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義手や義足などの義肢装具を学べる学校

義手や義足について、知る機会があったので、調べてみると、「義肢装具士」という資格があることがわかりました。

義肢装具士は、国家資格です。義肢装具士の受験資格を得るには、所定の学校に通う必要があるようです。ただ、学校は、全国でも大学や専門学校を合わせて、9校ほどしかありません。
北海道の北海道工業大学、北海道ハイテクノロジー専門学校、埼玉県の早稲田医療技術専門学校、国立身体障害者リハビリテーションセンター学院、東京都の西武学園医学技術専門学校、新潟県の新潟医療福祉大学、愛知県の日本聴能言語福祉学院、兵庫県の神戸医療福祉専門学校、熊本県の熊本総合医療福祉学院です。

3年制の学校は、義肢装具士の資格取得を目指し、義肢製作会社など企業への就職を目指している方が良いでしょう。
4年制の学校は、義肢装具士の資格を取得して、企業に就職する方、さらに整形靴や福祉の知識や技術を身につけて、高度専門士の称号を得て大学院へ進学も可能です。

生徒の中には、20代から30代の社会人の方も、勉強されています。義肢という専門性から、「人の役に立ちたい」、「モノづくりが好き」ということも必要ですが、やはり、大切なのは、やる気ですね。

義手や義足を製作する仕事

義手や義足を製作する仕事について、調べてみました。

病院やリハビリ施設の依頼を受け、その患者の注文により、義手や義賊、コルセットなどを製作します。
個々の事故や病気により、手や足などを失った人のために、医師の指示に基づいて、義手や義足などの採型、製作、適合を行います。
以前は、義手や義足などの義肢は、装着感のよくないものが多くあリましたが、技術と技能、そして素材の進歩に伴い、身体への適合性の優れたものが作られるようになりました。

義肢装具士は、整形外科や臨床医学、そして、製図、材料学などの専門的知識やリハビリテーションの知識を使って、義肢装具を必要とする人たちに合うコルセットや義手・義足などを作り、その身体への適合性をはかります。
義肢装具士は、国家資格ですが、有資格者が少ないため、将来性のある仕事です。
義肢装具士の資格を取るためには、指定の義肢装具士養成所で3年間、技術と知識を習得する必要があります。

就職先は、民間の義肢装具製作施設が主で、その他、公立のリハビリセンター、義肢装具の材料を扱う会社などです。

義手や義足をもつ障害者の祭典パラリンピック

義手や義足をもつ障害者の祭典が、パラリンピックです。

パラリンピックは、1960年にローマで行われた大会が、第1回パラリンピック大会と呼ばれています。第2回大会は、1964年に夏季オリンピックが行われた東京です。

パラリンピックという障害者スポーツの祭典に出場する選手たちの義手や義足、車いすは、年々進化を続けています。特に、素材や重さ、体にどれだけなじむかが大切です。

例えば、陸上100メートル、200メートルなど短距離の場合、義手の選手は、体のバランスを整えるため、工夫された義手が必要です。
北京パラリンピックに向けて、陸上経験のある義肢装具士が、依頼を受け、日本製の子ども用の義足に注目し、軽量化しました。また、スタート時に、義手の先端の角度を微調整できる継ぎ手も採用しました。

また、自転車競技の場合、「ドリンガー足部」という部品を基に、足首から下がウマのひづめのような形をしていて、スキー靴のようにペダルに固定できる義足が開発されました。

義手や義足をもつ障害者の祭典パラリンピックは、夢の舞台です。

義足のモデルは、可能性に挑戦する

義足のモデルをご存知でしょうか。
アメリカで活躍しているエイミー・ムランさんです。エイミーさんは、義足のランナーであり、義足のモデル、そして、義足の女優なのです。

エイミーさんは、先天的な障害を持って生まれたため、両足の切断、そして義足での生活を余儀なくされました。学校生活では、からかわれたりされますが、母親の厳しい躾のおかげで、義足の体を個性と考えるまでになったそうです。

それから、エイミーさんは、大学進学後に陸上競技に挑戦し、1996年アトランタのパラリンピックの100メートル走で優勝を勝ち取り、義足のランナーとなりました。

そして、その持ち前の美貌から、モデルに挑戦します。最初は、義足のモデルとしての仕事です。ファッションモデルの仕事をするために、努力し続け、ついに、ファッションショーのモデルの仕事を成功させるのです。義足のスーパーモデルとなりました。

今、エイミーさんは、女優に挑戦しています。義足の女優、エイミーさんの子供の頃からの夢だったのです。自分の可能性を信じていろんな可能性に挑戦することが、義足のランナーであり、義足のモデルであり、義足の女優であるエイミーさんの生き方です。

義足のランナー島袋勉さんの夢

義足のランナー、島袋勉さんをご存知でしょうか。
東京マラソン2008に出場した義足の男性といえば、思い出される方も多いでしょう。
東京マラソンでは、6時間28分1秒でゴール。見事完走されました。

島袋勉さんは、不慮の事故で両足を切断し、しかも脳の障害と目の障害も負ってしまいました。
その後の義足のリハビリを克服した島袋勉さんが、マラソンランナーとなったきっかけは、「一番苦手なことが出来れば他の事は何でも出来る」と目標にしたのが、フルマラソンだったそうです。
当然、周りの反対があったそうですが、少しずつでも進み続ければ、必ずゴールにたどり着くと信じて、マラソン続け、義足でのフルマラソンの完走という夢を実現されたのです。

島袋勉さんは、義足のランナーとして講演会もされていますが、「夢をあきらめない」が、信条だそうです。そして、あきらめなければ、夢は実現できると語りかけていらっしゃいます。

島袋勉さんのように、義足などの障害を抱えながらでも多くの方ががんばっていらっしゃいます。
もちろん、人に言えないような苦しみもあるでしょうが、そのような方の姿を見ると、自分の悩みもちっぽけな悩みに思えてきます。
夢をあきらめない。夢は、明日への希望でもあります。
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