みずのえたつ

December 31 [Sat], 2011, 23:59
 明けましておめでとうございます。
 今は大変な境遇の方もおいでだろうし、「何が目出度い!」という気分の方もおいでかもしれない。しかし2011年は終わったのだ。除夜を経て新たな年に突入したのだから、とにかく気分を一新しなくてはならない。
 それにしても、昨年の元旦の挨拶を読み返して私はぞっとした。こんなふうに書いていたのである。

 「今年の干支は、辛卯(かのと・う)。辛とは、上と干との組み合わせで、地下にあった陽のエネルギーが地上に噴出する形です。卯というのもこれは陽気の衝動ですから、双方が合わさって大変なことになりそうです。ただ、膨大なエネルギーも、出口を間違えると紛糾、動乱になりかねません。要は、まっとうな革新のエネルギーになるために、保守すべきものをはっきりさせなくてはいけない、ということでしょう」

 放射線が陰か陽かは定かじゃないが、たしかに膨大なエネルギーが噴出して大変なことになった。なにより東日本大震災そのものが巨大なエネルギーの噴出だった。そして紛糾、動乱を経て、保守すべきものがはっきりしたのではないだろうか。
 さてそれでは、今年念頭に置くべき方向性とは何だろう。
 今年の干支は、壬(みずのえ)辰(たつ)。壬(じん)は孕む、即ち妊に通じる。また荷う、任ずるの意味もある。
 要は問題が重大化する場面で、これはと思える人物(壬人=任人)が次々に輩出するのだが、困ったことにこれがいわゆる任ずべき人だけでなく、己の野心を逞しくして時流に乗ろうとする人も現れる。
 だからこそ今年の干支の十二支のほう、つまり「辰」が重要になる。
 「辰」は会意文字だが、「辰」のガンダレの下の「二」は上、天、神、理想などを表す。理想に向かって辛抱づよく、慎重に、抵抗にもめげずに進んでゆくということだ。
 そんなふうに書いて私が思い出すのは、今はやはり科学と政治の問題である。原発事故や放射能の問題をめぐり、我々は嫌というほどこの両者の癒着を見せつけられた。何を信じるか、という選択が迫られるという意味では、それは殆んど安手の新興宗教と変わらないのだ。科学者でなくても、「辰」の在り方で勇敢に地道に進まなくてはなるまい。
 「寅」「卯」と来て朝日が昇り、「辰」は時間でいえば午前8時頃。季節では5月初旬か。ますます万物の動きが盛んになる。また「辰」はそのまま「震」にも通じるから、あるいはこの大地の動きがますます大きくなるのかもしれない。
 ともあれ、人と自然と、共に大きく動きだす年になることだろう。
 厭うべき動きよりも、悦ばしい動きの多からんことを念ずる、年の始めである。
                           2012 1/1 玄侑宗久 拝

歴尾にあたり

December 29 [Thu], 2011, 23:16
 12月26日は毎年お寺の「餅つき大会」である。今年は前日に雪が降り、当日は晴れたものの寒気凜列、なかなか厳しい大会となった。しかし参加者は例年の倍ほどもいた。じつは三春町の仮設住宅や借り上げ住宅に住む葛尾村や富岡町の人々をお招きしたのである。
 いつもと違い、臼も二つ、千本杵も30本ほど用意した。檀家さんの宮大工さんが作ったり借りたりしてくれたものだ。そうなると、蒸すほうもこれまでどおりでは間に合わない。女房が大阪から持参してきていた蒸し器を初めて使った。それに合う蒸籠も檀家さんの饅頭屋さんから借りた。当日雪が降った場合のために、町にもテントや机、椅子などを借りた。むろん餅米も檀家さんからのご寄付。いわば頂き物と借り物だらけの餅つき大会なのであった。
 本堂や観音堂、文殊堂などに供える鏡餅が5組、トイレや風呂場などの神さま仏さまに供える段餅が16組。普段はそれから持ち帰り用の小餅を作るのだが、今年は数も数なのでほどよい大きさにしてビニール袋に入れることにした。この様子が背中を丸めたネコに似ているというので、餅屋さんではこれを「ネコ」と呼ぶらしい。
 そうしてそれから皆が食べるための餅と、例年の如く「エビ餅」である。この「エビ餅」、半ばまで搗いた餅に小エビと塩を混ぜてまた搗く。これはあっという間に堅くなるので搗くのが一苦労なのだが、富岡にも葛尾にもじつに有能な搗き手がいた。とりわけ富岡の町役場の若い職員は、いったい職業は何かと訊いてしまったくらい、瞬発力と持続力を発揮してくれた。
 それにしても、この「年とり餅」の習わしは、じつに古い日本の伝統行事である。門松を飾り、それを依り代に降りてくるのが「歳徳神」だが、その霊力(歳霊・としだま)が餅に宿ると信じられている。
 同じ蒸籠で蒸し、同じ臼で搗いた餅を皆で分かち合うことで、新しい年を生き抜く霊力を授けられると考えたようなのである。
 当然のことだが、ここには数え歳をいただく場合と同じ発想がある。数え歳は、午前零時にとるのでも除夜の鐘の最後にとるのでもなく、大晦日に家族揃って食事しているうちにとるのだ。
 餅が好きとか美味しいという以上に、こうして皆で餅を搗いて食べるという行事は、我々に劇的な変化を促す宗教行事だと言ってもいい。これは明らかに、ハレの食事なのだ。
 そういえば、死者の葬礼でも餅は欠かせない。今は少なくなったが、死者が出た当日には「耳ふさぎ餅」を食べ、出棺のときは「力餅」を食べ、埋葬のときに「引っ張り餅」をして食べる地域もあったようだ。満中陰にも餅を供える地域は多い。
 特に富岡町の人々など、亡くなった親族・知人もいたはずである。「年とり餅」であるだけでなく、今年の餅は複雑な意味合いがあったのかもしれない。
 ここまで特別の食べ物である米に、今年は放射性セシウムの問題が起こった。県内で出荷停止になった農家の数は、ちょうど108軒だという。ちょうど108、というのは、つまり除夜の鐘の数、人間の煩悩の数、もっといえば四苦(36)八苦(72)の合計数と同じなのである。
 餅を供え、松を飾り、そして除夜の鐘を聴く。普通は行く年を惜しみつつ除夜の鐘など聴くのだろうが、長かった一年がようやく終わるのだ。来る年が少しでも明るい年になることを願い、この年の終了を慶びたい。どうか佳き新年をお迎えください。 (2011,12/29)

雪月花(2011.12.9)「言わずもがな」

December 10 [Sat], 2011, 19:37
 10月の末に、日本民間放送連盟(民放連)の集会があり、そこで講演する機会を得た。私の講演はともかく、その後のシンポジウムで吉岡忍さんがおっしゃったことが印象深い。
 要するに、民間放送もNHKも、今回の東日本大震災の報道では遺体の映像を一切映さなかったわけだが、はたしてそれでよかったのか、というのである。
 暗黙の了解、とでも言いたいくらい、今の日本のジャーナリズムは遺体をあからさまには見せない。これは日本の伝統かというと、どうもそうではなく、関東大震災などの映像には多くの遺体も映っており、戦後の風潮のようだ。
 実際、日本人には苦しい場面を人に見せたくないという心情があり、それがある部分では、世界の賞讃を受けた整然たる避難所の様子にも繋がったのかもしれない。案外これは、その点だけ修正できるような判断ではなく、もっと深いところで日本人の心性を映しているのかもしれないのである。
 しかし、と、私は考える。
 震災後まもなく、私のもとに韓国の取材班が撮ったVTRが送られてきた。そこには、信じられないほど多くの泣き顔が登場していて、同じ被災地の光景かと疑うほどだった。老若男女、みな泣いているのだ。見ている私も思わず泣いてしまう。私は何度その映像を思い浮かべたことだろう。それは本当に、鮮烈なのである。
 むろん、泣くという行為についての特殊な文化的背景が、韓国の人々には存在している。泣き男・泣き女という伝統にもあるように、彼らにとって泣くことは、悲しみを濾過する行事でもあるのである。
 しかし日本のマスコミは、遺体ばかりか泣き顔もほとんど映さなかった。
 民報連の参加者によれば、とりたてて今回そういう指示を出したわけではなく、ほとんど自主規制のように、カメラマン自身が遺体を避け、泣き顔からカメラを逸らしていたというのである。
 テレビの画面には映らなくとも、一応資料としては存在するのかというと、それは資料としても存在しないらしい。吉岡氏は、それで果たして、後世にこの震災のことが正確に伝えられるのか、と危惧するのだが、私もその点には疑いなく同感できた。
 このところ、被災地から遠く離れた地域では、あまり大震災のことも話題に載りにくくなっているような気がする。つまり、記憶も薄れ、被災者への想像力も衰えてきて、今回の出来事そのもの「風化」しつつある。
 こんなとき、秘蔵してあった遺体の映像を、遠景でいいから流してみたらどうだろう。じつは撮ってあった、老若や男女に関わらぬ泣き顔を映してはどうだろう。そうすればきっと、今回の出来事の規模や重大さが、何の解説もなく伝わるのではないか。
 しかしどんなに逆さにして振ってみても、空の徳利の酒は出てこない。撮っていない映像は示しようがない。この国にはそうした映像が全くないのだからどうしようもないのである。
 どんどん苦しい体験を忘れ、日常に戻ることは被災者にとって、望ましいことなのかもしれない。
 しかし被災者は冬の仮設住宅で、今なお家も仕事も奪われ、相変わらず明日への希望ももてない日々を過ごしているのである。
 今、被災地以外の人々には、本当の意味での想像力が問われているのだと思う。被災者のために、と言いながらトンチンカンな催しが行なわれることも多い。贅沢な願いかもしれないが、「被災者のために何かしたい」という皆さんのありがたい気持ちを、できれば無駄に消費せず、静かに溜め込んでいただきたいのである。
 今日、福島県以北のほとんどの被災地に初雪が降った。
 何ベクレルか分からない清白の雪の前で、私自身への自戒も含めて言わずもがなのことを書いてみた次第である。
P R
プロフィール
  • ニックネーム:玄侑宗久
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玄侑宗久公式Twitter
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