さらば、四畳半。また逢う日まで。 

May 21 [Sat], 2011, 20:47
四畳半アパートから引っ越して、およそ3カ月が経った。
今は中野区のユニットバス付きのごく普通の1Rに住んでいる。
四畳半に住んでいたのはちょうど2年。
たったの2年間だけど、たくさんの出来事が蘇る。

右隣の平八さん(推定75歳)は同い年くらいの女性を連れ込んだ。これは熟年の情事かと思いきや、尺八を大音量で披露した。左隣では中国からの留学生のジョヤ君が中国人女性を連れ込んだ。これは中国語のあえぎ声が聞けるチャンスだと思いきや、CDプレーヤーで日本語の猛勉強に打ち込んでいた。そんななか向かいの大学生縦井君の部屋からはいつも日本人女性のあえぎ声が漏れていた。もうちょっとスピーカーの音量をしぼってほしかったよ、縦井君。



俺の部屋の中でも珍事は起きた。中学時代の友人エテポンゲが来たときには、エアーベッドを用意し膨らますものの、部屋が狭すぎて使用することができず、ただただ妖怪ぬりかべのように立てかけられていたこと。同じく中学時代の友人クレハは歯磨き後のうがいのとき「流しが汚れると悪いから」と言っては窓から外に吐き出し、「狭くなっちゃうから俺はここでいいよ」と言っては押し入れの物を全部出し、ドラえもんのように眠っていた。どちらもたいへんな迷惑だった。同じく中学の友人ザイゼンは「習字がしてえなあ」と言って、翌日仕事の俺を気にも留めず、翌朝8時まで筆を置かなかった。



高校時代の友人ヤマは潔癖症なのか、なんとか四畳半との接地面を減らそうと、できるかぎり細い体育座りをしていた。高校時代のバイト友達のアラキさんは家賃を節約できる点を理解し、一時は真剣にジョヤ君が出ていった左隣に住もうかと悩んでいた。あのとき、隣の部屋に彼が住んでいたら、二人して人間の底辺の底を突き破り、二度と這いあがれない奈落へと墜堕していたことだろう。来ないでくれてありがとう。



大学時代の友人カタケンはそれほどまで仲がいいというわけでもないのに、なぜか四畳半で24歳と25歳の誕生日を迎えた。たしかバースデーケーキはブラックサンダーだった。ゼミの同窓会の4次会が四畳半となったこともあった。この日は最多客数4人を記録し、とても幸せな気分になった。ところが朝方目覚めると、起き手紙もなくみんなは消えていた。



職場から徒歩30秒の好立地ということもあり、上司や職場関係者のおじさん方もよく来られた。ひとりは自前のエアーベッドを用意し、深夜に轟音をたて膨らますという作業を一晩で5回も繰り返した。そのたびに平八さん、ジョヤ君、縦井君は「直下型地震だ」と思ったにちがいない。

まだまだ羅列していけば、さまざまなエピソードが出てくるが、ここまでと同じく取りたててビッグな事件はない。どれも小ネタだ。なのでこのあたりでやめておこう。

だけど、今思う。
そんなささいな幸せがとても貴重なことだったんだな、と。

風呂があるから銭湯に行く必要もなく、汗をかくランニングや筋トレも気軽にできるようになった。そのかわり、今は隣や上の階の人がどんな人なのかも分からない。毎日何も起きることなく次の日が来る。
じゃあ戻ればいいじゃん、と言われれば「嫌だ」と即答する。
ただ四畳半は見た目ほど悪いところばかりではなかったというのが2年住んで出た結論だ。

今の俺にはひとつ夢ができた。
将来、古びた四畳半アパートを手に入れ、そこの大家となることだ。
そしてその一室を仕事部屋としたい。
そのときまで、この「現代四畳半」はしばしお休みをいただこう。

ごくわずかな四畳半支援者の方々、これまでどうもありがとうございました。

不潔な美学 

October 09 [Sat], 2010, 1:25


もちろん、気づいてはいたさ。
だけど無視してたんよ。なんとかなるはずと、信じてね。





コインシャワーに通い続けて、早3年。
この日、僕はタオルを忘れた。

コインシャワーとは、個室になっていて、200円を入れると鍵が閉まり、一定時間シャワーが出るという、キャンプ場や海沿いで見かけるアレだ。
ところが、大都会・新宿でもこのコインシャワーは大活躍をしている。この街ではだいたいがコインランドリーとセットだ。僕と同じように、風呂も洗濯機も持たぬ主義の人々がここには多すぎる。

まったく皮肉なものである。自然豊かなキャンプ場や、サーフィンのメッカのような、レジャー地にあるものとはまったく意味合いが異なっている。ただ、生活のためにコインシャワーを浴びる。都会のユーザーはシャワーを浴びた直後でさえ、爽快感を微塵も見せない。


さて、ここでタオルを忘れるといったいどうなるか。
答えはいたってシンプルだ。髪も顔も体も拭けなくなる。
家がそばならいいが、僕の場合は徒歩10分。
たかだか10分だけれど、押しも押されぬ新宿区。あの福山雅治の『東京』でも歌われている外苑東通り沿いだ。その10分の間に、「あの人、びちゃびちゃだ。雨も降ってないのに、何があったんだろ」と、幾万人に思われることか。

じつは、これまでにも2、3度、タオルを忘れたことはある。
そのときは着替えのTシャツで拭きあげた。
ところが、今回はそれもできない。
僕は着替えもすべて忘れてしまったのだ。

「いったい、何しにコインシャワーに行ったんだ!」
と読者諸兄に思われてもしかたのない失態だが、言い訳をさせてもらうと、僕はこの日まで3日間高熱が出続け、ようやっと外に出られるくらいのモチベーションが生まれたのだ。
そして、タオルと着替え以外には、残り少ないシャンプーとその換えのシャンプーや、残り少ないボディソープとその換えや、カミソリのフュージョンとその替え刃や、ギャッツビーの洗顔ソープなど、これでもかと用意周到に持っていっていた。
しかし、予備のシャンプーなどいくらあったところで、タオルの代わりにはならない。

いろいろ室内で思考を巡らせているうちにタイムリミットも迫ってくる。
ちなみに、ことわっておくが、自然乾燥という方法はありえない。お湯を出せば当然湯気が出る。ここは窓ひとつない密室。湿度と温度は増すばかりで、浴び終えた後には乾燥とは対極の空間ができあがる。


ふと、昔のことを思い出した。
あれは僕がまだ10代で、2度目の一人旅に出たときのことだった。
瀬戸内の漁港で漁師の人となぜか仲良くなり、生牡蠣を3つほどもらった。その生牡蠣はすこぶるウマくて、僕は2分と待たず平らげた。
そして、1分と待たず、強烈な便意に襲われた。
偶然近くにあった公衆便所に飛び込み、ほっと一息つき、固体よりも気体の方に近い液体をおしみなく噴出した。
さあ、もう出ないぞというところまで出し切り、手を伸ばしたとき、そこには淀んだ空気があるだけで、紙はおろかロールの筒さえもなかった。
そのとき僕が取った行動はまさに「旅人の美学」、そのものだった。
携帯していた小型ナイフでTシャツの左袖を破り、悠然と拭きあげ、片袖だけのTシャツで堂々と出てきたのだ。



こんな話を思い出したところで、現在のピンチを救う解決策にはつながらない。
もうタイムリミットは3分しかない。でも、体はびしょぬれだ。
Tシャツをタオルにして、上半身裸で帰るか。
そんな勇気はない、もう10月だぞ。
びしゃびしゃのまま無理やり服を着て、見て見ぬふり作戦で行くか。
無理だ。自分は見なくても、通行人は容赦なく見てくる。


そう、本当は気づいていたさ。
これしかないってことは。
だけど無視してたんよ。なんとかなるはずと、信じてね。


(パンツで拭いて、ノーパンで帰る)
この一手に尽きる。
だが、3日間風呂に入ってない体をようやく洗い流したのに、どうして3日間履き続けたパンツで拭かなければいけないのだ!
そんなことするくらいなら、シャワーに入らず4日間洗わない方がまだマシだったんじゃないのか!

葛藤は制限時間、残り1分まで続いた。





ドアを開ける。
心地いい秋風が半乾きの火照った体を冷ました。
特に股間のあたりは、今までに感じたことのない爽快感でいっぱいだった。

(終)

西麻布の惨劇 

October 06 [Wed], 2010, 3:30
どうなってるんだ。
煙草と酒の匂いが染み込んだTシャツを脱ぎ、重量感のある財布の中身を確認した私は愕然とした。
500円玉が7枚と千円札が1枚。計4,500円。
昨晩、出発前の記憶がよみがえる。
「うちのボスが言っていた。年齢かける1,000円を持っていれば、たいていのことは大丈夫なんだ」
そう自らアラタに言った私は24,000円を財布に入れた。

それが今朝は4,500円になっている。
いったい19,500円はどこに消えてしまったのか。
昨晩アパートを出た我々はタクシーで早稲田から六本木・西麻布へと向かった。
これは一人1,000円くらい。
そして、人生初となるクラブに入った。
たしか入場料は3,500円だった。
知らない洋楽ばかりで、なんだかうるさかった。
で、今朝だ。

詳細が抜け落ちている。
計4,500円分の記憶しかない。
残り15,500円はどこに行ったんだ。

吐き気と頭痛と、金と記憶の消失で気分が落ち切っていたとき、電話が鳴った。
アラタだ。
「もしもし」
「あ、やっと出たよ。昨日は無事に帰れたんだな?」
「まあ、今アパートにいるからな。けど全然覚えていない。そして、金が激減している。昨日、何があった」
「……やっぱりな。聞いても後悔するなよ」

そうして、アラタの話を聞いた私は大いに後悔することになった。



満員電車状態のフロアの中、重低音が心臓を直接突いてくる。
私はとても緊張していた。
開き直るが、なにせ初めてのクラブなのだ。緊張してあたりまえだろ!
で、それとともに何をしたらいいのか分からなくもなっていた。
とりあえず、チケットをジンバックに換えて、飲む。
私をここへ連れてきたアラタは「じゃ、てきとーに後でな。健闘を祈る!」と入場後、ロッカーに物を預けると、すぐにいなくなった。

それにしても、男たちはどいつもこいつもイケてやがる。
スーツ姿のやつが多いが、その誰もが仕事もできて遊びも楽しんでいるサラリーマンの理想形のようなやつらだ。私服のやつに至ってはまさに西麻布や、代官山、中目黒という地名が似合うオシャレ野郎ばかりである。
女の子もみんなきれいだ。想像していたよりもギャルっぽい人は少なくて、ちゃんとした私生活を送っていそうな人が多い。しかし、それになのに、ここでの乱れっぷりはすごい。いかにも清純そうな彼女たちは今しがた出会ったばかりの男と手を取り、踊り狂っている。
異世界。そんな言葉が思い浮かび、私は2杯目のジンバックと残りのチケットを交換した。

その後も観察は続いた。
いや、正直に言おう。中に入れなかった。
完全に攻めあぐねていた。というか、どうすればいいんだ。誰か教えてくれ。一刻も早く帰りたい。そして泣きたくもなっていた。
ジンバックの摂取量だけ増していく。2枚のチケットを使いきった私はその後さらに3杯のジンバックを飲んだ。

アラタが背の高いモデルのような女性を連れて、私の前にやってきた。
「どうした? 楽しんでないようだけど」
「これが俺のスタンスなんだ」よく分からない強がりを見せてしまった。
「まあ、なんでもいいけど、楽しめよ」
「おう、もう行けよ。彼女も飽きちゃうだろ」
あ、そうだ、とアラタは去り際に思い出したように言った。
「オリジナリティ、いかせよ。あとこれ、もうあげるわ」
そうして、まだたっぷりと何らかの酒が入ったカップを私に渡すと、人ごみの中へと消えていった。
オリジナリティねえ。アラタの酒を飲む。
まるっきりストレートのテキーラだった。こんなもん買えるのか。しかも普通のカクテルと同じ量だぞ。


それから酔いにまかせて私は動き始めた。



「どうだ、思い出してきたか?」電話で笑いながらアラタは聞いてきた。
「ああ、もう嫌というほどに」
外は見事な晴天。土曜日だというのに気持ちが悪過ぎて、まったく動ける気がしない。
今日は一日このまま布団とトイレの無数の往復で過ごすことになりそうだ。



「はいはい! みなさん、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます!」
私はチャージを払ってソファ席を確保した。そして、これまでに声をかけた女性を3人、目の前に座らせている。
「これより、西埜式日本語講座の始まりです!」
3人の女性は一応、拍手をしてくれた。
彼女たちは左からタイ人女性のジャンタラーさん、韓国人女性のミョンヒョンさん、中国人女性のイーリンさんである。

私はまず、ひらがなやカタカナの成り立ちを彼女たちに説明した。
もちろん、すべてデタラメだった。思い付くまま、適当なことを口走っていた。
ところが、そんなクソ面白くもない話で彼女たちを満足させることは到底できなく、
「オサケ ナクナッチャッタンダケド イッパイ オゴッテヨ」
という3人が3人、判で押したような片言の日本語に財布で応戦してどうにかつなぎ止めていた。1杯500円のドリンクを買ってくるのに、毎度かっこうつけて千円札を渡し続けた。すると、五百円玉がたまる。そして、ときどきネコババされて、500円が戻ってこないこともある。しかし、私はストレートのテキーラのせいで酩酊状態だったから、よくわからず、千円札を財布から取り出しては外国人女性に渡すという行為を繰り返していた。それは、猿がタンバリンを叩くおもちゃよりも、悲しく哀れなロボットだった。

そんなところにアラタが現れる。
「おお、ちゃんと楽しんでるじゃないか!」
一見しただけでは分からないので、勘違いをしているらしい。かと言って、私は本当のことを話すつもりもない。そのまましらばっくれてやる。「ネエネエ、オサケ!」と言ってくるタイ人に背中の後ろから千円札を渡した。

「俺をなめんなよ。言葉の壁なんてな、ないんだよ」私は息巻いた。
ガンガンうるさいフロアでアラタは一瞬黙った。
そして、つぶやいた。
「……だよな。金は、言葉の壁を越えるよな」

一瞬で血の気が引き、フロアが無音になった気がした。
急いで財布の中身を確認する。

涙が出そうになった。
アラタは何も言わず、朝のヒルズ前へ私を連れ出してくれた。



「まあ、でもあの娘たち、けっこう楽しそうだったよ。金を抜きにしてもな」
慰めで言っているのだろうか。私には正直よく分からない。
「でも、連絡先は聞いたんだろ? 11桁の数字さえあれば、世界はつながるさ」
私はアラタのこのセリフを聞いたとたん、はっとした。
「ちょっとごめん、切るわ」
「おまえ、まさか聞いてな……」

急いで携帯を確認する。
そこにはジャンタラーさん、ミョンヒョンさん、イーリンさんの名前があった。そう、私は全員とちゃんと赤外線交換をしたんだ。よかったよかった。
さっそく「お疲れメール」を送ろうとする。
ところが、彼女たちのアドレスはいっこうに見当たらない。
まさかと思い、もう一度電話帳に戻って名前を探す。
あった。たしかに登録されている。
しかし、そこにはなぜか3人が3人とも、血液型と誕生日だけを記載したプロフィールがあるだけだった。

「新手すぎるだろ! アジア人!」
私は四畳半で枕を何度も、何度も叩いた。

Tatami BAR‐4&half‐の噂 

September 08 [Wed], 2010, 1:19
「ねえねえ、最近フォーエンドハーフ行った?」
「うんうん、行った行った! 西埜さん、髪形変わって、よりいっそうかっこよくなってたよね」
「そうそう、トークもイケてるし、あそこってホント落ち着くよね」
「でも、最近全然予約取れないよね」
「うん、次は私も2カ月先だって」
「うわー、会いたいねー、西埜さん」

田中は女子社員たちの話が聞こえてきて、「またフォーエンドハーフか」と腹が立っていた。
ここのところ、このあたりの女子どもはみんなフォーエンドハーフでしか飲まなくなりつつある。予約制のバーであるらしいが、田中は行ったことがないので、その実態は分からない。ただ、仕事終わりに、女子社員を誘っても、つれなくなっていることは気に入らない。また、同僚のいわゆるイケている男どもも、だいたいは行ったことがあり、その話題で女子社員と話している光景を幾度も見ている。正直、そんなよく分からないところに行きたくはないが、話についていけなくなるのはつらい。一度くらい、行っておかないといけないな、と思っているのも事実であった。

そうこうして、田中は予約をすることを決めた。

「ありがとうございます。それでしたら、3ヶ月後の9月10日の金曜日となりますが、よろしいでしょうか」
おそらく、これが噂の西埜という男の声なのだろう。落ち着いた印象で、声だけで判断すれば、50前後と言うところだろうか。たしかに風格のようなものは感じてしまう。
「ああ、はい。その日、大丈夫です。一人です。予約お願いします」


―3ヶ月後―

田中は噂のフォーエンドハーフにいた。
そのバーは早稲田の人通りも少ない裏路地にひっそりと店を構えていた。
暗めの店内はドアを開けた瞬間から、畳だった。
靴を脱いで、あがる。
「お待ちしておりました、田中様」
西埜と思われる男が丁寧に挨拶をしてきた。
たった一言の挨拶で、その人間の奥ゆかしさが分かることがある。
田中は憎んですらいた、西埜という男の魅力に完全にやられてしまった。
風貌は思っていたよりも、だいぶ若かった。もしかしたら、いや、確実に28の自分よりも若い。ただ、このすべてを包み込むようなこの雰囲気は何だ。どんな人生を歩んでくれば、こんな空気を作り出せるんだ。
田中はすっかり、西埜に仕事の悩みや彼女に対する不安を打ち明けていた。

朝の四時半、これまでに感じたことのない、清々しい夜明けとともに田中は家路についた。
「なんて、いい場所なんだ。西埜さん、かっこよすぎるぜ」

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てな感じ、目指してます。てへ。
あ、予約は当日の30分前でも大丈夫ですよ。
今のところはですがね。

ネガティブ・ツーリング・北海道・レイン 

September 02 [Thu], 2010, 12:55
ちゃっかり今年も行かせていだきました北海道。

いやあ、楽しかったですよ。
来年、記事にするので、
ここではダイジェストで紹介します。

(1日目)
大雨。それでも無理やり十勝でキャンプする。のっけからテンション激落ち。

(2日目)
豪雨。ライダーハウスに飛び込む。この日の客は5人。内わけは台湾人カップル2組と、僕。みんな相部屋。だけどカップルたちは両サイドの布団でいちゃつき始める。眠れない。しかも暗いから見えない。当然、混ぜてもくれない。

(3日目)
雨は続き、記録的なものに。仕方なく腹に絵を描いて美女達と踊り狂う。こういうお店があればいいのにな、と思う。

(4日目)
雨はやまず、幹線道路も通行止め。あの五郎さんも浸かった銭湯でボケーッとする。

(5日目 最終日)
雨は結局1秒もやまなかった。あと20分で千歳空港を発つ。
ところが、そのときだった。
ゲートをくぐろうとする私。
どたどたと、でかい足音が聞こえる。
振り返る。
「ふうふう、わりい、おくれた!」
「あ」私は懐かしい気持ちになる。
健ちゃんは間に合った。

出発ぎりぎりまで、10分だけ話した。
高校の盟友である健ちゃんは、相変わらずどうしようもないデブで、話している最中も生肉をむしゃむしゃ食っていた。
だから、久々の再会でも、彼が教育実習で鬱病になってしまった話と、僕がチャイナ・マッサージで生活の危機にさらされているというネガティブな話をさらっとしただけだった。

以上が今年の北海道ツーリングです。
あ、そうえいば、バイクにもちょっと乗りましたよー。では!

誰も知らない偽24時間マラソンもどき 

August 31 [Tue], 2010, 22:59
ヘイヘイ、なんで誰も助けてくんねーんだよ、俺は戸塚で独りぼっち。最近、機械のトラブル多いんじゃないのかい? 神さま、確変起こしてない? パソコンは復旧したから次号は無事に発売されるけど、今度はフュージョンかい。そういえば、SRが壊れて西湘バイパスの路肩に24時間以上取り残されたのも、つい先月じゃねーか。まあここは戸塚だからなんとかこの前みたいな事態は避けれるけど。そもそもトドメをさしてくれた、カタケンが電話に出ないのはマジ解せないぜ。こっから家までおよそ10キロ弱。あーあ、最悪だ。村中ゾンビーズのザイゼンはおばちゃんと日光だし、エテポンゲは仙台で隣人さんの食卓にお邪魔してるし、クレハは将棋だし、ゾンビはダサすぎるつぶやきをmixiで繰り返すしで、結局無理。親愛なる七里メイツの同志ヤマはサーフィン始めて波に乗るより調子乗ってるし、健ちゃんは北海道で生肉食うし、マツは100回誘っても四畳半には来ないし、天才カガヤは浜松で外人相手にしてるから結局無理。東プラマックボーイズ&ガールズのアラタ氏は愛人もうけ放題だし、竜丸はデズニーランドの裏を支えてるし、ピー之介は三茶でお茶でもしてるから結局無理。だったら蹴球2日にすべてを託すけど、さっきまで後ろに乗っていたカタケンは音信不通になるし、店長は店長だし、クニオはおでんで生計たててるし、クラはサンダルで富士山登るようなやつだからマジムカついて連絡する気も起きないし、とうとうバイちゃんにまで電話をしてみるけどやっぱり富士宮で荘園領主のような生活を送ってるから結局無理。ああ、助けてくれそうな俺の友達全部言いきりましたとさ。ところで、そういうときはまず家族でしょ、とか思っちゃったり思わなかったり。当然テルはしましたさ。そしたら、およそ俺の120倍はいいやつだと思われる弟は日光行ってるし、(ってか日光ってそんなに流行ってるのか?)およそ俺の120倍人生を投げているオヤジはおじちゃんと酒飲んで、スイカ食ってるし、およそ俺の120分の1くらいしかないサイズの母ちゃんは免許持ってないから俺を助けられない。ああ、自力で帰るしかないね、こりゃ。フュージョンのトドメをお刺しいただいたのはカタケンだけど、調子を悪くしてくれたのは完全に西東京のマツコDX。あいつを乗せてから、フュージョンだけでなく俺の精神や身体すべてぼろぼろ。せめて、戸塚駅に近ければ、全然ましだったんだけど、どこにも近くない国道一号線上なもんで、藤沢行きのバスはでてるけど、大渋滞してるからいったいいつつくのかもわからない。だから俺は重い荷物を持って歩くしかアルマジロ。くそみたいな宗教みたいな終わってるフットサルの練習がいまになってきいてきてるわ。あれはいったいなんだったんだろ。ときは戻って3時間前。俺は最近入ったフットサルチームで「練習」なるもの行なっていた。てっきりゲームをやるのかと思ったら、俺が小2で習った基礎をだらだらだらだら体育館の利用時間2時間すべてを使ってくださった。久々に全力で無駄な時間に出会った印象だ。人生は三万日。時間にすると72万時間。無駄なことをやってる暇はありそうでなさそうで、やっぱりちょっとはいいかなと思うけど、たぶんそんなにないんだよ! もう2度と「練習」なるものはいかん。試合が欲しいんだ。しかし、その試合も結局「試し合い」。いつまでたっても本番ではないとかシコルスキーがいってたような。まあいいや。とりあえず、今は家に帰ることが第一。それにしてもこのあたりの1号線はひたすらコンビニもないし、自販機もない。ああ、今朝、飲み明かした末、藤沢駅から家まで歩いたのもきいてきた気がする。なんでタクシーにのんねーんだ。もう社会人だぞ。たのむから、乗ろうよ。まあ、そういう自分も今歩いてるんだけど、てへ。さてさて全然、徒歩だと進みません。国1長いです。改めて、間カンペイさんのアースマラソンに敬意を表します。でもでも、まあ1時間半も歩けば着いちゃうよね。では、1時間半後にワープ!そーれ!
ところが俺はまだS.wingにいました。バッドを振ってました。むちゃ疲れてんのに。「西埜さん、最近よく見ますねー」なんてAYA嬢はモップをかけながらポップに言ってきて、だったら送ってくれよと俺は言うんだけど、「いやです、だってびしょびしょじゃないですか」。そそ、俺は持ち前の新陳代謝の良さを発揮して汗を大いにかきここまでやってきたんだ。西埜の98%は水分だ。あとの2%は、うーん、そうだなあ、動物愛護精神にでもしとくか。俺はくたくただけど、AYA嬢の見てる手前、恥ずかしい真似はできないなと、ホームランをばっちり打って、写真を撮ってもらい店長へのメッセージを書き残し、スウィングを後にした。
もうここまで来れば、オリンピックの坂を登ったり降りたりして、天獄院も登ったり降りたりして25メーター道路を左に折れれば、もうすぐだ。それにしても、今思うと天獄院ってすげーネーミングだよな。「天国と地獄の院」だぜ。まあいいや。それで俺は家に着きましたとさ。そんとき、いかにも夏っぽく縁側でおじちゃんとスイカを食っていたオヤジはこう言ったさ。「おお、帰ったか。俺たちは最強の家族だよな」「ええ、だったら助けてくれたっていいでしょ」TVではちょうど大西ケンジがゴールしているとこだった。ああ、蚊取り線香の匂いがなんだかとってもいい感じだ。

楓湯物語 

July 21 [Wed], 2010, 4:26
行きつけのシャワールームが少し改装された。
見た目がきれいになって、シャワーもひねりやすくなったのだが、なんと冷たい水が出なくなってしまった。これは大問題である。冬は別にかまわない。ただ、夏場は非常に困る。窓ひとつない個室は湯気で10cm先の鏡すら見えなくなる。湿気が発散されず、シャワーを浴び終えたその瞬間から、汗が滝のように流れる。なんのために浴びたのかさえ分からなくなるほどなのだ。

そこで最近は銭湯に通っている。
シャワールームは200円、銭湯はその倍以上の450円だが、こうなってしまった以上、行かざるをえん。四畳半で濡れタオルを使って体を拭くという手もあるのだが、7月に入ってからこの部屋は常時33度を超えている。ちなみに、この文章を打っている現在は39度もある。夜中なのに、扇風機を回しているのに。どうなってるんだ。舘林や熊谷、伊勢崎がかわいいほどだ。最近は熟睡できたためしがない。会社で寝た方がまだましだ。

なんだか貧乏自慢みたくなってしまった。
気を取り直して銭湯の話をしよう。
私の通っている銭湯は楓湯という。
いかにも昔ながらの銭湯で、堂々とした富士の絵が風格をみせている。
お湯は熱めで、43〜44度ほどある。これに浸かった後、20度の水風呂に入るのがたまらない。夏は水風呂の気持ちよさを体感するために、お湯がある気さえする。サウナも小さいながらあるのもいい。

2週間ほどほぼ毎日閉店ぎりぎりの深夜1時前に訪れると、自然と知り合いもできてくる。
「あ、どうも」とあいさつをできる人が何人かできた。

なかには、へんてこりんな人もちらほらいて、これがなかなか面白い。
本日取れたてのエピソードを話そう。



私はいつもと同様0時30分に楓湯にやってきた。
今日は珍しく総大将さんとマッチョさんが同時にいらっしゃった。
私は二人に挨拶をする。
「ほう、西ちゃんはマッチョと知り合いだったのか」
総大将さんに声をかけられた。
「ええ、やっぱり総大将さんとマッチョさんは仲良しなんですか?」私は聞いてみた。
マッチョさんが答える。
「俺がこの人と仲良し? そんなわけないだろ。まあ腐れ縁ではあるだろうけど」
「まあ、そんな感じだ」
総大将さんはおおらかに答えた。
マッチョさんは40代半ばだと思う。その名の通り、全身の引き締まっていて若く見える。だから、もしかしたら、50代かも知れない。
対して総大将さんは小柄でありながら、人間の大きさをいつも感じさせてくれるいいおじさんである。以前、63歳と言っているのを聞いたことがあるが、マッチョさん同様にかなり若く見える。
総大将さんがそう呼ばれる理由は股間にある。下の毛を全剃りにしたそこには緑の蛇が彫られている。それだけ見ると恐れてしまうが、まとっている雰囲気は穏やかで、いつも周りには輪ができている。

全身を洗い、お湯に浸かっていると、総大将さんが声をかけてきた。
「昔はよく対決をしてたんだ」
「え? マッチョさんとですか?」
「そうだよ」

頭を洗っていたマッチョさんが会話加わった。
「そうだなあ、最近やってないなあ」
「久々にやるかい。マッチョ」

妙な雰囲気に私は少し恐れた。
いったい何が始まるんだ。
思い切って聞いてみる。
「対決って何ですか?」

ふふ、と総大将は笑った。
そして、「西ちゃんも今日は勝負しよう」
と言ってきた。

「よし、やるか!」とマッチョさんもストレッチを始めている。
なんなんだ。恐いぞ。

「じゃあ、ここに手をかけて」
「こうですか?」
私は湯船から上がり、タイルに足を付け、湯船のふちに両手をついた。
総大将さんとマッチョさんも同じように並ぶ。
ほかの常連さんが「お、いいぞ!」
と声をあげた。
これはまさか。


「そうだよ。腕立て伏せだ」
「きんちゃんカウント頼むよ」
居合わせた常連さんである小太りのきんちゃんさんが「あいよ!」と声をあげた。


40を超えた時点できつくなってきた。
ふたりはまだまだ平気そうだ。
「どうした! 若いもん! 勝負はまだまだこれからだぜ!」
マッチョさんは巨根を振りみだしながら、煽ってくる。
「浅いよ、もっと深くね」
総大将さんも厳しい。

私は結局85回でリタイアした。
でも限界まで耐えたのが伝わったのか、「初めてにしてはよく頑張った」と二人は言ってくれた。


常連のきんちゃんさんは150を数えている。
この人たちは無尽蔵だ。
180を数えるころにはギャラリーたちも熱くなり、全員が勝負を見守っている。
「負けるな!」とか「粘れ!」などと声が飛ぶ。
女湯からも「またやってるよ、せいぜいがんばれー」とおばちゃんたちの声がした。


256回を数えたところで、マッチョさんが力尽きた。
「くそ! これで俺の134勝786敗だ! ちくしょう!」
「いつでもかかってきなさい、マッチョ君」
素っ裸の観客から、拍手と声援が送られた。


みんなでコーヒー牛乳を飲んだ。
負けたマッチョさんが居合わせた観客のみんなにもおごってくれたのだ。
「相変わらず強えよ、総大将は」
「いやいや、マッチョさんもすごいじゃないですか」
85回で力尽きた私は素直にそう思った。
「まだまだ甘いぜ、鍛えないとな」
マッチョさんは鏡の前でボディビルダーのようなポーズをしていた。
「西ちゃんも鍛えてこの戦いを後世まで伝えてくれよ」
コーヒー牛乳を飲み終えた総大将は言った。


どうやらこの腕立て戦争は明治から代替わりに続いているそうだ。

江戸らしい風情を垣間見て、またこの町が好きになった。

ブッシュマン、ipadを手にする 

July 17 [Sat], 2010, 0:00

社長から指令が出た。
「君の今日の仕事はこのipadを使いこなすことだ」

私は、首を横に振る。
「無理です。僕には荷が重いです」
「なぜだ。平成生まれだろ?」
「いえ、ギリ昭和です」
「そうか、でも欲しがってたじゃないか」
「欲しがってみただけです、まさかほんとに買ってくれるとは」
「そうか。欲しがってただけか。そういうこともあるよな」
「ええ、時としてありますね」
「でも、届いちまったから、やらないとな」
「ですよねえ。まいりましたねえ」

私たちはダンボールを開けて、顔を見せた斬新すぎるデバイスを眺め、途方にくれていた。
すると、社長が「あっ」と何かを思い出した。
「そういえば、俺は聞いたぞ。君は以前マックを作っていたんだろ? だったら大丈夫じゃないか」キーボードを打つ素振りをしながら言った。
私は察知したが、直接つっこむのはやめた。
「ええ、テリヤキが好きでした」
「そうか、だったらテリヤキボーイズをitunesで購入して、ipadに入れてみようじゃないか」
「意外と若いの知ってるんですね」私は少し驚いた。
「よし、じゃあ頼んだぞ! 俺は最先端恐怖症だから帰る」
「え、何ですかそれ、ちょっと!」


といった具合に、私は、我が有限会社(社員3名)における最先端事業部の部長を任されてしまったわけである。
困った。やはり荷が重い。
渋谷と白川郷どっちを取る? と聞かれたら、迷わずかやぶき屋根へ飛び込む私だ。こんな食パンマンを薄くしたような物体をどう扱えというのだ。

この後、私は社長の指令を無視して、箱へと丁寧にしまい放置し続けた。



一週間後。
ふと、社長がため息をついた。
「世界で最も屈辱的な扱いを受けているipadがここにある」
社長はこのようになんでも擬人化して話す節がある。
そして、私はそれに弱い。
無宗教ではあるが、アニミズムの意識が人よりも強いのかもしれない。
箪笥からはみ出して挟まっている洋服を見れば「痛い痛い」と言っている気がするし、スーパーでひとつだけ倒れている牛乳を見ると「何で俺だけ」と不貞腐れている気がしてしまう。
目にしてしまった以上、可能な限り彼らを救いたい。
そういう性格を知ってか知らぬか、私を動かすとき社長はこの方法をよく使う。
「『あれ? こんなはずじゃなかったんだけどなあ』とかって、思ってそうだよな」
「はいはい。わかりました。すみません。今日からちゃんとやりますので」




到着から8日目。私はまず裸でかわいそうなipad君のお召し物、つまりカバーを買いに行くことにした。

9日目。それをかぶせてみる。なかなかいい感じだ。



10日目。頑張って電源を入れようと思うが、充電していないことに気づく。充電をする。

11日目。いよいよスイッチオン。有限会社(社員3名)が「おおー!」と沸く。縦にしたり横にしたりする。

12日目。itunesから音楽を入れてみる。ビートルズの「HELP!」がけっこうな大きい音で流れ、またしても「おおー!」となる。

13日目。5時間ほど苦悩し、なんとか写真を取り込んだ。スライドショーにして、デジタルフォトフレームのような役割を果たす。「おおー!」とは当然なる。しかも、写真を出しながら、「HELP!」をかける。おおー!



14日目。インターネットはできないのかなあ、とみんなで話す。

15日目。どうやらマクドナルドに持っていけばインターネットができるらしいという情報を手にする。

16日目。一人でマクドナルドに行ってみる。ところが、インターネットはできない。たぶん手続きが必要なのだろうと知る。ポテトを食べながら触ると、画面が油だらけになることも知る。

17日目。箱の中にあった紙にIDとパスワードが書いてあった。それを持ち、マクドナルドへ行く。サイドメニューはサラダにした。なんだか、紙を見ても分からない。明日みんなで来よう、と思う。

18日目。3人寄れば文殊の知恵。あと一歩のところまで到達する。社長だけサイドメニューをポテトのままにしたので、触らせない。

19日目。
我々はまたしても、マクドナルドに行った。「今日こそは」というやる気が3人にみなぎっている。
ところがどうしても、あと一歩足りないようで、「YAHOO!」の画面にたどり着けない。
しかし、この日は隣に同じipadを使っている早大生らしき青年がいた。
社長が聞いてみる。
「すみません、教えてくれませんか?ipad」
そのとき、奇跡が起きた。
突然声をかけられた早大生は驚いて、自分のジンジャエールを手で跳ねてしまう。そのままテーブルから落ちていくジンジャエール。副社長が飛び込む。上半身のみダイブして、キャッチした瞬間、副社長の腰が私の肘にぶつかった。私は持っていたテリヤキバーガーを落とさぬよう強くつかむ。そのとき、中のマヨネーズが飛び出した。弧を描き、宙を舞うマヨネーズの塊。スローモーションのようにみんなが見つめる。その落ちゆく先は我々の持つipadだった。


社長が声を上げる。
「おい! 何をやってるんだ、君たちは! ん? あ!」
「え? あああ!!!」

なんと、ipadには「Google」の文字が表示されていた。
なぜ?

早大生が覗き込んだ。
「ああ、ちょうどこの“サファリ”を押したんでしょうね。マヨネーズが」

社長が早大生の手を握った。
「ありがとう! 君のおかげだ! ありがとう!」
副社長と私も早大生に礼を言った。

まさかサファリが答えだったとは。
デジタル・ブッシュマンたちは裏をかかれた気持ちだった。


さらば、FIVE HUNDRED CAFE 

July 13 [Tue], 2010, 4:40


寝静まった深夜の早稲田駅周辺。たった一軒シャッターを開ける店、その名もファイヴ・ハンドレッド・カフェ。

この早稲田の「ポシュレデパート深夜店」とも一部では言われていたバーが、7月11日に惜しまれながらも閉店を迎えた。



私が初めて訪れたのは今年の3月である。
友人のアラタさんと連夜のごとくダーツにふけっていた時期だった。
ビギナーの我々は初めマンガ喫茶の投げ放題システムで練習を積みかせねていたのだが、まったくもってスコアが伸びなかった。
原因を追及すると、「投げ放題というシステムのせいで集中力に欠けているのでは?」という仮説が浮かびあがってきた。
そこで1回100円でプレーするダーツバーへの挑戦を志すこととなったのだ。

結果から先に言えば、スコアはまったく伸びなかった。
ただ、緊張感の違いは感じ、一投一投を大切にするようにはなった。
「しかし大切にするがあまり、フォームやグリップを意識しすぎて、スコアは伸びないのだ」
確かそういった結論が二人の間で下され、再びマンガ喫茶に戻るが、やはりスコアは変わらなかった。つまり根本的に何かが違っていたのだろう。その何かは今もって分からないのだが。

それはさておき、一度行って「恐いところではない」と知った私は1人でも訪れるようになった。また、その名の通り、全メニューが一律の500円というのが、現状において清貧を貫かざるを得ない私にはありがたかった。
ここはダーツもできるが、スポーツバーでもあり、また、単純に仲間と酒を飲むだけでもいい自由度の高い店だ。店内も広く、私が一人で下手なダーツをしていても別に目立つわけでもないというところに好感が持てた。

5月あたりになると、私の中でダーツブームはピークに達し、1週間連続で訪れることもあった。時間は決まって深夜3時以降。この時間でないと、ダーツが占領され、私はカウンターで黙ってセッティングをしたダーツをくるくる回しながら、カルーアミルクをちびちび飲むという不毛な時間を費やさねばならないのだ。
また、当然カウンターに座ると、周りの客やシェイカーを振る店員さんと話さなければならない。
こうなると私の折り紙つきの座持ちの悪さは、いかんなく発揮されてしまう。
みんなと仲良くはなりたいが、何を話していいのか分からない。
いったい何を話しているのだと耳を傾けると、意外とどうでもいい世間話だったりするのだが、その面白みが分からぬうえ、それさえも何を選んで話せば正しいのかが分からない。
とりあえず、私は女性店員さんが目の前に来たとき、持っているグラスを目の前で振りながらこう言った。
「こういうところで飲む酒って、なんでこんなにうまいのかなあ」

いま思い出しただけでも、鳥肌ものだ。女性店員さんも絶句していた。「カルーアを見つめてカラカラさせながら、酒を語る職業不明なこの男はいったい何?」確実にそう思われていただろう。何も間違っていないところが悔しいが。

この事件があって以来、カウンターに座らずにすむよう、ダーツの空いている平日の深夜を狙って足を運んだ。


マイダーツをセッティングして、ただ投げる。投げる。投げ続ける。
3時、4時ともなると、団体はほとんど皆無で、みな個人客だ。
彼らはカウンターで楽しそうに話している。
その輪への入り方がいつまで経っても分からぬ私はただひたすら投げた。

連日通うものの、一向に成長の兆しは見えてこなかった。
店員さんや常連さんは不気味に思っていたはずだ。
いつかは、私が入ったとき「あ、来た!」と常連さんのおじさんが言ったのを、その彼女らしき人が「やめなよお」と笑いながら制していたことがあった。

「怪奇! ストイック・ダーツマン!」などといった不名誉なあだ名が密かに付けられていたのかもしれない。



ワールドカップを会社の先輩と見に行ったこともあった。
そのときは、来店した私の顔を見るなり、「今日はダーツはちょっと……」と店員さんに言われた。誰が、決勝トーナメント進出をかけた大一番「日本VSデンマーク」の試合開始5分前にスポーツバーに入ってダーツをしようと言うのだ。私だって、そこはさすがにサッカーが見たい。

閉店するという話はそのときに聞いた。
日本が3点も入れ、「ああ、いい試合だった」と店を出るときに、ものすごいローテンションでそのネガティブなニュースを教えてくれた。


それから、行こう行こうとは思っていたが、仕事が忙しくなり、なかなか時間が作れなくなっていた。


結局、やっと行くことができたのは閉店前日、7月10日の深夜だった。

この日は大学時代の友人であるカタケンが私のアパートに泊まりにきた。
「誕生日は四畳半に限るな」
彼は自身の二年連続となる不遇な運命を弱弱しく皮肉った。
それはあまりにも哀れだ。私とて四畳半に住んでいながら、もし自分の誕生日を他人の四畳半にて2年連続で迎えることとなったら、運命を呪いかねない。
そこで「だったら、バーで盛り上がるかい?」と、誘ってみた。
バーでの盛り上がり方なんて分からないよ、と彼は答えたが、
「でも、ここより華やかなことは確かだろうなあ」
と考え直したらしく、向かうことになった。

閉店前日ということで、深夜2時を過ぎても店は混んでいた。
我々はやはりたじたじになり、セットしたダーツをくるくる回すか、もしくは下を向いて前髪をいじるかという二択を余儀なくされた。

1時間くらいそれを続けると、ようやく台が空き、投げられることとなった。

まったくもって、最後の来店にも誕生日にもふさわしくない地味なゲームだった。
うまいとは到底言えず、かといってド下手でもない二人の勝負は無駄に拮抗していた。
それでも1ラウンド100点以上のLOWTONがまぐれで出ると、
「ローォト、ロート、ローオトン、ロオトン製薬♪」
やら「元気になロートン」
などと歓喜に溢れ小声で歌った。
隣の上級プレーヤーは苦笑していた。

結果は3勝3敗。
しかし、実質はマイダーツを持ちホームで戦いながらも私は押されっぱなしだった。それでも引き分けになったのは、カタケンがこの日朝から働いていたということに他ならない。彼は最後の2ゲーム、ほとんど寝ていた。


店を出ると、外はすでに明るくなっていた。
今までありがとう、ファイヴハンドレット・カフェ。私はたくさんの思い出を作らせてもらった。
そう思いながら、最後に振り返り、思い出の詰まった看板を見た。
「リニューアルにつき、11日〜13日改修工事を行ないます。14日再オープン!」
張り紙が小さく張ってあった。

成長の見えないストイックなダーツライフは、まだまだ終わりそうにない。


サッカーで革命を!〜ART48の秘策〜 

July 12 [Mon], 2010, 2:47
「サッカー界に革命を起こそう。木曜の朝六時に多摩川に来てくれ」

そう言って、バイト時代の先輩アラタさんは電話を切った。
次はサッカーと来たか。
私はため息が出た。
3カ月前、同じような電話があった。
「ダーツで世界チャンピオンになろう。明日の深夜1時、武蔵小杉で待つ」
その後1カ月のあいだ、仕事後に二人で投げ続けるものの、スコアはまったくと言っていいほど伸びず、そのせいで飽きも感じてきて、世界チャンピオンの夢は自然消滅してしまった。
以前にも彼はバレーボールに目覚めたり、サバイバルゲームに取り組んだり、芸人を志したり、カリスマ美容師への道を歩みだしたり、世界各国を旅する流浪の民になろうとしたり、法を司り国を動かす最強の弁護士を目指していたこともあった。

ただ、どれもこれも高すぎる目標設定に現実はついていかなかった。そのため今のところ成功が形になったのは見たことがない。

まあ、今回はサッカーということで、少し嬉しくも思った。
連夜繰り広げられるワールドカップの熱戦のおかげで、久々にボールが蹴りたくなっていたところだ。

何も状況は分からなかったが、私は木曜日の早朝に指定された川沿いのグラウンドに向かうことにした。
人脈はそれなりにあるアラタさんだから、22人とはいかないまでも人数は集められているのだろう。

そう、高を括った私が間違いだった。
少々遅れて着くと、すでに試合は始まっていた。
朝早くから声を張り上げている。
南側のコートには選手が一人。北側のコートにも選手が一人。
全面コートで1対1の試合が行なわれていた。
2人は私の存在に気がついた。

「やあ、来てくれてありがとう」
私は聞く。「これはなんだい?」
「見てわかるだろ。試合さ」
そう言ったアラタさんの恰好は、とてもサッカーをやるとは思えない素人丸出しのパジャマのような姿だった。
もう一人の男も近寄ってきた。
「久しぶり、西埜さん」
私は名を呼ばれた。
バイト時代の後輩の竜丸だった。
「そうか、今回はおまえも被害者か」私は竜丸に言った。
「まあ、そうっすね。でもちょうどボール蹴りたかったから、いいっすよ」
まあそれはそうだな。

「では、全員揃ったところで」
アラタさんが声をあげた。
「サッカーチームART48の発足をここに誓う!」


ネーミングのダサさに加え、「サッカーチーム」という響きがいかにも素人っぽく、聞いているこっちが恥ずかしかった。
ちなみにARTとは、いうまでもなく、ARATAからきている。

「48って付けちゃったけど、いまんとこ3人だからみんなで頑張って人数集めよう」
名前を変えれば済む問題であるのだが、気に入ってしまっているようだ。Aしか、かかっていないのに。こんな恥ずかしいチームに人を呼べとは。しかもあと45人……無責任である。

「そして俺の目標は、このチームでワールドカップに出ることだ!」
アラタさんは高らかと宣言した。
名門と呼ばれる高校のサッカー部に入っていた竜丸は完全に呆れている。
というか、途中から話を聞かずにリフティングをしていた。

私は先生に向かう児童のように、前提を質問した。
「このチームではワールドカップに出れないと思います。日本代表じゃないですから」
夏の太陽が昇りかけている河川敷で、アラタさんは無駄に大声で笑った。
「ハッハッハ! だったら日本代表に勝てばいいんだろ!?」
そして、「俺には、サッカー界に革命を起こす秘策がある」と続けた。



アラタさんは話を終えると
「どうだ? 経験者ども。おまえらには到底思い付かないだろ、この作戦は。行けるだろ、ワールドカップ」

私は立ち上がって、竜丸とリフティングパスをした。
「それは、サッカーじゃない。幼稚園児だ」
竜丸はアラタさんの作戦を一蹴した。

その作戦とは、ドリブルしている味方選手を、残りの味方選手10人が輪を作って守りながらゴールへと向かう、という浅はかすぎるものだった。
「相手はボールに触れることもできない。負けるはずないだろ、これを今から4年間みっちり練習しよう。こんなことやってるのは、俺達だけなんだから、次回大会は負けるはずがない」
と力説した。

私は想像した。
10人で円になり中心の選手を敵から守るという練習風景を。
しかも、そればかりを4年。
ぞっとする。

私は告げた。
「入部もしていませんが、脱退します」
「同じく」リフティングをしながら竜丸も答えた。

一日にしてART48のメンバーはキャプテン1人となってしまった。



それから数日経った12日の今日、アラタさんから電話がかかってきた。
「次の選挙に出馬しようと思う。日本の未来は任せとけ」

素晴らしいバイタリティ。
そのエネルギーを使って発電とかできたら、どれだけ役に立つのだろう。
私は電話を耳から遠ざけ、漠然と思っていた。

プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:狭井 芭蕉
  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 誕生日:1986年
  • アイコン画像 現住所:東京都
  • アイコン画像 職業:会社員
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早稲田の四畳半アパートに住んでいます。 でも、住民票は実家の湘南のままです。      ○○荘と入った免許証を持つには、まだ少し勇気が足りません。
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