チェルノブイリ・ハート」感想 

2009年07月28日(火) 12時47分
前回も書いたが、反原発と障害者差別に関連し、映画「チェルノブイリ・ハート」の感想を書いてみた。映画は、チェルノブイリ原発事故のその後を取材したものだが、何の配慮もなく、障害者が全面に映し出され、「こんな子が生まれたら大変だ。」とばかり、障害者に対するネガティブキャンペーンの映画のようで、私自身、好奇な視線さらされた思いがした。
 反原発と障害者差別は密接関係している。もとより、わたくしも反原発ではあるが、「障害者が生まれるから云々」という論は、許し難い。そればかりか多くの障害者を傷つける言い方は辞めた方がよい。世の中に障害者が増えたら困るというが、健常者ばかりでも困るだろう。男ばかりでは困るが、女ばかりでも困る。いずれにしても、一定の割合で生まれてくるものの一つが障害者であることを念頭に置かなければならない。原発事故で危惧されるのは放射能の影響によって、この自然の営みが崩れる可能性があるからなのだ。ことさらのように、障害者を例えに出し、恐怖を煽るやり方にはほとほと呆れるばかりで、異質なものを受け入れようとしない、健常者文明の傲慢を見る思いがする。「障害は無いに超したことはない。」というが、何故、そう思うのか深みが全く感じられず、考えが短絡に過ぎるのである。映画でも出てきたが、障害者への対応は、万国共通で基本的には人間扱いされない。このことが、健常者の将来にも暗雲をもたらし、老後の不安であるとか、そういう形で現れるのである。そして、「自分はああなりたくない。」とおもうようになる。今回の映画は、このような思いが、確信となって多くの観客に受け入れられる機会になったに違いない。
 今回の企画で、障害者に対する負のイメージ固定化が、なにより恐ろしいと感じている。「障害者が生まれてくるから反対だ」とのネガティブキャンペーンはそろそろ止めるべきである。なぜなら、全く根拠のない言いがかりに過ぎないからだ。戦争やその後の高度経済成長や公害、そして原子力発電所の建設も健常者中心もしくは、健常者のみの社会体制が招いた惨禍であることを考えれば、「障害者が生まれてくるから反対だ」と言われれば腹が立つ。事実として今日の社会を築く為に多くの障害者は、施設や病院あるいは家庭内において、地域社会から隔離され、あるいは生まれてすぐホルマリンの海に浸されるなどして、命を奪われてきた。そして、経済成長を第一とし便利な生活を成就するために、徹底的に障害者は排除されてきたのである。このことこそ、今日の問題の根幹が潜んでいるのであり、異質な存在である障害者が社会と深く関わることによって新しい社会の創造が叶う。
 今回の事故によって、障害者が増えることは間違いないだろう。緒に就いたばかりの「共に生きる社会」の実現こそが喫緊の課題であり、多くの国民にその覚悟を迫る事件であったと私は考えし、そのような注釈が必要だったのではないかと思う。
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