解消する手段

April 05 [Sat], 2014, 22:33
初期の精神分析との断絶、そしてそれ以上に、精神療法一般との断絶がある。精神分析と精神療法の違いについては、両者のもっとも根本的な相違は、まさに症状の位置づけに存するといってよい。他の精神療法、とりわけ、精神分析に最も激しく攻勢をかけている認知行動療法が、経済性や効率を引き合いに出して、あるいは、フランスで自閉症をめぐっていまも続いているように、家族、とりわけ母親をスティグマダイズするとかしないとかというほとんど架空の、精神分析が自閉症の原因を母親に帰していたのは五十年も前の話なのだから、論争を通じて、患者の症状を解消する手段として自らがいかにすぐれているかを訴えるのとは反対に、精神分析は、主体の症状を解消することはできない、いや、症状を解消するという発想そのものがまちがっている、と主張するのである。ただし、これはけっして、精神分析に治療は存在しないという意味ではない。精神分析にも治療は存在する。神経症モデルに即していえば、主体は、症状において自分を虜にしている意味・享楽から、精神分析を通じて自由になることができるし、またそうならねばならない。


順を追って展開したこと

March 26 [Wed], 2014, 17:13
ラカンが順を追って展開した文字式が示すように、神経症の症状を組み立てるのにも、また解読するのにも、ひとつの詩学が必要であるとすれば、それはこの症状がまさにメタファーの構造をもつからにほかならない。だがメタファーの構造はまた抑圧の構造でもある。私たちはまずこの点について補足することからはじめなくてはならない。ラカンはフロイトのテクストから、主体の構造化にかかわるいくつかの否定性の契機を細やかに取り出し、互いに異なる位相に位置づけた。フロイトにおいて、ある出来事の表象を心的装置の内部から消し去り、その出来事を文字どおりなかったことにする精神病的な防衛の方法である。ラカンによれば、これは、シニフィアン本来の領域である象徴界からひとつの要素が排除されることにほかならない。ラカンははじめ、このように排除された要素が現実界に回帰することとして精神病性の幻覚を定義し、次いで父の名の排除が精神病の構造的条件であることを示した。フロイトはフェティシズムの対象を母親のペニスの代替物と定義した。フェティシストはこの対象によって、母親の去勢を現実として承認すると同時に否認する。しかも、この相反する二つの心的態度が互いに何ら矛盾なく共存しうる。


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