告白するならば、神の霊が入ってくださり、たとい一時的にこの肉体が滅びても、私たちの霊と魂は神のもとに帰り、新しい世界で新しい身体もいただき、永遠に生きることができるのです。神はこれを何の条件も付けずに、ただで私たちにくださったのです。どうかこのチャンスを、今自分のものとしてください。

今週の暗証聖句
人間には、 一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。ヘブル人への手紙9:27

その76 豊かさと悩み

August 08 [Sat], 2015, 21:18
「豊かさと悩み」
ルカの福音書12:13-21

12:13 群衆の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言った。
12:14 すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」
12:15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
12:16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」という訴えからこのたとえ話は始まります。ある金持ちの畑が豊作だったため、畑の主人は大きな倉を立て直して作物と財産を貯めて、これで数年間遊んで暮らせると喜びます。しかし神は彼に『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』と言われました。

1、罪とは神なしに生きようとすること。
 イエスはここで「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい」と言われます。確かに人間の欲には限りがなく、コントロールが効かず、かえって人間が自分の欲に支配されることもあります。
 さらにここでイエスが警告されたのはその欲が自分を愛し命を与えてくださった神を無視し、神なしで生きられるという傲慢な思いを持つということです。誰も自分の命をコントロールすることはできません。神なしに人間は生きていくことはできないのです。しかし人間は愚かにも、神なんかいなくても自分の思い通りに生きていけると勘違いしてしまいます。
 聖書はこのように、命の主である神を認めず、「自分は神から離れていても生きていける」という人間の思い上がりを罪の原点だと戒めています。

2、罪は悩みの原因。
 金持ちの畑の主人は、大きな倉を建て、財産をため込むことで人生の悩みがすべて解消されたかのように考えました。しかしそうでしょうか?先ほど見たように人間の欲には限りがなく、きっと彼は今度は貯めた財産を失う不安に悩むことになったに違いありません。また遺産の問題でイエスに訴えた人も、たとえ思ったとおりに財産を手に入れることができたとしても、兄弟間の関係に深刻な問題が残ることでしょう。このようにどんなにお金を持っていたとしても人間の悩みや苦しみは尽きることがなく、その根本的な解決とはならないのです。
 人間のすべての悩みは、創造主である神から離れているために生じる心の欠乏感が原因なのです。神に立ち返ることなしに、人間の不安が止むことはありません。

3、神との個人的関係が回復されなければならない。
 イエスは最後に「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」と言われました。神に受け入れられなければ、その人がどんなに富んでいたとしても、神の目から見るならば貧しく愚かな存在でしかありません。しかし神との関係を持ち、神からいのちを持っているならば、その人は神の前に豊かに富む者となります。
私たちはまず神との個人的な関係を回復し、滅びることのない永遠のいのちを持たなくてはなりません。それがたとえ富んでいても、貧しくても、悩みや苦しみから自由になる唯一の道です。イエス・キリストはそのために人となって世に来られ、十字架に架けられ、よみがえられました。この方を信じるだけで罪赦され、神との関係が回復されます。このお方を信じましょう。

今週の暗証聖句
わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。                ヨハネ 10:10

その75 羊はその声を聞き分ける

August 01 [Sat], 2015, 23:47
「羊はその声を聞き分ける」

ヨハネ10:1-4
10:1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
10:2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
10:3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
10:4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
 
聖書は人間をしばしば羊にたとえています。鋭い爪や牙を持たない弱い動物であり、賢くもなく、近視で意外と強情と言われるところなど、人間とよく似た部分があるからでしょう。イエス様はここでご自分を「良い羊飼い」とし、羊飼いなくして羊は生きることができないということを教えています。

1、ついて行ってはいけない声もある。
イエス様は私たちが聞こえる声のなかに、盗人や強盗の声、ついていってはいけない声があることを教えています。それは私たちが神からいただいた永遠のいのちの祝福を奪い取ろうとするものです。
ルールを知らないでゲームに勝つことはできず、ゴールを知らないでレースに勝つこともできません。私たちはこの世にあって、流されず、騙されず、しっかりとまことの牧者であるキリストの声を聞き分けなければなりません。

2、イエス様だけが安全なルールと確実なゴールを教えてくれる。
 キリストだけが私たちを悪い者から守り、明確な目的地に導いてくださいます。何故なら…

2-1. イエス様は私たちのことをすべて知っている。
 イエス様は私たち一人ひとりの痛み、苦しみ、悩み、必要を御存じです。

2-2. イエス様は私たちのことを命がけで護る。
 雇われた羊飼いはオオカミを見ると羊を置いて逃げ出します。しかし本物の羊飼いは羊のために命を捨てるのです。

3、イエス様の声を聴くために…
3-1. イエス様のところに帰る。イエス様を信じる。 
私たちの名を呼んでくださる羊飼いの声を聴いたのなら、そこに帰らなければなりません。

3-2. イエス様のそばにいる。
イエス様のところに帰ったのならその声が聴こえるところから離れてはいけません。具体的にはどうしたら良いでしょうか。
3-2-1. 教会から離れない。
3-2-2. 聖書を読む。
3-2-3. 祈る。
3-2-4. 聖霊に満たされる。

羊は羊飼いの声を見分け、従っていきます。それが一番安全で確実な道だからです。私たちを、命を懸けて護ってくださるまことの羊飼いの声に耳を傾け、その声についていきましょう。それが私たちが人生のなかで永遠の実を結ぶ方法です。

今週の暗証聖句
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。      ヨハネ15:16