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覚悟ってのがなぁ / 2005年04月11日(月)
私のなりたいものは努力だけではどうにもならないような世界にあって、幼い頃からの夢でもあるけど歩むだけの覚悟もまだ不十分。でも、何より譲れないものであったりする。

私の歩きたい道は何分特殊で奇怪なもので避けずまれるものでもある。世間体とかやら何やらやら。

それでも、私はこの道を行きたいんだよなぁと常々思う。
物語を紡ぎたい。
たった紙切れ30数枚に夢を、希望を、喜びを創り出す人間に私もなりたいと思った。
でもやっぱり確固たる覚悟が私にはないらしい。おまけに実力も伴ってない。
さけずまれるならまだしも他人に迷惑かけるのはごめんだ。

その覚悟が私は欲しい。実力なら大丈夫。まだ成長の余地は十分にあると思う。自惚れでもなく確信に近いもので言ってる分けで。

だったら一歩踏み出しましょうかっていうはなし。

何時までもぐだぐだ言ってたって何にもはじまんないものね。動こう。それからだ。勝負は。


のも決心の春
 
   
Posted at 23:44/ この記事のURL
前回までの日記けしちまったよ / 2005年04月04日(月)
友人が日記に、

―死んで得られる物はなんだろう。
残った物は悲しみ以外の何を得るのか。―

このようなことを書いていたので多少論点から
ずるずるとずれていってるけど、
私もそれについて自分なりに考えてみたので。

うろおぼえですまんなんだが、
確かルターだったかの言葉に、
『死とは人生の終末では無く生涯の完成である』と云う言葉がある。

死=完成

完成品(美術品だったり何だり)
が後者にもたらすものは次世代へのヒント。
ならば完成は未来へと繋がり、生み出す。
完成=未来だ。
これは、人間の生涯にしても同じ事とも言えるんではないか?
つまり
死=完成=未来と繋がっていく。

そもそも現代では死は『悲しいもの』だが、
古来、特に武人に至っては死は『誇りあるもの』とされた。
だからこそ彼らは有終の美を求め戦場に駆けた。

師の死を知り強く、誇りある人生を生きる術を学び
己が死を以って強く、誇りある人生を生きる術を託す。

これこそが発つ者、残る者の得る物であり望む者ではないのか?
少なくとも古人が死に望んだ物はこれであろう。


現代ではそういったやりとりは薄れ、唯死んでいく者を見つめ
嘆く。託し、託されようとしない分、心にぽっかり穴が空き、
その穴が云いようのない物悲しさを与える。

だから死に逝く人を背中を丸め、嘆きながら見送るのは間違い
であるようにしか思えてならない。
悲しみを押し殺し、胸を張り、前を見据え、感謝の言葉で死者を送ってこそ
完成したものへの礼儀という物ではなかろうか?
その完成品をヒントに私たち残されたものは今を、未来を歩むのだから。
そして先人に未来を託された身なのだから。





 
   
Posted at 13:24/ この記事のURL
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