毎日新聞大阪連載第5回(朝刊)「原爆非命 桜隊は問う」

March 09 [Fri], 2012, 15:16
平和をたずねて原爆非命桜隊は問う5生きろ叫び続け広岩近広≪記事≫毎日新聞2012年3月6日大阪朝刊亡ほろびるな亡びるな生きろ起きろ起きろ起き得るかぎり生き得る限り生きろ再び生を楽しめ詩亡びるなの冒頭新劇の団十郎と呼ばれ、桜隊を率いた丸山定夫がこの詩を書いたのは23歳のときだった。
それから21年後の1945昭和20年8月15日、丸山は宮島の存光寺でふせていた。
急性原爆症で苦しむ姿は痛々しかった。
丸山に食事を運んでいた珊瑚さんご座の女優、諸岡千恵子さんは枕元で声をかけた。
戦争が終わりましたよ、丸山さんすると丸山は、か細い声で応じた。
脚本を検閲されずに、好きな芝居ができる世の中になったんだね、よかったねぇ。
声は途切れながらも、丸山は希望をつないだ。
この体を治して、いい芝居をやってみせるよこのとき丸山は歯茎から血を出し、頭髪もかなり抜け落ちていた。
2日前には、桜隊の5人の女性が白骨で発見された。
丸山の記憶から、事務長の槇村豪gや珊瑚座の座長、乃木年雄らが広島市内の寮の焼け跡を掘り返して見つけたのだ。
島木つや子22、森下彰子23、羽原京子23、小室喜代30、笠絅子けいこ41。
笠と島木は母子、小室は槇村の妻で衣装係兼世話人として加わっていた。
丸山は演出家の八田元夫にうめくような声で言っている。
ウェディングキューピットこんなにまでやられて、なぜ日本は手をあげなかったのだろう原爆により骨と化した5人の通夜は存光寺で営まれた。
丸山は遺骨に手を合わせて震えていた。
諸岡さんたちが隣室に引き取ると、丸山の号泣が夜の底を揺さぶった。
このころ宮島では、運びこまれた重傷の被爆者が次々と亡くなっていた。
火葬場がないうえ、ひつぎの数も限られたので、亡くなった人は果物箱に折って入れるのです。
諸岡さんは18歳の夏を振り返る。
高く積まれた箱からは死臭が漂っていました空腹にあえぐ諸岡さんが足をとられて、ふらふらっと箱の山に近づいたとき、地元の人から注意された。
だめよ。
水が流れているでしょ、死体の水よ。
諸岡さんは思わず空を仰いだ。
人間は死んだら、水になるのだろうか日付が8月16日に変わった。
生きろと胸のうちで何度も叫んだにちがいない丸山は、体力を使い切っていた。
妻の骨を拾った槇村は桜隊原爆忌の会が作製したリーフレットに丸山定夫の最期を残した。
高熱は朝から続いているし、シャックリは病人を苦しめ続けていた。
ガンさんには、庭にとび出して井戸で水をかぶるような体力は、最早もはやなかった。
時に、耐え切れず、水を一口飲んでは噎むせんで体力を消耗した。
略女医さんが来てくれた。
ご臨終ですと云いって、時計を見ると午後九時三十分だった享年44、丸山定夫の人生は永遠に幕を閉じた。
次回は13日に掲載写真は新聞到着後に掲載2日後
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