恕し 

June 30 [Tue], 2009, 10:14
あの襲撃的な出会い以来、梅雨空の合間をみて、あの木の所に通っています。
否導かれ、どうしても会いに行きたくなるのです。
その度に、回を増すたびに、衝撃的な出来事が起こっています。

どう取り扱ったらいいのかと分からなかったホ・オポンオポノの4つの言葉「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」「ありがとう」が、自然と魂の底からほとばしり、その上「みんな1つ」「みんなのみなもと」・・・    
それと、魂をえぐるような涙と声、息も止まるほどの咳き込みが起こり、体や頭の底のこわばった所を引き裂きたいほどの呻きと共に、気づきと癒しが与えられ、自分ながら驚きをもってこの心身の解放に導かれているのです。

つまり現実の何もかにもが、その原因のすべては私の中にあることが、分かり始めました。
それは、結論からいいますと「愛がない」のです。

怖れの中で、不安の中で、緊張の中で、自己愛の中で、冷たい心で相手を批判する中で、苦手な人を避ける中で、そして恨む中で生きてきた結果なのです。
被害者意識が強くて、人を愛してこなかったのです。

それは、結局自分を愛してこなかったからです。
どんなに、めちゃくちゃに生きてきた事でしょう。

一番象徴的なことは、若き日の恋愛でした。
父を恨む余り、全く父の望まない人にすべてを賭けました。

それが、まず自分をぼろぼろにしたのです。
それが、愛だと思い込んでいました。
それ以来すべてが大変な状況を生み出していったのだと思います。

ですから、決して負けない父は、私を最期まで認めなかったのでしょうね。
しかし結局私を育て、守ったのは父なのです。

思い返せば、数々ありました。

足利事件の冤罪で17年半も牢獄に入れられた菅谷さんの事を思うと、みんなの代わりにその罪を背負ってこられたのですね。

私の罪は、法には触れないけれど、私の数々の生き様が、みんなを傷つけ、心配させてきたのです。

牢獄には入らなくても何十年も償っていかなければならないと重い気持ちになっていました。
疲れた体を引きずって、今日も河川敷に出かけていきました。
木に抱かれ、体の癒しをしてもらいながら、一人一人に謝罪と愛を送り続けて居りました。

木肌に手を当てて、じぃっとその送られてくる声に心を傾けていると、私はゆるされていると思いました。
葉と葉の間からもれてくるきらめく光がダイヤモンドのように輝き、又みんなの輝く瞳に見えました。


  今日のメッセージは、「わたしの信念」でした。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/itu_sora/53224334.html

 ・私は内なる輝きの全てを信じよう。
 ・ひたすら真実を求め、夢の完全な実現を求め、やがて大いなる光のもとへ帰還するという自らの運命を確信しよう
 ・私は人生のあらゆる側面で成功する
 ・怖れを克服し自分にとって最善のものを受け取るだろう

感謝 

December 31 [Sun], 2006, 18:00
今年も、もう少しで暮れようとしています。
7月の末以来5ヶ月間、このブログを書かせていただきました。
はじめてのおばさんブログにお付き合いいただいた方々に深く感謝いたしております。
私のつたないエッセイは、自分に思い込みを与えるような勝手なカウンセリングと独断ともいえる自分流な意見や解釈にすぎません。
何とも暗く悲しいブログが多く、ご迷惑をおかけした事をお許し下さい。
でも私にとりましてはこうして書かせていただいた事は、大きな気づきと癒しがもたらされたと思っております。
まだ少しばかりですが、最近は外に出ると以前とは違った自分に出会う事ができ、嬉しくて嬉しくて涙が溢れます。
これらの経験をしたお陰で、苦しみと大きな喜びを共に味わう事ができています。感謝ばかりです。
皆さんが応援していて下さったのだと感じられるのです。
還暦、癒し、母への思い、再生をめざしたこのブログを通して、一歩前に踏み出せたと思うのです。
ここで、このブログは今年を終えるにあたって、閉じる事と致しました。
お付き合い下さいました事を、心より感謝いたして居ります。
来年が皆さんにとって、素晴らしい年になることを、お祈り致して居ります。

ルミの墓参り 

December 29 [Fri], 2006, 15:51
昨日、子供たち3人は今年8月に亡くなった愛犬ルミの墓参りに行きました。
以前のブログにも書いたのですが、何も出来なくなった16歳のルミの世話を、それはそれは愛情深くしてくれていたのが、子供達でした。
24時間の介護でしたが、いつも寄り添い、撫でながら、声をかけながら癒し続けていた姿が目に残ります。
ルミも苦しかっただろうけれど、家族の優しさに、心の底から安らぎを与えられていたと思うのです。
一方、みんなもルミから沢山の事を教えてもらい、癒されていたと思うのです。
そういうものは、お互いに与え合うものなのでしょうね。
この死を通して、可愛いい家族の教えてくれていたことは、とても大きな事でした。

その他、今年もいくつかの死に出会いました。その中の一つに気になるものがありました。
5ヶ月前に私がブログを書き始める頃、彼女の悲惨な状況を聞かされていたのです。
私はお会いした事もない方なのですが、自分の事のように思えたのです。
何とかして共に生きたいと思いました。ですからこのブログを書く事で一緒に再び生きる道を見つける事ができればと思いました。このブログを書くきっかけになった人でした。
しかし2ヶ月後には彼女は天に帰って行かれたのです。.
彼女は、生涯心から安らぐ事ができずにいて、その抵抗としてあらゆる闘いをしていたのではないかと思いました。
悲しみが怒りとなって現した姿は頑張って居られたからだと思いました。
ただ本当の癒しに気づく事ができなかったのではないでしょうか。
可哀想でなりません、そして残念です。
結果として、そういった状態から解放されるには、死ぬ事だったのでしょう。
神様はこうして彼等を苦しみから救って下さったのだと思いました。
思えば私の人生の中でも私自身が、両者の状態を経験した事があると思えるのです。
良かれと思って必死で生きていても、喜びをもたらさない事があるのです。
しかし、神様はいつもあらゆる手段を持って知らせて下さっているのです。
こうして今も生きている事、生かされている事にただただ感謝するばかりなのです。
生きていればこそ、その事実に気づく事ができたのですから。
彼女の存在は、自分を知るために学ばせていただいた大切な人でした。心よりご冥福をお祈りいたします。

様々な経験を通して、本当の生き方はルミを愛する子供達に見る事ができるのです。
幸せは一番近くにありました。『愛』という言葉が心に響いて来たのです。

クリスマスの贈り物 

December 25 [Mon], 2006, 18:35
話かけても、何の返事も返って来ない。
聞いて欲しくない、また言いたくない合図なのだといつも耐えてきました。
でもこれって、子供達がいじめの現場でしている無視というかシカトなんだと気づいたのです。
そういえば、父が母によく何ヶ月も口を聞かない事がありました。
私の場合は、あの重苦しい空気に耐えきれなくて必死で努めて解消させたので、2,3日で終わらせる事が出来たのですが、母はどんなにか悲しく苦しかった事でしょう。
果たしてそうして、耐える事が良かったのかと思い始めました。
そういう悲しみを貯める事がどんどん身体も心も蝕んでいくのだと思ったのです。
そこには、争いを避けたい、苦しい空気を和らげたいと思ってそうしてきたのでしょうが、そのやり方がより良い人間関係を作れるとは思われないのです。
親達の戦前から続いてきた封建的な男女関係は男優位の社会でありました。
いまだに、そういった不均衡な力関係に添うていては、人間の進化にはつながらならないと思いました。
良い思いを生み、愛を育て、みんなの幸せを築く為には、この悪い連鎖を絶ちきらなければならないと思いました。
そんな中では、犠牲になった優しい命がズタズタになって、死んでしまっているのです。
この心からなる悲しい叫びを、祈りと愛と勇気を持って、何とか伝えなければならないと思いました。
それは共に幸せになるために、また次に続く者達の為に行動しなければならないのです。
こうしてクリスマスの贈り物として、主は私にいろいろの思いと力を与えて下さっていると感じられるのです。

クリスマスイヴ 

December 24 [Sun], 2006, 10:23
クリスマスイブは、楽しかった子供の頃を思い出します。
戦後の貧しい時代を生きてきた我々の世代にとって、クリスマスイヴが望むもののすべてを叶えてくれる唯一の日だったように思います。
どれほどワクワクして、サンタクロースを待っていたことでしょう。
枕元のお菓子やおもちゃを目にした時、夢のような気持ちになったものでした。
先日、ピアノのおけいこに来ている子供にサンタクロースの事を聞いてみたら「別に何も欲しいものはない」という答えが返って来ました。
そこには、いつもいつも満たされているという不幸が見えたのです。
昨日、家族の住む家に4ヶ月ぶりに帰ったのですが、乗車した電車の7人掛けの席は、どこも6人で座っているのです。
私はというと3人掛けの優先席の真ん中に、腰の先をちょこんと乗せることしかできませんでした。両横の2人は元気そうな男性でした。
ほとんどの人は疲れているのか、他の人の事を考えられないのか、鈍感になっているのか、長い手足を持て余すかのようにひじを組み、大股を広げ、荷物を脇に置きながら寝ていました。
今までにこんな時代があったでしょうか。
帰りがけに、バス停で待っていると、後ろに並んでいた同年代のおばさん2人が「もうきっと世間ではボーナスが出ているんでしょうね」と話し始めましたので、やはりボーナスとは縁遠い私も加わって3人で話し始めました。
「世の中は私達とは関係なくボーナスの時期で賑わっているけれど、実は若い人も大変な時代になっていて、働く所もなかったりしてるようだね。その上、毎日のように恐ろしい事件や飲酒運転による事故があったり怖いねぇ」とお互いに相づちを打ちながら話しました。
一人の杖をついていたおばさんは「私の足も事故に巻き込まれたんですよ。すべて人ごとじゃあないんで、こんな私らが飲酒運転やひったくりに会うような怖い世の中になってしまったものですねぇ」とわずか何分かの待ち時間に交わした会話なのであります。
一体この世の中はどうなってしまったのでしょうか?
あの頃の貧しい時代が懐かしく思い出されるのです。
でも町の片隅で見知らぬ者同士が、お互いに共感できたことが、ささやかなクリスマスプレゼントだったのかもしれないと思いました。

千の風になって 

December 19 [Tue], 2006, 19:04
先日、知人の女性の方が54歳の若さで亡くなりました。
彼女は、私達が結婚した1年後の同じ日に結婚したのです。
ですから今年の12月9日はご夫婦の27年目の結婚記念日だったのです。
そうして、彼女もやはり私とほとんど同じ頃に3人の子を続けて産み、みんな元気な男の子でした。
今は、子供達は成人になりましたが、まだ勉学中であり、母としてはどんなに心残りだったことでしょう。
私も同じ年の頃、疲れがピークに来ていた事が思い出されます。私は我が儘にも自分の為に集中した生活を始めましたので生き延びる事ができましたし、いろいろな出会いをいただき助けられてきたのです。
それを思うと彼女が可哀想でなりません。また残された家族の寂しさはいかばかりのものでしょう。
私と同時代を生きてきた彼女が、母として、妻として、嫁として(舅を最後まで一人で看ていらしたので)どんなに頑張って来たか、そしてどんなに大変であったかが偲ばれるのです。
彼女の御冥福を心よりお祈りいたしますと共に、深く感謝の意を捧げる気持ちで一杯です。
彼女の葬儀の日(17日),NHKで「千の風になって」が紹介されていました。
この詩とこの詩を取り巻く話にとても感動いたしました。
誰もがいつかは経験しなければならない大切な人の死は、残された者が一番悲しみ、苦しむのです。
この詩はそういう立場にたった人にとってどれ程、癒しを与えられ、慰められることでしょう。
    
     「千の風になって」
  私のお墓の前で泣かないでください
  そこに私はいません。眠ってなんかいません
  千の風になって
  千の風になって あの大きな空を吹き渡っています
  秋には光になって 畑にふりそそぐ
  冬はダイヤのように きらめく雪になる
  朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
  夜は星になって あなたを見守る
  私のお墓の前で泣かないでください
  そこに私はいません 死んでなんかいません
  千の風になって
  千の風になって あの大きな空を吹き渡っています
  あの大きな空を吹き渡っています 

ホメオパシー 

December 17 [Sun], 2006, 11:50
9月末に退院してすぐに、トントン拍子に進んだかに見えた不動産の売却ですが、契約をすべて終えた時点から不動産屋とは、ずっと音信が途絶えて居りました。
先日、2ヶ月も過ぎてから、担当者交代、以後所長が処理する事で、今までお話してきた事は、何一つ実行されないように事を進めてきたのです。
トントン拍子に進んだのは、9月末の決算期なので、今日中に契約すればこの額でという話に私が、まんまと乗ってしまい、又こんな売り買いに注ぐエネルギーもなかったので、他の人々の事もあまり考えず、相談してわずか3日で契約してしまったのです。
その時、自分の事とお金の事だけを考えていた私の有り様が、今わかりました。悲しい姿です。
又、人の事をすべて信じてしまう幼さが悲しいかな、いまだ、この年になってもあるのです。
大きな月謝を払いましたが、学びました。
社会の組織や仕組みの中には、金や名声にだけ目が行って、巧妙に人を騙す手口がマニュアル化されているものがあるのですね。
羊のような顔をしてやって来て、契約を済ますと、コロッとオオカミになるのだという実態を見たのです。
実は、こういう組織に身をおく者こそ被害者に思えてきました。可哀想になりました。
しかし、事を終える為には、まだしばらく彼らとつきあわねばなりません。
それを思うと又苦しくなってきました。
ところが、今回はテルミーのWさんを通して今の私に的確なホメオパシーがもたらされて居りました。
私がホメオパシーに出会ったのは20年前ですが、まだ日本ではほとんど知られてはおりませんでした。
3人の小さい子育ての真っ最中でしたから、どれほど助けられて来た事でしょう。
それから、ホメオパシーでお世話になったH先生もご高齢になられ、困っていた時S先生に出会ったのです。
S先生はあらゆる有効な方法を持って、助けて下さいましたが、その一環のなかでホメオパシーを使ってくださいました。
その後、ネットの時代によってもたらされた、家庭用レメディも購入して自分でも使っていたのですが今回ほどの効果を見る事はなかったように思います。

先日、「不動産屋との電話の対応があまりにしっかりしていた」と側にいた息子がびっくりしていますのでハッと気づいたのです。あれだけ凛と言い切っても疲れていない自分に気づき、驚きました。
実はカルカーブというレメディをとっていたのです。それは牡蠣の殻なのです。
私はあの固い殻がなくなっていたようです。牡蠣は中身は柔らかいのですが、あの牡蠣の殻が失くなっていてはフニャフニャで、しっかり存在できなくなっていたのです。
ホメオパシーの効用をこれ程までに有り難いと、強く感じたことはありませんでした。
このカルカーブを選んでくださった先生は、私の名前とWさんがまず選んで下さった30種の中からたった1つを選んで下さっていたのです。感謝ばかりです。

クリシュナムルティと祖父 

December 13 [Wed], 2006, 15:50
ある方が、クリシュナムルティの本を持ってきて下さいました。。
その本によって、私は彼をはじめて知ることとなり、それは大きな襲撃を受けたのです。
この人を、この年になって知るには、あまりに遅すぎると思ったのです。
小さな本ではありますが、その内容はあまりに深く、とても一言では記せないのです。
しかし、彼がいかなる人物かを次の言葉によって知っていただきたいのです。
「クリシュナムルティは、いかなる階級、国家または宗教への忠誠も誓わず、そしていかなる宗教によっても縛られなかった。彼は世界中を旅し、90歳で他界するまで多数の聴衆に自発的に語りかけ続けた。人は自分自身を知ることによって、すべての恐怖、条件ずけ,権威、教義から自由になり、かくして秩序をもたらし、心理的変容を遂げなければならないと力説し続けた。」とありました。
とにかくこの本は私にとってはとても難しいのですが、今後、私の座右の書になることでしょう。
こうしてクリシュナルムルティと出会う事で,私は祖父のことを思い出したのです。
祖父は、私の知る中で最も彼に近い存在に思えたからです。
そこで、祖父を知ることがクリシュナムルティを一番理解できると思われたのです。
そして、さっそくただ一人生きておられる祖父の子供である叔母さんに連絡したのです。
話は進み、今いとこ会のネットがたちあがり始めました。
こうしてみんなで、祖父の残された資料を集め、人生を掘り起こし、語り合い、祖父を思い起こす事は、今の私達にはとても大切な事と思われるのです。
きっと、祖父も天から応援してくれていることでしょう。
私達も、あとに続く子供達にも、祖父の生き様が、分かりやすい形で表現されることで伝えられればどんなにか喜ばしい事でしょう。
一人一人が参加する事ができれば、私にとっては、再生が共生にとって変われる事になるのです。

結婚記念日 

December 09 [Sat], 2006, 10:08
今日は28年目の結婚記念日です。
昭和53年12月9日にICUのシーベリーチャペルで結婚式を挙げました。
主人が39歳、私が32歳で、当時では晩婚であり、お互い初婚でありました。
私にとっては、24歳以来の8年にもわたる闘病生活の末に巡ってきた奇跡の日でありました。
結婚衣装は、母と大好きな隣のおばさん(有名な洋服屋さんでした)が、私を寒さから守る為に暖かい真っ白なベルベットで心を込めて作って下さいました。
その日は晴れ渡った日差しと私達を祝福して下さる方々に見守られ、すべてが備えられていたように思いました。
私の結婚については、弱ってしまった私が結婚できるなどとは誰もそれを信じてはいなかっただろうと思うのですが、私の心の中には、長い闘病生活の中にあっても『誰か一人は必ずいるのだ』という確信だけがありました。
そして病んで7年が過ぎる頃になると、母との散歩のかいあって少しの家事位はできるようになっていました。
やはり、その時が私にとっての適齢期になっていたのでしょう。
私のいない所でいくつかの話が進んでおりました。
そんな流れの中で、私はといいますと、外出の練習のつもりで、7月の末の暑い日に靴下3枚履いて、冷房車を避けて、見合いの場所にたどりついたのです。
自分では、すべて社会復帰の練習と思っていましたので、目の前の方に自分のすべて(病気のこと、生き方のこと)を気楽に話し続けておりました。
その方はただニコニコして聴いていてくださいました。
でもその時は、私は練習と思っていましたので、結婚相手だとはつゆとも考えていないのですから、好きなだけ話をして、そのままお別れしました。
その後、他の方ともお会いしましたが、前の方の時のように語る事ができないのです。
この重い空気は一体なんなのでしょうか?
この経験を通して、結婚とは見かけや肩書き等ではなく、自分が自分らしくいられる事が一番大切なのだと気づいたのです。
それからすぐに1回目の方にお返事をしました。
そして1ヶ月後には結婚式を挙げていたのです。
あれから28年も立ち、お互いに苦労も一杯しましたが、私にとりまして主人は、かけがえのない人、有り難い人なのです。
今日は2人きりで食事をしましょう。
もう一言付け加えますと、主人は見かけも肩書きも優れた方でありますが、それ以上に心の人であります。
いつもご苦労さまです。これからは自分を大切に、ゆったりとすごしてください。

祈りの人 

December 08 [Fri], 2006, 17:11
私の幼なじみのE子ちゃんのお母様から、昨日お電話をいただきました。
おばさんとはじめてお会いしたのは、戦後間もない昭和26年の春だったと思います。
当時、私の父が都会の片隅に小さな家を、頑張って建ててくれました。
新しい家は、白いテラスと折りたたみのテーブルと五右衛門風呂のある家で、それなりの工夫がさていて、かくれんぼも充分、楽しんで出来るような家でした。
その家に引っ越して間もない頃、近所の食料品屋を営んでいたE子ちゃんのおばさんのお宅で、幻灯会が度々開かれていました。
当時、幼稚園に行っていなかった私が、そこで聞くお話や映し出された映像のお話に心を奪われたのは当然のことであります。
おみやげのカードは何年も宝物になっていたと思います。
その時のおばさんは、今年84歳(生きていれば母も同じ年になっているのですが)になられ、ずいぶん年をとられたのですが、電話口の向こうから「N子さん!貴女の事をいつも祈っていますよ!!私はみんなの事を祈るために生かされていると思うの。こんな身体になったけれど、祈る為に生かされているのですよ」と心から叫ばれました。
おばさんはまだあの地に、子供達の側にいるのですが、一人になって、ベッドのスペースほどの空間を祈りの部屋としていつもそこにいらして、みんなの為にイエス様への祈りを必死でしていてくださるのです。
もう何年も会っていないのですが「いつか必ずお互いに生きて手を取り合って会える日を実現させましょう」と固い約束をしたのです。
こうして今もずっとずっと私の事を祈り続けて下さる方がいらしゃるのです。
この大切な愛されている命を私は生きて、みんなに感謝し続けるでしょう。
P R
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