チャボの抱卵は?

October 07 [Thu], 2010, 11:49
小学校授業で脅迫文作らせるこの授業内容は正直ですが、背景として「子ども達に興味を持ってもらえるように」と先生なりの苦労を感じます。確かに、グループで協力して脅迫文を作るというのは興味を引きます。しかしそれがおかしいと言うなら、小さい子どもを同伴で夜遅くに居酒屋などに来店する親の行為や、夜遅くまで子どもを起こし、夜の過激な編集のTVやお笑い番組等を見せる行為も、道徳的にどうなんだろうか普通の授業に子どもが興味を感じなくなるような環境もまた、こういうことを助長している
テレフォンセックスように感じました。授業は面白くなくて良いと思いますが、面白くないとやらないという「過った子どもの権利尊重」みたいなものがあるように感じます。僕のさんが、「日本は、物事の事象を反対に教えていて、それが問題なんです。」と語っておられました。「義務教育は、本当は権利教育である」ある法学部の学生さんによると、日本国憲法で、【義務】を定めているのは、教育だけだそうです。他は、国民の権利が書かれていて、この義務教育だけ、憲法が国民に義務を課しているとされているそうです。これはどういうことか法的解釈は、僕も不勉強で分かりませんが、まず大人は、子どもに「教育によって、子どもに権利を持たせる義務」を有し、その義務を果たすために子どもは「権利教育を受ける義務がある」となるのでしょうか※詳しい方、フォローお願い苦笑考えてみれば、国民の義務なんてものは存在しない気がします。だって、憲法で定められていないのだから。法廷でも、原告と被告人は、お互いの権利を争っていますね。ということは、教育において、権利を教えないといけないのではと感じます。例えば、行政が果たしている役割を教え、そのおかげで、僕はこんな権利が補償されている国民年金の正しい知識を教えることで、国が国民の生活を補償し、そのことで、国民の財産権や生存権が保障されていること。よって、今生きていられるのは、国や行政、おおくの人たちのおかげなんだといった具合です。なぜか学校教育ではあまり学ばないこのような仕組みですが、僕は運良く金融の会社に入社し教育を受けたから、逆に国民が享受している恩恵(権利)を感じることができたのです。そして、それが日本という国の素晴らしさみたいなものを逆に感じることができました。その教育を受けられない人は、自分が補償されている当たり前(社会システム)を失念し、それを棚に上げ、もっと補償しろと言ってしまいます。何もしていない行政め、こんちくしょうと思うのは当たり前ですね。いわば、他人の家でただで食事をごちそうになりながら、ごはんがまずいだの、食後にデザートがないなんておかしいなどと言うようなものです。そのご飯が、実は相手が大変な思いをして用意してくれていたと知っていれば、そんな乱暴な言葉も出ないはずです。そんな状況では、日本がどんなに他の国より優れていても、日本人自身がそれをけなし、背を向けてしまいますから悲しいことです。昔、先生を訪問し、保険の営業をしていた折に、僕のコンサルティングを聞いてくれて感銘を受けてくださった先生が、「こういう保険の仕組みこそ、生徒に教えるべきなんだけどな」と苦しい胸中を明かしておられました。先生も、そういうことに時間を割けない現実があるように感じました。※およそ8年前の話です。これだって、仕組みを知ることで恩恵を感じられて、大事さを認識できるのです。そこではじめて、必要かそうでないのかが判断できるのです。僕は先生ではないので、偉そうなことを言えませんが、今の先生は確かに、お医者さんと同じく事務処理も多く大変だそうです。こうした作業をいかに分散化し、子ども達に質の高い教育を受けさせるか先生ばかりに押し付けず、僕らも考えていければと思います。むしろ道徳教育は、学校外でもできますね。まずは、社会の仕組み(恩恵)を多くの大人が知るべきかもしれませんね。僕の同僚で55歳の男性がいますが、普段は気さくで良い人、しかし、こと社会に対しては不満ばかり
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