日本初の牛鍋屋

January 28 [Mon], 2013, 13:17
牛丼の源流に該当するのは牛鍋であり、1862年(文久2年)横浜入船町の居酒屋「伊勢熊」が店の半分を仕切り、日本初の牛鍋屋を開業したとされます。

幕末から明治時代初期の牛肉は硬く獣臭さが目立ち、それらを緩和するため関東の牛鍋は紅葉鍋に類似した内容でした。

具材は牛肉(薄切り肉の使用が定着しておらず、角切り肉を使う場合もあった)・ネギのみで味噌仕立ての味付けで煮る・炒め煮にする調理法が主流で、ネギを五分の長さに切ったことから明治初期には具材のネギが「五分」と呼ばれたこともありました。

明治時代の文明開化により牛肉を食べる習慣が広まり、東京・芝に外国人向け食肉加工場が完成などの要因から肉質が良くなるにつれて、関東の味付けは味噌から醤油と砂糖などを調合したタレ(割下)が主流になっていきました。

1877年(明治10年)には、東京で牛鍋屋は550軒を超え大流行となっていました。

1887年(明治20年)頃になると、具材において牛肉や野菜の他に白滝や豆腐が使われ始め、ネギはザクザクと切ることから「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これらを沢山の割下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となりました。

牛丼は前述のように牛鍋を丼飯にかけた料理が原型であり、当時の名称は牛飯・牛めしで1890年代には発売されており、この時期の東京にはあったが京阪にはありませんでした。
1899年に創業した吉野家の牛丼も同類の内容であり、当時は「牛鍋ぶっかけ」と呼ばれ、主な客であった日本橋の魚河岸の人々に親しまれました。

浅草や上野の広小路一帯にも牛丼の屋台が沢山出ており、そこでは「牛飯・牛めし」の名称以外にも「かめちゃぶ」の俗称が使われました。

かめちゃぶの表現は古川ロッパの随筆集「ロッパの悲食記」の中でも登場しています。

大正から昭和初期に牛スジの煮込みを使った屋台料理として浅草で人気を呼び、本格的な完成を見たとされます。

吉野家で具材は明治から大正時代は牛鍋と同様の時期が続いたが、客側の「特に牛肉とご飯を一緒に楽しみたい」という要望が高まり、それを追求・進化していった結果、現在に通じる「牛肉とご飯を一緒に楽しむ」ことに特化した内容へ変化していきました。

1973年から吉野家がファーストフードのひとつとしてフランチャイズチェーンを展開したことで一般に親しまれるようになり、その後、養老乃瀧、松屋、すき家、なか卯、神戸らんぷ亭などが牛丼(牛めし)をチェーン展開しました。

1993年当時、ダイエーグループの神戸らんぷ亭が恵比寿に一号店の出店を発表した際、セゾングループの吉野家が即対抗し、2軒隣に吉野家恵比寿駅前店を開店しました。

タイガーアイ
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