エスノセントリズムと言語学

May 08 [Tue], 2012, 15:43
美しい言語、という言い方が私は非常に嫌いである。
そもそも何を基準に美しいと言っているんだろう。
ラテン語のように文法が複雑なことだろうか、それとも日本語のように複雑な文字体系を持つことだろうかはたまたフランス語や中国語のように複雑な発音を持っていることだろうか一般にある程度メジャーとされる言語において、それぞれの言語でお国自慢やエストセントリズムに基づいた、必ず自分たちの言語の優れている唐主窒オだす人々がいる。
しかし言語には優劣があるとする考え方は、言語学では否定されている。
おのおのの言語の運用における効率性非効率性をあげつらったところで、何の意味もない。
もちろん、利便性の問題はあるかもしれない。
漢字をなくしたことで韓国語は同音異義語が増えてさまざまな言葉の区別ができなくなり、日本語や中国語はたくさん漢字を使いすぎるせいで一生漢字の勉強を強いられる。
フランス語や英語は綴りと発音があまり一致していないのでひたすら勉強しなければならない。
スペイン語も動詞の活用が面倒だ。
しかし美しいとか、素晴らしいというのは極めて個人的な主観的な感覚、慣れに基づいた言葉ではなかろうか。
昔、私はミクロネシア連邦のチューク州という場所に行ったことがある。
チュークは人口が45000人ぐらいしかいない。
私は滞在期間現地語のチューク語を多少勉強した。
チューク語は日本語と同じ、かつて日本や欧米列強の植民地だった関係で借用語だらけの言語だった。
日常の語彙はほとんど日本語や英語からの借用語だった。
彼らの言語は、たぶん世界的に見たら誰も興味を持たないし、勉強しても何の利益もない言葉だ。
悲しいがチュークの人たちも同じことを思っているかもしれない。
チュークの人たちは自分たちの言語や文化は世界的に素晴らしい、ということもあまり言わなかった気がする。
私の出身は静岡県浜松市という場所だが、浜松の人が普段使っている日本語は標準語とは違う。
遠州弁とよばれる方言である。
遠州弁は標準語とあちこち違う。
たまに標準語圏の人からするとよくわからない語彙や文法を使い、アクセントもおかしく聞こえるらしい。
バカにされることもしばしばである。
遠州弁を誇りに思っているか、と聞かれたら、たぶん半分ぐらいの人は別にそうは思わないと答えるかもしれない。
実際方言を恥とする意識は、静岡に限らず全国にあるだろう。
私はかつて人工言語を作っていたことがあるが、むかしは自分の作った人工言語を自分では素晴らしいと思っているし、美しいと思っていた。
合理的だと思っているし、面白いとも思っていた。
同じことを言う人たちに出くわしたことがある。
彼らもまた自分の作った人工言語を渡部みなみ素晴らしいと言っていた。
人工言語には優劣があり、その中で自分たちの言語はもっとも完成された言語であると。
ここで繰り返して問いたいのは、何を基準に美しいと言っているのだろう、ということだ。
私には経済的、政治的、国際的、文化的に影響力の強い国や民族が、自分たちは素晴らしいと言って悦に入っているだけに聞こえる。
言語も彼らのエスセントリズムに利用されている。
自民族中心主義的で、数の暴力で自分たちの言語の素晴らしさ美しさをあたかも科学的な事実に見せかけたいだけではないだろうか。
私は今までこの手の人々に幾度も出くわしてきた。
彼らは皆一様に自分たちが正しいと言い出す。
ひどいとそれが常識だと言う。
言語学はエスセントリズムに利用されるべきではない。
ある意味冷たく聞こえるが、言語学者というのはあくまで事実を記録するのに徹するべきだと考える。
言語には確かにそれぞれ特質がある。
だが、必要以上にナントカ語が素晴らしい、美しいといったところで、言語はただの音と概念の塊である。
言語に社会的な地位や意味づけを勝手にあたえるのは人間だ。
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