新入生 

2013年05月29日(水) 14時32分
大きな気づきに至った次の日に奇しくも○○○さんのセッションを受けました。

私には見えない世界が見える方で、驚くことばかりでした。
それも、本当にシンクロになっていたり、とても腑に落ちて、納得できることばかりでした。

それは、スカイプで行われたのですが、そこで新旧のエネルギーの交換が行われました。

私の魂は繰り返される過去生においても「この世界を終わりたい」「新しい世界に生きたい」と、今この時を求めていたようです。

まさにこのブログの表題でもある「新生と共生」を求めていたのです。

それは、今生でも十分に理解できることなのですが、ひとつの過去生から見えてくるものは、厳しい戒律を科して修道僧になり、その中でも現実と理想の間で苦闘して、自分を責め追い込んでいく生き様は、私が自分に科したシナリオの今生の生き様そのものでした。

いつの生においても、いつも苦労好きで、重荷を背負いすぎて、心に余裕を無くして、苦闘したこのパターンだったようです。

こうして繰り返される過去生においても、おしんのような人生を自分が選んで、創って生きてきたのですね。

この度も生まれる前に、わざわざ厳しくするように父に頼んだそうです。

まさにこれは驚きでした。

父は、我が子をかわいがりたいのに、この頼みを引き受けて、厳しい父を演じ続けたにすぎないのです。
本当に申し訳なく思いました。

その数日後、夢に出てきた父は、本当に優しく、温かい様子で、現れてくれました。

その時、私の心は、乗り越えてはきたもののどこかに抑えていた父への悲しみが、心の底から消えていきました。

傲慢にも、人生とは苦しみの果てに、真実にたどり着くという思いこみを、シナリオにまで書き、周りの人を巻き込み、演じ続けてきた果てしない人生の繰り返しの中で、すべての人に心から謝まります。

そしてこうして演じてきたにもかかわらず、常に愛されてきたことを思うとき、そのすべてに深く感謝します。

その自分を縛り、周りを巻き込むという繰り返された苦しみを産む古い時代が、まさにこの2013年のアセンションの時に、大きく変わる時が来たのでしょう。

今まで私の守護霊となって、そのすべてを支えてくれていたのが、私が一番尊敬する大好きな祖父でした。

そしてちょうどこの時、この日の来るのを分かっていた偉大な祖父も、やっとお役目を果たしてニコニコしながら天に上がって行かれたそうです。

このような話は、まだとても実感が持てませんが、、これまでの人生のなかで繰り広げられた苦労や出会いのすべての意味や謎が溶けたように思われるのです。
つまり納得させられたのです。

すべてはこの日の為にあったのだと、何一つ無駄は、なかったと思えるのです。

本当にアセンションとは、こういう変革をもたらせて下さいました。


こうして、生まれ変わった私がいるのなら、過去の古い生き様とすべてがチェンジして、元気に動き回れるのかと思いきや、それがまだまだ何にも変わらない現実に押しつぶされそうになるのです。

そんな中で、辛くなる身体や怖がっている心をあるがまま受け止めたり、その意識を切り替えたり、必死で瞬間瞬間とまだまだ闘っている状態です。

本当にやっと新入生になったばかりです。

今は、すべてが学びでワクワクドキドキと言ったところです。

もうそろそろこのブログも、深刻になりすぎましたので、閉じようと思います。

また、どこかで明るい楽しいブログが、書きたいと思っています。

このブログも7年も続きましたが、長いことお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。

これからは、皆さんと共に、元気で、楽しく、幸せに過ごせる事を願っていきますよ。

それでは、又お会いしましょうね。

さとり 

2013年05月13日(月) 14時44分
昨日は、母の日であり私の67才の誕生日でした。

今朝早くメキシコに旅立つ次男の予定があったので、家族5人揃っての食事会は11日の夜、お弁当を買って来てみんなで美味しくいただきました。

ハッピーバースデイの歌とケーキの蝋燭が深く心にしみました。

家族の愛に包まれている幸せを、これほど深く有り難いと思われたのは初めてのことでした。。

やっと気づいた世界の中に入ることができたような気がしています。

こんなにも一番身近にある愛に気づかない生活を、なんとも長いことしてきたことでしょう。

私は、32才で結婚しましたから、もう姓が変わった年月の方が長くなりました。

両親と姉の家族4人で過ごした32年間のことも、苦しみと悲しみの思いがしめていました。

そして病気をしながら3人の子育てをして過ごした日々も苦闘していたと思います。

一体あれはなんだったんでしょう。

いまある自分自身の有り様に気づかずに、上に上に愛があると思っていました。
苦労の果てに、いつか光は差すと思っていました。
ですから苦しんで、耐えて、希望を抱いて、光の世界を求めていたのです。

そうして外に外に探し続けた幸せの世界はどこにあったのでしょうか?

すべて勘違いでした。
いまここにあるのです。

今に思いが至らなければ、その至らない思いだけが、私の住む世界を作ってしまっていたのでしょう。

私は、本当の愛、本当の自由と光を求めて、生まれてきたのです。
大学時代にも、その深い思いを「四季の影」という創作ダンスにこめました。

しかしこの壮絶な人生を演じるために、その役目を父や母や姉に求めたのです。

本当に傲慢で強欲な、偽善者にすぎませんでした。

その結果が、この長年に及ぶ心身の不調なのです。

みんなを巻き込んで、自分を追い込んで病む事によって家族を苦しめ続けたのでしょう。

それでもその原因がわからず、何にあるかをこのブログを書きながら探し続けてきた7年でした。

その間読んで下さって、祈って下さっていた方々に、大変申し訳なく思います。

また何度となくどん底に陥ったときに手をさしのべて下さった先生方や友人の方々に感謝の言葉しかありません。

この苦しみから抜けてしまえば、今まで無駄に何をやっていたのでしょうか?と思われます。
しかし、この真実の尊さを知るためであれば、これも必要なことだったのでしょう。

まずこんなに苦しめ、痛めてしまった自分自身の身体に謝り、十分に癒してあげようと思います。

そして、周りの人々の幸せを願い、感謝の思いを持って生きていきたいと思います。

また一杯読んできたけれど頭では理解しても、本当の所は実感出来なかった精神世界の本の言われていることも、霧が溶けたように、すがすがしい世界が拡がり始めました。

自分がすべて作ってきたのであれば、これからみんな世界は変わり始めてくることでしょう。

こんな幸せな思いに至らせて下さるこの愛の(宇宙)世界を、みんなで共有していけることでしょう。

みなさん本当にありがとうございました。

身体と心 

2013年04月17日(水) 21時57分
あれやこれやとしながら日々を過ごしていると、ブログに向かう時間がとれなくなってきているようです。
気づくと4月も半ばを越えてしまいました。

この年になったのに人生をのんびりと過ごしている事が出来なくなっているのです。
それほど、まだまだ課題が残されていて、また一日一日を生ききらなければ本当の平安を手に入れることは出来ないと思っているのです。

とにかく、この身体で今年の寒い冬を越えることは大変でした。
ですから、一日一日が必死なのでしょう。

新年早々に、腸を壊したことから、導かれるように整体、量子場調整の師に出会い、新しい展開が始まったようです。

治療を続けて3ヶ月余りが過ぎましたが、どん底からはい上がる経験をしながら、希望が与えられています。

この治療は、身体の本来の姿を、つまり良い姿勢を取り戻すことで本来の働きに導く施術であります。

それは、私が一番願っていた本来の声を取り戻す施術でもあったようです。
ですから日々の発声の練習の中でも、大いに活用され、気づかされております。

落ち込み悩んでいた歌がとても楽しみになってきました。

また加齢や病気の運動不足による筋力の回復のために取り入れはじめた「きくち体操」が、実は整体に基づいたものであるので、この量子場の施術や歌の進化を加速させてくれます。

そして、本棚に眠っていたグラビトンミュージックのCD(故関英男工学博士らの研究によって開発されたGTWシステム技術を応用して、CD盤に含まれるある特定帯域のマイナス情報を消去し、プラスに転換する処理を施してある。)を偶然にも見つけ出し、場の浄化を進めることで、とても気持ちが良くなってきました。

また、その関先生が発見され、ご自身の癌を克服された「腕ふり体操」のCDも見つけ出して、朝晩腕ふり体操も取り入れ始めました。

この体操は、何より簡単で身体が温まってくれて大助かりです。

こうして、あちこちに眠っていた宝物を使い始めました。

ですからまだまだ自分の身体と向き合うことで、日々が過ぎているのです。


一方、心の問題は、氷が溶け出したように楽になってきています。

苦しみと幸せは、実は表面的には、何も変わってはいないけれど、心の底は地獄と天国ほどの違いがあるのですね。

先日も、主人と河川敷を散歩しただけなのですが、お互いに本当に幸せでした。

今までもしていたことで、同じことをしていても、悲しみと苦しみの心で過ごしていたのでしょう。
それは、全部自分が作り出していた心にすぎなかったのです。

心のことは、一生懸命努力することでは、ないのです。

手放すこと、なのですね。

ああでもない、こうでもない、こうしなければ、どうしてそんなことをするのだろう・・・・・そうやって愛のない小さな心で嘆いていたのです。
実は、自分のことなのです。
すべて自分の周りは自分が映っているにすぎないと言うことが、やっと腑に落ちてきました。

色々な執着した思いや、自分の価値観で判断したり、思い込んだり、はたまた裁いたり、本当に小さな自分の世界に留まってしまうかぎり、どんどん亀裂が深くなるのですね。

そういった自分の様々な執着を手放すことが、まわりのすべてを自由にすることになるのですね。
ですから、自分が手放すことで、すべてが、溶け出していくのです。
私が作り出していたのですから、みんなに『ごめんなさい』と言わなければなりません。
そしてみんな一緒に天国に住みましょうね。

やっとやっと分かってきましたよ。

父の夢 

2013年03月27日(水) 14時44分
数日前に朝起きてきた子供が、何故か優しく私の背中をさすってくれました。
そしておもむろに話し始めました。

「夢を見たんだけれど!おじいちゃんが、まだ生きていて(10年前に亡くなっているのだけれど)もう目の下にもクマが出来ているほどやつれて、死にそうなんだ!
そして『もう最後だ!これから病院に行く』と言ってみんなに別れを言っているのだけれど、僕はもう最後だと感じて言っておこうと思ったんだ。
『お母さんは、未だにおじいちゃんに対して心の闇を抱えて、苦しんでいます。
もう最後だからお母さんに直接に謝って下さい!癒してあげて下さい!』と言ったら、少し考えて、やっと気づいたようで、『そうか!すまなかった!ごめんね!』と言いながら、母さんの背中を抱きかかえてあげていた。」

その話を聞いたとき、思わず涙が溢れてきました。

やっとこの深い闇も傷も心の底から解けていくようでした。

今、目の前には居なくなっても、この時空を越えた所でみんな生き続けているのですね。
そして、前に前に進んでいるのでしょうね。


先日もあるブログを通して68年前の戦争の情報を垣間見ましたが、その時代を愚かにも真剣に誠実に生きている日本人の兵士や家族の方々の姿を見たとき、(今の時代も同じように真実を知らされないままに《原発のことや、TPPのことや、医療のことや・・・》マインドコントロールされているのですが・・・)
人間は、いつでも、どこにいても気づかねばならないし、お互いに癒されなければならないのです。

多くの闇を抱えてしまった私たちが、今様々な形を持って癒され始めたことを感ずるのです。(まして時空を越えたところでも)

決して一人では、一歩も歩めなかったこの道を大きな力が見守り、支え、導いてくれているのでしょう。


この長い地球の歩みは、一体進化だったのでしょうか?

それはほとんど、人間が自分にしか意識を持たなかったのでしょうね。

何が一番大切なのかを見失っていったのでしょうね。

それは、宇宙からも、次元を越えた所からも、世界の他の民族や、国々からも、そして、違う生き物達(動物、植物等々)からも切り離して、エゴに満ちて、支配し、服従させ、征服して栄華を極めることにエネルギーを使ってきたのではないでしょうか?

でもそれももう終わりなのだと思えるのです。

私も、このブログを書き始めた7年前には、もう疲れ果てて何もかにも分からなくなっていました。

まず自分の心身がぐしゃぐしゃになっていました。

今でも、まだまだですが、心の寂しさ、悲しさ、辛さ、苦しさ、・・・は、ほとんどなくなりました。

まして父が、最後に私を抱きかかえて癒してくれたことを子供の夢で知らされたことは、本当に本当に今までの父との関係のすべてが潔斎されたのだと思えるのです。

あとは、寂しさに耐え抜いた母が癒されることを祈るばかりです。


先日、友達が「アダルトチルドレン・マザー」の本を貸して下さいました。

そこに「良い母があぶない」とありました。
まさに私の母が、アダルトチルドレン・マザーでした。

ですから私は、母の気持ちに応えるようにいつもよい子を演じ続けていたのです。

友達に会っていても、母の心配している顔を思い浮かべると帰ることばかり考えて、大急ぎで帰りました。
そして携帯電話もありませんから、すぐ公衆電話を探し一刻も早く母を安心させたくて行動していました。

姉のいじめも、父への辛さも何も打ち明けませんでしたが、感情を殺して生きてきた私は、結果大きな病いとなってしまったのです。
ですから誰より母に心配させてしまったのです。

その上私は感情というものがなくなってしまっていたのです。
長いこと涙も流したことはありませんでした。
ですから樹に出会った4年前から泣き始めたのですが、今まで樹が共に私の心に寄り添って見守り続けてくれました。
しかし、それももう終わりになったようです。

生前、父は、会うと、ただ一言「がんばりなさい」とだけ言い続けてきました。
それに悲しくても苦しくても応えざるをえなかったのです。
しかし、どんなに頑張っても決して、「よくがんばっているね」とは言ってもらえなかったのです。

それは父も自分がそれが一番正しいと思って自分自身も頑張ることを実行してきたのです。
我が子にそれを伝えることが使命だと思ってのことだったのでしょう。

ですから、何故私が、こんなにも闇を抱えたかをつゆぞしらなかったのでしょう。

父としても、夫としても、祖父としても完璧な迄に正しく生きたと思っていたことでしょう。

しかし、父のそのがんばりも、もう最後の時が来た事を今思ったのでしょう。

それを子供の夢は、そのすべてを明らかにしてくれたのです。

最後に光が差すのが、私の人生のシナリオです。

そしてそこからすべてが、始まるのです。

いよいよ終わりであり、もうすでに始まっているのでしょう。

大きな転換期を迎えワクワクしているのは、私だけではないはずです。

希望の音楽 

2013年03月08日(金) 15時25分
本当にここにいたって、毎日大きな出来事や変化が次々と起こっていて何を書こうか迷います。。

私の人生の総括のように、様々な場面での過去の人々が、絡み合いながら表に表れ、開花してきているようです。

火曜日、大学時代からいつも私の伴奏をして下さっていたSさんから電話がありました。

彼女は、その当時よく我が家を訪問してくれていました。
そして親不孝の私の代わりに父とも楽しそうに会話をしてくれていました。
ですから彼女が来て下さるのを一番心待ちにしていたのは、父だったように思います。

両親の葬儀にも出て下さり、音楽葬を引き受けて下さいました。

もちろん私の伴奏を今までほとんどして下さっている方なのです。

彼女は洗足の音楽教室と大学でみんなから慕われ、尊敬されるピアノの先生をしておられます。

電話の向こうでやけに興奮した声で
「本当に凄いことが起こっているの!
昨日音楽会があったの!
その中に私の生徒で、素晴らしいお嬢様がおられるの!
彼女は小学5年生なのだけれどチャイコフスキーの短調の、深い曲を弾かれたのだけれど1000人の聴衆の心を引き込むほどの演奏をしたのよ!
反対派の先生方も絶賛するほどの演奏だったのよ!
その子の素質は素晴らしいものがあって、何より感性がすばらしいの!
余分なものが何一つ付いていないのよ!
一体どんなご家庭に生まれ、育っているのかを、みんなで噂している所に、その子のおばあさまが来られて、あなたの名前を出されて、『この方とおともだちですか?』と言われたの!
もうびっくりしたのよ!
その方は『あなたと中高時代の友人でした!』と言われたの!
何というつながりでしょうね!・・・・・」

そのお婆さまは、私の中高時代の友人のHさんでした。

彼女は同級生とはいえ、同じクラスではなかったのですが、いつも私の教室に来ていて、歌をうたう私を、影ながら
応援して下さっていたこと、又学校の音楽会で緊張して上手く歌えなかった時に落ち込んでいる私を励ましてくれたことなどが思い出されるのです。

また長男の出産の時も手伝いに来て下さいまして、何かにつけて支えて下さっていたのです。

その後結婚して彼女が我が子の音楽教育に非常に熱心に心を注がれていたことを知っておりました。

彼女の娘さん(お孫さんのお母様である)が音楽大学に入られる時に、S先生のことをその大学に入学されたのであればと名前だけ紹介したことはありました。

しかしお互いに忘れ去っていたことでした。

ところがそのお孫さんが月曜日の音楽会で演奏をされて先生に挨拶に行かれた時に、もしや20年前の娘の入学の時のに紹介されたのはこの先生ではなかったかとふと思われて尋ねてみたそうです。

そうしたらこんな繋がりがあったことにお互いがびっくりされたようです。

最近のHさんの便りには、「孫娘のピアノの成長が楽しみです。」と書かれてありました。

今までにこんな私をそれぞれの場所で支えて下さった方々が、今また新たに直接に繋がって、その若いすばらしい魂が、音楽を捧げるべき子供として生まれてきて下さったことに深い感動を覚えるのであります。

このことは、私の友人であるHさんの長きにわたった音楽への深い思いが花開いたのだとつくずく感じたのであります。

思考が現実になるといわれますが、今まで長い年月をかけて光や夢を抱き続けてあらゆる困難な場面であっても努力されていた彼女の姿が走馬燈のように浮かび上がってくるのです。

このお孫さんのピアノを弾く姿のすべては、今までの彼女の積み重ねの思いであることもつくずく思われるのです。

この過去のすべてがあればこそ、今があるのですね。

本当に大事な年月を大切に重ねて生きてこられた結果が今こうして花開き始めたことを、本当に嬉しく思うのです。


又昨日は、小学時代の友人であるMご夫妻が訪れて下さいました。

彼女とは60年以上の付き合いになります。

私の母と同年齢のMさんのお母様が昨年末に90歳で昇天されました。

私たちは魂で深く繋がるほどの関係にありました。

それは、ご一家がクリスチャンホームであられたことで、私を表になり、影になりながら支え続けてくださっていたのです。

昔からおばさまは、ずっと私のことを祈り続けて下さっていました。

どうしてか?
それに気づくことになったのです。

それはきっと幼ない頃の良い子をしていた私の悲しい怖がっている心の闇を感じ取っておられたのだと思いました。

その悲しみを私自身は、やっと今気づいており、一つ一つを涙を流しながら浄化しているところなのです。

今やっと自分自身の心の闇を気づき始めたというのに、おばさまは、当の昔から気づかれていたのだと気づいたのです。

特に20代半ばで、パニックに倒れたときから祈りは特に深く続けて下さっていたのです。

いつか必ず会いに行きますと言う願いも叶うことなく逝ってしまわれたのですが、お話を通してそのおばさまの死は、完璧なものであると思いました。

ご自身はもちろん周りの一人一人をも愛に導くものであったそうです。

キリストにあるものとして、その意志を越えた所で、最高の生き様をみんなに残してくれたのでしょう。

おばさまは、数帖の部屋を祈りの部屋として一人篭もり祈りに徹しておられました。

その祈りにふれた者は誰でも、深く魂を揺さぶられたものです。

そして、「いつも祈っていますよ」と抱きしめるようなまなざしを持って声をかけてくださいました。

私の思いは、いつもおばさまのような心の深さが持てればと憧れ続けてきましたが、残る人生で少しでも近づければと思うのです。

おばさんの祈りがあればこそ、今の私が生きて来られたのだとつくづく思うのです。


こうして私はみなさんに出会い、暖かい愛や深い祈りや優しい支えを受けることで、この人生を歩んでこられたのです。

そして、Mさんのご主人も結婚当初からの付き合いにありましたが、深く優しい真実の愛の人でありますが、数年前に定年になられた後に、主に導かれたように彼の教会音楽の働きが用いられ、中田羽後の後に続く師との出会いを得て、聖歌の編纂や普及をはじめ、かけがえのない仕事を任されたようです。

古い教会の体質の中でまだその聖歌の全面普及には至ってないようなのですが、800曲以上の言霊である訳詞と愛の波動である旋律を一体化させて天に響かせようと尽力されているそうです。

このクリスチャンホームによって育てられた人々の尊い働きに感動し、感謝居たしました。

そして私もその聖歌のいくつかを歌おうと聖歌集の送られてくるのを待っているのです。

拘り 

2013年02月21日(木) 20時15分
前回のブログに、一汁一菜について書きましたが、それは、本気で取り組むことではなかったようです。

年が明けてからどうも腸の具合がおかしくなりました。
それは、心の負担が表れたに過ぎないのです。

ですが、今の時代は何でもかんでも病院に行くことを勧められます。
つまり『検査して貰いなさい』ということらしいのです。

それは、放射線を浴び、身体を冷やす点滴をされ、大勢の病人の居る病室に閉じこめられ、ストレスを受けに行くようなものです。
どう考えても冷たい布団の上で寝ることは、私には耐えられるものではありませんでした。

その上多額の診療費が請求されます。
保険制度があるにせよ、こうして医療費が支払われることは、枯渇してきている保険料をおびやかすことにもなるのです。

本当の治療とはどういうことなのでしょうか?

長いこと自分の身体と向き合わなければならなかった人生だったからこそ、いろいろの経験もあるし分かることがあるのです。

アロパシー的な現代医療の経験も沢山ありました。
しかし、ほとんどが悲しい、辛い経験でした。
そこで助けられてきたのが、ホリスティック的治療の出会いでした。

17歳の時、盲腸の手術をしたとき、(局部麻酔で聞こえていたのですが、先生が看護婦や周りの人に、手術には関係ないことで怒鳴り散らして居た姿)術後、先生は「あなたの腸は長かったのでついでに切っておきました。」と言われ、その晩寝かされたICU室は、あるお母さんが脳溢血で大いびきをかいて亡くなる最中、家族が泣き叫んでいる部屋に一晩中置き去りにされたことがありました。

40年前は海外に出る時は、必ず予防接種の義務がありました。

その接種後、気分が悪くなり、死にそうなほど苦しく、怖い経験がありました。
その時は、お世話になっていました整体の堅田俊逸先生に治して頂きました。

その後ヨーロッパに旅立つのですが、フランスでパニック症になり、帰国後大学病院で強制的に出された実験用の薬によって全く死んだ魚のような状態に陥ってしまったのです。

それ時、整体の野口晴哉先生に出会わなければ、私は生きていなかったでしょう。

何とか立ち上がるのに7年の歳月がかかりました。

その後結婚をし出産するのですが、酷いつわりと静脈瘤、前置胎盤などの危険な状況を回避して下さったのが、結果としてその昔私を取り上げて下さって高齢になられていた水口先生と経験豊かなお産婆さんであり、無事に3人の子供を産むことが出来たのです。

その後も危機の中でも何かが導いて下さるように、ホメオパシーの平井先生や、漢方や波動治療の下谷先生方の出会いによって生き延びてきたのです。

今回もどうしても一般的な医療機関には出向けませんでした。
そうして、導かれるように量子場調整のC先生に出会えたのです。

人生66年に起きたすべてが身体に書き込まれているので、そのマイナスを消去しながら、身体の立て直しをしているところです。

ところが、腸がやられて食について本を読んだりして、自分なりに考えついたのが一汁一菜でした。

現実に食べられなくなっていたのですから、考えざるをえませんでした。
人生の毎日を食とは付き合ってきたので、いつも考えさせられる問題でした。

食べることにおいては、様々な考え方や有り様があるのです。

ですから自分の習慣や食欲に任せてきたのです。

今まであまり消化器系は敏感ではなく、問題もなく過ごしていたのです。
しかし食べ過ぎは気になっていたところでした。

ここでしっかり考えねばならないかと思いました。

しかしこのブログを見て下さった師匠から待ったがかかったのです。

  ・・・・・・見直すのは、食事の内容ではなく、拘っている心の方ですよ!
  自分は健康だと思っている人は、何を食べても健康なのです。
  これが良くないあれが良いというのは、食べ物を心でジャッジしています。
  でも心の奥に不安や恐怖かあると、いくら良い物を食べても、良い働きはしません。
  これじゃなきゃ駄目だという拘りこそが、自分の体を不自由にしている原因ですよ!
  あなたが、全てに対するこだわりを捨てた時、身体も自由になりますよ!

まさに目から鱗でした。
こんなに深い愛を持って教えて下さる方に巡り会えた幸せに感謝しました。

あらゆる拘りが自分を閉じこめていると思いました。

そういえば、野口先生は、『食べることは自分の食べたいときに食べたいものだけ食べればよい。食べたくなかったら食べなくて良い。』と言われていました。

しかしその後、サプリメントの情報などにも踊らされて、減らすことより食べることばかりに夢中になっていたのでしょう。


今日、久しぶりに樹に会いに行ってきました。

やっと傍らに立つと共に天に向かって立っている実感がありましたが、自分には、まだ恐れの心や拘りの心があることが感じられたのです。

まずはこの心の潔斎をしたいと思いました。

食の改善 

2013年02月06日(水) 16時19分
今年の厳しい冬を越え、立春も過ぎましたが、今日は一転して雪景色です。
静かな一日が始まりました。

2月4日は、母の命日30年でした。
それでも何もしてあげられない日々が続いているのですが、この人生で母が成し遂げたかった遺志を少しでも叶えてあげようと心に誓っている自分が居ました。

母は、父である祖父と藤女学院のクサベラ先生を深く尊敬していました。

その御二人の意識は壮大なものでありました。

それは、この宇宙のすべてを受け入れ、この宇宙のすべてと和解し、この宇宙のすべてに感謝するという深い魂に根付いたものでありました。

その願いに少しでも近づいて生きたいと思いました。
それが、母に対する恩返しだと思いました。

この年明けに起こった体調の異変は、様々な出来事や出会いや問題が浮き彫りにされました。

それは、素晴らしい導きと大きな出会いを得たこと、家族の思いの大きな変化などもありましたが、自分の現状は厳しいものがありました。

そこから見えてきたことは
 1.人間関係で引き起こされた感情の処理
 2.食に関する意識そのものを変える修正 
 3.恐れの感情に支配されている生き方の見直し
 4.身心を越えた量子的アプローチによる過去が作り出した身体のゆがみの消去への希望
 5.愛情の受け手と与え手のバランスのある関係
 6.瞬間をポジティブに生きる転換の気づき

本当に数え上げればきりがありませんが、その一つ一つと向き合う自分がおります。

ここまで浮き彫りにされてきたことは、すべてに本気になって取り組まなければなりません。

そして、今回の病のすべては、今の私にとって必要、必然の出来事だったと思えるのです。

まさにピンチがチャンスなのですね。

自分のすべてを受け入れ、認めることで、その感情を解放してあげることを学びました。

すべてを否定したり、嫌っていては、苦しさを増すばかりです。
その闇も受け入れてこそ、許せるようになるのですね。

今回一番大変なのは、食の問題でした。

とにかく腸がやられて食べられなくなりました。
そしてこの寒さに耐えられなくなったのです。
もちろん便秘にもなります。

そして、少し良くなると又食べ過ぎて、ダウンです。

マクロビオテックをはじめ、寺山心一翁さんの本や若杉友子さんの本も読みました。

そしてたどり着いたのが、1汁1菜です。

今までの食が、あまりにいい加減だったことは気づいていましたが、好きなだけ、好きな物を満腹になるまで、ましてよくかまずに食べていました。

40年前整体の野口晴哉先生にお世話になっていたとき、何も食べられなくなって1日チーズ半切れ食べていました。

その時は、野口先生の指導の元でしたから、信じて過ごすことが出来たのです。

その後、回復と共に食べられる喜びに、好き放題に食べてきたのでしょう。

色々の情報も聞いてはおりましたが、いわゆる一般的な流れのままに過ごしていたのです。

食べられる身体を、いくら健康に良いといっても修正するのは難しく、習慣化したものを変えていくことの大変さを知りました。

ですから長いこと染みこんだ習慣を変えるには、この度の強制終了のような方法を持って、解決されねばならなかったのでしょう。

まだまだ、その最中にありますが、だいぶ骨身に染みこんできたようです。
ですから習慣化したたばこやお酒を止めることは大変なのでしょうね。

世の中には、美味しい物に満ちあふれています。

しかし本当に身体にとって良い物なのでしょうか?

今回の学びの中でも、癌など様々な病いを食によって壊し、食によって治してしまう話も満載でした。

まして薬で壊してしまう時代ですから、正しい食に目覚めて心身の健康を取り戻していきたいものです。

何事も本気で取り組まなければ、依存的になった、習慣化した自分を変えていくことは出来ません。

本気で取り組む課題満載の年が、いよいよ今年のような気がします。

このような大事な時が与えられていることに、感謝です。

海外勤務 

2013年01月22日(火) 20時55分
次男が、昨日メキシコに発ちました。

3ヶ月後には、いったん帰ってきますがまたすぐこのミッションが終わるまで続くようです。

数日前にアルジェリア人質事件が勃発して、多くの人々が犠牲になられています。
亡くなられた方々のご冥福を祈ります。

遠く離れた異国の地で働くことは、どんなに大変だったことでしょうか?

ましてそんな砂漠の地で、恐怖に晒され、助け手も呼べない状況に立たされたのです。
まさに戦地に赴く兵士のような方々でしょう。

やはり今回の息子の出かけていったメキシコもマフィアなどが多く居る安全な国ではないようです。

このような息子を危険な国に送るという経験は初めてのことですが、昔戦争で息子や夫を送り出した家族の思いを少し感じることが出来ました。

あの時代にその不安で心配な気持ちを、家族はどう気高く支えていたことでしょうか?

今、時は移り、アセンションを越えて新しい世を迎えつつあります。

やはりいつも前向きでポジティブな気持ちが、その時代を切り開いていくのでしょう。

息子は、このグローバルな社会を切り開く戦士の思いがあるのでしょう。

こんなに家族離れをし、日本を離れ、どんどん親離れしていくのです。

一方親は、なかなか子離れできず、その心配する心を整えることが大変なのです。

それでもこの機会が与えられたことは、お互いに大きく飛躍する時がやって来ているのでしょう。

長いこと抱えていた心配性や不安症を克服するチャンスなのです。

メグミンさんの本には、こう書かれてあります。

 怖れを手放すために必要なものは、周りに囚われない勇気と、あなた自身を生きる  勇気です。
 そして今の環境をありのままに受け止め、感謝することです。主人公はあなた自身で  す。
 他人や周りの環境を中心に生きることの愚かさに気づくことです。
 すべてを受け入れ囚われないこと!
 恐れとはあなたが勝手に思い込んでいる幻であることに気づけば、すべてが愛だと  いうことに気づきます。
 心穏やかにただこの瞬間を生きること、楽しむことです。
 あなたの心からなる恐れを手放してください。

この際、長いこと抱えていた思い癖を修正し、恐れの心を手放して、この時代を息子と共に進化して生きたいと思っています。

また、今年は体調不良の中で過ごしていたのですが、現状は大変な進化が遂げられているのです。

量子場調整をなさる信頼できる先生に出会えたことで、主人をはじめ、家族の関係も改善され、もう闘うことは何もなくなってしまったのです。

ぽっかり穴が空いたようですが、やはりメグミンさんの言われるように

 これから体験する新しい世界は、自分の思いを素直に表現し、素直に体験し創造す  る世界です。
 そのためには自分の思いの中にある否定的部分をクリアにしなければいけません。
 自分の思いの中にある否定的な部分をまず肯定に変えることです。
 肯定するということは、自分の思いを素直に認め、それを受け入れ、すべてを認め許  すことです。

そこで、私は今まで病気と思い込んで出来なかったことを元気になって思いっきりすることが、目標です。

歩くこと。
行きたいところに行く。
四季折々の自然の景色に会いに行く。
主人と楽しむ生活をする。
すばらしい音楽を聴きに行く。
友達に会いに行く。
旅をする。
聞きたい話を聞きに行く。
真実を学ぶ。
みんなの前で歌をうたう。・・・

ワクワクドキドキしてきますね。

素晴らしい時の幕開けです。

量子場調整 

2013年01月15日(火) 21時37分
もう1月も半分過ぎてしまいました。

遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。

あまりに沢山の事がありすぎて書くことが出来ませんでした。

とにかく去年の暮れのアセンションを越えて2013年に入り、大きな変化が起こっています。

それも色々のことがありながら、どんどん空になってきたのです。
気がつけば、今までの悩みは自然と無くなっていました。

どの部分を切り取ったらいいでしょうか?

すべてが流れていきます。

まず思いつくことを書いていきましょう。

とにかく日々の生活の中で身体的不調に苦しんでいました。

明けて「自分を無にして家族に寄り添って過ごそう」と心に決めました。
そして正月3が日は、近年に無いほどの穏やかな日々でしたが、暮れからの疲れが溜まってしまったのか身体のダルさを抱えながらも、家族と団欒をしていました。

そして終わりかけた5日の夜に抑えていた感情が爆発したように下血してしまったのです。
5年ほど前やはり虚血性大腸炎で入院したことがありました。

しかし、もうそんな入院生活に耐えられるような自分ではないことは、良くわかっています。

それでも家族に言えば病院にいって検査して入院するように勧めるでしょう。
それが彼らの精一杯の愛情の表現だったからです。

医療に関しては、何もかにも価値観の違う確執のある家族です。

病気との闘いよりその事が一番辛いし悲しいし、疲れるのです。
いつもそうでした。

40年前の野口晴哉先生との整体の出会いでの治療も、長男の赤ん坊のときの整体式のアトピーの治療も、3人の子育て中の子供の病気の時のホメオパシーの治療も、生死を分けた10年前の下谷先生の統合医療の治療も、いつも家族の反対を押し切って一人で頑張るしかありませんでした。

現代医療の西洋医学以外のこうした治療に理解ができず、納得してもらえなかったのです。

それでも私は命と向き合う為にどうしてもそうしなければならなかったのです。

今回も必死の抵抗で、ホメオパシーの相談会や主治医の漢方やサプリメントなどの指示に従っていましたが、食べられなくなった私の体は、寒さに対抗できなくなってきました。

そんな限界のとき、私の大好きな、最も尊敬するMさんが量子場調整をしている治療士の方を紹介してくださったのです。

そしてほとんど予約でいっぱいの紹介者だけを受け付ける治療院で、私を「来るべき人が来た」という気持ちで待って下さっていたし、私の身体の具合と祈りにあわせるようにキャンセルが出たのですぐに施術を受けることができたのです。

今日も雪でキャンセルが出たので、再度受けてきました。

そして、1回目の土曜日に、妻は何をしようとしているのか分からない主人は、一人では行動できない妻を案じて、本当は病院に連れて行きたいのにそれを拒否する妻に諦めたように付いてきてくれたのです。

主人も施術室に招き入れて下さった先生は、すべてを論理的に丁寧に説明して下さり、2時間半にもわたる治療をして下さいました。

その間私は、今までの過去の病歴や出来事や思いを語ることになったのです。
まさにこれまでの人生を語ることになったのです。
この量子場調整は、その過去の潜在意識に残された感情を消去する治療でもあるからです。

それをじっと見守って聞いてくれた主人は、私達のはじめての経験ではなかったでしょうか?
そしてそれは、きっと主人が私を知るはじめてのことが多かったのではないでしょうか?

最初は固まって居た主人も最後には深々と先生にお辞儀をして、「妻のことをよろしくお願いします。」と言われたそうなのです。

それほどその治療は素晴らしいものであり、主人をも納得させるものであったのです。

量子とは、分子、原子、中性子、原子核のさらにもっとすべての原点にあたる量子場を変えることで、潜在意識などに働きかけていくものです。

量子と意識と無意識を法則化した技術が、量子場調整です。

私の身体は、過去の大きな悲しみや怒りや怖れの感情をまだまだ残していたのです。
それがいろいろな臓器を痛め、バランスを崩し、とてもまともに身体が機能していませんでした。

心の傷や痛みが身体をもゆがめ、そのバランスを取るためにいろいろの無理を作り、痛めつけていたと言うことです。

ですから本来の力は働かず、ゆがみが強ばりや痛みや血流の悪さやあらゆる不調を作り出していたのです。

医者でも治せない領域にせまるものがあるのです。
そんな中に、ずっと苦しんできた私が居たのです。

私自身が作った病いであったのですが、その無意識に働きかける治療が、今までこの唯物的な世界にはありませんでした。

そして先生は鍼や整体やさまざまの有資格者であられるので、そのひとつひとつを丁寧に紐解いて下さいました。

今回の病気を通して、子供達も含めて家族の関係が、すべての時を越えてリセットされたように素晴らしい流れとなってそのわだかまりが溶け出したようです。

いよいよ「新生と共生」の世界に入ってきたようです。

感謝の1年でした。 

2012年12月31日(月) 23時04分
もうそろそろ2012年が終わります。

私に取りましても、素晴らしい年だったと思います。

何かが大きく変わる時がやってきたのでしょう。

すべては、私の内面に宿りし神が 導き続けて下さいました。

長いこと、光の中で生かされることを願い続けてきたのです。

そんな時が、今この時なのでしょう。

拙いブログにお付き合い下さった方々に心よりお礼申し上げます。

2013年も、新生に向けて世界中の小さな存在のすべてがきっと輝きを増していくことでしょう。

来年もよろしくお願い致します。
P R
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