バリ 帰国

January 06 [Fri], 2006, 1:30
テロによる帰国希望者に溢れたングラ・ライ国際空港は人々でごった返していた。
空港内は、白いテープで囲まれた場所に、テロで負傷した人たちが帰国便をそれぞれ待っていた。
包帯でぐるぐる巻きになった人や、痛々しい傷、顔にまで傷を負った人たちがぐったりとしている様子に心が痛む。
最後まで恐怖は続いていた。
空港に人が集まった所を、また爆破されたら・・・?!
安全な場所など、もうどこにも無い様な気がした。
無事に飛行機に乗ると、張り詰めていた気持ちが少しだけ緩んだ。

日本に帰る。

この旅の中に私が感じた沢山の事・・・。
日本に帰って、落ち着いてゆっくり考えてみようと思った。
「生きる」ことという原点も、考える必要があると思った。

日本に着くと、取材陣が帰国者に情報の提供を求めた。
「テロに関する映像や、写真はありませんか」
「現地は、どんな様子でしたか」
私達は、テロの直前まではビデオを撮っていた。
テロが起こった後、逃げる道で、あまりの凄まじさにビデオをまわした方がいいのか?とお母さんとナッキーと話したのは事実だ。
だけど。
私達は、こんなひどい状況を野次馬根性でビデオなどまわすべきではない、と判断して、撮らなかった。
正直、撮ることだって怖かった。
ただ、後になって少しだけ思った。
確かな映像を、残すことも大事だったのかも知れない、と。

この、二度目のバリの旅は、後の私にとって、とても大きな影響を残した旅だった。

大好きな場所が、壊されてしまったことがとても悲しかったけれど、早くバリが、この大きな傷から癒えて、又平和なバリに戻ってくれますように・・・。
私達は心から祈った。
祈るしかなかった。

バリ 偶然の奇跡

January 06 [Fri], 2006, 0:59
10月13日、帰国日。
ホテルから一歩も外に出ないで過ごし、プールで泳いだり、ニュースを観たりして過ごす。
タンジュンにいる、というだけで、時間はいつもと同じく穏やかに過ぎ、平和で、クタでの悪夢などまだ夢のようだった。
クタは閉鎖された。
ホテルスタッフにも、「クタには近づかない様に」と言われた。
私達を救ったのは、偶然の奇跡の、いくつかの重なりだ。

生きている・・・。
まだ、生きたかった自分に気が付いた。
嫌いだった日本に、帰りたい自分がいた・・・。

うつ病がきっかけで急遽訪れたバリ。
ここで、私は、まだ生きるチャンスを神様から与えられたのかも知れない。

無事に生きる、それは当たり前のことだと思っていた。
でも、決して当たり前のことではないのだと知った。
比較的平和な日本に生まれ育って、「危険」に対するアンテナは、鈍りに鈍っていた。

私は、勘違いしていたのだと思う。
命は、長くある・・・なんて確信していた。
だから、長く続く事を前提に、全てのことを考えていた。
でも、こんな風に、想像すら出来ない事態の中で、突然に命を落とす事だって十分にあり得たのだ。
死は、生ととなり合わせにある。
それなのに、どうして、安全に生きることを「当たり前」などと思えたのだろう。

うつ病で、生きるのが苦しかった。だけど、死を望んでたことに、自分勝手な自分を見た気がした。
命に自分で決着をつけるなんて・・・。
このテロで、生きたかった多くの人たちが、一瞬で命を絶たれたというのに。
どれだけ無念だっただろう。

バリ もしあの時遅れてなかったら・・・

January 06 [Fri], 2006, 0:30
テロの前。ダニとの約束の時間は20時だった。でも、私達が待ち合わせ場所に着いたのは22時。
二時間遅れた。
きっと。
その2時間が、私達の命を救った・・・。
もしも。
恐ろしい「もしも」が、私達の脳裏に浮かぶ。
もしも、約束どおり20時に待ち合わせて、食事をしていたら・・・。
ゆっくり食事をして、帰る時間が調度爆発のあった時くらいだったのではないだろうか。
そして、私達がタンジュンに帰るタクシーを拾うはずの場所は、ポピーズ2からレギャン通りに出てすぐの場所。
まさに、爆発のあったという場所の数メートルの所だった。

後から得た情報では、まず最初に「サリクラブ」前の「パディ」というクラブのトイレで小さな爆発があった。
中にいた客が、爆発の為に驚いて外に逃げ出したそのすぐ後。
レギャン通り、「サリクラブ」前に駐車された車が大爆発。
その爆発は、爆風が500メートル以上もの相当な大きさだったと言う。
「サリクラブ」の中にいた人は、ほぼ全員死亡。
2005年10月12日は、土曜日ということもあって、爆発のあった23時過ぎにはクラブも相当人で賑わっていたようだ。
「サリクラブ」は、オーストラリア観光客に人気のナイトクラブで、実際被害に遭われた方もオージーが一番多かった。 

そして・・・。私達が食事をした場所は、爆発現場から幾つもの建物を隔てた場所にあった。
現場からかなり近くにいて、怪我一つせず、無事だったのは奇跡の様なもの。
だって、一歩間違えば、私達は間違いなく死んでいたのだから。

バリ 永い夜が明けて・・・

January 05 [Thu], 2006, 22:45
翌日の、10月13日。
ニュースを観て呆然とした。
にぎやかだったレギャン通りが、見る影もなくグチャグチャになっていた。
布に包まれた死体、がごろんごろんと転がってる。
病院の様子が映されると、血だらけの人、皮膚が焼けて真っ赤な人、沢山の負傷した人たちがぐったりとしていた。
NHKをつけると「バリ島で爆弾テロ」のニュース。

10月12日、現地時間午後11時過ぎ・・・爆発。

昨日、やっとのことでタンジュンに帰って、国際電話で日本のお父さんに連絡した。
「バリで、爆発があったみたいなの。でも、情報が全くなくて、なんにもわからない。日本で何かニュース速報とかない?」
そういう私にお父さんは笑って言った。
「バリで、テロなんてことはあり得ないなぁ・・・。まぁ、何かわかったら連絡するよ。」

現地で知り合った日本語のできるバリ人の携帯にも連絡して情報を聞いた。
彼は、言った。
「僕は大丈夫。でも、あれはテロだ。ボムだよ。人が死んでる。」
私たちは、ぞっとしていた。
テロ・・・?!
だけど、あの恐ろしい衝撃も、ただごとじゃないクタの様子も、考えてみれば納得出来るような気がした。

計り知れない恐怖。
あんなに死を真近に感じたことは、なかったから。
その後、お父さんから連絡が入った。
「どうやら、本当にテロみたいだ・・・。何で、バリなんだ・・・。今、ニュース速報が流れたよ。とにかく、ホテルからは出ないほうがいい。」

永い永い夜だった。朝が来ても、恐怖はくっきりと残っていて、私たちは、ここで初めてある恐ろしい考えに、辿り着いたのだった。

バリ 変わり果てたレギャン

January 04 [Wed], 2006, 21:06
暗闇と、赤く燃える空。
閉鎖されたレギャン通り。
パニックの人々・・・。
メインストリートのレギャン通りに一体何があったのだろう?!
車は、通るのがやっとの細いわき道にそれて、皆逃げるのに必死。
私たちも、通りかかったタクシーを捕まえて、なんとかタンジュンに向おうとする。
運転手さんに、なにがあったのか、とダニが聞く。
彼も、わからない、と答える。
泣き顔のナッキーと私を見て、ダニがわざと明るく言う。
「多分、ガス爆発かなにかだよ!!大丈夫だよ!」
でもね・・・、尋常じゃない人々の様子で、ただごとじゃないことくらいわかる。
現に、乗ったタクシーでさえ前の車に衝突する始末。
私はタクシーの窓から空を見ていた。
赤く広がって、揺れる空が、悪い夢だったらいいのに・・・。
渋滞でなかなか進まない道。
恐怖は、消えない。
長い長い時間・・・。
サイレンの音がけたたましく響いて、ポリスの車とすれ違った。
青白いサイレン。荷台に乗った、武装したポリスたち・・・。
早く、ホテルについて欲しい・・・
日本に、帰りたい・・・
長い夜だった。
夢じゃないことが、悲しかった。

バリ 悪夢のクタ

January 04 [Wed], 2006, 21:00
いっそ、死んだほうがどれだけ楽だろうって思ってた。
希望の全てが、夢の中にしか存在しないものだって思うようになってた。
それなのに。
死の影が私たち自身に歩み寄った瞬間に、私は生を強く熱望していた。
私、まだこの命の中になんにも残してない・・・
苦しくて、大嫌いだった日本。冷たくて、全てに無関心で、その全てに嫌気がさした。
そんな日本だったのに、恐怖の中で私は日本に帰りたかった。
私にとって、帰る場所はやっぱり日本だったのだ、という事実。

「落ち着きなさい。」
お母さんが言った。
「どうする?どうしたらいいの?逃げる?逃げなくちゃ!!!」
ダニが荷物を持って歩き出す。
足の悪いお母さんを、CD売りの子が手をひいてレストランの外まで連れ出す。
真っ暗のクタ。
早足で、爆音のした方向と逆の方向に進む。

道には、割れたガラスがちらばってた。
真っ暗の道に、ガラスの海。
その上を歩いて、歩いて、泣きそうになりながらみんな無言で歩いていく。
ベネサリ通りを進み、レギャン通りに向った。
その途中に、地獄絵図のような光景を見た。
血だらけで病院に入っていく人、倒れたまま動かない人、腕の皮膚が剥がれ落ちて、ぶら下がっている人・・・。
空は見る見る赤く広がり、火花が舞い上がっていた。
炎が見える。サイレンの音が、まだ遠くに聞こえていた。

バリ、パニックのクタ

January 03 [Tue], 2006, 23:48
「ドン!!!」
遠くに響く鈍い音に、一瞬会話が途切れた。ダニの顔が曇る。
レギャン通りで事故でも・・・?!
頭をよぎった言葉。その一瞬、の後・・・
ズガァァァァァァァァァァァァン!!!!!
地面が歪んだ。耳をつんざく様な、かつて聞いた事のないものすごい音に、反射的に自分の体を抱え込む。
一瞬、だった。
悪魔の様な暗闇に包まれる。クタから光が消えた。
訪れた静寂、そして・・・。
悲鳴、悲鳴、悲鳴・・・、理解できない言葉達が激しく宙を飛び交っていけばいく程、脳が麻痺していく。
なんで、なにが・・・。
しゃがみこんだナッキーが声を震わせて、泣き声で呟く。
「いやだぁ・・・、死にたくなんかないよぉ・・・。」
耳鳴りがした。声が、声にならない。足が、動かない・・・。
ワタシタチ、死ヌノ?
心臓の音だけがリアルに響きわたってる。
戦争?爆弾?逃げられないのかも知れない・・・。
空が、赤く染まってく。
ポピーズ2から逃げていく人たちがレストランの前を走り去っていく。
レストランからも、みんな次々に走り出す。
このとき、本当に意外な言葉が私の心にはっきりと映った。
死にたくなんか、ない!!!

バリ、一瞬で消えていくもの

January 01 [Sun], 2006, 23:57
10月12日午後10時。
本当は8時に約束していたのに、私たちは買い物に夢中で約束の時間を2時間も遅れてしまった。
まだ待ってくれてるかな・・・
日本では2時間の遅刻なんてあり得ない。もちろん、バリでだって許されることじゃない。
それでも約束の場所に向かうと、ダニはバイクに座って待っていてくれた。
「ごめんなさい
私たちは謝った。ダニは、「大丈夫だよ。」と言って笑った。
「ごはん、食べようね。ホントにごめんね
私はそう言って、近くのレストランをざっと見てみた。
ワルン96はとても混んでいた。だから、その並びにあるレストランに入ることにする。
レストラン、といってもオープンエアーの、小さな食堂みたいなところだ。

食事をオーダーしてから、私たちは記念に、ってチェキを撮ったり、ビデオを撮ったりして、和やかな時間を過ごした。
日本語と、英語を混ぜて成り立つ会話。
伝えようとする気持ちで、伝わる言葉。
バリの、この、暑くて、湿っていて、濃くて、深い夜を、私は胸いっぱいに焼き付けていた。
日本に戻って、また生きていくことがどんどん苦しくなっていっても、何とか持ちこたえられる力に出来るように。
バリのこの日々は、日本での力に変わる日が、絶対に来るから。
バリに来て、良かった。
私は心からそう思った。
大切な家族と、同じものを、場所を、好きだと思えたことは幸せなこと。
そして・・・。
「ドン!!!」私たちは遠くに鈍く響く音を聞いた。

平和なバリ、の最後の日

January 01 [Sun], 2006, 22:31
鬱の迷路にはまっていくのをなんとか食い止めるために訪れたバリで、私は少しずつだけど、「生きる」ということを思い出し始めてた。
日本では笑えなくなっていて、毎日が苦痛でしかなかったのに、ただバリに来たというだけで少なくともまだ生きていられるかもしれない、なんて思えた。
ここの人たちは、今の日本に足りないものが日常にまだ普通にあったから。

人に感心を持つ

日本の持つひんやりとした気配、のようなものをバリという場所を知って、感じるようになった。

バリの旅は、あっという間に過ぎ行き、帰る日がどんどん近づいていた。
私の、少しだけ温度を取り戻した心も、まただんだんと強張っていく。
「あんな場所に、帰りたくない・・・。生きる実感がない国になんか・・・。」

もう明日は帰る、という10月12日。昼間は民族衣装を着て記念撮影をし、あまりのおかしさに大爆笑し、「あー、帰りたくねー!!!」とお母さんとナッキーと何度も何度も言い合った。
二人とも、すっかりバリにはまってた。
その夜は、こちらで友達になったスマトラ島出身の男の子と、最後の食事をする約束をしていた。
約束の時間は八時。「ワルン96」というレストランの近くで待ち合わせしていた。
まさかこのときは、あんな大惨事が起こるなんて誰が思っただろう。
平和なバリ・・・
それはきっとこの日が最後だったんだ。

バリに到着!!

December 31 [Sat], 2005, 1:38
2002年10月6日。
二度目のバリへ出発した。帰国は10月14日朝。成田着。

バリはこのころまだ大人気だった。チケットだって、キャンセル待ちでやっとのことでお父さんが知り合いに頼んで取ってくれたものだった。
この旅の同行者は、お母さんと妹のナッキー。
二人とも、バリは初めてで、行く直前までごねていた。
「病気だから、仕方ない。でも、どうせ行くならさ、ハワイがいい

バリ・・・。好きになって、はまりまくるか、もういいわ、一度で十分、ごちそう様
となるか。ここは二つに一つ、はっきり別れる場所だと思う。
中途半端はきっと存在しない。もちろん、私は前者。

この時の宿泊場所は、タンジュンブノア地区にある、「グランドミラージュ」という、結構大型のホテル。前回は、繁華街クタに泊まった。そこまではタクシーで約30分ほど。
到着した夜は、部屋でルームサービスを頼んだ。
あまり食欲はまだなかったけど、気持ちはなんだか少し穏やかだった。
バリの魔法
なんだかご飯もおいしく食べられる気がした。本当に久しぶりに。

始めこそ戸惑っていたお母さんとナッキーも、だんだんバリに馴染んで、良く笑ってた。
この旅の中で、ナッキーの誕生日を迎えたけど、あらかじめホテルのレストランを予約して、誕生日をお祝いしたい旨を伝えると、とてもかわいらしく予約席を作ってくれた。
葉っぱに「予約席」って、シルバーのペンで書かれていて、テーブルには花びらでハート型。
素敵な演出。
ご飯を食べて、「いいお誕生日だねぇ」ってほのぼのしていたら、奥からケーキを持った店中のスタッフが行進して来た。
そして、ぎこちない日本語で、歌ってくれた、「愛しのエリー」。
私たち、馬鹿みたいに泣いてた。
「もう、本当、幸せだぁ〜」ナッキーが言った一言が、全てだった。


★☆プロフィール☆★
★H.N ヨシィ★
★1978年4月29日生まれのB型
★夢:ライター
★目標:ポジティブシンキング!
★好きな言葉:挑戦者
★性格:へこみやで夢見がち
★好きな場所:バリ島!!
★趣味:バスケットボール・短歌
バリ島ジゴロ、イネ人に恋した経験アリ!! コメント、T.B、相互リンク全て大歓迎☆ よろしくお願いします!!
★H.N ナッキー(ヨシィの妹)★
★1979年10月9日生まれのB型
★イラストレーター志望
★性格:わが道を行く変わり者
★PHOTO、イラスト担当
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