その35 それでも神は

May 31 [Sat], 2014, 14:20
創世記16:1-10

16:1 アブラムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その吊をハガルといった。
16:2 サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにおはいりください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
16:3 アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。
16:4 彼はハガルのところにはいった。そして彼女はみごもった。彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。
16:5 そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」
16:6 アブラムはサライに言った。「ご覧。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。
16:7 主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、
16:8 「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」と尋ねた。彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」
16:9 そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」
16:10 また、主の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」

アブラハムは「子どもが与えられ、その子孫は大いに増える」という約束を何度も神様に与えられ、励まされたにもかかわらず、その歩みは決して固く腹のすわったものではありませんでした。フラフラしてしまうのが、聖書に描かれているアブラハムの姿です。

1、妥協はわざわいをもたらす。
アブラムはとうとう86歳になろうとしていました。まだ約束の子は与えられません。そこで妻のサライがこんな提案をします。「どうか女奴隷のハガルから子供が生まれるようにしてください。」アブラムは彼女の申し出を断らず、その通りにし、ハガルが妊娠します。
サライも、そしてアブラムも妥協してしまいました。神様から再三約束を受けたにも関わらず、サライは「もう私の体からは子供が出てこないだろう。」と勝手に結論を出し夫のアブラムに提案し、彼もその提案に同意してしまったのです。

その妥協の結果はどうだったでしょうか。まず夫婦の間に争いが起こります。夫婦間の争いが家の中の争いとなり、ハガルは出ていこうとします。信仰の妥協の結果争いが広がっていきました。

私たち人間は目で見るものに心を奪われ、不安になり、神の言葉を自分勝手に解釈して、信仰を妥協してしまう弱さを持っています。しかし約束を信じ続けることが神様の願いであり、祝福の鍵です。どんなことがあっても揺るがない、妥協しない信仰者となることを求めていこうではありませんか。

2、傲慢もわざわいをもたらす。
確かにこの事件はサライとアブラムの信仰の妥協が原因でしたが、それにしてもハガルはサライに対して傲慢になる必要は全くありませんでした。それまで通りに女主人サライに従順に仕えていればよかったと思います。しかし彼女は子ども身ごもったことによって高ぶり、自分主人であるサライを見下すようになってしまいました。ハガルの身に起こった災いの直接の原因はむしろここにあります。

私たちは謙遜な心を持つことがたいせつです。そうすることによって、私たちは神様に従う生き方を学び、品性が成熟していくのです。そして神様はそれをご覧になって祝福を与えられるのです。信仰の妥協、そして傲慢によってわざわいを招くことのないように、私たちは固く立って歩んでまいりましょう。

3、それでも神は見放さない。
しかしこのストーリで大切なのは「それでも神は…」ということです。アブラムは神様の約束を100%信じ切ることができず、妥協してしまいました。その後の夫婦間、家族間の問題処理も拙いものでした。
しかし神様はそんなアブラムを諦めることなく、約束を果たしてくださるのです。しかも妥協の実ともいえるハガルの子にさえも祝福を約束してくださいました。ここに神様の忍耐と恵みがあります。たとえ一時的に道を外れたとしても、神は忍耐深く彼を導き、訓練し、祝福を与えられます。

私たちも弱さを持ち、ときには信仰を妥協してしまったり、高ぶってしまったり、失敗してしまうこともあるでしょう。しかし神様は決して私たちを諦めずに、約束の場所へと導いてくださいます。この神様の素晴らしい恵みを感謝しましょう。

今週の暗証聖句
どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
ローマ15:5


その34 真理によって自由になる

May 24 [Sat], 2014, 20:30
「真理は人を自由にする」

ヨハネの福音書8章

31 そこでイエスは、 その信じたユダヤ人たちに言われた。 「もしあなたがたが、 わたしのことばにとどまるなら、 あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
32 そして、 あなたがたは真理を知り、 真理はあなたがたを自由にします。 」
33 彼らはイエスに答えた。 「私たちはアブラハムの子孫であって、 決してだれの奴隷になったこともありません。 あなたはどうして、 『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。 」
34 イエスは彼らに答えられた。 「まことに、 まことに、 あなたがたに告げます。 罪を行っている者はみな、 罪の奴隷です。

誰もが「自由に生きていたい」と願っていますが、現実は心が目に見えない鎖に縛られながら生きている人が多いのではないでしょうか。イエス・キリストは「人は真理によって自由になることができる」と教えています。イエスを信じ、その教えに基づいて生きると私たちは何から自由になれるのでしょうか?

1、人との比較から自由になれる。
子供であっても、主婦であっても、会社員であっても「他人と自分を比べることでしか、自分の位置を把握できない」という人は多いのではないでしょうか。「どういう状態を幸せというのか」「どうしたら人生に満足できるのか」。絶対的な基準がないと、いつも人と自分を比べて優越感を持つか、不安になるしかありません。
キリストとその教えを信じて真理を持つということは「神がいること」「自分は神によって生かされていること」「生きる目的があること」「聖書は人生のルールブックであること」などが分かるということです。そうすると生きる基準がはっきりするので、人と自分を比べる必要がなくなるのです。人との比較の苦しみから自由になりましょう。

2、過去から自由になれる。
過去に起こった出来事をいつまでも後悔したり、悔しがったり、人を憎んで赦せずに苦しんでいる人が多くいます。
私たちは過去に起こったことを変えることはできません。しかしキリストに出会い、真理を知るならば、過去に起こった出来事の「意味」を変えることができるのです。「あのことがあったから今の自分がいる」と肯定的に考えることができるようになると、心を縛り付けていた過去から解放されます。それが自由になるということです。

3、罪から自由になれる。
「正しく生きたい」「悪いことをしないで良いことをしたい」。そう思いながらも、なかなかそれが出来ずに苦しんでいる人が大勢います。イエスは「罪を行っている者はみな、罪の奴隷」だと言われました。また使徒パウロも罪の力の強さを認めています。

「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。」 ローマ7:15

しかしそんな私たちのためにキリストは十字架に架ってくださいました。私たちを縛り付ける罪の鎖を打ち砕くためです。キリストを信じる者はもう罪に縛られることはありません。その真理を知るならば、私たちは自由になることができます。

4、死の力から自由になれる。
どんなに地上で多くのものを手に入れたとしても、私たちは何ひとつ死後の世界に持っていくことはできません。死によってすべてが終わると考えるならば、究極的には私たちは希望を持つことができません。
しかしキリストが死んで3日目によみがえられたことによって、私たちも死に対する勝利が約束されたのです。この真理が私たちを自由にするのです。
キリストを信じて本当の自由を手に入れましょう。