その47 神は私のお父さん

September 20 [Sat], 2014, 15:06
これで納得、救いの一本道@
     「神は私のお父さん」
ヨハネの手紙第一 4章7−9節

4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

キリスト教信仰の鍵となる言葉に「神・罪・救い」というものがあります。「神」が分かり、「罪」が分かり、「救い」が分かると、何をどのように信じるべきかが分かり、何故自分に信仰が必要かが分かるというのです。ということで、これから月1度のペースで「神」について3回、「罪」について3回。そして「救い」について3回のシリーズでみてまいりましょう。

1、神は世界のお父さん。
聖書の冒頭に「初めに、神が天と地を創造した(創1:1)」とあります。神はすべてに先だって存在され、この宇宙は神によって創られました。太陽、月、星、海、山、すべての自然を創られたたった一人の創造主がおられるのです。
そして創造主はこの地球に生命を生み出されました。生命は偶然にはできません。誰かが目的を持って創らない限り、命あるものとはなりません。この世界はすべて神によって生まれ、神によって存在しているのです。よって世界のすべての存在が神に属するもの、神のものと言うことができます。その根底には愛があります。神はご自分のお造りになったすべてのものを愛しておられるのです。

2、神はキリストのお父さん。
 しかし創られたもののなかで最高の存在であった人間は「罪(このことは4−6回目のテーマです)」によって、創造主なる神から離れてしまいました。これは人間の苦しみの原因であり、世界の災いの元です。神はその最初から、どのようにしてこの問題を解決されるかを決めておられました。そして少しずつ聖書を通してそのご計画を表しておられました。そして今から2000年前、時が満ち、神は失われた人間を取り戻すために一人子イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。聖書はこれこそが神が私たちを愛している証拠だと言っています。

4:9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

このイエス・キリスト自身が創造主である父なる神からの私たちに対する愛のメッセージです。このキリストを通して、創造主なる神は私たちに失われている本当の生命を与えてくださるのです。

3、神は私のお父さん。
 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。
ヨハネ 1:18

キリストはその地上での生涯のうちに、何度もこの創造主なる神をご自分の父と呼ばれた一方で、私たち人間にとってもこの創造主なる神は「天の父」なのだと教えられました。それはただ単に「神を信じろ」ということ以上に、私たちが「元々いたところに帰るように」、「元々あった神との関係を取り戻すように」というメッセージだったのです。
 人間は自分を愛してくださる父なる神から離れて迷ってしまった。しかし父なる神は決して見捨てることなく、諦めることなく、待っていてくださるというのです。この創造主なる神に帰ることがすべての回復のスタートです。

今週の暗証聖句
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。マタイ 7:11

その46 招待状が届いています

September 13 [Sat], 2014, 15:17
 「招待状が届いています」 ルカの福音書 14:15-24

14:15 イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう」と言った。
14:16 するとイエスはこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。
14:17 宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから』と言わせた。
14:18 ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。』
14:19 もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断りさせていただきます。』
14:20 また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』
14:21 しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。』
14:22 しもべは言った。『ご主人さま。仰せのとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』
14:23 主人は言った。『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。
14:24 言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」

ある人が盛大な宴会を開こうとし、すべての準備が整った後に、事前に招待していた人たちを呼びに行かせます。ところがこの招待客たちは、それぞれ理屈を述べてその招待を断ってしまいました。怒った主人は街中にいる、貧しい人や身体の不自由な人たちを招くように命じます。そしてまだ席が残っているので、今度は町の外の人たちを呼び、席がいっぱいになるように命じました。
この宴会とは分かりやすく言うと神の国、天国のことです。どういう人たちがこの神の宴席に招かれ、どういう人たちが入ることができるのでしょうか。

1、招待状を拒否したら入れない。
当時の慣例では通常招待は2度に渡ってなされ、1度受け入れておきながら直前の招待を断ることは非常に失礼なことと考えられていました。しかしこの人たちはそれをしたわけです。
最初に招待を受けていた人たちとは、一義的には宗教の専門家であるパリサイ人です。彼らは社会的には人々から尊敬される立場にあり、「自分こそが天国に行くのにふさわしい」と考えていました。しかしキリストの目から見るならば彼らは神の招きを自ら拒否しているというのです。
このように神を知っているということと、神と出会い、その招きに応えるということは別のことです。いくら神のことを知っていたとしても、その招きに応じなければ神の国に入ることはできないのです。

2、神は多くの人を招いている。
 怒った主人が「ならば」としたことは、街中の貧しい人や身体の不自由な人を宴会に呼ぶことでした。このような人たちは、宗教家から見たら汚れていて、神に選ばれるのに相応しくない人でした。しかしキリストはこのような弱い人たちを神は招いておられるのだと教えます。そしてさらに、『街道や垣根のところに出かけて行って』人を呼ぶように命じました。街道や垣根は町の外にあり、これは神から遠く離れていると考えられていた異邦人を表します。最も近いと思われていた人は宴会に入れず、資格もなく、遠く離れていると思われる者が宴会に続々と入っていくのです。

3、招待状とはイエス・キリスト。
神は旧約聖書を通して、すべてを教え、準備し、「いよいよ時が来た」と、御子イエス・キリストを遣わされました。この招待状を拒絶したら神の国に入ることはできません。しかしこの招待状であるキリストを自分の心に受け入れるだけで、天国に入ることができるのです。
この神の国の宴会に招かれた人を整理してみましょう。

@ 自分は相応しくないと考える人。
A 自分は神から遠く離れていると考える人。
B 謙遜な人。

このような人たちこそが、天国に相応しい存在なのです。私たちは神からイエス・キリストという素晴らしい招待状をいただきました。この方を信じて神の宴会に入りましょう。

今週の暗証聖句
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。     1テモテ2:4

その45 アブラハムの婚活

September 06 [Sat], 2014, 15:45
 「アブラハムの婚活」 創世記24:1-67

24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。【主】は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。
24:2 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。
24:3 私はあなたに、天の神、地の神である【主】にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。
24:4 あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」
24:5 しもべは彼に言った。「もしかして、その女の人が、私についてこの国へ来ようとしない場合、お子を、あなたの出身地へ連れ戻さなければなりませんか。」
24:6 アブラハムは彼に言った。「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。
24:7 私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える』と約束して仰せられた天の神、【主】は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。
24:8 もし、その女があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。ただし、私の息子をあそこへ連れ帰ってはならない。」
24:9 それでしもべは、その手を主人であるアブラハムのももの下に入れ、このことについて彼に誓った。
24:10 しもべは主人のらくだの中から十頭のらくだを取り、そして出かけた。

妻のサラを失い、年老いたアブラハムは息子イサクの妻となるべき人を見つけなければと思いました。彼はイサクの結婚する相手が異教徒であるカナン人であってはならないと思い、しもべを遣わして自分の生まれ故郷から見つけようと考えます。しもべは主人アブラハムに言われた通りに出発し、そこでリベカという女性をみつけます。彼女はしもべの話を聞き、迷うことなく家族を離れ、イサクのもとへと出発しました。このお話から学べることをみていきましょう。

1、クリスチャンの責任感。
クリスチャンの責任感とは何でしょうか。それは一言で言えば自分だけがよければ良いという考え方をしないということです。アブラハムが責任を持ってやり遂げなければならないと考えたことは物質的なことではなく霊的な責任を果たすということでした。神を信じ、神を敬い、神を礼拝する子孫とするためには、カナン人ではなく自分の故郷から息子の妻を捜さなければならないと考えたのでしょう。
私たちもこの地上でクリスチャンとしての責任を果たすということを考えなければなりません。それは自分の周りの人たちに対して霊的な祝福を分かち合うということです。神様を知り、神様を信じ続けることこそが祝福の鍵であるということを伝えることです。年齢や状況とは関係なしにできることがあるのです。クリスチャンとしての責任感をこれからも培っていきましょう。

2、クリスチャンの影響力。
 この僕の態度を見てください。彼は主人の言われたとおりに出て行って目的地に着いたとき最初に何をしたでしょうか。彼は祈ったのです。「私の主人、アブラハムの神、主よ」と。そしてその祈りが終る前に神様はその祈りに答えてくださったのです。このような態度はまさに、主人アブラハムから与えられた影響であり、信仰に違いありません。
私自身が生き方を変え続け、影響力の強いクリスチャンになることができるようになりたいと願っています。そして私の願いは皆さん全てが、このアブラハムのように影響力の強いクリスチャンになってくださることです。それは皆さんが口にする一言二言ではなく、生き方そのものにかかっています。影響力の強いクリスチャンになりましょう。

3、クリスチャンの安心感。
いうまでもなくこのイサクの嫁取りの背後で働かれていたのは神です。神はアブラハムの信仰から出る行いのすべてを配慮され、その祈りに答えてくださいました。彼とその家族の必要はすべて満たされるのです。彼は安心してその生涯を地上で送り、神のもとに帰ることができました。
私たちも信仰によって、このアブラハムと同じ特権が与えられています。神は私たちの祈りを聞かれ、答えてくださいます。特に人生の必要をすべてご存じで、最も良いタイミングで、最も良いものを備え、与えてくださるのです。これがクリスチャンが安心して生きることができる根拠です。
すべてを大丈夫にしてくださる神。この神に喜ばれるクリスチャン生涯を送っていきましょう。

今週の暗証聖句
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。箴 16:9

その44 踏み出す!!

September 03 [Wed], 2014, 9:04
ヨシュア記
1:1 さて、【主】のしもべモーセが死んで後、【主】はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。
1:2 「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。
1:3 あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。
1:4 あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全土および日の入るほうの大海に至るまでである。
1:5 あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
1:6 強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。
1:7 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。
1:8 この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
1:9 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」

 エジプトで奴隷状態だったイスラエルの民を導き出し、40年間荒野で導いた偉大な指導者モーセが亡くなりました。その後継者に任命されたのはヨシュアでした。彼はこれからヨルダン川を越えて、神が与えてくださると約束してくださったカナンの地に、民たちを連れていくという大きな使命を与えられたのです。いかに神の命令と言っても人間的には恐れや不安があったことでしょう。その彼が未知の世界に踏み出すために、神がどのような言葉をかけられたのかみていきましょう。

1、神以外のものを頼らない。
神はわざわざヨシュアに念を押すように「わたしのしもべモーセは死んだ(2節)」と言われました。神はヨシュアに「あなたが長く仕えてきたモーセはもういないのだ。私だけを信じ、頼りなさい」と伝えたかったのでしょう。
 私たちも同じように、人生の新しい領域に「踏み出す」必要に迫られるときがあります。そのときに、自分がそれまで頼りにしていたものを一旦忘れること、捨てることが求められるかもしれません。目に見える人、物であれ、目に見えないものであれ、すべてを神に差し出して、神だけを見上げ、神だけに従うという覚悟が必要とされるのです。

2、御言葉 に聞き従う
 7節.わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行え。 これを離れて右にも左にもそれてはならない。
 では見えない神を信じて従うためには、具体的にどうしたら良いのでしょうか?神はヨシュアに、「私がモーセに与えた律法があるではないか。ここに書かれた言葉を守るように」と教えられました。
 私たちが何かに踏み出すときに必要となるものは、御言葉から来る確信です。自分で聖書を開く時、また礼拝の講壇の上で語られる説教を聞く時に、聖霊が働いて確信が与えられるのです。

3、神は一緒にいる。
9節.あなたの神、 【主】が、 あなたの行く所どこにでも、 あなたとともにあるからである。 」
何十万人という民を従い、未知の土地に踏み出そうとするヨシュアにとって、「私はあなたと一緒に行くよ」と言われた言葉はどれほど心強かったことでしょう。ヨシュアはこの言葉を信じ、勇敢に戦い、民たちにヨルダン川を渡らせるという難事業を達成することができました。
私たち1人一人にも、踏み出す勇気、踏み出す信仰が必要となります。神を信じること、新しいことを始めること、すべてに勇気と信仰が要ります。神は今まで頼りにしていたものを手放し、神だけを信じ、頼るように求められます。そして神の言葉である聖書を通して確信を得るようにと語られます。何よりも、私たちがどこに行っても、一緒にいてくださると約束してくださっています。この素晴らしい神を信じて、人生の新しい領域に足を踏み出していきましょう。

今週の暗証聖句
あなたが水の中を過ぎるときも、 わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、 あなたは押し流されない。火の中を歩いても、 あなたは焼かれず、 炎はあなたに燃えつかない。イザヤ43:2