その49 我らの主、イエス・キリスト

October 25 [Sat], 2014, 23:23
これで納得!!!救いの一本道A
「我らの主、イエス・キリスト」

1ヨハネ4:7-9

4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

御子イエス・キリストは父なる神から人間の救いのために遣わされた神、救い主です。

1、予告されていた誕生。
キリストの誕生は、偶然でも、神の突然の思いつきでもなく、実は人間が罪を犯し、神から離れてしまった時から予告されていたことでした。神はアブラハムをその祖先に選ばれ、ダビデの子孫として生まれるよう計画され、やがて時が至り、ヨセフとマリヤの子としてこの地上に誕生しました。ここまでの間に、父なる神は主にイスラエルの歴史を通して、ご自身が何を望まれ、どのようにしたら罪が消えて、神との関係が回復されるのかを教えておられたのです。
旧約聖書に数多く記されている救い主に関する預言と一致する人物は一人しかいません。それがイエス・キリストなのです。

2、自覚されていた十字架と復活。
 キリストは30歳のときにバプテスマのヨハネから洗礼を受け、公の働きを開始されました。多くの病を癒し、奇跡を行われましたが、ご自身が生まれてきた目的をご存じでした。それは十字架に架けられることによって、人々の罪のために代わりに苦しみ、血を流すということだったのです。そのことを何度も予告されながら、その通りの歩みをされました。
 そればかりでなく、キリストは同時に死んだ後によみがえられるということも予告されていました。弟子たちは誰もこのことを理解していませんでしたが、十字架で死なれた三日目の朝、キリストは復活されたご自身を弟子たちの前に現されたのでした。そして40日間弟子たちとともに過ごされた後に、彼らの目の前で天に昇られたのです。
 キリストの人生は全人類の代表として死なれた100%人間のご性質と、死の力を打ち破って復活され、信じる者を救うことができるという100%神としてのご性質の両方を備えられていることを表しています。

3、再び来られるという予告。
 数千年の間にほとんどの預言が成就した聖書ですが、まだ一つだけ果たされていない約束があります。それは「キリストはもう一度この地に帰ってこられる(再臨)」というものです。このことはご自身も何度も教えられ、新約聖書の記者たちも書いています。
 それがいつかは誰も知りません。父なる神だけがご存じです。そのとき御子は王として迎えられ、悪を完全に滅ぼされます。私たちは世の終わりの時代に生きているのです。 
 その時までに、すべての人はこの神である主イエス・キリストへの態度を決めなければなりません。イエスを主と告白する者は、どんな人でも神に受け入れられ、永遠のいのちを約束されるのです。今この時に、イエスをあなたの人生の主として心に迎え入れましょう。

今週の暗証聖句
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」                    
ヨハネ20:28-9

1、キリストはあなたに何をするように言っておられますか。



あなたが主イエス・キリストを信じるとき、本当のいのちが与えられます。そして揺るぎない人生の土台を手に入れることができます。

その48 苦しみが道を開く

October 04 [Sat], 2014, 21:45
「苦しみが道を開く」 使徒8:4-19

8:4 他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。
8:5 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
8:6 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。
8:7 汚れた霊につかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫んで出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。
8:8 それでその町に大きな喜びが起こった。
8:9 ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。
8:10 小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。
8:11 人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。
8:12 しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行われるのを見て、驚いていた。
8:14 さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。
8:15 ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。
8:16 彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
8:17 ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

2章のペンテコステの祭の日に生まれた教会は、エルサレムでどんどん大きくなっていきました。しかしそれは同時に、当時のユダヤ教の指導者たちの警戒と恨みを買うこととなり、大きな迫害を経験することになりました。エルサレムから逃げなくてはならなくなったクリスチャンは逃げてゆく先々でキリストを伝えます。そのうちの一人ピリポはサマリヤというところで福音を分かち合い、多くの人の信じる者が生まれました。

1、苦しみが道を開く。
迫害されたクリスチャンたちは散らされた先々で、かえって御ことば、福音、イエス様のことを証ししながら進んでいたのだと、聖書は証言しています。このことは、苦しみは彼らを押し潰したのではなく、むしろ逆に自分たちの可能性を広げ、神の計画を進める原動力となったことを教えています。迫害の苦しみが、彼らに宣教の扉を開き、彼らを押し出し、遣わし、神の国の福音を伝えさせることとなったのです。
このように考えるときに、私たちは自分たちの人生に起こる苦しみそのものよりも、その苦しみをどのようにとらえるかによって、信仰者としての生き方が全く違ったものになることを知ることができます。神様の導きを信じ、従っていきましょう。

2、愛が神を動かす。
 実はユダヤ人とサマリヤ人の間には歴史的に大きな溝がありました。彼らはお互いに交際せず、むしろ憎み合っていたのです。だからピリポは、このサマリヤを、口を閉ざして通り過ぎることもできたのです。しかし彼の心にはそのようなわだかまりはなく、神の愛によってサマリヤの人たちに福音を伝えました。
 このピリポの姿は、私たちの限界を乗り越える武器は、愛であることを教えています。人を愛する愛が、歴史的なわだかまりや、偏見や憎しみを打ち砕き、キリストにある救いを伝えたいという大きな動機を与えるのです。この朝私たちは、自らの心をかえりみて、他の人と自分を隔てている心の壁を打ち砕いてくださいと祈ろうではありませんか。

3、聖霊に満たされる。
 この話が再強調しているのは、イエス様を信じてバプテスマを受けたサマリヤ人を見に、ペテロとヨハネが下さってきた。そして手を置いて祈り、この新しくクリスチャンになったサマリヤ人に聖霊がくだったということです。この一連の記述は福音を信じたクリスチャンが聖霊によって、さらに力強くなる姿を教えています。聖霊は私たちを満たし、神の力強さで溢れさせてくださるのです。
この21世紀の日本でも、聖霊は働かれ、私たちを満たし、力付け、慰め、用いてくださいます。この社会にあって、堂々とキリストを信じ、従う信仰者を目指して、この朝も聖霊を祈り求めてまいりましょう。

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
1コリント10:13