その66 原罪の結果

April 18 [Sat], 2015, 20:45
これで納得!!!救いの一本道D 「罪の結果」 

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6:23

キリスト教の教える「原罪」とは、創造主である神から離れている人間の状態です。そしてこの状態が人間のあらゆる苦しみの原因となります。人間が神から離れてしまった結果、どのような苦しみが起こるのでしょうか。

1、 人間の身体は老・病・死を持つようになった。
創世記2:16-17 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

神の造られたものはすべて、もともとは死ななくてもよい存在でした。永遠に神を褒めたたえ、神とともに生きるために創造されたのです。しかし最初の人アダムの失敗によって人間に入り込んだ原罪は、すべての造られたものに、年をとって衰えること(老)、ときには病むこと(病)、そしていつかはその命が絶えること(死)をもたらしたのです。神とつながっていた霊はいつか肉体と分離されることになってしまいました。全人類は今も、まさに原罪の呪いのもとに置かれているのです。

2、 人間の心は欠乏感を持つようになった。
肉体に老・病・死が入り込んだように、神から離れた状態(原罪)は私たちの心にも苦しみをもたらしました。それは一言で言えば「欠乏感」です。創造主である神とつながることで、人は心も身体も安定します。しかし神を見失った人間の心は、欠乏感に悩まされながら、神でなければ埋めることのできない心の穴を、他のもので埋めようとします。ある人は恋愛、ある人はお金、ある人は人に認められることなどによって、欠乏感を補おうとします。しかしその欠乏感は神との関係が回復されない限り決して満たされることはありません。この神との関係がないために起こる欠乏感「何かが足りない」「こんなはずではない」「本当はもっと他に良いものがあるはずだ」という感覚は自分に価値があることを認めず、自分を責めるだけではなく、人を妬んだり、蔑んだり、ときには他人を傷つけても構わないという苦しみの連鎖につながっていくのです。もう一度言います。全人類は今も、まさに原罪の呪いのもとに置かれているのです。

3、神は人を見捨てなかった。
しかし神は人を見捨てなかったのです。原罪を背負っているために、「生きてても大変、死んだ後も大変」な私たち人間のために、神は御子イエス・キリストをプレゼントしてくださいました。この方を信じるだけで、神との関係が回復され、神の子としてくださり、「生きても大丈夫、死んでも大丈夫」にしてくださいました。そしてたとえ一時的にこの肉体が滅びても、私たちの霊と魂は神のもとに帰り、新しい世界では、新しい身体もいただき、永遠に生きることができるのです。神はこれを何の条件も付けずに、ただで私たちにくださったのです。どうかこのチャンスを、今自分のものとしてください。

今週の暗証聖句
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ人への手紙6:23

その65 空っぽの墓

April 04 [Sat], 2015, 20:28
空っぽの墓 ルカ24:1-6

24:1 週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。
24:2 見ると、石が墓からわきにころがしてあった。
24:3 入って見ると、主イエスのからだはなかった。
24:4 そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。
24:5 恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。
24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。

キリスト教はキリストの十字架とその後の空っぽだった墓からはじまりました。この朝、人類の歴史の流れが変わったのです。この墓が今を生きる私たちに何を教えているのか考えていきましょう。

1、もう恐れ、不安に縛られない。
日曜日の朝、イエスの遺体に油を塗りにいった女性たちには心配なことがありました。それは墓の入り口に大きな石が置かれ、塞がれていたということです。「だれがあの石をどけてくれるか」と話し合っていたのですが、彼女たちが行ってみるとすでに石はわきにころがされていたのでした。このことはキリストの復活によって、私たちには心配や恐れに縛られる必要がないことを表しています。
私たちは生きていく上でいろいろなことを恐れ、心配します。道が塞がれてこれ以上先に行けないように感じることがあります。他の人を頼り「誰が助けてくれるだろうか」と不安になることもあります。しかしよみがえられたキリストが一緒であるなら、私たちの道に立ちふさがる大きな石は、もうとり除かれているのです。キリストのメッセージは一貫して「恐れるな。心配するな」でした。空っぽの墓は私たちがもう恐れや不安に縛られなくても良いことを教えています。

2、もう過去に縛られない。
女性たちはイエスの遺体が腐敗して臭い臭いを出さないように香料を塗りに行きました。過去の思い出に縛られ、前に進むことのできない人間の姿です。しかし空っぽの墓は彼女たちに、悲しみや苦しみはもう過ぎ去り、新しい人生が始まったことを表しました。「あの時は良かった。あんなことさえなければ」と過去に縛られ、前を向くことができない人が多くいます。遺体に香料を塗るように、過去にしがみ付き、新しい一歩を踏み出せないことがあります。しかしよみがえられたキリストは、私たちの背中を押し、新しい世界に踏み出す勇気を与えてくださいます。弟子たちは「全世界に」出てゆくようにチャレンジを受けたのです。空っぽの墓は私たちはもう過去に縛られなくても良いことを教えています。

3、もう罪に縛られない。
彼ら、特に弟子たちには愛する師を見捨てて逃げてしまった罪責感があったに違いありません。しかし空っぽの墓は、彼らの裏切り行為が帳消しにされ、後悔や自分を責める気持ちから解放されたことを表しています。罪は私たち人間の苦しみの根源です。そしてそこから様々な問題が起こります。罪の結果である死は誰にでも訪れる裁きと絶望です。キリストはそのすべてを背負って十字架に架ってくださり、よみがえることによって罪と死に対する勝利を表されました。キリストを信じるならもう死は終わりではありません。空っぽの墓は私たちがもう罪と死に縛られていないことを教えています。

4、生きているキリストに出会うため。
空っぽの墓は最後にキリストが今も生きていることを教えています。私たちはキリストが生きているからこそ、彼と出会うことができるのです。キリストは今も私たちの心に語りかけています。この方を信じて、新しい人生を歩みましょう。

今週の暗証聖句
イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。 ヘブル 13:8