台湾:綿と水 vol.3

2006年02月25日(土) 2時37分
「すみません、ちょっと喋りすぎました。もう1時間半」

確かに、腕時計を見ると、12時半近い。二二八後の展示物については早足で回ったが、知識人たちの写真を集めた供養塔や、戒厳令下における筆禍事件、冤罪事件などがあった。

中でも、私の目を引いたのは、壁一面に大きくプリントされた、二二八で亡くなった人のものだと思われる、墓の写真。最近ようやく見つかったものなのだろう、雑木林の中に、土に埋もれ、木の根に当たって倒れた墓石が、乱立する荒れ果てた墓地の写真。何の説明書きもないだけに、迫るものがある。

最後の部屋では、二二八事件を明るみに出そうという運動の経緯が触れられていた。それも、戒厳令が四十年ぶりに解かれた、ここ二十年くらいのことだそうである。




「そうそう、最後にね」

紀念館の入り口まで戻ってきて、ガイドさんは、特に若い人たちに、と、2枚の紙を下さった。

一枚は、教育勅語のコピー。「朕思ふに我が皇祖皇宗……」というアレである。
もう一枚は、その現代語訳。


私の他にも大学生らしい人たちはいたが、中にはどう反応して良いのか困りかねている人もいたし、たぶん教育勅語なんて知らない人もいたはずだ。

私も反応に困った。

「今の、日本の方に思い出していただきたい。私の若い頃、日本人は本当に毅然としていて、世界で一番素晴らしい国民だと思った。私は憧れました。
 そりゃ、戦争はいけない。戦争には大反対です。けれど、やりたくて始めた戦争じゃないのに、アメリカにつけこまれ、中国にも良いように利用されて、戦後、日本は縮こまっちゃったんじゃないですか。そうじゃないですか」

「僕はね、日本に戦前のような力を取り戻して欲しい。日本人はもっと発言力を持つべきです。だからね、教育勅語に書いてあることを大切にして、親子関係をしっかりして、国民の心を一つにして、もう一度頑張ってほしいんです」


教育勅語のコピーを手に、ガイドさんは熱っぽく語った。

その場にいて、私は頭がくらくらしそうになった。





228公園にある記念碑

台湾:綿と水 vol.2

2006年02月24日(金) 2時57分
ニニ八紀念館に入ったのは朝の11時ごろ。建物自体は小さいのに、案外客がいて、その大半は日本人だった。
なぜ彼らが日本人だとわかったかというと、集団の先頭の方から、紀念館のガイドさんの巧みな日本語による説明が聞こえてきたからである。


ガイドさんの名前は忘れてしまった。もちろん台湾人で、今年81歳だと聴いたが、カクシャクとしたおじいさんである。


展示は、日本の近代化政策の影響から始まった。経済発展の度合いを示すグラフや、台湾総統の後藤新平の写真、「国語家庭」と書かれた賞状。これは一家揃って日本語を使うことを表象されたものだ、と説明しながら、ガイドさんは自分の話を交える。

台湾:綿と水 vol.1

2006年02月23日(木) 3時06分
大変なことは先にやっちゃおう、という優等生思想をガラになく持ち出して、まずは台湾で出会った難問、の方からやっつけてしまおう。




ニニ八事件。

まずは、歴史の話からしなきゃならない。



東アジア政治とか台湾をちょっとやった人ならば必ず知っている事件だが、そうでない人には馴染みが薄いかもしれない。少なくとも私は大学に入るまでは知らなかった。


ニニ八事件と言うのはですね、うーん……メンドイからWikipedia で調べてくれ。

と言いたいのだが、あんまりなので簡単に書いておこう。
日本敗戦後の47年に起きた、外省人による本省人の虐殺事件である。(狭い意味では、、外省人による、本省人に対する一連の抑圧の契機となった、47年2月27日の闇タバコ検挙の際の騒動)



本省人というのは、中華民国政府の移転以前に台湾に住んでいた漢民族のこと。客家系、福建系などに分かれるが、明代移行に台湾へ渡ってきた人々を指す。
外省人は、中華民国政府移転の前後に台湾へ移った漢民族である。多くは国民党員、軍人など。
さらに台湾にはもともと原住民がおり、いくつかのグループに分かれている。そのグループ間同士で、対抗意識が見られることもある。

つまり、原住民、外省人、本省人と、さまざまな背景を持つ人々が、あの狭い島にいるわけで、現在でも、原住民同士、原住民と本省人、原住民と外省人、本省人と外省人、など、表出している程度の差はさておき、グループごとの対立がある。



あー、細かい間違いとかがあったら言ってください。不勉強者なので。というか、ここで犀川先生(森博嗣の)風に切り札を出してしまうとすれば、「僕の専門じゃないからね」。

我輩はマオイストである。

2005年12月18日(日) 2時33分
今、この人に認められたい、と思う人リストの一番上に、去年までゼミの指導教授だった先生がいる。

苗字の一字をとって「毛主席」とあだ名される先生は、オカムラ似の小柄なおばあちゃんだ。縮れ髪にきゅっと笑い皺の寄る目。一見ホビット族かと思うほどに愛らしいのだが、60過ぎてスパスパ煙草を吸う、研究室にはカップ味噌汁が放り投げてある、残虐なミステリ大好き、『ディープ・インパクト』みたいなハリウッド映画大好き。

なかなかどうしてイカしたばあちゃんなのである。


毒舌っぷりは男子学生も泣き出すほどで、ツッコミもいちいち文句のつけようも無いほどの説得力。自然、この人の前に立つときは、どんな自信家の学生も、もの言いに気を使うことになる。

それでも、去年まで指導を受けていた私らゼミの4年生は、一人残らず主席を敬愛している。



お茶の水の史学科を出てから40年以上、中国近現代の政治研究の最前線に立ってきた。今よりもずっと中国研究が「冷門」だった頃からの、しかも女性研究者だ。結婚して家庭を持って、今やお孫さんもいる。
(先生の弱点は孫。お孫さんの話をすれば、目を細めながらデジカメの孫映像をえんえん見せてくれる。途端に可愛いおばあちゃんになる。)


文革の当時、日本の中国研究者の中には文革を絶賛する者も少なくなかったけれど、その時代も知っているし、天安門も冷静に見つめてきた。先生の政治分析は、一部人文系のライバル学者から「単純だ」と批判されてはいるけれど、明瞭で、教科書としては最高だと思う。

未だに授業を持ち、ニクソン電撃訪中の関連文書の訳出をし、国際シンポジウムを主催する。ヴァイタリティの凄さもさることながら、鋭さも失わない。他の教授から冗談半分に「主席」と呼ばれるゆえんである。

先生、年をとってもキレ味は衰えないものですか。

人間として憧れる。3月に、「3年間遊んでしまいました……」と落ち込む私に、「遊んでばかりいると突然勉強したくなるものよ」と言ってくれた。ワタシも大学時代はロクな学生じゃなかったわよ、という、その言葉を信じたい。信じたいけど、いやー、ねぇ?あたしやっぱどう考えても先生とは人間のデキが違いますわ。



なんにせよ、カッコイイ生き方だと思う。たぶんこれからも、私の人生と関係あるかどうかはわからないながらも、我輩はマオイストである。

「もの語る」vol.3

2005年12月07日(水) 4時30分
かくしてソコ的自分語りは予想通りネタに終わったわけですが、本人はこの「語り」ですら自信ありません。
現在と昔を関連付けようとさせる余りに、こじつけたり忘れたり削ったり論が飛躍したりしているところが多いはずだからです。まあこれくらいが「ウケ」がいいかな、と考えて話す分には話せますが、「それが今のアナタを成り立たせているものなのね!うんうん」とか頷かれたら、こちらとしては、あ、きっと嘘も入るんだけど、と一瞬ビミョーな表情をして、まあいいかそういうことにしとくか、と呑み込むわけです。

ましてや自分の中の「歴史」以外に関わる部分を統合しようとしたら、精度はもっと落ちると思います。うん、やっぱ就活って怖そうだな。



まあ結局誤差ゼロの「語り」なんてあり得ないし、大体何と比べての「誤差」かもわからないし、フツーに生きていく上でそんな精度を気にしていてもどうしようもありません。

けど「語り」である以上、必ず意識的/無意識的な改竄が加わっているってことは前提として語らなきゃいけないし、聞かなきゃいけないと思います。その改竄の部分はいわば「遊び」の部分。金太郎飴的「私って○○」という「語り」に絶対的に同意していると、「遊び」の部分がなくなって、自分も周りも苦しくなる気がしませんか。

「もの語る」vol.2

2005年12月06日(火) 1時57分
今日はvol.1の続きで、「自分語り」をする日です。露出します。巨乳好きならここで帰ってください。・゚・(ノД`)・゚・。ウワァァン

私を物語化する仕方は幾通りかあるでしょうが、一番「今」にリンクしているものを、比較的薄化粧なカンジで書けばこんな風になります。といっても、そもそもコスプレが許される場で「薄化粧です」と自己申告をしても意味ないか。



どうも自分はモグラらしいです。別名オタク。あ、でも「自分の分野以外の人とも社交性のある人間はオタクではない」とか聞いた気もするので、オタク的、くらいにしとこうかな。モグラ的でオタク的。現在何オタク的であるかははっきりしないのですが、過去を振り返れば幕末「オタク」ですた。ばぶぅ。



中学終わりから高校初めまで、幕末モノにはまりまくった。司馬遼太郎を神と崇めた。今でも文句つけたいところはヤマヤマありつつ、尊敬はしてますけど。

ところが、幕末モノを読んでいく過程で気付いたことが。幕末モノの草分けと言えば司馬の『燃えよ剣』であり『竜馬がゆく』、『世に棲む日々』あたりですが、司馬以降の作家の作品を見ると、人物造形がみんな上のと同じ。三好徹でも浅田次郎でも中場利一でも、『風光る』をはじめとする漫画でも、司馬さんの作った造形をほとんど借りパクしてるのです。

「もの語る」vol.1

2005年12月04日(日) 17時08分
9月くらいにゆりゆりさんが、「ブログは一人えっちか?」◆ という記事を書いていたけど、私も「一人えっち」とは違うと思う。

あー、いきなりこんな話ですみませんです。

で、どうかといえば、「露出プレイ」でもあれば「カラオケ」の要素もあるし、「コスプレ」的でもある。
とにかく見せたいものだけ書いといて、その方向から自分を見て欲しいんすよね。日記メインのブログは大半がそうで、「流行っているから」「コミュニケーション手段として」を言い訳に、毎晩PCを開いては、ほぅら、みてみて、私ってこういう子なの、ってやっているわけです、みんな。もちろん私含め。



ブログに限らず、「私って○○」と“自分語り”をする機会はある。自己紹介はもちろん、飲み会では自分について面白いことを言えた方が目立つし、就活する人は「あなたのウリは」「自分を花に例えると」なんていった質問にうまく答えようと、自分を語る訓練(自己分析)までするわけです。

就活を一切していないから詳しくは知らないけど、採用側が「自分語り」をさせる理由はきっと、短時間でその人の人となりを見たいということ以上に、「あなたってどういう人?」という質問に答えられる程度には、自分のことを責任もって把握しておける人(しようとする人)を採りたい、ということがあるんだと思う。


一方、過剰に自分を語ると一気にウザくなります。「オレ、○○じゃないですかぁ?」で話を始める部下に困る、目上に対する口の利き方も知らんのか!と一時期オジサン達が言っていたけど、あれは「若者の言葉の乱れ」という文脈じゃなくて、いきなり聞いても無いのにおまえの話を始めるなよ、という単なるムカつきの表れなんだろうな。

奈起さまのおっしゃる通り()、空気読めないだけなのに、「あたしって天然でー、きゃはっ」とか言ってる女は、「語る」というより、もはや自分を「騙る」。
自称「天然」ちゃんは、さとう玉緒があれだけ嫌われた今となってはレッドデータかもしれないけど、ちょっと昔の話を出したりして、「あたしそういう女なの」「オレ昔ワルかったんだ」とか言って結構マジでカッコつけちゃいたい人は、まだまだいるんじゃない。

「直視」余話 最後。

2005年10月14日(金) 16時09分
vol.3◆のつづき

C日常と非日常と、一枚の紙切れ。

5日目の朝9時のバスに、私は乗って帰る予定だった。帰れることに安堵していた。

小千谷に来て3日目と4日目になると、やっぱり精神的に辛い。何も過酷な作業はなかったし、むしろ仕事自体は楽しいとさえ思えることが多かったんだけど、
その異様な場所にいたたまれなくなった、ってのが主な原因かもしれない。

でも、逃げたいくせに、


「自分には帰ることのできる日常がある」


という事実が、嘘みたいなんだけど、うまく呑み込めなかった。
バックパックに突っ込まれた、帰りのチケットの行き先は、電信柱もまっすぐで、水も出て、暖かい食べ物が簡単に食べられる。
寝袋の中からセンターの天井を見ていると、それが全然リアルじゃない気がした。

「直視」余話vol.3

2005年10月13日(木) 1時07分
vol.2◆のつづき。

B4日目:4tトラックじいちゃん

災害の場で無能力の私が、唯一自分でも納得できる程度にできそうなことは何だ、と考えたら、料理くらいしかなかった。
「炊き出し」をできたらいい。そう思って探してたら、ようやく4日目にその仕事が回ってきた。

この日のチームは6人。隊員の内訳は、私ともう一人の女の子が大学生で、あとはジョナサンの厨房にいたことがあるフリーター君、子煩悩パパである30代男性、包丁握ったことのなさそうなオジサン。
そして隊長は、60過ぎのイノマタさんというおじいちゃんである。

イノマタさん、通称「社長」
作業着に身を包んだ、いかにも町工場の社長さんらしい風貌である。30で会社を立ち上げ、日本で初めて(たぶん)の食器洗い機を開発し、全国の給食サービスや社食に売り込んできた。

自社の食器洗い機の素晴らしさを全国に伝えるため、特注で作ったのが、冷蔵庫・巨大ナベ・シンク・そしてもちろんイノマタ式食洗機を完備した、戦隊ロボもびっくりの超機能型4tトラックである。
北海道から鹿児島まで、長い間共に走り回ってきたその相棒に乗って、イノマタさんは小千谷に来た。

「直視」余話vol.2

2005年10月10日(月) 21時44分
A3日目Part2:ヤツらからの電話

「直視」余話vol.1◆から続く。


お年寄りの足の裏を揉み疲れて、給水車に水をもらいに行った帰り。

ふと見ると、講堂の脇に3人ほどうずくまっている。雨上がりのまだ乾ききっていない地面に直接べったりと座り込んでいる人も。

あれは……。
……対子供チームの皆じゃないか!
見ると、チームの皆は哀れなほどに泥だらけ。嫌な予感がした。瞬間。

「あー、あのさ……ヤツらと遊んでやってくれない?」
ゼーハー言いながら座り込んでいた対子供チームの一人が、目ざとく私を見つけて、言った。

「へ?い、いや、私は……」

バケツを片手に何とか弁解しようとしていると、わーっ!と小学校低学年のガキ5人が走り寄ってきて、たちまち私は鬼ごっこの渦の中へ飲み込まれてしまった。
子供の一人と鬼が、私を盾に、ぐるぐる回り始める。キャッキャ言いながら走る二人の、どっちかの足が当たって私がバケツを取り落とし、もう一人がそれにつまずいてひっくり返った。

周りにいたガキどもは大喜び。

「あー、ごめん!大丈夫だった?」
転んだ子の上にかがみこんで優しく訊くと、彼はいきなり
「このやろー!」
と私に組み付いてきた。

ちがうよ!ちがうって、私じゃないって!このくそガキー!

profile
name:ソコ
22才♀都内の私大4年生
ソコはさるお方が下さったコードネームの一部。どうせならもっとカッコイイCNが良かった。

「問いを投げかける」のは難しいけど、できるだけ根っこの方からの「問い」を立てられたらいい。そう思って始めたはいいものの、半ば日記っす。

一応、院に進学することになったみたいです。
専門は近代中国政治思想史。

うどんラブ。すぅぷラブ。バーボンラブ。


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