その74 豊かな人生の鍵

July 25 [Sat], 2015, 0:12
豊かな人生の鍵 
マタイの福音書 7章12節
7:12 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。

日本人がよく子供に言い聞かせる言葉にこんなのがあるそうです。きっと皆さんも一度は言われたか、あるいは言ったかしていると思います。「人に迷惑をかけないようにしなさいよ。」「他人様にご迷惑をかけるな。」また古代の中東でもこれに似たような有名な教えがあったそうです。それは「自分が人にされていやなことは、人にしないようにしなさい。」
しかしこのイエス・キリストの言葉はそれよりももっと積極的です。ただ人に悪いことをしないようにするのではなくて、こっちから良いことを働きかけなさいというのです。自分がして欲しいと思うことを、人にしてあげなさい。つまり良いこともしていないけど、悪いこともしてないからいいじゃないか、ではなくて、してあげなさいというのです。

イエス・キリストはこの短い教えを通して、私たち人間に「本当の豊かさとは何か」「どうしたら豊かな人生を過ごすことができるのか」を教えておられるのです。

1、自分に価値があることを知っていること。
この言葉は「それで」という言葉から始まっていますので、その直前を読んでみましょう。

7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
7:9 あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

ここでイエス様は何を言おうとしておられるのでしょうか。私たちは、神様の子として、愛され、守られ、求めるものは何でも与えられるという特権、そのような価値を持っているのですよということです。だからあなたがたは、人に対して良い行動を起こすことができるのだというのです。
自分には価値がある。だからこそ、他の人に優しくなれるし、何かをしてあげたいという思いが起こってきます。どうかこの神様の目で豊かな人生を実感していきましょう。

2、自分には何かができると知ること。
イエス様はここで、すべての人に対して「あなたにも何かできることがあるのですよ。」と教えておられます。イエス様は「何事でも」と言われました。それは大きなことでなくても構わない、どんな小さなことでもいいのだ。あなたが今隣にいる人にできることがあるんですよ、と言われているのです。朝誰かにおはようございます。と言われたら気持ちがいいなあ、と思っているのなら、自分がそれをすることができるのです。誰かにありがとう、と言われたらうれしいな、と思っているのなら、人に言われる前に、自分が率先して感謝することができます。
このことは、私たちが自分の目を自分自身から他の人に移すことを意味します。人間は自分、自分と、自分のことばっかり気になっている状態では、いつまでたっても豊かな気分など持てるわけがないのです。
周りの人たちに対して「自分にできることがある。」「自分にしかできないことがある。」そのような思いで、今日も明日も生きていこうではありませんか。

3、自分には分かち合うものがあることを知る。
イエス様が「ほかの人にもそのようにしなさい」と言われた意味は、あなたは人に分けてあげられるものを持っているのだ。それを分かち合ってあげなさい。ということであります。何か自分の持っているものを他の人に分けてあげる時に、人は本当の豊かな人生を得ることができるのだと教えているのです。
自分が受けることばかり、得するか、損するか、そんなことばかりを考えることをやめて、自分が与えることを考え、実行するようになるのならば、必ずこの世界は変えられていくのです。イエス様はこの山上の説教で、「あなたがたは世界の光なんだ」と、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさいと言われました。どんなに小さな光であっても、闇の中では大きな存在となります。

今週の暗証聖句
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。マタイ7:12

その73 無敵の人生

July 11 [Sat], 2015, 10:48
創世記26:12-22
「無敵の人生」

イサクは成長し、リベカという妻を持ち、二人の子どもエサウとヤコブも与えられました。彼の生涯は父、または子のものと比べると特筆すべき出来事も少なく、非常に穏やかに見えます。しかしクリスチャンとして学ぶことがあります。この章には人から妬まれ、妨害されながらも黙々と井戸を掘るイサクの姿が描かれています
1、争わない。
 ぺリシテ人から妬まれてすべての井戸を塞がれたイサクはゲラルに移動してそこで井戸を掘りはじめます。しかし、そこでも2度に渡って妨害が入り、諦めて他の場所で井戸を掘ります。そしてついに争いのない場所を見つけました。イサクはどんなときも争いを避け、非常に苦労しますが、それでも「主は私たちに広い所を与えてくださった(22節)と感謝しています。
 人と争わずに敵を作らないと「無敵」になれます。イサクの生き方は一見弱々しく力のないように見えますが神の大きな祝福を受けました。キリストは「剣を取る者はみな剣で滅びます(マタイ26:52)」と言われました。またパウロも「義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。(2テモテ2:22」と戒めています。世の価値観ではなく、神の国の原則に生きましょう。

2、勤勉に生きる。
 神に愛され祝福されたイサクですが、何もせずに怠惰に生きていたわけではありません。種を蒔き(12節)、何度挫折しても井戸を掘り続けます(18,21,22節)。このような真摯で勤勉な姿こそクリスチャンの模範と言えます。パウロもテサロニケのクリちゃんたちに「落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。(Tテサ 4:11)」と命じました。
 状況を嘆き、環境を恨み、諦めることは簡単です。しかし困難のなかにあっても希望を失わず、何よりもいつも共にいて、私たちを見ていてくださる神を見上げて生きること、自分に託された使命を全うすることが私たちの目指すべき生き方です。

3、神の祝福を受ける。
 周り中敵だらけの状況にあり、そして争いを避け、力なく生きているように見えるイサクですが、その生涯はどんどん繁栄していきます。神が祝福されたからです。彼はアブラハムとサラのたった一人の子であり、約束の子であったからです。周りがどんなに彼を「あいつはよそ者だ。気の弱いやつだ。力のないやつだ」と侮り、罵ったとしても、神は決して彼から離れず、彼のなすことを祝福し続けてくださったのでした。
 神の目から見て、私たちクリスチャンもイサクと同じです。大切な存在なのです。何故ならイエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰によってキリストとともに神の相続人となっているからです。この世界は一時的な寄留の地であり、私たちの故郷は天にあります。そこでは永遠の慰めと繁栄が待っています。世にあって世に流されず、キリストを信じる信仰によって生きていきましょう。

今週の暗証聖句
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。ロマ 8:17

その72 イエスの教会

July 04 [Sat], 2015, 18:33
「イエスの教会」 
マタイ16:18
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

教会は自然発生したのでもなければ、人間が自分たちの考えで教えを広めるために造り上げたのでもありません。キリストご自身の「私は私の教会を建てる」という宣言から生まれています。このイエスの教会の存在が私たち人間にとってどのような意味があるのか考えてみましょう。

1、教会にはイエスがいる。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」マタイ18:19-20

教会は主であるイエスが呼んでくださった人が集まるところです。そしてイエスは私たちが少なくとも2人以上で心を合わせて祈るところに、いてくださると約束してくださいました。目には見えませんが、教会にはそれを建てたイエス様がいます。私たちの祈りを聴いてくださり、それをかなえてくださるのです。これからもこの教会がイエスに呼ばれた人たちが集まり、イエスに出会う教会となるよう願っていきましょう。

2、教会には休息がある。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28

私たち人間は生きている限り、何らかの重荷を背負っていかなければなりません。当然疲れます。私たちには自分の重荷を本当に理解してくれる人、苦しみ、悲しみを分かち合える友が必要なのです。私たちを愛し、創造してくださったイエスだけが本当の休息を与えてくれます。イエスの教会は私たちに休息を与えてくれるところです。これからもこの教会が多くの人に休息を与える場所となるよう願っていきましょう。

3、教会にはすべてがある。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ14:6

教会には真の休息だけではなく私たちに必要なものすべてがあります。誰も教えてはくれない、私たちがどのように生きるべきかという道があります。私たちが知らなくてはならない人生を幸せに生きる真理があり、また地上での人生の後に行くべき永遠のいのちを受け取る方法があります。これらはすべて、世界中の人が必要としているもの、探し求めているものです。教会だけがそれを持っているのです。
これからもこの教会が、すべての人が捜し求めている人生の答を伝えるところとなるよう願っていきましょう。


今週の暗証聖句
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。エペソ1:23